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益体無し[2018年06月18日(Mon)]

DSCN6533-A.jpg
藤沢市役所の陶板レリーフ([旧=これまでの]新館入口にある )

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大阪震災

◆夜になって4人目の犠牲者の報を聞く。大阪府北部、高槻市を震源とする大きな地震があった。

最初に報じられた犠牲者はプールのブロック塀倒壊による小学生だった。
朝早く、あいさつ運動のクラス代表として早目に登校したのだという。

危険箇所の点検は後回しにして、子どもたちの取り組みを地域に示しひいては市教委・府教委にも胸を張りたいという発想が大人たちの中にあったのではないか?

◆被害報告が増えることが予測された中で、国会は参院決算委員会の審議が益体もなく続けられ、震災に係る政府の対策会議が開かれたのは発生後半日も経過し、夜に入ろうという時間だった。
無神経さに言葉がない。
数々の疑惑の坩堝(るつぼ)にかぶせたフタから悪臭フンプンたるシッポをはみ出させたまま、国会を閉じることしか頭にないためだ。

◆TV各局は地震被害を報じ続けたものの、震源が内陸であることが判明してからも画面には「津波の心配なし」の文字が大きく表示されたままだった。
被害は大したことがない、という印象を拡散した要素の一つかも知れない。
マニュアルや惰性で報じていて、臨機に判断するアタマを欠いているとしか思えない。

◆4人目の犠牲者発見は夜になってからだ。発見が遅れたのだとしたら、無念である。

もう一つ、この間、地元大阪府からのどのような情報発信が府・市民に対して国民全体に対して行われたのか、寡聞にして知らない。

嚠喨(りゅうりょう)と鳴りひびき[2018年06月17日(Sun)]

DSCN7401.JPG
ズッキーニ。
初めて見た。
花の色や大きさはカボチャに似る(実際カボチャの仲間だそうな)が、蔓にはならず、切れ込みのある魁偉な葉に守られるようにして花が根もとから咲き、そのまま実となるようだ。
大地から生命の楽音が噴出する、といった風情。

*******

「地上礼讃」より ポオル・フォル (堀口大學・訳) 

地をわれは見る、地をわれは聞く、
地はわが眼下にあり、地はわが耳中に生く。
嚠喨(りゅうりょう)と鳴りひびき、いや更に地は美(うるわ)し!


*嚠喨…笛やラッパなどが冴え返るように鳴りひびくさま

★ポオル・フォル(ポール・フォール Paul Fort 1872-1960)の長詩の第3連前半より。
堀口大學の訳詩集『月下の一群』(1925年)より。講談社文芸文庫に拠り、現代仮名遣いに改めた。


ひとびとは/氾濫のように/石をにぎつて[2018年06月16日(Sat)]

DSCN7396.JPG
カボチャ

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最初の無名戦士    黒田 喜夫

頭のうえを 眼のうえを 口のうえを
愛と叫んだ歯のうえを

知るかぎりの地平線からつづいている靴跡とおなじ脚が

ひとつの悔恨と憤激を 夜明けの小鳥のようにのびあがった手と足を

朝鮮で 安南で 馬来で流れた血とおなじ血でそめたとき

たえず戦争を病んできた列島に
夜から昼になまなましく渡された橋が生れる

おお海のように たたかいの音がきえる
くだかれた額から

ひとにぎりの米とひきかえた額のあざの
服従の班痕をはいで ひざを折つて

ふるい宮殿の この国のくらい歴史をつくってきた窓のまえに

ひとりの若ものがたおれたとき
ひとびとは氾濫のように そのうえを渡る

氾濫のように
石をにぎつて

装甲車のまえを
青ざめた銃列のまえを

花のようにつながつた言葉を
平和 平和 平和とさけんで

木霊のようにつづくもうひとつの言葉を
あれは すぐそこにあると呼びかわして

日本の冬宮は そこにあると
碑のようにゆびさす最初の屍をふんで。


*安南…かつてのベトナム
*馬来…かつてのマレー半島と周辺の島々

『詩爐』第一号(1952年10月)初出。
テキストは『黒田喜夫詩文撰 燃えるキリン』(共和国、2016年)に拠った。

◆「氾濫」や「冬宮」には同音転換による意味の重層が目論まれているであろう。
たとえば「氾濫」⇒「反乱」というう風に。

すなわち一人の無名戦士の死をきっかけに、彼が指さしたものに向かって、人々はあらゆるものを呑み込みなぎ倒す濁流のように反乱のうねりとなって押し寄せる。
悔恨と憤激で握りしめた指から流れる血を石ににじませながら。

