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市民の誠実vs政治の不実[2017年07月23日(Sun)]

誠意のない大臣に業を煮やして防衛省内からも狼煙があがった

稲田防衛大臣の日報隠蔽問題について防衛省筋からの証言が複数出て来た。
「隠蔽(公表しない)方針を了承していない」となおも否定し続ける防衛大臣について写真家・浅井愼平氏のコメント(7/23TBS「サンデーモーニング」)……

リーダーの人格の劣化、質の悪さ――人間としての誠意とか誠実とか、公平とか、当然持っていなければいけない、一般市民でも持っているものをリーダーが持っていない状況が続いていて、そこにおける不祥事がいっぱい出て来ているわけで、国民としては呆然としているしかないぐらいのレベルなんだけれども、当事者にその自覚がない。


岸田成格氏は、幹部会議をもった(2017年)2月15日という日付けに注意を促した。
その前日、14日の国会審議で稲田防衛相は「日報問題」で集中砲火を浴びていた。それを受けて事実確認を行い対応を確認したのが15日の幹部会議だった。すなわち大臣自身の必要から設定した会議なのであるから、「報告を受けていない」などという説明はありえない、とズバリ指摘したのである。

◆番組では、大臣の説明と防衛省スタッフの主張を付き合わせ、3通りの「可能性」を図示したパネルを示して、どの場合を考えても大臣「アウト」の結論しかないことを明快に説明していた。司馬遼太郎がいうところの「小学校5年生にもわかる」図解であった。こうした努力は大事だ。

*******

30年余の付き合いに別れを告げた

◆庭のモミジと紫木蓮が伸びすぎて、思い切って根元から伐った。

8尺ハシゴを買って来ても届くかどうかという高さになって、自分でやるかプロに頼むか悩んでいるうちに2年を経過してさらに伸びてしまった。
モミジも紫木蓮も、ここに越したお祝いとして頂戴して植えたものだから、挿し木などで子孫を遺せないか試みたが、上手くいかなかった(モミジは種から発芽したのがいくつかあったのに、草と一緒に抜いてしまっていた)。
その間に持ち主の方は腕力も敏捷さも失って、獲得したのは胴回りの贅肉だけなので、プロに御願いする仕儀となった。
2本とも幹は直径30cmぐらいなのに、狭い庭から光を求めて空に向かう意欲が旺盛で、7mほどに成長していた。前の日に塩とお酒を供え、2本の樹に感謝と鎮めの祝詞を唱えた。

誠実な為事(しごと)

◆伐採当日は、4人の職人さんが朝早くから休憩もとらず奮闘してくれたおかげで、昼前には明るい空をしばらくぶりで仰ぐことができるようになった。

特に御願いして、2本の幹の部分を1mほど切り分けてもらい、手もとに残すことにした。
先日の八ヶ岳野外体験教室で原木の風合いを活かしたベンチが置いてあった。
木で鍋敷きや表札など、何か作れるのではないか、とモッタイナイ気分が頭をもたげてきたのだった。

◆片付けに入ろうというところで社長さんがドリルで根株に数個の穴を開けてくれた。ひこばえが伸びて来ないよう、この穴に塩と酢を入れると良い、と教わった。

その後、傍らの槇(まき)や拓植(つげ)を見て社長さんいわく、「これも切って置く?」。
放っておけばこれらもいずれ同じ手間をかけねばならなくなると見越して提案してくれたのだろう。やってもらうことにした。

◆柘植の上部を1mほど切った時に思いがけないものに出会った。
ヘビの抜け殻が枝に絡まって遺っていたのだ。
「これは縁起がいい。良い運がつくわ。」という。
そんな話を聞いたことがあるような気がする。
(八ヶ岳でも、抜け殻をきれいに折って「寿」の字を作り、壁に飾ってあった。あれはずいぶん長かったろう。わが家の柘植に遺されていた皮は1mに満たないくらい。)
生きているヤツには二度ほどわが家で出くわした。モミジにいた一匹を枝伐り鋏の先で捕まえて川まで持って行ったこともある。
彼らにふつうに出くわすのが湘南の奥座敷たる俣野地区の特色である。

