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わんさといる小利口[2018年04月24日(Tue)]

DSCF0003-A.jpg
ケヤキの若葉


馬 鹿    黒田三郎

オリンピック馬鹿なんてのがいる
外国選手がゲリラに殺傷されようが
どうしようが
無反応
自分の出場がどうなるかしか
念頭にない
いろんな馬鹿がいるが
このごろでは詩人馬鹿なんてのもわんさいる

ほんとは
僕は
自分が馬鹿だから
馬鹿が好きなのだ
馬や鹿のように無口で
ときにはいなないたり
ときにはとびはねたり
馬鹿というのはそんなのがいい
弁舌さわやかで抜け目のない人間の反対

ところが
いろんな馬鹿がいるというのに
僕の好きな馬鹿はいない
どれもこれも小馬鹿
どれもこれも小利口
適度に馬鹿で
適度に利口な奴ばかり
ぐんと桁違いに
馬鹿な奴がいないものか

  *『黒田三郎著作集T 全詩集』(思潮社、1989年)によった。

◆黒田三郎(1919-1980)晩年の詩集『死後の世界』(昭森社、1979年)に入っている詩。
オリンピック選手がゲリラに殺傷された事件とは、1972年9月、ミュンヘンオリンピック選手村が占拠され、11名のアスリートが犠牲となった事件のことだ。

◆平昌冬季五輪スケートで活躍した羽生結弦高木菜那・美帆姉妹が各々の地元でパレードに臨んだ(22日)。
彼らについては多くの報道がなされ、それぞれの人となりに感銘を受けることが一再ならずあった。
現代の選手たちは、磨き抜いた競技力だけでなく、インタビューや競技以外の振る舞いにおいてもその人らしいことばやメッセージを発する力に秀でているようだ。決してスタッフの指南によるものではあるまい。
世界の各地で多くのライバルや異なる文化にもまれる中で獲得して来たものだろうと想像する。

この詩が揶揄する「オリンピック馬鹿」は現代の多くのアスリートたちには当てはまるまい。
むしろそれは、1964年TOKYOの夢よもう一度、と旗さえ振れば人が後に付いてくると信じる今日びのビジョン無き政治屋たちにこそふさわしい。
彼らは選手の人気にあやかろうとして小利口に立ち回る。

◆ミュンヘンオリンピック事件の原因であったイスラエルとパレスチナの問題は今に続いている。

アベ首相は2015年1月、イスラエルにおいて「ISILと闘う周辺各国に総額で2億ドルの支援」と無思慮な約束を公表したが、これが後藤健二氏生還の願いを断ち切ってしまったことは記憶に新しい。気前のいい所を見せようとして場所・状況を考慮しなかった。
無分別の極みであった。

今回の擦り寄り訪米でも、「自分の見端(みば)がどうなるかしか念頭にない」首相の姿だけであった。国会開会中の、内政大混乱のただ中で、証人喚問に応じるべき人々を伴って、しかもゴルフ。手に入れたのは拉致問題を取り上げる口約束だけという不首尾。

貿易面で2タテも3タテも喰らって、「ぐんと桁違いに」失敗した外交と言うべきだろう。
今回も武器購入を押しつけられるのではという観測もあったが、果たしてどうだったのか。

藤の花も今年は早い[2018年04月22日(Sun)]

DSCN6555.JPG
◆藤沢の白旗神社の藤の花が見ごろを迎えていた。
「弁慶藤」という名だそうで、花房が豊かに長い。

藤棚の前に文化二年(1805年)と刻んだ芭蕉の句碑がある。

DSCN6550.JPG

草臥(くたぶれ)て宿かる比(ころ)や藤の花

『笈の小文(おいのこぶみ)』の旅、貞享五(1688)年、現在の天理市辺を旅した折の句である。

◆白旗神社は義経を祀るところから「弁慶」の名を冠した藤を取り合わせたということなのだろうと思いながら社務所前を通ったら、「義経藤」というのも咲いていた。
こちらは短い花房で、しかも色白である。
義経に白髪の取り合わせは、白髪の翁から白馬を授かって三厩から蝦夷地に渡ったという義経伝説にちなむのだろうか。

