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ほしあかりと平和[2019年04月27日(Sat)]

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エゾギシギシ

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平和  池井昌樹

わたしがいない
そらにはくもがうかんでいて

わたしがいない
まちにはひとがあふれていて

わたしがいない
そらはのどかで

わたしがいない
まちはへいわで

わたしがいない
けれどだれかがそらをみあげて

わたしがいない
けれどだれかがまちにくらして

わたしがいない
そらにはくもが

わたしがいない
まちにはひとが

はるかむかしのほしあかり
けれどみあげているいまも


 池井昌樹『未知』(思潮社、2018年)所収

◆「わたし」は「そら」に浮かんでいるようだ。
くもの下、人であふれた平和なまち、しかし、そこに「わたし」がいない。
いや、かつてはそこに「わたし」もいたのだろう。
今そこにはいない。
だがその平和なまちを見守ることはできる。
見守る「わたし」の気配を感じるのか、まれに誰かがこちらを見上げることはある。

◆まちが平和であるために「わたし」がしたことが何かあり、それゆえにまちは平和になったようだ。だが、何をなしたか「わたし」は語らない。
大切なことはまちが平和であり、それを「わたし」が見ていられることだ。

◆「わたしがいない」を繰り返すのは悔いや喪失感からではない。
それらは「わたし」と共に在った者が、平和なまちに暮らす折々にふと感じることではあるだろう。試しに、リフレインの「わたし」のところを空所にして、そこに他の言葉、代名詞(たとえば「あなた」)でも固有名詞(たとえば愛犬の名前)でも入れてみるがいい。
この詩はたちまち彼らを失った者の悲しみに変貌し、元の詩のフワフワした感じは消えてしまう。詩の語り手が、「あなた」や「愛犬」に先立たれた悲しみを歌うという、ありふれたものになってしまう。だがこの詩はそうではない。

大事なことは、まちが平和で、それを「わたし」がいつまでも見ていられることだ。
そうして時には、誰かがはるかなものを確かめるようにこちらを見上げ、その瞳に星明かりが、かすかでも見失うことのない希望の証しとして映ることだ。



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