◆何本かの枝を落としてもらったおかげで庭はさらに明るさを取り戻した。
枝や幹だけでなく、こぼれ落ちた葉もたくさんあったはずだが、きれいに掃き集めて片付けてもらった。やってもらって良かった、と思えるのは幸せなことだ。

一連の作業とその仕舞い方に至るまでの丁寧で誠実な為事(しごと)ぶり、永田町で大臣として禄を食む方々には範として頭を垂れてほしいものだ。

*******

◆午後は榊や梅、槇、キウイの剪定を自分でもやった。
環境が変わったせいか、戸惑っている虫たちにも出くわした。

DSCN2645.JPG
今年初お目見えカマキリ。初々しい垂直登攀姿。

DSCN2648.JPG
槇の木にカタツムリが数匹いた。古い殻も残っており、槇が彼らの定宿だと知った。

DSCN2655.JPG
宿を撤去されて周章狼狽気味のテントウムシ。

*******

DSCN2371寿ヘビ-A.jpg
八ヶ岳野外体験教室の展示コーナーで出会った縁起物の「寿」。

安保法制違憲訴訟 傍聴のお知らせ[2017年07月22日(Sat)]

DSCN2109矢野佑貴「うつせみ」2015年.jpg
矢野佑貴「うつせみ」2015年
 *文化庁の「Arts in Bunkacho」にて(現在は終了)。
◆人間の想像力が生んだゴジラのリアルな姿に対して、後方に半身を現した人のカタチをしたものの方はどうだろうか?

◆◇◆◇◆◇◆

安保法制違憲訴訟 口頭弁論
東京24日、ついで神奈川27日


◆7月24日(東京地裁)、27日(横浜地裁)と安保法制違憲訴訟の口頭弁論があります。
今回も法廷を埋め尽くしましょう。

*どちらも傍聴抽選があるので早めに各地裁へ。
抽選にもれた場合にも報告集会にご参加を。

*******

◆東京・安保法制違憲訴訟〔差し止め〕
第4回口頭弁論


と き:7月24日(月)10:30開廷
ところ:東京地方裁判所 103号法廷

★午前10時10分〆切で傍聴抽選があります。早めにご参集を。
 *9:30〜東京地裁前集合でアピール行動があります。

報告集会は13:00〜14:30、参議院議員会館・講堂で行います。

★詳細は⇒http://anpoiken.jp/2017/07/20/sashitome04/


*******

◆神奈川・安保法制違憲訴訟
第3回口頭弁論


と き:7月27日(木)15:30 開廷
ところ:横浜地方裁判所 101号法廷

★集合時間 14:45
*傍聴抽選があります。

報告集会は16:15〜17:40、横浜YWCA(横浜地裁から徒歩7分)で行います。

安保法制違憲訴訟かながわの会のサイトは
https://www.anpoikenkanagawa.com/

 
「日の丸・君が代」問題等 全国学習交流集会[2017年07月21日(Fri)]

170723全国学習交流集会 middle_1493532334.jpg


【お知らせ】

第7回「日の丸・君が代」問題等
全国学習交流集会


とき:7月23日(日)10:00〜16:30
    集会終了後、デモ行進
ところ:日比谷図書文化館 地下ホール

記念講演:高嶋伸欣さん(琉球大名誉教授)

★なお、24日(月)午前中は文部科学省との交渉を予定しています。

日比谷図書文化館には…霞ヶ関駅C4出口から徒歩5分、内幸町駅A7出口から徒歩3分、日比谷駅A14出口から徒歩7分、JR新橋駅日比谷口から徒歩12分


◆◇◆◇◆◇◆

DSCN2623エミリオ・グレコ「水浴の女」1968.jpg

エミリオ・グレコ「水浴の女」(1968年)
横浜・西口の横浜ベイシェラトンホテル前にある。
大きな建物を後ろに従えて、たじろぐ風など微塵もない。
駅に接する相鉄ジョイナス屋上の彫刻公園にあったのを移したものだそうだ。