  
反骨の士 鎌田慧[2018年06月15日(Fri)]

170918代々木公園DSCN3444.jpg
 ルポ・ライター鎌田慧氏(2017/9/18代々木公園「さようなら原発大集会」)

◆朝日新聞朝刊に5月末から載っていた「語る――人生の贈りもの」の鎌田慧篇(聞き手・小泉信一)が最終回を迎えた。
全14回のインタビュー、ことばとの出会いがある。

★(取材とは)
人に会うことによって、その触れ合いの中で自分にはないものが形成されたり新しい視点を教えられたりする。そういうことを積み上げていく過程こそが取材だと考えています。

★(ルポルタージュとは)
批判と変革の意志、同時代を記録しようという歴史意識が大切です。
「エリートコース」という名の高速道路を走っている人には「路傍の石」は目に入りません。本当のルポルタージュとは路傍の石の輝きとこわさを書くことにあるのではないでしょうか。

 (第1回=5月28日掲載。以下掲載日)

★(ギリギリで卒業したという高校時代)
惰眠と懶惰の日を夢み、
惰眠と懶惰の日を送り、
惰眠と懶惰の日を悔む。
過ぎちまつたぞ十八年。

 (高校3年、学校の自治会誌に寄せた詩。第4回=5月31日)

★(イタイイタイ病を追っていた鎌田に鉱山関係者から内部告発の文書が届いた。その手紙は――)
良心がとがめて寝つかれなかった」と言うのです。
良心は眠っていませんでした。

 (第9回=6月7日)

★(ある出稼ぎ労働者からのはがきをきっかけに、1972年秋から豊田市の自動車工場で季節工として働いた)
実際に労働に従事している人たちの本当の「精神的肉体的疲労感」はインタビューだけでは分かりませんよ。無限に繰り返される労働の中に自分を置いてこそ、理解し、表現できるのではないでしょうか。
 (第10回=6月8日)
*私事になるが、この72年から翌年春にかけて、我が父もハガキの主と同様に出稼ぎ農民として、鎌田氏と同じ愛知県内の建設現場で働いていた。父は当時49歳。浪人中の不肖の息子の学資を稼ぐためであった。
不肖の息子は受験の帰りに飯場を訪ねた。
同じ村から集団で働きに来ており、中には夫婦で出稼ぎに来ている人たちもいた。
女性たちの仕事は飯場のまかないである。振る舞われた「飯場のメシ」は、味噌汁、魚、漬け物に至るまで津軽の味であった。

*****

★(50歳過ぎから国境沿いの島々を訪ねて――)
与那国、小笠原……。歴史を調べると、住民は島を起点に国境を越え、互いに行ったり来たりしていたのです。国境の島は辺境ではなく、異文化と触れ合う場所だったのです。

★(脱原発を求める市民と伴走するペンの人として――)
ジャーナリズムも問われていますよ。未来を見通す思想は決して記者クラブにいては獲得できません。
 (どちらも第13回=6月14日)

*折から、永井愛の新作「ザ・空気ver.2」「誰も書いてはならぬ」との副題で記者クラブの問題を描くそうだ。永井は言う「公正と中立が、日本では並列で語られる。でも中立はどっちにもつかないこと。公正は悪いものを悪いと言うこと。ジャーナリズムは公正の立場によるべきなのではないでしょうか」
 (朝日新聞6月14日夕刊のインタビュー)

