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みみずの「ぼうだいなうちがわ」[2019年03月18日(Mon)]

DSCN0326スノーフレークオオマチユキソウ.JPG
スノーフレーク。別名オオマチユキソウ(大待雪草)というそうだ。可憐だ。

*******


土   八木幹夫

ダーウィンのみみず論を読んでいたら
生きているあいだじゅう
いっぴきのみみずがうみだしつづける
ゆたかな土の量は数トンにおよぶそうだ

みみずのうちがわを通過していった土よ
みみずのそとがわへ出たとき
気がついただろうか
ぼうだいなそとがわはぼうだいなうちがわのことだと

ほらっ 気をつけて!
主人が鼻歌まじりで
春の畑に
鍬をいれはじめた


詩集〈野菜畑のソクラテス〉所収。
現代詩文庫『八木幹夫詩集』(思潮社、2005年)に拠った。

◆”ダーウィンのみみず論”とはこの詩で初めて教わった。正式には『ミミズの行為による肥沃土の形成とミミズの習性の観察』と言うのだと、細田直哉氏が「ダーウィンのミミズ研究とアフォーダンス」というエッセイで取り上げている。
https://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/035/essay_11.html

◆みみずが体内に取り込み排泄する膨大な土。
豊かな恵みをもたらす土に変えてくれるみみずの営みに想像を働かせる、その心の使い方そのものもまた豊かである。


*八木幹夫(1947〜)の詩はこれまで下記の2編を取り上げた。

★「もうひとつの旅」 
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/753

★「銃剣」
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/752


耕す犂先に耳を澄ませ[2019年03月17日(Sun)]

◆朝、窓を開けたらウグイスのさえずりが聞こえた。
今年初めて聞く。


DSCN0334.JPG
イタドリハムシ。
大きさも飛び方もテントウムシに似るが、斑紋の形が独特。面長な胴に触角も長いなど、異なるところが多い。



*******


目に接ぎ木されて   パウル・ツェラン


目に接ぎ木されて
いるのだ お前の目に、森に道を示した小枝が――
眼差に兄弟姉妹のように結びつけられて、
それは あの黒い、
あの芽をふく。

空一杯に 瞼が この春のために張られる。
瞼一杯に 空が広がる、
その下で、あの芽に守られて、
永遠である者が 耕している、
主が。

その犂先に耳を澄ませ、耳を澄ませ。
耳を澄ませ――それは軋んでいる
あの固く、あの明るい、
あの太古の涙のうえで。


『敷居から敷居へ』(1955年)の〈取り替わる鍵で〉の一篇。
『改訂新版 パウル・ツェラン全詩集』中村朝子・訳(青土社、2012年)より。

★友より「おみ漬け」(と説明してくれた)――年来手ずから育てている野菜を細かに刻んだ漬けものを頂戴した。
夕餉に豊かさの加わる一品。
犂をふるい種を蒔き、育て、刈り入れる。
食する我らもまた太古からの営みに推参し、その恵みに浴すること。



ちりし[2019年03月16日(Sat)]

DSCN0245.JPG
花は白も黄色も水仙(和泉川沿いの歩道で)。

*******


あぶらかだぶら   池井昌樹


むかしむかしあるくにに
おごりたかぶりなるものが
あぶらかだぶらのりとをとなえ
そらとぶじゅうたんあやつって
きんぎんざいほうかっさらい
あげくにそらからおっこちて
おっちんじゃったとみてみたら
あたりいちめんどろっぷす
いろとりどりなどろっぷす
くだけたやつもひしゃげたやつも
いきかえれないやつまでも
うまれなかったやつまでも
こどもはみんなよろこんだ
おとなはどこにもいなかった
めでたしめでたし
すいっちをきり
こんやもてれびにまくおろし
おごりたかぶり
あぶらかだぶら
しゃぶっていたあめとりだして
ちりしにくるみ
ふところへ
これはあしたのおたのしみ


 『眠れる旅人』(思潮社、2008年)より

◆「ちりし」=チリ紙のことをこう呼ぶことに懐かしさを感じて作者の略歴を見たら、同年の生まれだった(1953年)。四国・香川県の生まれ、とある。
60年代初めのテレビ「魔法のじゅうたん」を小学校の低学年で見た世代となる。
呪文「アブラカダブラ」で空を飛ぶじゅうたんに子どもたちを乗せ、空撮映像を合成で見せるのが人気だった(たぶん生放送)。

「ティッシュ」などまだ存在しない時代、「ちりし」は祖母の前垂れ(エプロン)のポケットに忍ばせてあることが常だった。洟垂れ小僧の孫たちのために、である。詩のようにドロップスを包んで置くために、ではない。


パウル・ツェラン〈世界、ぼくたちのほうへ〉[2019年03月15日(Fri)]

DSCN0252-A.jpg

◆厚木飛行場に向かう飛行機が境川を目印に飛ぶことが増えた。
先日、上の様に2機が接近して見え、肝を冷やした。

航跡はクロスしたが、立体交差のごとく飛ぶ方向も高度も違っていたようで、無事ではあった。
ニアミスというものではなかったろうか?

