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冬至――ヒヨドリ――迦陵頻伽[2018年12月24日(Mon)]

DSCN9429.JPG
ヒヨドリ。

北村太郎「冬至」という詩にヒヨドリが出てくるのを知って、12月に入ってからヒヨドリを撮るチャンスをうかがっていたが、蒲団のぬくみの中でグズグズしている内に冬至も過ぎてしまった。

来年までこの詩を取って置くのはもったいないので、ようやく写真が撮れたのをしおに紹介しておく。

*******

冬至  北村 太郎

ずいぶん近いところからヒヨドリを見た
窓からベッドに
斜めに日が照り、また翳り
ふたたび射したかとおもうと
たちまち亡霊のように消えてしまう
じつにさびしい昼だった
気がつくと
ガラス戸のすぐ先に
ヒヨドリは枝にとまっているのだった
コーヒー豆みたいな
ネズミモチの実をついばんでいる
ひとつ食べては
首を
あやつり人形のように四方に動かす
ときどき
尾を上げて糞(ふん)をした
おお この一年
秋から冬へ
さらに新しい冬へ
なんとヒヨドリの声をいとおしんできたことか

目ざめると
裏の竹やぶでたくさんのヒヨドリが鳴いていた
ネコの喃語より
ずっと甘美なさえずりだった
そうかとおもうと
いとどこの世のものならぬ澄んだ一声を残して
一直線に
夏の雨空に消えたこともあった
そのヒヨドリをいま見ている
羽は暗い青
目尻から下へ茶色の隈どりがあって
精悍ではあるが
邪悪な感じもあってまことに意外だった
いつのまにか
かわいい鳥の幻想ができていたのだ
いまの家に引っ越してきてから
彼らに起こされることはなくなったが
ときおり
寒林で聞こえるヒヨドリの声にうっとりしたものだった
そのヒヨドリがそこにいて
枝を揺らせながら
ネズミモチの実を突っついている
不意に
窪地のむこうの
ほとんど葉の落ちたケヤキで別の一羽が啼いた
こちらが首を伸ばして答えた
声が
冷えた窪地の上の空に鋭く響きあう
ピーチカチャカチャー
くちばしを開くヒヨドリの
口のなかを初めて見た
うす気味わるくなるほどの
赤だった

その日はずいぶん早くから物音が絶えた
闇のなかで迦陵頻伽(かりょうびんが)といってみる


 *迦陵頻伽…仏教で雪山または極楽にいるという鳥。妙なる鳴き声を持つとされ、仏の音声の形容ともする。人頭・鳥身で描かれることが多い。

 『続・北村太郎詩集』(思潮社、現代詩文庫、1994年)による

◆詩中の「寒林」という言葉には、冬枯れの林、という意味の他に屍を葬る所、という意味もある。ヒヨドリの声を「いとどこの世のものならぬ」と表現しているのには、そうした意味も含んでいるのだろう。

ヒヨドリに限らず、鳥や蝶など飛ぶものたちには、この世とあの世を往き来するイメージがある。
舞楽の迦陵頻、それと対で舞われる胡蝶の舞もそのイメージを舞によって表現しているのであろう。

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