同じ作家の彫刻は箱根の彫刻の森にもあった。

DSCN3419エミリオ・グレコ「うずくまる女No.4」(1973).jpg
「うずくまる女No.4」 1973年)
エミリオ・グレコ(1913〜95)はイタリアの具象彫刻家。



人は他人をそんなにも疎んじてもいいのだろうか?[2017年07月20日(Thu)]

DSCN2591.JPG
最近は切り花として手頃な、小ぶりのヒマワリが増えた。

左向こうに横浜薬科大の管理棟。さらに左手の丘の上、もとドリームランドの観覧車や海賊船、スケート場などがあったところにいまは俣野球場が出来て高校野球の会場の一つになっている。球場は横浜市の所有だが、薬科大が命名権を得て、俣野公園横浜薬大スタジアムと称するようになった。

*******

◆またまた山本幸三地方創生担当大臣だ。
日本獣医師会の幹部に、加計学園の獣医学部新設を決めたことを伝えたとする件で、反論、否定の姿勢。あとに退けない、と必死なのかも知れないが、とっくに土俵は割っている。
忘れっぽくなったり意地張ったりして国民に迷惑をかけていないか自問する謙虚さを見せたほうが精神的な若さを印象づけられるはずなのに。

シンボルスカの次の詩、30代前半の作品だそうだ。
自問し我が身を振り返るのは友や他者を大事に思う気持ちと一体のものだ。
人間がガラスのコップのようにもろいものであることを忘れて、馬齢を重ねただけの風化したコンクリートみたいな心になっていないか自問してみる。

自らへの問い掛け 
     ヴィスワヴァ・シンボルスカ


微笑んだり
手をさしだすということには
どんな意味があるのか?
人が第一印象で心ならずも判断を下すような時
お前の実像というのはそれからほど遠いものなのではないのか?
人間一人一人の扉を
書物をひもとくようにお前は開くのか
活字の上でなく
その形でもなく
ときめきを探しながら?
すべてを確実に読み取っていたのか?
無くしたものを数え立てるかのように―――
真剣勝負のところで際どい冗談まじりにのらりくらりと答えてはいなかったのか?
氷のように冷たい世界での
かなうことのない友情
友情というものは愛のように
共に創り出すものだということを
知っているのか?
この厳しい困難な現実の中で
あるひとは歩みを止めなかった
だが親友の過ちの中にお前の落ち度はなかったのか?
あるものは泣き言をいい 忠告をした
お前が助けにいく迄に
しかしどれくらい涙を絞ったものか?
千年祭のお祝いのための
共同責任に対し
一分そして涙や しかめ顔を軽んじなかったのか?
お前は他人の努力を
看過ごしたりはしなかったのか?
ガラスのコップがテーブルに載っていたのにお前の不注意な動作のためにそれが落ちるまで気がつかなかったというような

人は他人をそんなにも疎んじてもいいのだろうか?

  
つかだみちこ 訳「シンボルスカ詩集」土曜美術出版社販売、1999年



雷鳴を恐れよ[2017年07月19日(Wed)]

DSCN2608.JPG

木槿(むくげ)の花がぴったり寄りそって咲いていた。
境川に注ぐ宇田川のほとりで。

DSCN2610.JPG

雷鳴おそるべし

◆昨日18日の落雷と局地的な大雨には驚いた。
それをケジメとしたかのように、関東は梅雨が明けたそうな。
しかし関東に限ってはカラ梅雨のような年で、首都圏は水がめの貯水量が心配されている。
であるにしても、NHKTV、夕方7時のニュースのトップが梅雨明けの話題でいいはずはなかろう。

