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蟻の群れの私たち[2019年05月18日(Sat)]

DSCN0666ホオジロ.JPG
ホオジロ

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中村稔の詩ふたつ

きらめく光の中に  中村稔

ヤシオツツジが咲き、みどりはふかく
日本列島に、はるか遠くから
湿り気を帯びた大気が近づいている。

チェルノブイリの石棺について語るもいい。
口をつぐんで立ちつくす難民について、
滅びゆく釧路湿原について、
憂い顔に語るもいい。

その声はどれもうつろに反響し、
はじけ散って空の高みに消えて行く。
憂い顔の騎士よ、きみは語りやめない、
いよいよ暗然と、しかし昂然と顔をあげて。

五月、人類の未来よりも、地球の未来よりも、
きらめく光のなかの一瞬一瞬に、私は
ひそかな私の生を賭けることにしよう。
 

        (1988年4月)

洪水の前   中村稔

鋏や鍋が私たちの文明であった時代、
祖父たちは確実に文明を支配していた。
私たちの文明が日に日に肥大し続け、
私たちはますます矮小になり、
私たちは人工湖の堰堤の下にうごめく蟻の群に似ている。
じきにダムが決潰する、としきりに警鐘が鳴っているのだが、
誰も箱舟を作ろうとはしない。
ただ鬱々と手を拱いて大洪水の到来を待っている
ある文明のたそがれどき。

   (1990年12月)
 *2編とも『続・中村稔詩集』(思潮社・現代詩文庫、1996年)より。

◆昭和の終わりから平成の初めにかけて、というよりはドイツ再統合を結節点に東西冷戦の終わりという大きな歴史転換の前後に書かれた二つの詩。
それから30年前後を閲したにもかかわらず、現在もほぼそのまま当てはまる(決潰を加速する蟻の穴がいくつか追加されたけれど)。

「暗然と」することも「昂然と」することも排して、一瞬一瞬に「生を賭ける」ことを密かに期した作者は当時、還暦を過ぎたあたり。

ひとつの文明のたそがれとしてのその後の30年を、いま現在、どう総括しているだろう。



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