*******

(世界、ぼくたちのほうへ) パウル・ツェラン

世界、ぼくたちのほうへ
空っぽの時刻のなかへ踏み込んで――

二つの
木の幹が、黒々と、
枝分かれもせず、
節もなく、ジェット機の航跡のなかに、縁がぎざぎざの、あの
一枚の弧-
立している高みの葉。

ぼくたちもまたここに、空虚のなかに、
旗の傍らに立っている。


『言葉の格子』(1959年)所収の一篇。
中村朝子・訳『改訂新版 パウル・ツェラン全詩集T』(青土社、2012年)より。

◆「ぼくたち」が世界へ踏み出して行くのでなく、世界のほうがこちらに踏み込んでくる。
こちらにあるのは「空っぽの時刻」すなわち「空虚」である(「無」ではないことに留意しよう)。
空虚を形づくっているのは「ぼくたち」の他に無機的な二つの木。
その高みに、ぎざぎざの「弧」線をくっきりと示しながら一枚の葉がある。
それは「空虚」の象徴であるようだ。
それが吹き飛ばされるのか千切れてしまうのか、ある覚悟をもって見上げている「ぼくたち」。
しかしその「空虚」の側から、何と「もの」たちは鮮明に見えることか。

「象徴」を見上げながら「旗」の傍らに立つ――60年後の現在の私たちのようではないか?


そらとみずのひしめき[2019年03月14日(Thu)]

DSCN0257.JPG
水仙。横浜市泉区・和泉川沿いの遊歩道にて。
和泉川は境川に注ぐ11kmほどの川だが、流れの途中にあえて岩を置いて流れの変化を生むように整備されている。

*******

争う     吉野弘


    

青空を仰いでごらん。
青が争っている。
あのひしめきが
静かさというもの。


    

流れる水は
いつも自分を争っている。
それが浄化のダイナミックス。
溜り水の透明は
沈殿物の上澄み、紛(まが)いの清浄。
河をせきとめたダム
その水は澄んで死ぬ。
ダムの安逸から放たれてくる水は
土地を肥やす力がないと
農に携わる人々が歎くそうな。
 
 

『北入曽』(青土社、1977年)所収。
小池昌代・編『吉野弘詩集』(岩波文庫、2019年)に拠った。

◆「清・浄」というふたつの文字に息を潜めて見入るなかから生まれた詩。
そら、みずそれ自身のうちに潜む争い・ひしめきが、地上のものを生かしていると気づくまでに、どれほど息を詰め目と耳を澄ましていたことだろう。




コブシ咲く[2019年03月13日(Wed)]

DSCN0225.JPG
コブシの花がほころび始めた。
横浜・関内駅前で。

地元・湘南の奥座敷(を勝手に「オアシス」と呼んでいる)も負けていない。
午後の逆光にボウッと烟る風情もまた佳し。

DSCN0262.JPG

*******


村への道   木村迪夫

やわらかな陽射しを夢みて
冬の河を遡(のぼ)ってきた農夫の姿がある
流れから這いあがり
水しぶきを躰でふりはらうと
岸のむこうの
萌えいそぐ田のなかの雑草(くさ)に腹這い
仰むけになり
頰うつ風に逆らうこともなく 眠る


百年の孤独のような凍えから解放された
農夫は
この先の百年の村のかたちを眼のうちに
黄色にけぶる空と地のはるかな接点を
歩きはじめる
昨日
過疎の村の学校の
木造校舎でむかえた入学式の子供たちのように
顔をひきつらせ
両手で胸をなでおどらせながら
病のあとの
疲労感はまだ五躰を包囲してやまないが
寒い河の流れの時節に訣れをつげ
ゆっくりと
村へとつらなる道の坂を
越える


木村迪夫(みちお)『村への道』(書肆山田、2017年)より


こわいこわいとなくからす[2019年03月12日(Tue)]

