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辺見庸『月』の装丁と作者の自署・落款まで[2018年11月16日(Fri)]

『月』刊行に合わせて行われた辺見庸氏の講演を聴く(八重洲ブックセンター)。
講演の内容については別途触れると思うが、本としての『月』を手にした感想を先に書いておく。

帯の赤い「月」の字(井上有一・書)が、2016年7月26日の津久井やまゆり園事件の人々の鮮血の表現であることは近刊予告のカラー画像で分かっていたことだ。

◆実際手にしてみると、印象が修正される。
「月」の字は、韓紅花(からくれない)というのか深紅(こきくれない)というのか、小豆色まで行かないがやや紫を帯びながら黒を含んでいるようにも見える。

辺見庸「月」帯カバー本体_0001.jpg

◆もっと予想と違ったのは「月」の字を刷った帯の紙の質だ。
ツルツルしていない、小説本文の色に近い白い紙。
(この本に使われている本文の用紙は、多くの本で使われる黄色味を帯びたいわゆる書籍用紙、ではない。通例の本の用紙よりは白さがまさっている。帯は、それと同じ白さで本文より厚めの帯紙。)

◆また、この帯は普通の本に巻いてあるものの倍以上の幅がある。異様と言っていい。
しぶきをあげた「月」の字を刷るためにこの幅を必要としたわけである。

それだけの幅を帯に与えたために、この本を手に取ったときの感触と視覚的な印象を考慮して、紙の質で生々しさを抑えようとしたと思える。

そうして、赤い「月」の上にかぶせた黒い活字がさらに抑制を利かす。

「あなた、
 ひとですか?」
「ひとのこころ、
 ありますか?」


◆帯を取り去るとグレイのカバーに一変して、黒々と、のたうつような「月」の字が現れる。

惨劇のあとの無明世界を表現するかのようだ。

辺見庸「月」帯カバー本体_0002.jpg

◆カバーを外すと小説本体の表紙が現れるが、その色は灰青色というのか、利休鼠と銀鼠色の中間ぐらいの色。

辺見庸「月」帯カバー本体_0003.jpg

薄明に向かう頃おいを暗示しているのかも知れない。

帯→カバー→本体表紙へと色が変わって行くのは、事件当日、夜中過ぎからの時間の経過を暗示しているようであり、同時に事件が与えた衝撃が我々に飛び散り、我々の内側に浸潤し、沈潜を経て何かが浮かび上がってくるまでを表しているようでもある。

◆さて、表紙を開けると見返し(表紙を開けた時の表紙裏と中扉の1枚手前の紙)に驚かされる。黒なのであった。それもノッペリした黒ではなく、黒の中に何かが闇の中に溶け込んでいて蠢いているような。

そうしてその黒の上に銀色で書かれた著者自筆の「月」一字。そしてその下に朱色で著者の落款が捺されているのであった。


辺見庸『月』[2018年11月15日(Thu)]

DSCN9032.JPG
ムラサキツユクサ。花期はとっくに終わったと思うのだが朝日の良く当たる石垣の根方に咲いていた。

*******

はじまる  石原 吉郎

重大なものが終るとき
さらに重大なものが
はじまることに
私はほとんどうかつであった
生の終りがそのままに
死のはじまりであることに
死もまた持続する
過程であることに
死もまた未来をもつことに


  詩集〈足利〉より  『続・石原吉郎詩集』(思潮社現代詩文庫、1994年)

◆昨日の同じ詩集のすぐ次に載っていた「はじまる」という詩を、たとえれば力士が土俵にまく塩のようにして辺見庸『月』を読んだ。

主人公は「きーちゃん」という園の入所者。ベッドの上にひとつの〈かたまり〉として存在し続けている、性別・年齢不明のひと。

小説の終わり、まっ赤に濡れた「さとくん」が近づいてくる。たちどまって月を見た「さとくん」。そのことばを聞く「きーちゃん」。
そこから未来をはじめることができるか?――読んだ者は問われている。

