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第2回民権散歩・伊勢原編[2017年10月21日(Sat)]

◆明治の自由民権運動、相州(相模の国)最初にして最大の結社であった湘南社にまつわる民権散歩、第2回目は、中心人物・山口左七郎の住まい(雨岳文庫として公開されている)のある伊勢原を歩いた。
台風接近が気になる雨模様にもかかわらず、30名余の参加。
小田急線の伊勢原駅前からスタートした。

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衆議院選挙投票日前日の伊勢原駅前のポスター掲示板。ここは神奈川第16区で3名が立候補している。
投票率を左右する明日の天気が気になる。

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駅構内の伊勢原のイメージポスター。
3枚を連ね、大山詣りで知られる大山をかたどった秀逸なデザイン。

江戸期に隆盛をみた大山詣りの文化が「日本遺産」というものに登録されたそうで、通りのあちこちに幟や吊し旗が飾られていた。

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この絵柄は、大山詣りで大きな木の太刀を大山阿夫利神社下社に奉納する「納め太刀」をあしらったもの。

大山の別名は「阿夫利山」(雨降り山)である。その麓を経巡る民権散歩としてふさわしい天気ではあった。


麻生発言に難民支援協会が声明[2017年10月20日(Fri)]
DSCN3774.JPG
泰山木の実。つぼみの時に戻ったような形だが、触ってみると非常に硬い。
うろこ状の一つ一つに実が入っているらしい。
花の写真は6月6日の記事の冒頭参照(同じ横浜市戸塚区・龍長院の泰山木)。
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/522

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麻生副総理の難民危険視発言に難民支援協会が公式声明


◆麻生太郎副総理の難民に関する発言に対して認定NPO法人・難民支援協会(JAR)が19日、声明を出した。
麻生発言の考えの根底にある、危険視⇒排除という考えが自民党議員の相当数にも共有されている現状を憂慮しているのだろう。国際的なルールに則って難民の窮状に正しく向き合うことを呼びかけている。


【麻生氏による「武装難民」発言の何が問題か?】

https://www.refugee.or.jp/jar/report/announce/2017/10/19-0000.shtml?utm_source=JAR%E4%BE%BF%E3%82%8A&utm_campaign=242584e6ab-EMAIL_CAMPAIGN_2017_10_12&utm_medium=email&utm_term=0_f7a465752b-242584e6ab-24929865

◆声明は北朝鮮難民(いわゆる「脱北者」)の実態を、国連報告書や韓国統一省が公表した数字に基づいて述べ、難民を生む北朝鮮国内の慢性的な食糧不足(国民の40%が低栄養状態にあるという)、今年1〜8月の脱北者は780人でその殆どが中国経由で韓国に逃れている現状を伝えている。
日本にはこれまで約200人が逃れてきているというが、今回の「麻生発言」が想定するような、船で逃れてくる事例は非常に稀だという。北朝鮮の厳しい沿岸警備と、日本海の荒波、船の燃料入手困難などの悪条件があるからだ。2007年6月の青森県深浦町に漂着した男女4人の家族は、小さな木造船でわずかな食料と木製オールや羅針盤で1週間ぐらいかかってやって来たという。
その後、2011年9月石川県能登半島沖に9人、2016年7月に山口県長門市に1人などが到着しているが、いずれも日本政府により一時的に保護され、数日〜数週間で韓国の受け入れに託している。
北朝鮮の体制が崩壊した場合に、まとまった人数の難民が船で逃れてくる可能性を100%否定はできないものの、「武装した難民」という実際の場面では考えにくい事態をフレームアップする麻生発言に対して「武装」とそれへの対応を類型として示し、煽りに走る愚を戒めている。

これまでの日本政府は(少なくとも公的には)起こりうる事態への準備に怠りがないことを繰り返し説明してきた。難民支援協会の今回の声明はその事実も下記のようにはっきりと指摘している。各発言に偽りがないなら、現在の自民党政権は、これまでの説明にフタをし、虚言を撒き散らしていることになる。とりわけ麻生発言は異様だと言わざるを得まい。


北朝鮮有事を想定した日本政府の受け入れ態勢−北朝鮮人権法

北朝鮮有事に備え、難民をどのように保護するかという議論は、以前より政府の中で行われてきました。報道によると、1996年には当時の橋本首相が「極東有事」の際の大量難⺠などの対策検討を関係省庁に指示、2003年には政府で検討し、上陸する難⺠を「10万〜15万人」と推計しています。
2006年6月には、「脱北者の保護及び支援に関し、施策を講ずるよう努めるものとする(第6条2)」と記された「北朝鮮人権法」が施行されました。当時自⺠党幹事⻑代理だった安倍氏は、自⺠党が同法の法制化に着手した2005年、「脱北者を支援することで(北朝鮮の)現政権の変化を助⻑する。レジーム・チェンジ (体制転覆)も念頭に法律をつくらなければならない」と発言しています。
国会での議論においては、前原大臣(当時)が「避難民を発見した際の身柄の保護、応急物資の支給、身体検査の実施、上陸手続、入管、税関、検疫、収容施設の設置及び運営、我が国が庇護すべき者等に当たるかどうかについてのスクリーニング、こういった手順というのは設けまして、備えは万全に整っている」、安倍首相が「我が国に避難民が流入するような場合の対応については、避難民の保護に続いて、上陸手続、収容施設の設置及び運営、我が国が庇護すべき者に当たるか否かのスクリーニングといった一連の対応を想定しています。これらの対応を適切に行うべく、引き続き、関係機関による緊密な連携を図ってまいります」 と語っています。歴代の総理、大臣は一貫して身柄を保護した上で検査をし、日本での受け入れについて検討する旨を述べています。避難民の保護についての議論がなされており「射殺」という選択肢は一切入っていません