稲田防衛大臣の自衛隊・南スーダンPKO日報問題を協議した会議(2月)をめぐる新たな疑惑だ。
「廃棄した」はずの電子データが保管されていたことが判明して協議した防衛省幹部会議に稲田大臣も出席していたということなら、その後の3月、国会における大臣答弁が虚偽だったことになる。
内閣改造でのクビのすげ替えなどという悠長な話ではない。省をあげての隠蔽に関与し承認(「黙認」でも「容認」でも同じこと)していたことになる。これをトップニュースにしないでどうする。

7時のニュースを見ながら、画面にこの件に関するテキストデータ(当然7時以前に放送したニュース=既報の内容をアップしたもの)を表示させてみると、7時台ニュースはこの既報原稿をなぞっただけだった。
7時台に伝えるべき新たな材料がないゆえに2つ目の「ニュース」として扱った、ということか。
やれやれ。

◆経緯については防衛大臣直轄の防衛監察本部に陸自から報告しているということであるから、大臣の会議への出席や防衛省として非公表を決めたプロセスへの関与を否定したところで、説得力は全くない。

ウソの上塗りに天がいかずち(雷)によって警告を発したのだろう。

今回の報道は複数の政府関係者の証言に基づいているという。
文科省に始まった「歪められた行政」への憤りが他省庁にも波及しているのだとすれば、森友・加計問題にも新たな方面からノロシが上がるかも知れない。


無闇にずかずか踏み込んではいけない [2017年07月18日(Tue)]

DSCN2550西洋風蝶草.JPG
クレオメ。西洋風蝶草(セイヨウフウチョウソウ)ともいうそうだ。
ピンクのと白いのとが咲いていた。
日大生物資源科学部キャンパスのフェンス前で夕陽を浴びて。

*******

だれも私を(ぼくを/おれを)わかってくれない?
あたりまえじゃないか
ひとの内部ってのは やわらかい 壊れやすい 暗闇だから
無闇にずかずか踏み込んではいけない
それが礼儀なんだよ
それくらいのこともわからないぼんくらに
(きみの気持ちはよくわかるけどね)
そんなことまでいうんだわたしは
   
  辻征夫「学校」より
 谷川俊太郎編「辻征夫詩集」(岩波文庫、2015年)所収

アナログ世代が聞く音楽は……[2017年07月17日(Mon)]

DSCN2445ミヤマカラスアゲハ.jpg
アゲハにも色んな種類がある中で、これはミヤマカラスアゲハというそうだ。
2匹いたがツーショットは撮れず、この1羽のみ。

*******

久しぶりに聞くカセットテープの音は
耳にやさしかった


テープをつなぐ

◆ラジカセに入れたカセットテープがからまって縒れてしまったと子どもが言うので、耳かきの柄でテープを引き出し、捻れたのを直そうと試みたものの上手くいかない。
ままよ、とカセット本体のネジ5つをハズして分解した。

慎重にヨレを直しながら、大きい巻になっている側のリール部分に巻き付けて行こうとするが、巻きぐせがついているためか、指を離すと爆ぜてしまう。小さい巻の方にトライしてみるがこちらも何周か巻いたところで爆ぜてしまう。
テープは幾重にもカールした状態でこちらをあざ笑うかのようだ。
こんなハズではないと焦るほどに上手くいかない。

◆カセットテープが安くはなかった時代に何度も補修した手の記憶があるから造作ない作業、と見くびっていたのがいけない。
要するに我が手先は情けないほど不器用になっているのだった。