DSCN0214.JPG
シジュウカラ。地上近くに降りたところを正面から撮れた。

*******

烏の群れ飛ぶ風景   池井昌樹

ななつのこなどおりません
やまのふるすもありません
からすはまちのそらにいて
こわいこわいとなくのです
そらのしたにはまちがあり
おおぜいひとがゆききして
どこかいそいでいるけれど
どこかへにげてゆくけれど
そこがどこだかわからない
ひとのこえさえきこえない
きょうもだれかがさきへゆき
だれかがきょうもこぼれおち
まんいんでんしゃはしたうちし
だれもがあらぬかたをむき
からすのむれとぶまちのそら
なにごともなくときはすぎ
そらのしたにはいつからか
もうまちもなくひともいず
けだものみちがさむざむと
どこかへおれているばかり
あらしになるかもしれません


 池井昌樹『一輪』(思潮社、2003年)より

◆童謡「七つの子」(野口雨情)を換骨奪胎しながら、都会暮らしへの違和を歌う。
原発避難者が5万2千人以上(19年2月末復興庁発表の数字)の現状を、十数年前すでに予告した詩のようにも読める。
「まんいんでんしゃはしたうちし」――やむなく移り住んだ都会ではだれもが招かれざる客であることに焦れ、電車に押し込められた時間に耐えている。舌打ちは悶々沸々とした胸底のマグマがつかのま姿を現す炎の舌である。

人の皮着た「けだもの」ばかりとなった街には、折れて先を見通せない道が、寒々しく伸びているばかり。

ネボウのわけ[2019年03月11日(Mon)]

◆このブログを書いている部屋の床板がヘタって来たので、やむなくフローリングの板材を重ね張りしてもらった。

予定よりずいぶん早く8時過ぎには職人さんが来着したので、ネボウな施主は10分ほど待ってもらって、部屋に残っていた机や本などを慌てて動かした。

五十肩が両方の肩・肘に広がって来て、腕を捻るとイタタタとなる。「まさか百肩とは言わないよナ」、「まいにち運動会の翌日みたいだ」と無駄口を重ねながら片付ける。

◆先日見積もりしてもらった際に、繰り返し重さがかかった所はどうしても傷みがはやい、と言われた。
言われてみると、確かに机に向かう椅子の位置が最初にヘタって来ていた。
その次は部屋の入り口から机に向かう動線の部分。
「継続とは圧力ナリ」であったわけだ。

◆指摘をきっかけに机の向きを変えて体重がかかる位置をズラすことにした。
ところが持ち上げた際に天板がはがれてしまった。
天板の裏の合板もまたヘタっていたのだった。

田舎の兄が新築祝いに贈ってくれた座卓であったのを、ダイニングテーブルの脚に載せてビス留めしたものである。30数年という時間の体重を受けとめてきた結果である。
藤沢市の総合市民図書館のカウンターわきに置いてある小山明子・大島渚ご夫妻が寄贈したムク板の机と比較することはできないが、これとて処分するに忍びない。
2本の薄板を裏板に接着剤で貼り付け、そこに脚を取り付けることにした。

ちゃんとくっつくよう、天板を床に寝かせ、アルバムや本、書類の入った段ボール、プリンタなど手当たり次第に積み重ねて重石としたのが昨夜のことである。

***

◆以上がネボウの理由だ。

むろん補強板は天板にしっかりくっついてくれた。
手柄のすべては断捨離されなかったモノたちに属する。

おかげで今夜もこのブログを綴り終えて安らかに眠ることができる。
明日のネボウは恐らく無い、だろう。


3・11の野見山暁二「アトリエ日記」から[2019年03月10日(Sun)]

◆2011年の3月10日、画家・野見山暁治は博多駅構内にいた。
新幹線開業に合わせて完成した彼の「海の向こうから」によるステンドグラスの除幕式に臨んでいたのだ。

★「海の向こうから」の原画およびステンドグラスは下記サイトから
http://jptca.org/publicart474/

◆翌11日には大分県津久見の戸鉱業へ。石灰を産するこの鉱山をかつて描いたゆかりの場所である。
その日の日記の全文を引く。

三月一一日
石橋、ブリヂストン両美術館のいつもの二女性を最寄りの駅で拾って、千里の運転、大分県の津久見に向う。すっかり晴れあがって、もう春だな、これは。
昼すぎ戸高鉱業に着く。早速にも二女性、この会社が所蔵しているぼくの作品数点について調べる。この秋の展覧会に出品依頼をかねてのこと。
それから一同、白い上っ張り、長靴、それにヘルメット。完全武装して石灰の山へ案内される。かつてぼくが描いた山頂は、三百五十メートルほどえぐり取られたらしいが、一同はマチュピチュみたいな異形の山容の壁に囲まれて、茫然と立つ。
その時、千里のケイタイが鳴り出し、東北から東京にかけて激震中の報せ。いきなり壁が崩れ落ちるようなおののき。津波は今にもこの海におしよせてくる気配。社長は港にある運搬用の船舶の避難指示その他、ともかく一気に、それぞれの周辺が叫び声をあげ始める。