*引用者注:「北朝鮮人権法」は、第1条(目的)にもあるとおり、(国連総会で採択された北朝鮮人権状況に関する決議を踏まえ)拉致問題を含む北朝鮮当局による人権侵害問題の解明とその抑止を目的とする。

◆声明の結びをそのまま紹介する。

最後に
今回の「麻生発言」は、想定される状況を適切に認識していないばかりか、これまでの難民保護の議論を否定し、今後逃れてくるかもしれない保護されるべき人へ疑いの目を向けてしまうという意味でも非常に問題があると考えます。圧政から命をかけて逃れている人たちをあたかも危険な存在であるかのように表現し、不必要に不安をあおることは、決して建設的な議論を生み出さないでしょう。難民の過半数は女性、子どもです。粗末な船で海上を少なくとも数日間漂流し、飢餓や病気に瀕しているかもしれない人たちに対してどう救命措置をとるか、保護するか、議論を深め、備えを整える必要があります。難民の命を保護するという基本的な原則に立ち戻り、北朝鮮からの避難民が万が一日本へ来た場合の人道的で現実的な対応を官民で連携し考えることができる契機とできればと考えています。


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◆当ブログの関連記事は;

★9月23日【麻生副総理がトンデモ発言】
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/630

★10月14日【「不法難民」というデマゴーグ】
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/651




「あとの祭り」にしないためには[2017年10月19日(Thu)]

5夏 0399条キルティング-B.jpg
憲法9条を縫い込んだ虹のデザインの美しいキルティング。
凜とした文字の気韻が制作者のまっすぐな背筋を感じさせる。
2005年、さる平和展で。

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”あとの祭り”?

◆朝、新聞の折り込み広告を片付けていたら「あとの祭り」という文字が目に飛び込んできた。
妙なチラシだな、と思って向きを直してよく見たら、「きもの祭り」と刷ってあって、和服の女性のにこやかな顔が載っていたのだが、勘違いを笑われたような。


メールの通信障害、候補者各陣営の選挙活動のせい?


◆今日の昼、メールの送信が不調でエラーメッセージが続いていたところ、夕方になってプロバイダからお詫びメールが届き、「メールシステムのネットワークに高い負荷がかかったため」と説明があった。回復してからもメールの遅延など不具合があったようす。
選挙活動もメールの活用が可能になったため(たしか投票前日いっぱい=日付が変わる直前まで)、小選挙区に3名の候補者が立候補している地元でもメール作戦が展開中のはずで、その影響かと推測。IT化は良いとして、メールの受信が遅れて公選法が定める上記のタイムリミットを超えてメールが届いた場合など、法に触れることになるのだろうか?

◆18歳選挙権がスタートして初の総選挙(昨夏の参院選を含めて2回目の国政選挙)だが、若い主権者のためにリーフレットを作る必要から公選法をひもといたときに、さまざま改善すべき点があることを知った。
走行中の選挙カーからは候補者名の連呼しかできないというのもその一つだ(停車して政策を述べるのはOKとのこと)。
無所属だと使える選挙カーが1台だけなのに、政党公認の候補者は党が持っている車も使える、というのは理不尽だ。選挙ハガキも無所属だと出せる数は候補者個人の3万5000枚だが、公認候補だと政党の分として2万枚が加わる。また、政党公認候補だと政見放送に出られるが、無所属にはその機会が与えられないなどだ(参院選挙区は可)。
1票の格差も許しがたいが、志ある立候補者が物理的にハンデを抱えてしまう制度はオカシイのではないか。
インターネットでWebニュースなどを見ていると、広告の動画にも自民党総裁の顔が頻繁に出てくる。これまた政党交付金によってまかなわれているのだろうから、ふんだんにつぎ込める政党とそうでないところで差があるのは不公平だろう。

小選挙区制は廃止に

◆政党公認候補が有利であるようになっているのは小選挙区制を導入したことに伴うものだが、得票数が少なくても当選者はべらぼうに膨れあがる仕組みであり、しかもその弊害をさんざん味わった。何より、国会を烏合の衆の巣窟としたこと、数におごって憲法破壊の限りを尽くしてきたこと、すべて天にツバする所業である。