*****

★(反骨のルポライターという世評に対して鎌田慧自身は「抵抗がある」と言う――)
そもそも反骨精神が希薄な人をジャーナリストと呼べるのでしょうか。ジャーナリズムは「権力の監視役」。世界のジャーナリストが長い歴史と生命をかけて築き上げてきたのです。なのでわざわざ「反骨」を冠する必要はないと思うのです。
 (第14回=6月15日)
*かつて鎌田氏は『週刊金曜日』で「痛憤の現場を歩く」という連載を執筆していた。
もう一つ私事を記すと、2004年夏に東京・青山通りの国連大学前に2家族のクルド人難民が座り込み行動を敢行して難民問題がクローズアップされた。針の穴以下の日本政府による難民政策に問題提起を行ったものの、目に見える改善はなされぬまま、入国管理所に収容された人々への人権無視の処遇も続いている。
あの国連大前広場を「痛憤の現場」として鎌田氏に取材してもらえたら、と夢想していたことがある。
実現はしなかったが、その時に難民支援に関わった人たちは、その後もそれぞれの「痛憤」を原動力として取り組みを続けている。
「DAYS JAPAN」6月号に載った特集「日本に暮らすクルド人」、織田朝日執筆の「壮絶な入管収容所での日々」はその一つだ。)

「個人の生活を犠牲にし、素知らぬ顔で成立している国家の構造を解明したい」(著書『死刑台からの生還』より)と言う鎌田氏の信念は6月10日の国会前スピーチでも揺るぎなかった。
ペンの人・鎌田慧の奮戦はまだまだ続くはずだ。

「反逆老人」として書くべきテーマはまだたくさんあるんです。
 (第14回=6月15日)

生きると云うことは 覚悟がいる[2018年06月14日(Thu)]

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イヌツゲ(と思う)
緑の葉を従えて、必要最小限の器官をしっかり備えた小さな花が存在する感じが清々しい。

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  雲よ 武澤 順子

おーい、雲よ……
あの日の雲ではないだろうけど
あの日の私でもないんだよ
あれから……しっかり生きてきたんだよ


◆武澤順子は1933年に満州・旅順に生まれ、戦後引き揚げて福島県相馬郡新地へ。東日本大震災からの再生を「震災日記」に綴り生き抜く姿が、TVディレクターの息子・武澤忠によってドキュメンタリーとなった。

 天命  武澤 順子

命があると云うことと
生きると云うことは違います
生きると云うことは
覚悟がいると
近頃しみじみ感じて居ります


 *ともに詩集『生きてやろうじゃないの!』より
  (青志社、2017年)

武澤順子生きてやろうじゃないの!.jpg
 

しゅうしゅうと[2018年06月13日(Wed)]

DSCN7366.JPG
梅雨の晴れ間のカワセミ

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 手 紙   森田 美千代

梅雨の季節になりました
秋の果実も田の稲も 今は水が大切なのですから
しずかな雨なら少し我慢します
きゅうりの葉はいよいよ
手を広げ
おさない子どものように
背伸びをしています

空を見上げると
だんだん黒い雲が近づいてくるようです
菜園の野菜や果物も
つつましい暮らしも
この雨は
何かのはじまりではないかと

 ひたひたと
 人々のざわめきも
 しゅうしゅうと
 近づく鞭の不気味な空気
 抱えて

 ひびかない
 美しすぎることば
 
 遠い空の向こうで
 雷鳴 ひびく

不安定な梅雨空 びくびくしています
転ぶと骨が折れる歳になりました

いただいた命の重みを大切にしたいのです
季節を刻みながらかみしめて

七十年の季節
シュプレヒコールが聞こえます



『寒風(かぜ)の中の合図(シグナル)より(澪標、2016年)
 1946年に山形県白鷹町蚕桑に生まれ、神戸市に在住の詩人。

遠い道をいくためには[2018年06月12日(Tue)]

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木槿(むくげ) 2017年7月撮影

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 膝    鄭 浩承(チョン・ホスン)