解体したのを後悔した。バラしたりせずに、テープをヨレがなくなるところまで引き出し、ヨレた部分だけ切ってつなぎ直せば数秒分失うだけで済んだかも知れないのだった。

◆カールしたままだらしなく広がっている部分を数10センチ切った。
次にセロテープを両面テープ状にして(糊部分が上にあるようにして)テーブルに貼る。
その上でカセットテープの左側、大巻き側の端を斜めにカットする。
テープの表裏を間違えないよう(磁性体が塗ってある側が上になるよう)セロテープに留める。
次いで小巻き側の側も接合部分が合うよう斜めにカットしてセロテープ上で合わせる。
(斜めにカットするのは音飛びを低減させ、持ちを良くするためだが、このテープに上書き録音することは多分、二度と無い。補修用の専用テープもどこかにあるはずだが、探すのが億劫なので、いつ買ったか覚えてないほどの、相応に劣化しているはずのセロテープで間に合わせた。それでいて、ほとんど礼法を墨守する気分でテープを切り継ぐやりかたは変えるべきではないと思いながら作業した。)

ところが、また小巻き側のテープが爆ぜてしまった。
やんぬるかな、だ。もはやカールを丹念にもどすどころではない。

小巻き側のテープを根元までほどいてしまった。
カールしたテープが指に絡まる。瞬間、ゴミ箱にほうり込む自分を想像したが、思いとどまった。

◆理性が勝利したのではない。
つないでやれば、未だ聞くことが出来る――要するに「もったいない」という気持ちの方が勝ったのだ。

結局、プラゴミとして廃棄したテープが5メートルあったとして、どのぐらいの時間が記録から失われたのだろう?
カセットテープの速度の規格は4.76cm/秒と決まっている。500/4.76=105.04…となる。つまり1分45秒ほどが無くなった訳だ。
往復あるから実際は3分30秒。

◆ネジ5ヶを元に戻しながら、テープ1本まるごとゴミにするところだったのを考えれば上々じゃないか、と己を慰めた。しかし失われて無念なのはテープに記録されていた音楽よりも、我が手の巧緻性の方だ。

要するに不器用になった我が手に愕然とし、腹立たしかったということだ。
それでいて、たかがテープ一本捨ててしまえと思い切る潔さにも欠けていることがまた情けなくも憤ろしく、我が末期のときの存念いかばかりかと思わずにはいられない。


なつかしいひびき

◆せっかく一本のテープを救済したのだからちゃんと動くラジカセで聞かないと、と思って、押し入からCDラジカセを10数年ぶりに出した。
CD部分は動かないが、カセットがダブルで付いているのでこれも捨てないでいた。
テープからテープにダビングできるタイプ。

左のホルダーに入れたままのカセットテープがあった。
金属部分にテープの磁性体がこびりついていたので綿棒とアルコールで慎重に落とす。
ついでにあちこちに溜まった埃を綿棒でざっと取ってやる。

音信号を読み取るヘッドに付着した磁性体は完全に落ちなかったが、テープをかけてみると差し支えない程度に音を拾ってくれる。

バッハだったが、テープの伸び縮みがあるのか、音がスキップする。
テープを右のホルダに移してかけ直すと今度は順調だ。
ヴァイオリン協奏曲の第1番。懐かしい音だ。

誰の演奏だろう?
テープのシールを見ると、アルテユール・グリュミオーだ。
演奏はもちろんいいのだが、テープの音を聞けたのが良かったのだと思う。
手の記憶は加齢によってみごとに裏切られたものの、手作業を終えてその成果を確認したときに、
耳が受け取ったのはアナログな作業にふさわしいアナログな音楽であったいうことになる。
そのような性質の音楽を長く聞いてきたので、耳がそのように出来ている、ということなのか、音楽自体がアナログに創られ再現され聞き手に届けられる、ということによるのかどうか。

まさか、現代の我々はラジカセの中に小さな人が入っていて、そこでいとも小さなヴァイオリンを弾いているとは思わないけれど、グリュミオーという実在するヴァイオリン弾きが小さな姿でそこにいて、生き生きとつややかに、バッハを聞かせてくれている、と思えるのは確かなことだ。
テープは記録のために発明されたものであるが、それによって稀なるものが再現される。実感に即して言い換えるなら、ある尊いものが今ここに生成していることを知る。その演奏者であるグリュミオーという人間に触れ、彼の音楽を通して私たちはバッハの面差しも目の当たりにする、ということなのだろう。