◆外国のような2大政党制を目指しての小選挙区制だったが、後追いの夢に過ぎなかった。河野洋平ら小選挙区を導入した人たち自身が小選挙区は失敗だった、と悔やんでいるのだから改めるに憚るところなどないはず。

神奈川新聞「時代の正体」の気概[2017年10月18日(Wed)]

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刈り入れを終えた田んぼを視察するサギ

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相次ぐ空自の事故

◆昨日17日の夜に浜松沖で航空自衛隊ヘリが消息を断つという事故が起きたばかり(乗員の安否は現時点で不明だ)なのに、今日は百里基地でF4戦闘機が炎をあげたという事故。どうなっているのか。
北朝鮮の脅威を煽られ、万全の整備がなされないまま無理な訓練が強いられているのではないか。浜松のヘリは米機を改装した救難ヘリとのことだが、この時期に暗視訓練を行う必要が本当にあったのか。背景にある誘因を含めて事故原因を突き止めない限り、同型機だけでなく飛行訓練はすべて中止し一斉点検を行うべきだ。旧日本軍ではあるまいし、乗員の安全を二の次にするような組織は御免である。

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神奈川新聞「時代の正体」から

◆10月9日の神奈川新聞『時代の正体』は衆議院選挙にあたって、個人の尊厳守る政治をと求める入魂の記事だった。成田洋樹記者の執筆。
抄録する。

リード文は――
排外や排他の空気が社会に漂う中、強権的な政治が対外的な危機をあおり、人々の不安や憎悪を駆り立てている。障害者の存在を否定し、排斥したあの凄惨な事件は「時代の気分」から生まれたと思えてならない。(略)政治や社会から多様性が失われるとき、まず犠牲になるのは声を上げられない弱い立場の人たちだ。一人一人の尊厳がさらに脅かされる瀬戸際に私たちは立たされている。

◆去年夏の「津久井やまゆり園」の事件が記者の念頭にある。加害男性が今年、同紙の記者に寄せた手紙には、
〈共生社会とは一人ひとりが自立し支え合うことだと考えられますが、今は寄生社会と呼ぶ方が的確と思います〉とあったそうだ。
そこから読み取れる彼の「自立観」は「誰の力も借りずに、自分の能力だけを頼りに生きていくこと」という考え方だ。それを私たちの多くも当然のことと見なしている。

この考え方を違和感なく受け入れる人は少なくないだろう。子どもたちも学校や家庭で「社会の役に立て」「人に迷惑をかけるな」「自分の力だけで頑張りなさい」と教わる。社会人になると職場では「あいつは使える、使えない」という尺度で存在価値を計られることさえある。
つまり、「何かができる、できない」の能力主義に基づき、誰かに助けを求めず独力で何かを成し遂げたり、組織や誰かの役に立ったりして初めて、その人の価値が認められる社会に私たちは生きている。

(略)
私たちは生産性や有用性で人の存在価値が評価される社会のただ中で生きている。そこに排他の空気が吹き荒れたとき、役に立たなないと一方的に見なし、存在自体を排斥するあの事件が起きたのではなかったか。
私たちは一人一人の存在自体を肯定し、尊厳を大切にする社会をまだ手にしていない。憲法13条で「すべて国民は、個人として尊重される」と掲げた理想は未完のままなのだ。


◆その憲法13条を2012年の自民党改憲草案は単に「人」とあらためて、個人を軽んじて見せた。
アベ政権による立憲主義否定は、その根幹にある憲法13条の否定でもあり、個人の尊厳が権力の横暴にさらされている危機であると記者はとらえる。

安倍首相は、私たちの命を脅かしかねない発言にも踏み込んでいる。9月の国連演説で、ミサイル発射を繰り返す北朝鮮対策について「対話は無に帰した。必要なのは対話ではなく圧力だ」と強調した。「戦争前夜」の物言いに私には聞こえた。
私たちはいつ、対話を否定し、北朝鮮を刺激するような政治を安倍首相に託したか。突然の衆院解散を「国難突破解散」と名付けた安倍政権自体が戦争を招き寄せることにならないか。命を脅かされていると感じるのは、私の杞憂なのか。
トランプ米大統領が北朝鮮の金正恩委員長を「ロケットマン」などと揶揄して挑発したとき、安倍首相はなぜトランプ氏をいさめなかったのか。長崎の被爆者団体が核禁止条約の交渉にすら参加しない日本政府の姿勢を批判して「あなたはどこの国の総理ですか」と詰め寄ったが、日本の首相として国民の命を守る気が本当にあるのか。
全国各地でこの間、ミサイル対策訓練として、大人から子どもまで地面にはいつくばって頭を抱える訓練が繰り広げられてきた。私たちは無意識のうちに「北朝鮮はとんでもない国だ」と刷り込まれていないか。かの地にも私たちと同じように日常生活を送る市井の人々がいる。政治がつくり出した憎悪は北朝鮮の人々だけでなく、ヘイトデモが繰り返されている川崎をはじめ国内の在日コリアンにも向けられている。

