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長田弘さん逝く[2015年05月10日(Sun)]
詩人の長田弘さんが5月3日に亡くなった。
享年75歳。

2015年5月10日18時15分朝日新聞記事
詩人の長田弘さん死去 「われら新鮮な旅人」
http://www.asahi.com/articles/ASH5B5QVZH5BUCVL006.html

40年ほども前、授業を受けたことがある。
個人的な話を交わした記憶はない。
近づきがたかったわけでは全くない。

詩をつくる人をそうした浮世のつき合いで煩わさない方が良いだろう、と一方的に思っていた。

当時、長田さんはアメリカから帰国して間もなくで30代半ば、担当教官の中では最も若い世代のお一人だった。

高踏的ではない平易な語り口、猫の話をなさったのを覚えている。
教室は中庭に面していて、和らげられた外光のおかげでゆたかな陰影をたたえていた。
そんな空間の記憶も残っている。

現代詩文庫『長田弘詩集』は今も手もとにある。
裏表紙に載っている写真(たぶん20代の終わり頃のもの)を、教室のご本人より大分若々しいなと思って眺めた記憶がある。

若き日の長田弘思潮社裏表紙-A.jpg
『長田弘詩集』より(思潮社、1968年)

数年前、テレビの「視点・論点」で語りかける長田さんに全く久しぶりに接した。
語ることばも自ら読んだ詩も、難しいところが一つもなく、それでいてこちらの体内にじわりとしみこんでくるようで感銘を受けた。
中味の濃い時間を重ねて来られたことが伝わって来た。

番組では「言葉のダシのとりかた」を朗読なさった。
詩集『食卓一期一会』巻頭の詩である。


  
  言葉のダシのとりかた
            長田 弘
かつおぶしじゃない。
まず言葉をえらぶ。
太くてよく乾いた言葉をえらぶ。
はじめに言葉の表面の
カビをたわしでさっぱりと落とす。
血合いの黒い部分から、
言葉を正しく削ってゆく。
言葉が透きとおってくるまで削る。
つぎに意味をえらぶ。
厚みのある意味をえらぶ。
鍋に水を入れて強火にかけて、
意味をゆっくりと沈める。
意味を浮きあがらせないようにして
沸騰寸前サッと掬いとる。
それから削った言葉を入れる。
言葉が鍋のなかで踊りだし、
言葉のアクがぶくぶく浮いてきたら
掬ってすくって捨てる。
鍋が言葉もろともワッと沸きあがってきたら
火を止めて、あとは
黙って言葉を漉しとるのだ。
言葉の澄んだ奥行きだけがのこるだろう。
それが言葉の一番ダシだ。
言葉の本当の味だ。
だが、まちがえてはいけない。
他人の言葉はダシにはつかえない。
いつでも自分の言葉をつかわねばならない。


長田弘食卓一期一会_0005-A.jpg
詩集『食卓一期一会』(晶文社、1987年)

以来、その詩集やエッセイを開いてみることを重ねるうちに10冊ほどになった。
長田さんは福島の人だということが頭にあったから、3.11の直後に職場を去る折の生徒たちへのあいさつでも彼の詩を紹介した。

このブログでも『奇跡ーミラクルー』から「人の権利」という詩を引用したことがある。
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/79

長田弘奇跡_0002-A.jpg

詩集『奇跡ーミラクルー』 (みすず書房、2013年)
今、改めて『奇跡』のあとがきを読むと、次のようなことばがある。

「奇跡」というのは、めったにない稀有な出来事というのとはちがうと思う。
それは、存在していないものでさえじつはすべて存在しているのだという感じ方をうながすような、心の働きの端緒、いとぐちとなるもののことだと、わたしには思える。

日々にごくありふれた、むしろささやかな光景のなかに、わたし(たち)にとっての、取り換えようのない人生の本質はひそんでいる。

それが物言わぬものらの声が、わたしにおしえてくれた「奇跡」の定義だ。

たとえば、小さな微笑みは「奇跡」である。
小さな微笑みが失われれば、世界はあたたかみを失うからだ。

世界というものは、おそらくそのような仕方で、いつのときも一人一人にとって存在してきたし、存在しているし、存在してゆくだろう


このあとがきから詩集の最初の詩「幼い子は微笑む」に再び戻りまたそこから順々に、あるいはたまたま開いたページから誘われるままに、何度も何度も読み返す。
そうした贈り物としてこの詩集は今、手もとにある。

詩集の中程にある「おやすみなさい セレナード」の後半をここに引いて詩人・長田弘への心からの感謝を捧げます。

おやすみなさいフクロウが啼いている
おやすみなさい悲しみを知る人
おやすみなさい子どもたち
おやすみなさい猫と犬
おやすみなさい羊を数えて
おやすみなさい希望を数えて
おやすみなさい桃畑
おやすみなさいカシオペア
おやすみなさい天つ風
おやすみなさい私たちは一人ではない
おやすみなさい朝(あした)まで
    


この記事のURL
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/133
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