読み終え閉じられてなお我々の生きている「いま」がビクンビクンとのたうっている小説。

*******

◆第18(350頁)のきーちゃんの独白――

あたしはなくてもいい、ないほうがよいと内心おもわれている、ひとつのかたまりだ。セイタカワダチソウにからまる、つまらないビニール紐やかわいた痰以下の存在だ。そんなことは知っている。きーちゃんと呼ばれ、ぱーちゃんと一括して総称されることに、もうとっくになれている。名は体をあらわす、だ。ふふふ。文句をいってもはじまらない。ただ、あたし(たち)には(にも)イシキかイシキのようなもの、そしてムイシキがある。だれにイシキがあり、だれにイシキがないか、そんなことはわからない。ビニール紐に十中八九イシキはないだろうけれど、セイタカアワダチソウがほんとうにムイシキかどうかなんて、きめつけることはできない。イシキが上等でムイシキが下等とだんていするのもおかしい。地球という巨大なムイシキは下等か上等か――くだらない設問だ。
あたし(たち)は、さしあたり、在る。当面、在る。なんのためかは知らねども、まず在る。ご迷惑かも知らねども、在るのです。在っちゃう。

   辺見庸『月』(角川書店、2018年10月)
   *初出は「本の旅人」2017年11月号〜2018年8月号

DSCN9066.JPG

パン・水、石、風と空をすこしずつ[2018年11月14日(Wed)]

◆夕刊にさる社会学者が愛猫の話を書いていた。

「飼い主によって溺愛され、快適な住居と食事を終生与えられている」と記す。
一方的な思い込みに辟易する。

「私たちは自分の人生にうんざりし、絶望し、お終(しま)いにしたくなるときがしばしばある」とも書いていた。人間と違って、猫にそのようなことはないと言いたいようだ。
これもまた決めつけに過ぎないと思う。
猫だって己の生にうんざりしたり絶望したりすることはあるだろうに。

このような文章を書く神経が理解できない。そうしてそれを「文芸・批評」欄に色刷りで載せる編集者の神経も理解できない。

*******

風   石原 吉郎

男はいった
パンをすこし と
すなわちパンは与えられた
男はいった
水をすこし と
水はそれゆえ与えられた
さらにいった
石をすこし と
石は噛まずに
のみくだされた
そのあとで男はいったのだ
風と空をすこしずつ と


*******

◆上の詩の「男」を、くだんの社会学者の「猫」に置き換えたらおかしいだろうか?
生きものとしてパンと水で生存を確保したのちに、栄養になるどころか胃や内蔵を傷めずにはいない石を呑み下し、しかるのちに風と空を全身で味わおうと願い、その望みを神に伝える「男」。
同様に世界を味わい尽くそうとする不敵な、あるいは敬虔な「猫」がいたって何の不思議もない。


★「風」は詩集『足利』所収。『続・石原吉郎詩集』(思潮社現代詩文庫、1994年)によった。


〈口に出して語られない限り〉[2018年11月13日(Tue)]

寺山修司ガルシア・ロルカの死生観について書いていた(「黙示録のスペイン――ロルカ」)。

ガルシア・ロルカは二度死んだ詩人であった。
一度目は、彼自身の詩の中で死に、二度目は、スペインの内乱で、フランコ軍に処刑されて死んだ。彼の死んだ一九三六年に生まれた私は、いつからか彼の創り出した死の世界にひきこまれ、彼が開けておいたバルコニーから、夜ごとせせらぎのきこえるグラナダの町へと誘いこまれて行くのであった。

 ぼくが死んでも
 バルコニーは開けておいておくれ

と、ロルカは書いていた。


(略)

生と死のあいだには、バルコニーのドア位の仕切りしか存在していない、というのがロルカの死生観であり、しかも信じられないことに、ロルカは「生と死は対立関係ではなく、場所が違っているだけのこと」だと、考えていたのだった。

◆こうした記述に目が留まったのは辺見庸『月』が頭の半ばを占めているからだ(その実、読まぬまま16日を迎えそうな心配さえある)。
従って、ここから先は小説『月』とはカスリもしないどころか、全く関係ないことがらとして、『月』を読む手前の足踏みでしかなく、寺山の小文からの引用は、逡巡している間の埋め草に過ぎない)。

グラナダの月夜に、酒場にぼんやり坐っていたりすると、生の高揚のために死が基底にあるというのではなく、死と生が同じ高みにあって、ときどき風の向きによって、すべての人が死んでいたり、すべての人が生き返ったりするのが、よくわかるのだった。