候補者に問うー個人の尊厳を守る意思はあるか

排外の行き着く先は何か。命をなきものにして構わないという戦争に近づいてしまうのではないか。人を人と思わずに障害者19人の命を奪ったやまゆり園事件は、この国が戦争への道を歩んでいる予兆に思えてならない。
私たちは既に、個人の尊厳が脅かされる時代を生きている。排他の矛先が今は自分に向けられていないからといって、頬かむりしていていいのだろうか。やまゆり園事件で問われているのは個人の尊厳を守る社会や政治をいかに築き上げるかであり、それはまさに今回の衆院選の隠された最大の争点ではないか。
多様性を尊重し、個人の尊厳を守る意思があるかどうか、選挙戦で各候補者の主張を見極めたい。それは主権者たる私たちの責務である。


◆大新聞やTVの論点のズレた報道とは一線を画した、ジャーナリズムの気概に直に触れる思いがする。


危険な未来図[2017年10月17日(Tue)]

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鶏頭。遠目にも燃えるように鮮やかな色だ。

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◆14日の土曜日以来、雨続きで肌寒い日が続く。
しかし、それを跳ね返すように、地元紙「神奈川新聞」の論説欄『時代の正体』が熱い。

◆10月8日は国際政治学の佐々木寛・新潟国際情報大教授へのインタビューを成田洋樹記者が紹介した。

「安倍政治を問う リベラルこそ希望開く」と題する記事のリード文ほか数節を抄録する(太字は引用者)。

多様性を尊重するリベラルか、独裁的なファシズムか―。(略)国際政治学者の佐々木寛さん(51)は「真の対立軸」をそこに見る。安倍首相も小池氏も改憲志向であり、選挙結果によっては与野党の改憲勢力が大半を占めてファシズムに近い状況が生まれかねないと危惧する。

安倍首相は9月の国連演説で、ミサイル発射を繰り返す北朝鮮に対して「対話は無に帰した。必要なのは対話ではなく圧力だ」と強調した。
「長年、日本よりも間近で緊張状態を強いられている韓国は冷静で、『対話は不要』なんて雑なことは言わない。自民は現実主義的な安全保障政策を取っているとされているが、状況打開への対話の糸口は全く示せていない」――

一方、核拡散防止条約(NPT)未加盟国のインドに対しては、安倍首相は原子力協定を結んで原発輸出のトップセールスを行った。「隣国パキスタンも核を保有しており、両国は国境紛争を抱えている。協定では核共器転用への歯止めはない。日本の原発産業の利益しか頭になく、この地域の平和のことを考えていないのではないか。将来、人類を核戦争に最も近づけた政権として記憶されるかもしれない


◆佐々木氏はリアリズムを欠いた安倍政権の安全保障政策を憂慮する。特に朝鮮半島の核の脅威を強調するのみで、強硬な態度を見せる以外に解決へのアプローチを取ろうとしない首相の姿勢は、核の傘で守るのではなく、人々を戦争のリアルに直面させるものだ。
「戦争で犠牲になるのは誰か。自衛隊員や他国の兵士、市井の人々だ。殺し殺されるということへのリアルな認識が欠けている」(佐々木氏)

――何があろうとも、現実にさせてはならない未来図である。

モノサシに頼る・頼らない[2017年10月16日(Mon)]

児童生徒の学習評価に関するワーキンググループ

◆中教審の「児童生徒の学習評価に関するワーキンググループ」の第1回が10月16日、文科省で開かれた。
次の学習指導要領が唱導する学力観に即した学習評価のありかたや学習指導要録(子どもたちが学んだことがらを記録した公文書)の改善について具体的な議論を進め、来年秋までにまとめる。
*新しい学習指導要領は、小学校で2018年から可能なものについて先行実施がスタートし、2020年度から全面実施となる。中学校は2021年度から全面実施となる。

◆現在行われている4観点の学習評価が「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力等」「主体的に学習に取り組む態度」という学力の3要素に即した評価(観点別学習状況評価)へと変わる。
学習指導の在り方の見直し、個に応じた指導、学校の教育活動を組織として「改善」することが目指される。そのためにPDCAサイクル(【Plan→Do→Check→Action】すなわち【計画→実施→評価→改善】)を浸透させて「指導と評価」を一体のものとして取り組むとしている。
学力の質を保証するために事業における生産管理や品質管理の手法を教育の分野にも適用させようという考え方である。「学びの質」という言い方でその向上を目指すのに異論を挟む余地はなさそうに見える。旧来の教育観を刺激していることは事実だ。ただし、品質管理に由来する考え方であることに自覚的でないと、生身の人間を製品と同等にみなす恐れがある。教科を横断した総合的な学力を伸ばし、幼児期から大学まで連続性を意識することも問題なさそうに思われるだろう。だが、人間の学びや成長には認知しがたいものが必ずあり、そこに可能性の芽も胚胎していることを忘れてしまうと、子どもたちをモノ視した管理主義に堕する。公平や客観性にこだわって精緻なモノサシを求め、「正確な評価」を実現させるためにモノサシからはみ出した部分を切り落とすことさえ生じる。さもなければあらゆる教科、あらゆる成長段階において鋭利な金串で串刺しにしかねない。議論に抜け落ちているものは何か、注意深く見ていく必要がある。