君もひざまずいてはじめて
愛を知ったのか
君もひざまずいてはじめて
歩けるということが分かるのに
一生かかったのか
真に冷たい床に
自らひざまずいたときが立ち上がるときだ
ひざまずいて
遠い山を眺めるときが出発のときだ
ラクダも遠い道をいくためには
先ずひざまずいて砂漠を眺める
ラクダも砂漠の道をいき
夜が更ければ
先ずひざまずいて
燦然たる星を眺める


鄭浩承詩選集『ソウルのイエス』の巻頭にある詩。【韓成禮(ハン・ソンレ)訳、本多企画、2008年】

鄭浩承(チョン・ホスン)は1950年1月3日、韓国・大邱(テグ)生まれの詩人。
北朝鮮軍が砲撃を開始して朝鮮戦争が勃発したのはその年の6月25日のことであった。



しろがねのボタン電池惜し[2018年06月11日(Mon)]

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田植えが済んだばかりの田んぼにカルガモ

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ボタン電池惜し

◆落としたボタン電池が変わり果てた姿になって見つかった。

数日前、路傍に停めた自転車が荷のバランス悪く倒れた。
その拍子に尾灯のカバーが外れたのではめ直して帰宅した。
電池が無いことに気づいたのは二日ほどした夜だ。
尾灯には充電式のボタン電池が入っていて、日中、太陽光で充電し、夜乗るときに振動で点るようになっているのにウンでもスンでもない。

雨が上がった翌々日、自転車がコケた場所に探しに行ったら、砂利の間にすぐ見つかった。
ただ、通行の車に何度も踏みつけられたのだろう、すっかりへこんでしまっており、サビも出始めていた。

森鷗外ではないが、「しろがねの ぼたん電池 惜し」という心境である。

扣鈕    森 鷗外

南山(なんざん)の たたかひの日に
袖口の こがねのぼたん
ひとつおとしつ
その扣鈕(ぼたん)惜し

  (第1連。「うた日記」より)

鷗外が若き日にベルリンで買い求めた「こがねのぼたん」を日露戦争に従軍した折に落としたというもの。
思い出の品であるボタンへの哀惜を歌ったものとして知られる。
第5連では次のように歌ってさえいるのだ。

ますらをの 玉と碎けし
ももちたり それも惜しけど
こも惜し扣鈕
身に添ふ扣鈕


「ももちたり(百千人)」、すなわち戦場で仆(たお)れた多くの兵士たちのことも「惜し」=無念だが、若き日の思い出も同様にかけがえがないゆえ「惜し」なのだと言う。

◆自転車のボタン電池はむろん青春の記念などではない。
当方のは物惜しみする性分ゆえの未練の対象物以上のものではない。
ただ、いささか後を引くようであるのは、自転車がコケそうだな、という予感があったのに、それを食い止めるべく身体が機敏に反応できなかったナ、という気分が残っているからである。

◆その余波ということでもないが、本日も同様の失敗をやらかした。
買い物の釣り銭を財布に戻そうとして手もとが狂い小銭一枚を落としてしまった。
10円か50円か100円玉か分からないが、落ちた音からして1円玉でなかったことは確か。
サッカー台の足もとを探すが見あたらない。膝をつき、台のキャスターを動かしてウラも探すがダメ。幸い他の客が来る気配はなかった。見る角度を変え何度か探したが、結局見つからず。

この時も、手にした小銭を落としそうだナ、という予感はあった。
未然に防ぐ動作に移行すべきなのに、落としている我が姿のスローモーションを、身体が反応しないもう一人の自分が眺めているような感覚、と言おうか。

◆帰る道々介護本で知った文句がいくつも浮かぶ。
いわく「手の巧緻性の低下」、いわく「QOL(生活の質)の維持」などなどなど。

それにしても電池1ケや小銭1枚に未練たらたらの我が器量の小ささ狭さよ。

子どもたちに恥ずかしくない政治と社会を[2018年06月10日(Sun)]

雨の国会前、幾そたび


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◆時々強く降る雨もものかは、国会正門前にはアベ政権退陣を求める2万7000人もの人々が集まった。