お月さまが死んでる、死んでいる
だけど
春にはよみがえる


◆このくだりをここに引く理由も、辺見庸の小説とは〈月〉という一文字が共通だという以上のものは無い。

「風の向きによって/死んでいたり/生き返ったりする」ような生や死とは、棒の先に貼り付けた紙の裏表が生の顔と死の顔に描き分けられていて、それをひっくり返して演じられる影絵芝居か人形芝居の見物人のように「生」と「死」を観照しているだけのことで、当時者性は乏しい。

続けて寺山は、ル・クレジオとスペインを旅した折のやりとりを記す。

私は、ル・クレジオに、「生が終わってから死が始まるのではないと思うよ」と言った。「死は、生きているものの作り出した虚構にすぎないのだから、生が終わったら死も終ってしまうのだと思う」と。
だが、それでは死は生に従属してしまうことになり、生きている者によって操作されることになってしまうことになるのではないだろうか、とル・クレジオは言った。
たしかに、「死は一日のうちにもやって来て去り――やってくる」のだということが、スペインにいるとよくわかった。それはフランコ圧政への暗喩などではなく、もっとなまなましい土の記憶のようなものなのであった。
 


ル・クレジオが返して寄越した疑問は、寺山がロルカのことばをなぞりながら述べた感想が傍観者のようであることに向けられている。
「死は生に従属し、生きている者が死を操作している――それで君は平気なのか?」とたたみかけて質したかったのではあるまいか?

「なまなましい土の記憶」と言いながら、スペインの土と寺山の棲む国の土とは別物として片付けている。
しかし「ふたつの死」という着想を得て、ようやく寺山は扉のノブに手をかけることになる――「死を言葉にすることの意味」について考える場へと足を踏み出すために。

私は、ロルカの詩の中のスペインと、観光旅行案内地図の中のスペインとのあいだにいて、考えない訳にはいかなかった。死は、もしかしたら、一切の言語化の中にひそんでいるのかも知れないのだと私は思った。
なぜなら、口に出して語られない限り、「そのものは死んでいない」ことになるのだからである。


◆最後の一文は、「なぜなら」と理由を述べる言い方で前の文を承けているのだが、この接続詞は正確でないと思う。「死は言語化の中にひそんでいる」と、「口に出して語られない限り、『そのものは死んでいない』」、この二つは同じ事柄の言い換え=同語反復であるからだ。
「言い換えれば」もしくは「つまり」でつなぐのがスジだろう。

◆だが、こうしたあげつらいは大して意味がない。
それより、寺山の文章が逢着した、〈この世には生と死があるのではなく、死ともう一つの死があるのだということ〉、及び〈口に出して語られない限り、「そのものは死んでいない」〉という考えは、扉の向こうに足を踏み入れるためのドアの鍵であり、それを手にした以上、もはや傍観者のままでいることはできなくなる、ということを意味する。
「そのものは死んでいない」という言葉はこの場合、「未だ生きている」ことを意味しないだろうけれど、では「死ぬことができないでいる」ということであるのか、あるいは「生きた、と言うことすらできない」ということなのか、あるいは、それらと全く違う別の意味を持っているのか、明らかでない。

〈口に出して語られたもの〉に耳傾け、眼で視ることが必要になる。

*「黙示録のスペイン――ロルカ」は寺山修司エッセイ集『私という謎』に入っている(講談社文芸文庫、2002年)。


堀田善衛「暗黒の詠唱と合唱」より[2018年11月12日(Mon)]

辺見庸『月』に対置しうる一編の詩を、と探していて出会った堀田善衞の作品がある。
「暗黒の詠唱と合唱」と題する17の部分から成る長編詩。
その冒頭2連を引く。


「暗黒の詠唱と合唱」より  堀田 善衞

  詠唱

夜――
――私が背後に聞き入るもの
孤独から死へ低まってゆく
冷たい溶岩の流れ 氷河のやうに
ついそこの戸口のところまで黒く光つて押し寄せて来てゐるもの
町々が粉砕され
赤黒い血も子供もその悲惨も
何百万の死者も堤防にはなりえなかつたもの
夜の深まるにつれて一層黒々と力をまし
木を倒し湖を埋め獣を追ひ家を潰しその破片をのせたまま
われらのすべてを呑み込まん勢ひで鈍く近迫して来てゐるもの
名もない黒い 私が背後に聞き入るもの