◆特別支援教育に関連して「定型発達」という用語が使われていてハッとした。
いわゆる健常者の発達を意味することは分かった。
しかし、「定型発達」という言い方には、健常者の発達段階をモノサシにして、それに達していないものを選別・排除する発想が潜んでいないか気になる。
学習指導要領の議論の中で「何ができるようになるか」という言い方がしばしば使われていた。Aという学習課題について「できる・できない」という評価が下され、それが優劣を表す評定として受けとめられる恐れがある。

石井英真委員(教育学)から出された資料に「情意領域の評価への危惧」という記述があった。
・情意に関わる部分、特に性向(ある状況において自ずと特定の思考や行動を取ってしまう傾向性や態度)や人間性といった価値規範に関わるものを評価することについては、個々人の性格やその人らしさまるごとを値踏みする全人評価につながることや、それによる価値や生き方の押しつけに陥ることが危惧される。

大事な指摘である。

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学習評価に関するワーキング・グループの市川伸一主査(左)と荒瀬克己主査代理

*******

学歴というモノサシ


石垣りんの随想からもう一箇所。

◆先日おとずれた中学三年生のクラスで、私は通算八年間学校で学んだだけなので、あなた方のほうが学歴が上なのです、というと少年少女たちは大笑いしてくれました。私が使って見せたものさしが、生徒にはおかしかったのでしょう。けれど彼らもまたそれと同じものさしで人間を計られ、評価されることがあるかもわかりません。

石垣りん「巣立った日の装い」(ちくま文庫『焰に手をかざして』所収。初出は79年3月「共同通信」)


記憶は死に対する部分的な勝利[2017年10月15日(Sun)]

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衆議院選挙の立候補者ポスター掲示板。
同時に行われる最高裁裁判官の国民審査、該当する裁判官7名の一覧表をこの下に付け足した掲示板を別な場所で一枚見かけたが、圧倒的にそれは例外。殆どの掲示板には国民審査の情報は貼り出されない。
裁判官たちが何をし、何をやってこなかったか、殆どの人は知らない。
政府の立法に違憲の疑義がつきまとい、審議によって問題を明らかにすべき国会が死に体の今、司法の使命はかつてない重さを持つ。
新聞を取っていない人も少なくない昨今、折り込みでそういう人には広報で知る手立てもない。
最高裁判事の任命にも政権のお友達人事が…という指摘もある。
情報を持っている者が裁判官について積極的に情報を伝える任にある。

*******

◆今日の朝日新聞書評、福岡伸一カズオ・イシグロのことばを紹介している。
イシグロとの対淡で、福岡が述べたこと――生物としての人間は絶え間のない合成と分解の流転の中にあり、それゆえ私たちの物質的基盤は確かなものではない、という動的平衡の生命観――を受けたカズオ・イシグロのことばだ。

――だからこそ「記憶は死に対する部分的な勝利である」

◆このことばを軸にして福岡は、個の記憶から家族などの集合的な記憶、さらに社会的な記憶、「忘れたいけれど、忘れてはならない記憶」について思考を進めている。

◆こうした視点に立てば、たとえば、石垣りんの次のような回想もまた、単に個の記憶であることを超えて、集合的な記憶や社会的な記憶として読み返すことができる。

「女先生」と題する、戦前の小学校の高等科で教わった門脇イチ先生に関する記憶である。その2段落目から最後まで――

私は幼稚園と小学校しか出ていないので、学校で先生と呼んだ人の数が少ない。小学校は尋常科六年、高等科二年、担任はいつも男の先生だったので、女の先生に習ったのはさらに少ない。
門脇先生は高等科のとき、週にほんの少しの時間みえられた。科目は何であったか不勉強の私は、はっきり思い出せない。ただ忘れられないことが三つほどあって、私の指に指輪はないが、先生の言葉が宝石のように光る。それを形見に思っている。
その一、先生の組の女生徒が新しい良い服を着て来たとき、いつもかわいいお下げ髪が、チョンマゲのように頭の上にのっているので、「どうしてそんなことをするんです?」ときいたら「服が汚れるから」。それでは洋服を着ているのではなく、洋服に着られていることになります、と先生はいうのであった。これは実生活で応用のきく言葉になった。
その二、ある日、教員室にいた先生のところへ一人の男生徒がきて、誰それの点数にくらべて、自分の点数が少ない、と訴えたので、「ほう、あんた点数が欲しいのですか、それなら上げましょう」そういって先生は良い点数に直してあげましたと。よくとおるけれど、ちっとも高くない声で続けられた。点数にこだわらないように、試験には教科書をみて書いてもよい、と。
その三、いちど私のクラス全員が、なにかのことで問いただされる羽目になった。身に覚えがあるか、ないか。あるといえばとがめられそうな、ないといえば嘘になりそうな、そんなことがらだった。ほとんどが、ない、と答えてしまった。あとで先生に廊下で呼びとめられ、「石垣さん、あんたはほんとうのことを答えてくれると思っていました」といわれ愕然とした。私は最優秀の生徒ではない。先生がそういう信頼のしかたをしていてくれたのか、という驚きだった。いまでもその声が私の横をすうっと通りすぎることがある。
「ほんとうのことをいってくれると思った」