新宮晋の絵本「小さな池」[2017年07月16日(Sun)]

◆永田淳の湖をわたる風のうたで思い出した絵本がある。
彫刻家・新宮晋(しんぐうすすむ)が描いた絵本「小さな池」だ。

新宮晋小さな池_0018表紙−A.jpg
 新宮晋「小さな池」福音館書店、1999年

◆表紙、見下ろした地上に小さなひとつの池がある。
絵本を開くとグッと近づいた地上が見え、さらに次の頁では空が映り込んだ池がすぐ目の前にある。
絵本を見る者は鳥となって舞い降りてゆく感じだ。

新宮晋小さな池_0002-A.jpg
グングン近づく。
水面を泳ぐカモ、水中の亀や鯉に手が届きそうな所まで近づく。

◆そのあとの展開がすばらしい。

光の炸裂。
光の粒子と池の波紋。かすかな秋の予感。

さらに水面には小さな円がたくさん。
雨だ。

雨が止んだあとには澄み渡る空とその変幻が次々と映し出される。

ことばはいっさいなく、絵だけで一日のうちの時間の進行と季節の進行とが同時に描かれる。

雨のシーンを折り返し点として、水面からずんずんズームアウトして行って、夕焼けとその残照。やがて夜空となる。

その間、見る者は下に視線を向けているのだが、全身で味わうのは空へ空へと昇って行く感覚なのだ。

すごい絵本である。

新宮晋小さな池_0012-A.jpg

◆この絵本の初めと終わりの頁にだけ日本語と英語で問いかけがある。
始まりは「小さな池が見えますか? Can you see a little pond?」。
終わりは「小さな池が見えますか? Can you see the little pond?」である。

見たものとそこに感じたものを反芻するだけで一日が過ぎて行きそうだ。

◆新宮晋は水上を渡る風を受けてさまざまに動く彫刻で知られるが、この絵本を読むとそれらの彫刻を一日眺めていたい気分になるだろう。

★新宮晋の公式サイトは下から
http://www.susumushingu.com/





一陣のたてがみ[2017年07月15日(Sat)]

     たてがみ 
一 陣 の 鬣 ゆ け り
湖 の 面 に 真 夏 の
しろき波を生ましめ

  永田淳『湖をさがす』

◆「短歌日記2011」と副題にある歌集から。一日一首を自らに課した歌人・永田淳は、河野裕子を母とし、永田和宏(現在、朝日歌壇選者)を父とする歌よみの家の人。
最初に歌集を手にしたときはそのことに気づかず、表紙のデザインと「2011年」という年を冠してあることに惹かれて手にした。

上の一首は「7/15 FRI」と日付けがある。
「湖(うみ)」とはタイトルと同じく「近江のうみ」すなわち琵琶湖をさす。
かの人麻呂をはじめ、万葉の昔から多くの歌詠みの心にさざなみをわき立たせてきた湖だ。
風が起こした白い波を「鬣(たてがみ)」ととらえた。
画家ゴッホが糸杉や麦の穂のゆらぎで風をとらえたように、ここでは「たてがみ」によって風はあざやかに見えるものとなった。
琵琶湖であれ、遠い異国の湖であれ、一陣の風は湖の上を翔る白馬=夏の光の化身であり、視る者の魂を幻想界へと拉し去る。

永田淳湖をさがす-B.jpg
 永田淳「湖をさがす」ふらんす堂、2012年



まつげえの無い人(ふと)ァ居ね[2017年07月14日(Fri)]