  合唱

聞け! われらの歌を音楽を
われらの歌 ただ単音の
アーアーアーアーアー
無窮電音のやうなこの歌を
われらの歌は耳を圧する黒いものの近迫に押し出され息詰まるその果てに
アーアーアーアーアーと叫び
われらの頭蓋の後ろについた眼を蒙らまし恐怖を殺ろし
夜の暗闇に一筋の稲妻でも生まうとして叫び出る……
一声のアー呑み込まれても
一声のアー新に歌ひ出る
一声は一声に重なり永遠につらなるこのアー
アーアーアーアーアー……



◆1949年の秋に発表されたこの詩に戦争の濃い影が落ちているのは当然のことだが、敗戦を上海で迎えた堀田善衞は、敗戦後2年余りを現地に留め置かれて中国国民党の対日政策のための雑誌編集や翻訳の仕事を受け持たされたという。小説「時間」(南京事件を扱った)などの小説の視点の定め方には、この詩に言う〈われらの頭蓋の後ろについた眼を蒙(く)らま〉されまいという一念がこめられているだろう。

◆詩の各部は「詠唱/合唱」のほか、それを俯瞰する位置から語る「声」とで構成されている。「声」は「自ら歌ふものは他の合唱(うた)を聞きえず……」などと批評の言を吐き、詠唱する「私」が暗黒の溶岩流に呑み込まれるのを予告するかのようである。

しかし「私」は、抗うように促す「合唱」に励まされるようにして溶岩流をさかのぼり、その源泉へと向かう意思を宣言する。

  合唱

刃向へ 刃向へ……
せめて刃向へ……


  詠唱

私は愛する
私が生まれたことを
私が生まれたとき
楽園の地獄の暗黒の洞窟の祭壇の番人がつけた生命の条(すぢ) 傷
私はこの条(すぢ) 傷を愛する
この条(すぢ)をたどつて
生誕の死の洞窟の奥底へ
生誕に回(かへ)り死にかへり
暗黒の表が溶岩流の流れ出る光源へ

        (第14連)

◆「源に回(かへ)り死にかへり」とは誕生以前に回帰するという意味だろう。それは「死」の状態に戻ることに等しいように見えるが、実は同じではない。その「死」の地点から再び生き始めることが「私」によって意欲されているからだ。

〈回生〉、それは単に生をリピートすることではない。そこまでの「生」の記憶を携えて「死にかへる」こと⇒「生誕に回(かへ)る」ことである。

続く連で合唱が〈……稲妻の追憶よ〉と歌うのは、そのことを示している。

◆辺見庸の「月」においても「記憶/追憶」は重要な鍵であるようだ。
そのように小説「月」に堀田善衞の「暗黒の詠唱と合唱」を対置させてみると、二つの作品は、読む者を真ん中に置いて引き合いながら周回する二つの月であるように思われてきた。

 *『堀田善衞詩集 一九四二〜一九六六』(集英社、1999年)によった。



辺見庸『月』と井上有一の〈月〉[2018年11月12日(Mon)]

◆不覚にも眠ってしまった。
辺見庸『月』が本として成り、市の図書館に入ったばかりのそれを手にした日に、相棒とテもなく眠りに落ちてしまっていた。

◆小説『月』に出会ったのは角川の『本と旅人』の去年の12月号。すでに連載2回目に入っていた。〈さとくん〉の名を見出し、やまゆり園事件に衝き動かされて小説が書き始められたと知って、身震いが来た。

◆1年が経ち、辺見氏のブログで、カバーに採用されたしぶきを上げた「月」の一字を見たとき、井上有一の書だ、と気づいて再び身震いが来た。

◆実際に一冊の本となった今、井上有一の書は、それ以外あり得ない選択だった。
(装丁:鈴木成一デザイン室)

帯の鮮紅の衝撃があり、ついで帯を取り払うとネガが反転するようにモノクロームの姿に一変することを目撃すると、一瞬であると同時に、足元から湿った砂が崩れてどこまで続くか分からないような時間の感覚があるだろう。
(「だろう」と想像するほかないのは、鮮紅がしぶきを上げている帯の方は外された姿で図書館に配架されていたから。これは丸ごと手にすべき本だ。)

★2018年10月3日の記事〈D懇談 ◎『月』カバー最終調整その他〉
http://yo-hemmi.net/archives/201810-1.html


◆連載中『本と旅人』を購読しながら読み通すことはできなかった。
通読した人はどう読んだだろう。
一冊になったところで読んだ人は何を思って生きて行くだろう。
どちらも読んでまた読み直しつつある人はどんな言葉を吐くだろう。

