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詩人・尹東柱 没後70年[2015年02月16日(Mon)]

人生は生きがたいものだというのに
詩がこれほどもたやすく書けるのは
恥ずかしいことだ。 
 

 尹東柱「たやすく書かれた詩」(金時鐘訳)より

70年前の今日2月16日、詩人・尹東柱(ユン・トンジュ)は福岡刑務所で亡くなった。
27歳。

◆尹東柱(ユン・トンジュ 1917.12.30〜1945.2.16)

伝えられる詩作品は少ないが韓国では最もよく知られ愛されている詩人である。

日本に来る前、延禧(ヨニ)専門学校(ソウルにある現在の延世大学)の卒業記念に出版を思い立つも果たさず、自筆の詩集『空と風と星と詩』を3部だけ作った(序詩をふくめ19編を収める)。それを恩師と友に贈呈した。
今日彼の詩を読むことができるのはひとえにその友の努力による。

冒頭の詩は、来日して立教大に学んだ42年6月ころまでに作られ友への手紙とともに送られた6編の作品の一つ。それらが最後の作品となった。

尹東柱は、同年秋には同志社大に転学した。
だが、翌1943年7月14日、京都帝大に学んでいた、いとこの宋夢奎(ソン・モンギュ)とともに治安維持法違反の嫌疑で逮捕・起訴されてしまう。
懲役2年の宣告を受けて福岡刑務所に収監され、作品・ノートはすべて押収、家族にも引き渡されなかった。
尹東柱にとって親友であり良きライバルでもあった宋夢奎もまた福岡刑務所で1945年3月10日、獄死する。

42年夏以後の尹東柱の詩を私たちが読むことができないのは、獄死後にノート類が始末されたためと推測するほかない。

かくして詩人は生きる自由を奪われた、二度にわたって。

無惨で非道だ。


尹東柱岩波文庫表紙01-A.jpg

◆◇◆◇◆◇◆

尹東柱の名を知ったのは茨木のり子辺見庸の文章によってである。

茨木のり子は『ハングルへの旅』(86年、朝日新聞社刊)の最終章で詩人・尹東柱を紹介した。
(これが筑摩書房の高校教科書に載ってこの詩人は広く我が国に知られることとなる。)

茨木自身、ハングルを学んで尹東柱の詩を訳してみていたが、伊吹郷による完訳『空と風と星と詩』が84年に出たことに脱帽。伊吹の稠密で情熱的な研究をたたえている。

茨木は詩人の実弟・尹一柱(ユン・イルジュ)氏に会っている。
詩「弟の印象画」の中で兄の東柱に「大きくなったらなんになる」と訊かれて「人になるの」と答えたという弟だ。

一柱のすばらしい人間性に惹かれ、「最高の韓国人の一人」と評しているが、兄・尹東柱もまたそのような「人間の質」を備えた人であったろうと想像をめぐらしてみている。

さらに91年、茨木のり子は、その尹一柱氏の子息・尹仁石(ユン・インソク)にも会っている。
尹東柱の甥にあたる彼も、伯父と、その死について一族から聞かされて育ったはずだが、伯父・尹東柱のように日本に留学をした。(その後帰国してソウルの成均館(ソンギュングアン)大学で建築工学の教鞭を執っているという)。
彼の話もまた知性と人間味にあふれたものだ。

*******

仁石:「(容姿が)ぼくは父にまさると思っていますが、伯父(尹東柱)には負けます」
といたずらっぽく笑った。
静かだけれど闊達で、魅力的な若者だった。そしてまた、
「伯父は死んで、生きた人だーーとおもいます。」とも言われた。

  茨木のり子「尹東柱について」(『一本の茎の上に』所収。
    初出:筑摩書房「国語通信」91年。のち、ちくま文庫、09年)

◆◇◆◇◆◇◆

冒頭の詩の全体を掲げる。

たやすく書かれた詩 尹東柱

窓の外で夜の雨がささやき
六畳の部屋は よその国、

詩人とは悲しい天命だと知りつつも
一行の詩でも記してみるか、

汗の匂いと 愛の香りが ほのぬくく漂う
送ってくださった学費封筒を受け取り

大学ノートを小脇にかかえて
老いた教授の講義を聴きにゆく。

思い返せば 幼い日の友ら
ひとり、ふたり、みな失くしてしまい

私はなにを望んで
私はただ、ひとり澱(おり)のように沈んでいるのだろうか?

人生は生きがたいものだというのに
詩がこれほどもたやすく書けるのは
恥ずかしいことだ。

六畳の部屋は よその国
窓の外で 夜の雨がささやいているが、

灯りをつよめて 暗がりを少し押しやり、
時代のようにくるであろう朝を待つ 最後の私、

私は私に小さな手を差しだし
涙と慰めを込めて握る 最初の握手。

              
        金時鐘(キム・ジジュン)訳、岩波文庫
******

「私は私に小さな手を差しだし」という表現、
むずかしいことばは何ひとつないのに、
読む者を、彼の息づかいをを感じるところまで引き寄せる。

六畳の下宿部屋にいる一人の若者。
孤独な世界だ。

だが世界と孤絶しているのではない。
ねじくれたり絶望しているのではない。

なぜ、そう感じさせるのか?

そもそも「私」は自分一人で、一方の手にもう一方の手を差し出して「握る」のであろうか?

実際にやって見ると分かることだが、一人では、両手の指先を曲げてその指先同士を列車の連結器のように互いに噛ませるか、あるいは、てのひらを開いたまま一方は下向きに一方は上向きに重ねることしかできない。
物理的に人の左右の手ではそうした形しか出来ない。
つまり、ふつうの「握手」にはならない。

だが、この詩から感じるのはふつうの握手だ。

差し出した手に応じて、自分の身から離れたもう一人の自分が向こうからこちらに手を差し出してくるように感じる。

いや、むしろ、詩人の心に応じるように、自分ではない何者かの手がこちらに差し出されてくる感じがある。

例えば、ロダンの「カテドラル」のように。
ふたつの存在の右手と右手が相対するかたち。
ということは、詩人の前に姿を顕現させているものが確かにいるのだろう、ということだ。

ロダン「カテドラル」.jpg

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