DSCN2517.JPG

◆朝の散歩、カブトムシの雌がひっくり返ってもがいていた。
戻してやったら陰の濃い方に歩みを進めたが、さすがに足どりは重い。
助けたことになるのか分からない。
家の周りの蜘蛛の巣は連日払い除けて無慈悲の所業を重ねているので、来世で果報があるとは期待していないが。

*******

◆死刑執行に抗議する弁護士たちの記者会見があった(7月13日)。
海渡雄一弁護士は再審請求中の執行に触れ、「ゆゆしき問題だ。法務省がどういう基準で執行の対象者を選んでいるのか、きちんと見解を確認する必要がある」と述べた。

★【毎日新聞 7/13】
再審請求中執行「ゆゆしき問題」NPOなど抗議
https://mainichi.jp/articles/20170714/k00/00m/040/112000c


◆日弁連も中本和洋会長名の声明を出した。

「被害者や遺族への支援を行うとともに、死刑制度を含めた刑罰制度全体の見直しが必要。日本の刑事司法制度の下では誤判・冤罪の危険性が具体的なものとなっている。執行を停止し、20年までの廃止を目指すべきである」

正論である。

◆冤罪という二字に接するたびに思い出す祖母のことばがある。

〈まつげえの無い人(ふと)ァ居ね〉

睫毛のない人間がいないように、間違いをしでかさない人間はいない、ということを津軽なまりで言う掛詞(かけことば)だ。簡明にして慈愛にあふれた名言と思う。
高校の英語で「過つは人の性、許すは神の心」(To err is human, to forgive divine.)ということわざに出くわした時にも、なるほどと 感心した。

神の裁きはワキに置いとくとして、法治国家では罪を裁くのも人間である以上、法に照らした判決といえども完全無欠ではありえない。それゆえの再審制度であろうと思うのに、再審請求中の人間に対する極刑執行は理解しがたい。

◆東京新聞によれば、金田勝年法相は記者会見で、
西川死刑囚が再審請求中だったことを指摘する記者の質問などに、「個々の死刑執行の判断に関わる部分についてはお答えを差し控える」と繰り返した。
という。
当節流行の「個々の●●についてはお答えを差し控える」というゴマカシだ。
刑の重さに全く釣り合わない。話者の人格識見の無さ、オツムの軽さをペンキで塗り込めたような軽いことばである。「説明できません」と素直に白状すれば良いのに。

記事は次のように続く。

一方で、「一般論として、再審請求中に死刑を執行しないとすると、請求を繰り返す限り、永久に執行できない」と、用意していた文書を淡々と読み上げた。法務省内には「再審請求を繰り返すことで、死刑執行を免れようとする人がいる」との見方がある。

死刑執行を免れんがために再審請求を繰り返す者がいる、とは、何と冷ややかな見方だろう。
刑の厳しさを表す「秋霜烈日」ということばがあるが、そうした冷厳さとは違う。
偏頗な悪意が理屈を弄んでいるとしか聞こえない。

人間の生命を直接に左右する人間が、こうしたうしろ暗い人間観によって判断を下したのであるなら、死刑囚ばかりか、失われた被害者の生とその尊厳に向けるまなざしにも濁りを感じてしまう。
被害者の遺族・知友の内面的な受けとめにも波紋なしとはしないだろう。

★【東京新聞 7/14朝刊】
再審請求中に死刑執行 「法務省は情報開示を」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201707/CK2017071402000132.html

◆金田法務大臣は、近日中に行われると見込まれる内閣改造での留任はないだろうと目されている。
説明できない法案審議の矢面に立たされ、よってたかって答弁を封じられる姿まで世界中にさらして自尊心ズタボロの果てに、余人には行使できない自らの権力を思い出したのではないか。
――刑の執行命令書に署名すること――それを行使することこそは他の何人にもできないことだ……。

こうした想像が健全でないことは百も承知の上だが、責任ある立場からの明確な説明を聞くことができない以上あれやこれやに延び広がってしまうくさぐさの想像の一つをすさび書きした。


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