訊いてみたいが、訊く余力も答える余力もお互いにあるかどうか。

◆今週16日には氏の講演がある(八重洲ブックセンター)。
その日まで「平地人を戦慄せしめよ」(柳田国男『遠野物語』序)という言葉をつぶやき続けているだろうという気がする。

文字も小説も〈存念が跳ね上がり、のたうつ書〉。

◆小説が描くやまゆり園事件の相模原市津久井、井上有一が書と格闘した湘南の地、この2ヵ所を三角形の二つの頂点として線で結び、残る一つの頂点を大口病院(横浜市神奈川区)に置くならば、やまゆり園事件後に世をどよめかしたもうひとつの事件の地・座間もその三角形の中に含まれてしまう。

暗合を意味あり気に喋々するつもりはないが、これらの事件のいずれもが、この三角形とその周辺を生活圏として来た若者たちによって引き起こされたことを考えずに済ますことはできないだろう。

この地の空気や水や飯を体内に取り込んで来た者として、たたみかけるように凄惨な事件を次々突きつけられて、小説『月』へのとば口から動けないままこの一年思っているのは、そういうことだ。

『月』のある1頁を盗み見するように読みかけて、閉じる。
やっぱり、そこに居るじゃないか、己が。

むろん、この三角形で画した土地に縁もゆかりもない人、ここに棲息する人間と直に相渉らない人が『月』を読んでも、同じように感じるだろう。つまり『月』の中には今の日本人も地球の向こう側の人間も描かれていると思うのだが、本のそこここでまず見出すのは、己自身の幾つもの分身だ。

◆その塩辛い苦さに耐えるために、〈月〉の書を遺した書家・井上有一が茅ヶ崎や寒川の小学校や中学校で教鞭をとった人間でもあることを思い出しておく。
どのような声の人であったかは知らないのだが、(写真で見る限り)丸太のような大筆を抱えた金剛力士のような体軀の井上が、教師として子どもたちの前に立つ人間であったことを思い出して置く。

井上有一を知っているにせよ知らないにせよ、その後輩たちは今も各地の教場で子どもたちのために奮闘しているだろうから、彼らもこの本を手にして読み、戦慄することを願う。

辺見庸『月』の帯とカバーからはみ出しながらしぶきを上げている「月」が照り返すものに眼を凝らし、おののき、月を再びにらむ勁さを育てて夜明けをたぐり寄せられるよう願う。



清岡卓行「遠足の弁当」[2018年11月10日(Sat)]