私はそのたびに自分が信じ難くなる。
(初出は75年12月の「教職課程」。下線は引用者。)

◆いまでもその時の先生の声が聞こえる、というのは、自分への教師の期待を知って愕然としたその時の記憶が、大人になってからも自分が居る位置を照らすということだ。
その間、一人の人間が自分に寄せてくれた負託を裏切ったことへの少しずつの返済がなされていく、ということになる。自分の未来(当然そこには「死」という、個体の生命の終わりが予定されている)に向けて、欠損を埋めていく営みともなる。
では、その欠損を埋めたとしても、生涯のある時期に背負った負債がゼロになるだけなのではないか、という疑問が湧く。まして不足を埋めきれずマイナスを背負ったまま生涯が終わったなら「死」に対する「敗北」という決算がはじき出されるだけなのではないか?

◆個体としてはそうかもしれない。しかし、個が閲したくさぐさのことは、記憶として堆積し、薄れ、旋回し、また別の記憶と結びつくことで消滅せずに新たな微光を帯びたり、という道行きをたどるのではないか?
そうしてそのことは「死に対する部分的勝利」と言えるのではないか。

◆門脇先生について忘れられない三つのことは石垣りんにとって「形見の宝石」だという。
回想記を読む者はこの宝石のリレーランナーとして加わることになる。
それもまた「死に対する部分的勝利」であると言える。

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石垣りん「焰に手をかざして」(ちくま文庫、1992年。原著は1980年、「女先生」の初出は1975年12月の「教職課程」)


「不法難民」というデマゴーグ[2017年10月14日(Sat)]

「不法難民」というゆがんだデマゴーグ

◆朝日デジタルによれば、麻生太郎副総理が次のように述べたという(岐阜羽島駅前での応援演説)。朝鮮半島有事で難民が発生した場合を念頭に置いた発言である。

〈大量の難民が来ることを覚悟しなきゃならない。難民をどこへ収容するか。その人たちは不法難民。武器を携帯してるかもしれない。テロになるかもしれない。〉

【朝日新聞デジタル、10月14日】
「今回は大量の難民、覚悟しなきゃ」麻生副総理
http://www.asahi.com/articles/ASKBG4JXFKBGOHGB009.html

◆つい3週間前の9月23日に「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。」と言い放ったばかりの人物が繰り返す非常識な発言。
まともでない。

そもそも「不法難民」という言葉は存在しない。

◆難民とは「紛争に巻き込まれたり、宗教や人種、政治的意見といった様々な理由で迫害を受けるなど、生命の安全を脅かされ、他国に逃れなければならなかった人々」(難民高等弁務官事務所(UNHCR))のことである。
1951年難民条約の第1条では、「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」と定義している。

◆さらに、日本も批准している難民条約では
「庇護申請国へ不法入国しまた不法にいることを理由として、難民を罰してはいけない」(難民条約第31条)と定めている。
麻生発言はこの取り決めに公然と叛旗を翻しているのである。
「それで何が悪い」と言わんばかりの驕りは人としての道に反するものだ。
新聞も「こう発言した」と報じるだけでは不充分で、発言の誤りを指摘し、人道に悖るものであることをきちんと書かないならば、不心得なデマゴーグを広める結果になってしまう。
「どこまでもお供します」とシッポを振りたいのなら、ご随意に、と言うしかないが、当方は断然御免蒙る。

*******

音は時空を超えていくのに
言葉は胸に沈んでつみかさなる

財部鳥子(たからべとりこ)「月も水も髪も――評弾学校」より(詩集『氷菓とカンタータ』所収。書肆山田、2015年)

◆中国江南を旅して一杯のお茶を求めるのに言葉が通じなかった詩人が
評弾(ピンタン。琵琶などを伴奏に歌い語る中国風講談)の学校で少女らの歌う評弾を聴いて思ったこと。
音楽の方には時空を超えて伝わる普遍的な力があるのに、言葉のほうはしばしば誤解をもたらす。辛抱しきれない者は、意を通じさせる手間を惜しんで問答無用の蛮刀をふるってしまう。
伝わることなく「胸に沈んだ」言葉たちを堆積させたままにしないで「一杯のお茶」を喫してときほぐし、相手に届けようとすること、その積み重ねが相手のこころを手が届くところまで引き寄せる、と詩人は言いたいようだ。