2011年9月〜10月に久留米の石橋美術館、その後12月まで東京のブリジストン美術館へと巡回した野見山暁治展

◆翌12日から14日まで福島第一原発では水素爆発による建屋大破〜炉心溶融が次々と進んで行った。
14日の日記――

三月一四日
日を追うに従って膨れあがる震災、津波の怖さ。今までの天災と違って、新たな原発の、目に見えない恐怖。
人間が創りあげた利便と、それに伴う危険。いつかは、過失によって、あるいは一人の為政者によって、地球は壊されてしまうとぼくは、思い込んでいる。


◆野見山の予見を現実にしないための人々の努力が一人の為政者の嘲笑によってあしらわれる数年を閲した。無為に過ごしたつもりはないが、その間にドイツは再生可能エネルギーを倍増させ40%を超えたという。

野見山続々アトリエ日記.jpg
野見山暁治『続々アトリエ日記』(清流出版、2012年)



 
野見山暁治による宇佐見英治追悼のことば[2019年03月09日(Sat)]

◆画家・野見山暁治は、『アトリエ日記』を初め、多くの随想でも知られる。
文章で描かれる人々は絵の世界の人ばかりでない。実にたくさんのさまざまなジャンルの人たちが登場する。多くは長い交友を重ねてきた人々で、自然、追悼文を書く機会も少なくない。

「宇佐見さんの子犬」は詩人で仏文学者の宇佐見英治(1918-2002)を追悼したもの。

◆西武沿線に住んでいた宇佐見が、沿線の各駅くまなくコーヒーを飲みあるいた、と心許なく語るのを聞いたエピソードから、宇佐見本人の述懐に移る。

〈詩人と呼ばれるのは嬉しいが、まさか自分から詩人とはいえません、大学に勤めているが教師は本職ではない。モノ書きでもないし、美術評論家といわれるのは嫌だし……。〉

こう語る宇佐見の表情とその人生を次のようにスケッチする。

どこにも所属していない、心許ない顔なんだ。

そしてすぐ次のように続ける――

宇佐見さんは死んだ。風が攫(さら)っていったのか。宇佐見さんの身辺にいつも舞っていた風、なま身をさらしていたようなあの強靭な風貌は、どういうわけか姿を消して、酸素ボンベのカートを引きずって歩いていた姿だけが、やけに浮ぶ。
犬を連れてるみたいだと言ったら、いや犬に連れられて歩いているのです、と言い、ふと寄る辺ない表情になった。なにか優しげにも映った。
犬を引きずりながら、ぼくの個展会場にもやってくる。そうして、犬をうしろに待たせては、一点一点立ちどまり、地下の展示室に降りようとして、さすがに階段で足ぶみし、犬に目をやり、しばらくのあいだ、ためらう。


野見山と宇佐見の最初の出会いは若き日のパリ郊外の丘の上だったそうだが、訃報に接して浮かんだ光景は、酸素ボンベを子犬のように連れて野見山の個展にやって来た宇佐見の晩年の姿だ。

記憶に残るあまたのシーンの中で、なぜその映像を鮮明に思い浮かべたのか訝しく思いながら、野見山は次のように言葉を継ぐ。

宇佐見さんが生きているときには、こんな光景は浮ばなかった。ひとは消えると、どうしてひとつの映像になって棲みつくのか。肉をそぎおとし、この世から消えるものの姿をしてみせて、控えめに時空の中に踏みこんでゆく。

◆「ひとは…どうして〜」とは、人間が死ぬということへの感懐だ。人間一般の話に向かうのは、師友、肉親ら多くの死に接して来て、自分もその列にいずれ連なることに心が傾くからだ。

だが、個々の人間が一様な姿に還元されるはずもない。
野見山は宇佐見英治という一人の人間像をもう一度目の前に結び直す。

いやこれは晩年のことではなく、ぼくがずっと抱いていた宇佐見像だ。しかし、これも本人が消えてからの、こじつけかもしれん。
よくはわからない。わかっていることは、ぼくの絵をこれほどまでに喜んで観てくれた人はそういないということ。

その人はいなくなった。本当にいなくなることがあるんだと、ようやく今ごろになって知った。
(後略)

◆悼むことば自体も肉をそぎ落とし、不在を驚き悲しむ心そのものが手向けられている。
そのことに深く心を揺さぶられた。

野見山暁治「うつろうかたち」.jpg
野見山暁治『うつろうかたち』(平凡社、2003年)



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