DSCN8926.JPG

*******

遠足の弁当   清岡 卓行

 もう夕ぐれだ。あたりはしだいに暗くなってきた。霧雨も降りはじめている。どうすればいいのだ? 小学校の上級生である私は、山の麓や建築現場、あるいは、堀の急な斜面などで、うっかりひとり、半日近くも遊び果けてしまったのだ。浪費したその時間についての記憶が、ぼんやりと、しかし、取返しのつかない後悔のひとすじの思いにつらぬかれて、頭の中に漂っている。
 遠足の弁当がない。
 朝、早起きしすぎたので、自分の家の横の、雑草が生い茂っている野原のまんなかに、弁当をそっと隠しておいたのだけれど、心覚えの場所とそのまわりでどのように探しても、見つからないのだ。
 この寂しい野原を人はたまにしか通らないが、朝から夕方までの時間は、やはり長すぎる。誰かが取って行ったのかもしれない。いや、もしかしたら、野良犬か野良猫が口に咥えて、どこか遠くへ持って行ったのかもしれない。まさか小さな野鳥が、空中へ攫って行ったりはしないだろうけれど……。いずれにしても、あの弁当はもう、なにものかに食べられてしまっているのではないか?
 遠足なのでうれしくて、いつもより二時間も早く眼が覚めたのが、運が悪かったのだろうか? それから、調子がどうやら狂ってしまったのだ。慌てもので心配症の私は、前の夜、寝る前に、母に頼んで弁当を作ってもらっていた。アルミニウムの箱に御飯とおかずを入れた、いつもの弁当ではない。梅干を入れ海苔をかぶせたおにぎり数箇と、ゆで卵などのおかずを、竹の皮で包み、それをさらに大きな風呂敷でぐるぐる巻いて、背負えるようにした弁当である。
 私は水筒を左肩から斜めにぶらさげ、弁当を右肩から斜めに背負い、二つがちょうどたすきの形になるようにして、ずいぶん早目に家を出た。そんな恰好のほうが、リュングサツクを背負った恰好よりも、私はなぜか好きなのである。秋の朝の天気はすごくいいし、時間はたっぷり余っているので、しばらく遊ぶことにした。それで、野原のまんなかへんにある花崗岩のかけらの上、長い雑草に囲まれたところに、弁当だけをそっと、人眼につかないように置いたのだけれど。
 それにしても、時間はなんと早く経ったのだろう。信じられないくらいだ。そろそろ学校へ出かけようかと思って、池のほとりで蛇を追っかけるのをやめると、いつのまにか曇ってしまった空で、太陽はもう西に傾きかけていたではないか。雲の向う側にあるその太陽は、熱い味噌汁の中に落した卵のように、うすぼんやりと白く明るい、と思った。私のおなかが、よっぽど空いていたのだろうか? 自分の家の傍の野原にあわてて戻ってくると、あたりはへんに暗くなりはじめた。日没が近くなったのと、雨が今にも降りだしそうになったのが、重なったのだ。
 これでもう二度目だ。おにぎりの弁当を失くすのは。この前は、春の遠足のときであった。まったく同じようなぐあいにして失くしたのだ。私はどうして、こんな馬鹿げたことをくりかえすのだろう? 学校の遠足にも行かず、家に持って帰る弁当の残りもなく、ただ、空っぽになった水筒だけを、肩から軽くぶらさげて……。
 そうだ、遠足から持ち帰った弁当の残りはおいしい。遥かなところにある海や山や果樹園、そこで差していた日光や、そこで吹いていた風などの匂いがする、と母は言う。そのとおりだ。だからいつも、梅干を入れ海苔をかぶせたおにぎりを、二箇ほど余計に、竹の皮の中に入れてもらうのだ。遠足に疲れ、家に持ち帰ったそのおにぎり二箇は、竹の皮の中でもうひしゃげてしまっているけれど、母と私で一箇ずつ、おいしい、おいしいと言って食べるのだ。
 自分の家の玄関と居間と応接間に、もう明りがついた。お客さんが誰か来ているのだろうか? きっと、そうにちがいない。あの、よくやってくる女の呉服屋さんだろうか? 母は呉服が好きだ。反物をいろいろ眺めだすと、あれにしようかこれにしようかと、ずいぶん時間がかかる。しかし、母は相手とおしゃべりをしながらも、心の中では、私のおみやげの余ったおにぎりを待っているにちがいない。
 ああ、なんとも情ない、私の手ぶらの姿。自分でもいやになるではないか。この前弁当を失くしたとき、母はなんとも言わなかったけれど、がっかりしていた。今度はもっとがっかりするだろう。いや、呆れてしまうかもしれない。私はすっかり暗くなった野原の中を、あちこちと、まだ弁当を探しつづけている。雑草は霧雨に濡れているので、私の両手も、両膝も、すっかり濡れてしまった。霜降りの制服の上衣と半ズボンも、湿ってすこし重たくなってきたようだ。
 遠足の弁当はどうしても見つからないだろう、と私は絶望しているのに、なぜそれを探しつづけるのだろう? ほんとうは、絶望していないのだろうか?それとも、絶望の味をいっそう深く味わうために、空しい努力をやめないのだろうか?
 私はどこまでも弁当を、探しつづけている、泣きながら。
 


清岡卓行『夢を植える』(1976年)所収。
『清岡卓行全詩集』(思潮社、1985年)によった。



億年啼きつづけ/育ちつづけて[2018年11月09日(Fri)]

DSCN9014モズ?-B.jpg
鳴き声、くちばしの先のわずかな曲がりからモズのようだった。
「百舌」と書くように、他の鳥の鳴きまねが得意だそうだが、この時は「キチキチキチ……」と自前の声で啼いていた。

*******

地球よ  新川 和江 

億年啼きつづけて
鳥はまだその歌を完成しない
億年育ちつづけて
木はまだきわみの空を知らぬ
地球よ 地球よ
どうして炉の火を落とせよう
元気よく手をあげるちびっ子たちの声が響いて
小学校は授業中だ