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麻生氏の難民排除発言に欺かれないためには難民支援協会の以下のページを。
【難民支援協会】
https://www.refugee.or.jp/jar/report/2016/04/15-0000.shtml#qa


米軍ヘリ炎上余聞[2017年10月13日(Fri)]

DSCN3834サルスベリの実.JPG
サルスベリの実。このあと黒ずんで面白い形に割れるそうだ。

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◆高江で炎上した米軍ヘリCH53が新たな不安を生んでいる。
琉球新報が矢ヶア克馬・琉大名誉教授(物性物理学)の話として伝えているもので、同機の回転翼の安全装置には放射性物質が使用されており、2004年に沖縄国際大に墜落した同型機には放射性物質ストロンチウム90が使用されていたが墜落事故に際し六つの装置のうち一つは回収できず、米軍は環境に影響ないと主張するものの、この時に消失した量は約500マイクロキュリー、1850万ベクレルに上ったのだという。
ストロンチウムが放出するベータ線は透過力が弱いので近接しない限り危険性はないが、燃え上がって大気中に飛散した微粒子が体内に入ると内部被ばくの危険があるという。

【琉球新報10月12日】
高江米軍ヘリ炎上 放射性物質が飛散の可能性
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-592641.html


◆沖縄県の富川盛武副知事は12日、国に調査するよう申し入れた。
放射性物質と断定はしていないものの、その疑いがあることを念頭に有害物質の調査を強く求めたものだ。

【赤旗 10月12日】
放射能汚染調べよ 米軍ヘリ事故 副知事「国責任で」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-10-13/2017101315_03_1.html

◆たった96時間の同型機飛行中止措置で済ませられてはたまらない。
2013年8月5日に米軍キャンプ・ハンセンに墜落したHH60救難ヘリも同様にストロンチウム90が使われている機種であることが2006年の米空軍ホームページに明記されていたと報じられている(2013/8/7沖縄タイムス記事)。
ストロンチウム90は回転翼のひび割れを検出するために使われているとのことだが、事故に遭った場合の危険性について、基地を抱える自治体も日本政府も蚊帳の外であるなら、治外法権以外の何ものでもない。

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◆今回の炎上事故の報じ方をみていると、治外法権の下でのもどかしい限りの奴隷的報道に気づく。(11日の記事では「墜落・炎上」としたが、その後の報道を付き合わせると「不時着後、炎上」ということのようであることを追記した。)

◆典型的なのは事故発生直後、11日夜のNHKニュース。
米軍(およびそれと一体の日本政府)への忖度が露骨であり、かつ不正確な見出しだ(10/13深夜の時点で正されていない)。

米軍ヘリ 訓練場付近で着陸後に炎上 沖縄
10月11日 18時58分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171011/k10011175021000.html

(1)米軍への遠慮=「訓練場付近」というゴマカシ、噴飯物だ。
なぜ「民有地」と書かないのか?
NHKが日本政府の広報機関であるだけでなく、米軍の広報組織でもあると言ってよいほどの肩の入れ方。
言い換えれば日本国民や沖縄県民の立場に立った報道ではないと公言しているようなものだ。

◆この記事はTVのデータ画面で21ページもあり、政府のコメントだけでなく、翁長沖縄県知事、稲嶺名護市長、墜落現場高江がある東村の伊集盛久村長、高江の区長、土地の所有者、地元住民の声に至るまで集めていて、精力的に取材したことが分かる。だがそれらのコメントの配列は、首相→外務大臣・外務省〜という流れ。エラい人から下々へ=「上意下達」優先という順番である。
一つ例外があって、近くの男性の 「たくさん煙が出ていてびっくり」というコメントだけ前の方に置いている。
一歩間違えば人命が奪われていておかしくない重大事故を、このコメントで小さく見せたかったのだと分かる。土地の持ち主の「恐怖」ということばや、「大きな憤り」という住民のことばも取材で得ているにもかかわらず、である。
「びっくり」というコメントを初めの方に持って来たのは、エラい方々への忖度によるものというしかない。そうした構図が透けて見えることに視聴者の方も「びっくり」だ。
このニュースを「恐怖」「大きな憤り」という住民の生々しいことばから始めるならば、事故の印象は全く違ってくるはずであり、NHKが国民の側に立つメディアであることを示すことにもなっただろうことは疑いない。せっかくの信頼回復のチャンスを捨て、日米政府の下請けメディアであることを天下に再確認させたことになる。

(2)「着陸後に炎上」という見出しで緊急性を薄める企み
記事のリード文は「訓練中、機内で火災が起き、緊急着陸のあと炎上しました。」とある。
見出しと本文とで違いはない、と言い切れるだろうか。
リード文にふさわしい見出しは「緊急着陸、炎上」だろう。
「着陸後に炎上」というまったりした見出しは一体何なのか?
恐らく「炎上したのは着陸してからです」と言いたいのである。
つまり「着陸までヘリは完全にコントロールされていた」という印象を与えて置きたい訳だ。
米軍擁護の姿勢に徹して恥じないのである。
(そう言えば、去年12月13日の辺野古・大浦湾のオスプレイ墜落事故でも「着水」「不時着」という言い回しで米軍をかばう日本政府とそれを受け入れる報道があった。オスプレイ反対・配備見直しの声を封殺するためであった。)

