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個を越えた智の連続性[2019年05月07日(Tue)]

DSCN0646.JPG
ミズキ。
花の淡いみどりのつぼみが白い花を開き、濃さを増した葉の上で宴を催しているような美しさ。
アゲハの幼虫らしいのが葉に留まっていた。

*******

井上ひさしが物心ついたころ、すでに父は他界していた。
家に父親というものがいないのは「なぜ」と問うと、母親は本でびっしりの書棚を指さして、「この本の山を父さんと思いなさい」と答えたという。

書棚に居並ぶシェイクスピアをホラ吹き親父、モリエールはおもしろ親父、ドストエフスキイはおしゃべり親父、トルストイを説教親父……そのように「ゴーカケンラン」な父親に囲まれて育ったそうな。学生の頃、父の蔵書を読破し、それが西洋の小説・戯曲に偏していることにも気づくが、ともかく、父が遺した本の山に向かったとき思い当たったのは「生命の連続性」ということだった。

地球上の生物に共通するのは「死ぬ」という事実である。たしかに生あるものはみんな死ぬ。だが、よく見ると死ぬのはそれぞれ個体であって、生命そのものは(核戦争が地球をこわしでもしないかぎりは)永遠に連続してゆく。
わたしたちの一人一人が、地球上に出現した初発の生命を引き継いでおり、だからこそいまこうやって生きているのであり、この生命を後の世代に移し伝えてやがて死ぬ。わたしたちの個体は、そこで灰になり、土へ還る。がしかし、わたしたちが中継した生命は地球最後の日までたしかに続いてゆく。つまりわたしたちは、生命の永遠の連続の、とある中継点で生きているのである。この中継点で、わたしたちはこれまでの生命の連続のすべてをぐっと引き受け、できればその連続になにかましなことを一つ二つ付け加えて、あとはすべてを後世に托する。これが中継走者の役目だろう。
同じように、わたしたちには、これまでに書かれた書物をできるかぎり読破し、そういう努力の上になにかましなことを一つ二つ付け加えて、その書物の山を後世に伝えるという役目もあるのではないか。すなわち生命と同じように、智恵にもまた、永遠の連続性があるのだ。書物を読むことで過去は、現在のうちによみがえる。


◆現実の父親の不在という、個人の事情に発して、人間が受け伝えてきた智恵の命脈に連なる自分を中継走者と思い定めたわけである。
以下の結語が含蓄に富む。

読書によって体得した智恵に導かれてだれかが、いま生きつつある者として本を書けば、現在はすでに未来をさえ孕みはじめるのであるが、そこまで話をひろげなくても、とにかく読書は、智恵の永遠の連続性への参加である。――と、父親が遺した本の山はいつもそう語っているように、わたしには思われるのだ。

井上ひさし「本とわたし」より
エッセイ選『わが蒸発始末記』(中公文庫、2009年)p.164-165

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