現代詩文庫『新川和江詩集』(思潮社、1975年)



〈同じ空気が吸える幸せ〉[2018年11月08日(Thu)]

佐藤優米原万里(1950-2006)のエッセンスを集めて編んだ『偉くない「私」が一番自由』の中に、〈『反語法』の豊かな世界から〉と題する対談が収められている。
小説『オリガ・モリソヴナの反語法』(2002年)でドゥマゴ文学賞を受賞したときに選考委員の池澤夏樹と行った対談である。

◆チェリストのロストロポーヴィチのエピソードが面白い。

才能とそれを支える社会のありようから学校教育に話が及ぶ。

米原 世界最高のチェロ奏者と言われているロストロポーヴィチについて通訳したことが何度かあるんですが、彼がもう亡命十六年目になったころ、殺されてもいいからロシアに帰りたいと言って、コンサートが終わった後、ウォツカをがぶ飲みして泣き出しちゃったんです。ロシアにいる間は才能があるだけでみんなが愛し、支えてくれたけれども、西側に来た途端にものすごい足の引っ張り合いと嫉妬で、自分はこういう世界を知らなかったから、それだけで心がずたずたになっていると言っていました。彼にとって、才能は自分のものじゃなくて、神様が与えてくれたものなんです。モスクワ高等音楽院に入って、あまり練習しないのにすごくうまく弾けて、一生懸命努力しているのに自分より下手な人がいる。自分が努力して得たものならそれは自分のものだけれども、これは神から与えられたものだから自分のものではない。そう考えるわけです

池澤 本人だけではなくて、周囲がみんなそう考えるんですか。

米原 みんなもそう考えているんです。私はプラハの学校時代のことを思い出したんですが、歌や絵がうまい子がいると、先生たちが自分のことのように大騒ぎして喜ぶし、生徒も、その子と同じ教室にいて同じ空気が吸えるだけでとても幸せになるんです。劣等感を持たなくて済むし、人の才能をすごく喜ぶ、そういう雰囲気の場所でした。
その感じが日本に帰った途端になくなりました。ペーパーテストでみんな同じ基準で評価をされるでしょう。選択肢とか○×で、だれが答えても同じ答えになる。
自分は世の中にたった一人しかいない、かけがえのない人間だという自覚を持たないように持たないように、日本の教育はできているんですよ。機械でも採点できるテストをされているから。
でも、ほんとうは一人一人みんな違うから、それを発見してあげるのが先生やクラスメートの役割ですよね。


池澤 確かにそれがこの国の重苦しさですね。競争社会の、人がものさしで計れるという前提の重苦しさ。すべてが数字に置きかえられてしまう。

『偉くない「私」が一番自由』(文春文庫、2016年)
*下線は引用者。

◆〈才能は神さまが与えてくれたもので、自分のものではない〉と考える文化の方が、より豊かで奥行きを持っていることは言うまでもない。

◆「機械でも採点できるテスト」に血道を上げる日本の教育が、このさき大学入試に導入する記述式問題についても機械で採点できるように平準化を目指し、新科目「論理国語」はそのために契約書や取扱説明書のような、数字に置き換えられる日本語だけを扱うようになっていくだろう……と、全く楽しくない想像しか浮かばない。

昨日見学した小学校の子どもたちは「歌や絵がうまい子が同じ教室にいて同じ空気が吸えるだけでとても幸せになる」雰囲気の中にいるように感じた。
行事への取り組みの様子や飾ってある絵や書の作品たちがそのことを示していた。

だとしたら、中学・高校と進むにつれて「同じ空気を吸う幸せ」を失わせていくものがあるのではないか。

ふっふっふ[2018年11月07日(Wed)]

◆地元の小学校の文化祭を訪ねたら、下の詩に出会った。

工藤直子えへん2018110710460000.jpg

図書室近くの掲示板。
くすぐったい気分が、大きな芽を眠りから目ざめさせる。
そういう場でありたいという願いが伝わってくる。

えへん!
    くりのみしょうへい


くりばやしに ねころんで
はなうた うたってたら
しごとがえりの
ありんこが
「きみ かしこそうな
あたまのかっこね」
といった
 ・・・
ふっふっふ
おれ あしたから しゅくだいやろうっと


くどうなおことのはらのみんな『のはらうた V』は童話屋刊(1987年)


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