◆記事本文のアメリカ海兵隊のコメントにもおかしな言い方があった。
「午後5時20分ごろ、機内火災が発生し、北部訓練場の外への緊急着陸を強いられた。」という。日本語発表か英文発表の翻訳なのか分からないが、通常の日本語なら「緊急着陸せざるを得なかった」という言い方で「不可抗力」を示唆する表現にする。
「強いられた」だと、〈「強いた」悪いやつがいたからなんだ、ボクはちっとも悪くない。〉というニュアンスを帯びる。
言い訳する幼児性まで日米は抜き差しならない一体化を完成させつつあるということか。


小暴君にならない用心[2017年10月12日(Thu)]

DSCN3803.JPG
柘榴(ザクロ)の実。
そういえば先日、下校する小学生たちがザクロの実を口に含みながら帰って行った。

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◆地元の六会市民センターでは今度の土・日(10月14・15日)、ふるさとまつりが開催される。
その準備としてテントを設営する作業に参加した。
張る数も多いのでたくさんの市民が参集。
市民センターのスタッフの方々の周到な準備があり、テント自体も、支柱や梁などの部品が色分けした袋にセットされているので、作業はしやすい。

◆学校などでは長い時間をかけてテントの数を揃えていく。予算は「〇周年」記念などでPTAから出してもらうことが多く、予算によって購入するテントも違ってくるので、規格の異なるものが混在していくのが普通で、意識して識別・整理をして保管しないと、「部品が違う!」という声があちこちから上がって面倒が生じる。古い学校ほど、そうなる。

その点、市や公民館(市内の何カ所か借りてきたものも多い)の備品であるテントは、「かんたんてんと」という愛称のものが若干ある以外は、金属パイプをつないで行くオーソドックスなタイプで大きさは同一のものとの2種類だけだったので、作業はスムーズに進んだ。

◆もう一つ感心したのは、こうした作業にありがちな「船頭多くして〜」状態になることがほとんどなく、どの人も、出過ぎず、また人任せにせず、人手が必要な場所はどこか、見回しながら、必要なところにスッと加勢に動く、その自然さとムダの少なさだ。
冒頭、「テント張り、初めての方は?」と確認があったが、全員経験者のようだった。手慣れていることはあるにしても、進捗状況のバラツキは当然あるし、相当数の長机やパイプ椅子の搬出・仕分けもあるので、手薄な所ができる。
すると、そこへ応援の人が過不足なく加わる。実に気持ちの良い協働作業になっているのだった。
「空気を読む」というよりは、状況をとらえてそれぞれの動きを決めることが自律的にできているからだろうと思った。

そんなこと、大人だったら誰でもやっている、ということなのかも知れないが、国政のドタバタや、ニュースワイドショーでの評論家の総理ヨイショのコメントを眺めていると、大人への期待を裏切る方々が少なくない。

◆言ってみれば、この国は、今日のテント張りに参じたような市民たちによって支えられている、という気がしながら、快い汗を流した午後だった。

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W.H.オーデン「欄外(マージネリア)に」と題する一連の短詩から若干。
いずれも鋭い警句だ。

崩壊した王朝の
最後の王は
めったに、よくいわれない。


日本はむろん王政の「国柄」ではないのだが、国のトップがどこをとっても「よくいわれ」ていない現状だ。
夫人や「腹心の友」の証言を拒み続けているからだ。
オーデンの上の警句に照らせば、国は崩壊を迎えることになる。

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大暴君におびやかされている小暴君は、
自分たちが自由を愛しているのだと
心から信ずるものだ。

◆「小暴君」とは政治権力をふるうものに限らない。
家庭において、教室において、また己の仲間内において、自分の上に君臨する大暴君の影に怯えて、シッポを振っていることを周囲に悟られないために、自由を標榜してゴマカシている者もまたミニサイズの暴君に他ならない、と述べている。
自分はそうじゃない、例外だ、と思わない方が良い。

自戒としてこの短詩を読んだ。

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教養のたりない国では
扇動家は
ティーンエイジャーのご機嫌をとる。

*以上、訳はすべて中桐雅夫による

◆辛辣だ。
18歳主権者の歓心を買うために教育無償化を掲げる選挙公約がこれに該当するだろう。
ただ、「ご機嫌をと」っているだけか、そうでないかは、財源をどうする、という疑問に、数字のゴマカシや、後代への先送りではない責任ある説明ができるかどうかで判別できる。

WHオーデン詩集.jpg
「W.H.オーデン詩集」思潮社、1993年
*編者の沢崎順之助だけでなく、中桐雅夫、鮎川信夫、加島祥造による訳も収録しているのが珍しい。


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