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青い空を渡る鳥の渇き/その渇仰ののどのふるえとして[2019年08月17日(Sat)]

DSCN1431.JPG

***

◆昨日の金時鐘「化石の夏」同様に「石」で始まる詩をもうひとつ。

「一個の石」になることを念じる点も共通する。
「木や石ではない」ことに生きる拠り所を持とうとするのも人間だが、「石」になることを願う者もまた人間として、大地深く降りていって地下の水脈に働きかけ、人々の喉を潤すほとばしりとなることを願う。
多くの断念と悲しみによって残った一念は、個体への執着を離れて、幾千・億万の人々を生かそうとするのである。


在りたい   崔 龍源

もし生きうるとすれば
一個の石 石のなかにたたえられた
断念のひとみとして
そのひとみに灼きついて
流された億万の血の記憶として
死に絶えていった
あの美しい風景の中心(こころ)として

もし死なないでいるとすれば
錆びついた銃口としてではなく
撃たれた死者として
数限りなく射殺された希望として
暑い 渇いた荒野にふるえる
草木として
在りつづけるであろう
青い空を渡る鳥の渇き
その渇仰(かつごう)ののどのふるえとして

もし狂わずにいられるとすれば
棄てられる民として
戦争のときに まず最初に
捨てられゆく民衆として
一粒の種子の奥深くしまわれた
生へ 飢えかわくたましいとして
あらがい続けるいのちとして
閉ざされたくちびるとしてではなく
もし内部発光しうるとすれば
むつみ合う魚として鳥として獣として
決して癒されることのない場所に
人として在りつづけるであろう
縛られる手となろうとも
闇の底から発される声として
もし狂わずにいられるとすれば
もしまだひとつの祈りであるとすれば
形のないものとして たとえば
たえず咆哮する海の波濤として
ただひとりのひとの
限りないうみのかたちとして
もし在り続けることができるとすれば
悔いとして
あるいは昔のような存在として
吹き過ぎる風の言葉として
もし夢みつづけることができるとすれば
地球儀をまわす子供たちの
てのひらや垢や汗の匂いとして
そして 尽きない
いのちの継起 噴き上がる
ひと筋の水として
在りたい



崔龍源(さい りゅうげん)は韓国人の父、日本人の母のもと、1952年に佐世保市に生まれた詩人。

*昨日と同じく『在日コリアン詩選集』より。




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