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切断の痛覚ー守中高明「石」より[2019年10月19日(Sat)]
DSCN9957.JPG

富士と畑。葉物野菜やブロッコリーの緑が広がる亀井野のあたり。

*****


石  守中高明

人の葉の朽ちるとき
人の葉の国家の朽ちるとき
ふたたび収縮しはじめる環に似たもの
それは
ついに人の息を離れることのない「精神」の影であるか
人という永遠の分身を焼き焦がす
火の回帰であるか
比喩への信仰にささえられた
なまあたたかい死を生きる言葉と
薄く漂う饐(す)えたる寓意の匂いのなかで
私たちは今日
逸話のない
ひとつの純粋な切断である
落ちてくる
起源の夢を紡ぐ世界の形式
民族という古い種子の滴り
私たちは今日
名を呼ばぬ、空虚を呼ばぬ
ひとつの純粋な痛覚である


『守中高明詩集』(思潮社現代詩文庫、1999年)より

◆3連から成る詩の第一連。
詩題の「石」とは、続く第二連の冒頭に「わたくしの魂を照らす崇高なふたつの石であるあなたの瞳」として明示される。あなたの瞳は「今では…深く透きとおって……石の明るさを湛えた沈黙の中に沈んでしまった」と表現される(以上いずれも第二連より)。

◆「人の葉」とは大地の滋養とまばゆい光の祝福を得て実りを生み出し、自らを増殖させて行くはず〈だった〉もののことだろう。だがそれは今、朽ちようとしている。
刃で裁ち切られた葉脈から、古い物語の残滓を滴らせるばかりで、それは自ら焼尽するかのように腐朽していく。
確かなことは切断がもたらした紛うことのない痛覚のみ、と。

1997年の前半に書かれた未刊詩集「シスター・アンティゴネーの暦のない墓」の一篇ということだが、その後の20年余りに照らしてみても、その痛覚は癒されるどころかますますはげしく苛み続けているはずだ。
したがって、連作詩の終わり近くにある「今日、ぼくたちの時間が死にました」という嘆きは、今もぼくたちが宙吊りのまま、痛覚を味わっていることを証明し続けているはずだ。
「国」や「民族」をことさら口にする者たちが、歴史を否定するという倒錯を行い続けているからである。
葉脈を切断する刃の一つが彼らであることは確かだ。

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