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◆スピーチ前半は野党の人々。
福山哲郎衆院議員(立憲民主)は「もうええかげんにせえよ、たいがいにせにゃあかんで。子どもでもこんなことしたらあかんと分かるで。」と地元のことばで文書改竄・虚偽答弁が続く、これ以下はないというほどひどい政治状況を批判。
続く小池晃参院議員も誰も責任を取ろうとしないアベ政権を徹底批判した。

◆沖縄から山城博治さんは「我々は戦争の時代は望まない。原発の脅威、差別、戦争のない時代をつくって行きたい」と訴え、鎌田慧さんは日の丸・君が代、国定教科書に向かう教育に象徴される民主主義破壊に抗して、80,90になっても闘うと「老人」の誓いを宣言した。
佐藤学さん(安保関連法に反対する学者の会)は「今やアジアの平和の脅威は、戦争する国に邁進する安倍首相そのものではないでしょうか。」と、2日後に迫った米朝会談の帰趨に注目。
海渡雄一弁護士は、アベ政権が成立を強行した特定秘密保護法と共謀罪について、未だ一つとして実際に立件されたものが無いことは、これに反対する国民の声の力が大きいとしながらも、これらの悪法こそ戦争を支える法律であり、その廃止を引き続き求めることが必要、と呼びかけた。

*******

◆被団協の事務局次長である児玉三智子さんのスピーチも感銘を与えるものだった。
国民学校二年生だった7歳で被爆。父に背負われて帰宅する道々目撃した地獄図は今も鮮明だ。
抜粋で書き起こしておく。

原爆は人として死ぬ事も人間らしく生きる事も許さなかった。
……自分だけが生き延びてしまったという罪悪感、脳裏に焼き付いたままのあの日の地獄の光景、音、声、においを抱きながらその後の生活苦、世間の偏見・差別と闘わなければなりませんでした。
被爆者の苦しみは深く、今も続くものです。73年が経った今でもあの日が消えることはありません。
わたくしも、両親、娘、弟二人を次々と亡くしました。
悔しさと悲しさでいっぱいです。

……私たち被爆者は私たちが味わった地獄の苦しみを世界の誰にも再び味わわせてはならないと、再び被爆者をつくるな!核戦争を起こすな、核兵器無くせ!と国の内外に原爆被害の実相を語り続けてきました。……2017年7月国連会議に於いて核兵器禁止条約の採択として結んだのです。核兵器廃絶への扉がやっと開き、うれしく喜び合いました。
ですが、唯一の被曝国の日本政府が賛成しないことは被爆者として怒りを覚えます。

……核兵器廃絶までの道のりは未だ未だ困難なことがありますが、被爆者は訴えます。
ここに参集されたすべての皆様、青い地球を守るのか、破滅の道を選ぶのか、私たちはいま、岐路に居ます。核兵器の廃絶なしに世界の人類の命と安全を守ることはできません。
被爆者国際署名を広げに広げ核兵器のない世界を実現しましょう。
あの日瞬時に命を奪われた被爆者は憲法9条になった、と私は思っております。

惨禍を繰り返してはなりません。
世界に誇れる憲法9条を輝かせ、命と平和を守りましょう。
皆さん、ともに力を尽くしましょう。


★Youtubeに集会の全体がアップされている。
上の文字起こしもそれに基づいた。投稿者に御礼申し上げたい。
https://www.youtube.com/watch?v=b3hIR2FGR2k


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明日6月10日は国会前へ[2018年06月09日(Sat)]
DSCN7263カシワバアジサイ-A.JPG

◆境川沿いを彩るアジサイの花列の中に、一風変わった一株があった。
カシワバアジサイという。
その名の通り、葉に切れ込みがあって柏の葉に似る。
葉の色がシソのように紫がかっているのは日光を受けて葉焼けしたもの。
花はまっ白で不思議な房状をなして風に揺れていた。

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6.10告知チラシ-768x1087.png

9条改憲NO!政治の腐敗と人権侵害を許さない!

明日6月10日は国会前へ

2018年6月10日(日)
14:00〜15:30


国会議事堂正門前

主 催:6.10国会前大行動実行委員会
事務局:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

★詳細は
http://sogakari.com/?p=3528


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