平家物語で白髪といえば老将・斎藤実盛が鬢髭を黒く染めて奮戦した話なども思い合わされる。
何にせよ連日の夏日だ。

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いつかは同じ空気が 入れかわる[2018年04月21日(Sat)]

北朝鮮がICBM発射停止と核実験施設廃止を発表した日に

DSCN6548.JPG

◆藤沢市の新庁舎に行った帰り、もとの庁舎の前を通った。
玄関前のモニュメント、広島平和公園から分けてもらった「平和の灯」は灯り続けている。
このままここに存続するのか、新庁舎の方に移設するのか。
碑文を転載して置く。

藤沢市核兵器廃絶平和都市宣言に込められた核兵器廃絶と恒久平和の実現に向けた強い願いを市民の皆様とともに未来に継承していくため、藤沢市民の平和のシンボルとして広島平和記念公園の「平和の灯」から採火し平和の誓いの火として灯し続けます。
    2011年(平成23年)10月1日
                  藤沢市


*******

空 気  まど・みちお

ぼくの 胸の中に
いま 入ってきたのは
いままで ママの胸の中にいた空気
そしてぼくが 今吐いた空気は
もう パパの胸の中に 入っていく

同じ家に 住んでおれば
いや 同じ国に住んでおれば
いやいや 同じ地球に住んでおれば
いつかは
同じ空気が 入れかわるのだ
ありとあらゆる 生き物の胸の中を

きのう 庭のアリの胸の中にいた空気が
いま 妹の胸の中に 入っていく
空気はびっくりぎょうてんしているか?
なんの 同じ空気が ついこの間は
南氷洋の
クジラの胸の中にいたのだ

5月
ぼくの心が いま
すきとおりそうに 清々しいのは
見わたす青葉たちの 吐く空気が
ぼくらに入り
ぼくらを内側から
緑にそめあげてくれているのだ

一つの体を めぐる
血の せせらぎのように
胸から 胸へ
一つの地球をめぐる 空気のせせらぎ!
それは うたっているのか
忘れないで 忘れないで…と
すべての生き物が兄弟であることを…と

*水内喜久雄・編著『子どもたちに伝えたい戦争と平和の詩』(たんぽぽ出版、2010年)より



人の悪事にまで気を配る[2018年04月20日(Fri)]

加計学園疑惑、外堀がさらに埋まった

◆加計学園問題で渦中の一人、柳瀬唯夫首相秘書官(現・経済産業審議官)が「首相案件」だと発言したとされる愛媛県や今治市職員との官邸での面会を裏付けるメールが出て来た。

「記憶の限り会っていない」と否定し続けて来た柳瀬氏、追及逃れでないかと批判を浴びた首相訪米随行から帰国して向けられたマイクにも「国会の場で」と答えるのみで、曖昧に先送りする姿勢に変化はない。

公表されたメールにはもう一つ、面会に臨んだ人々の最初に加計学園の関係者が記されている。加計学園がリードしそれに愛媛県と今治市の職員が随行する形だったのではないかとの指摘もある。

一連の虚言・食言はいずれも一つの真実を示しているではないか。

【毎日新聞 4月20日夕刊】
内閣府「柳瀬氏と面会」 愛媛職員訪問、予定メール 文科省公表

https://mainichi.jp/articles/20180420/dde/001/100/048000c


ジョン・ダン(1572-1631)というイギリスの詩人にこんな一節があった――

出世するまでは、自分のことだけのことを考えればよいが、
偉くなると、人の悪事にまで気を配る必要が出ます。

ジョン・ダン「H.W卿へ」湯浅信之・編『対訳 ジョン・ダン詩集』岩波文庫、1995年)より

◆親友ヘンリー・ウォトン(1568-1639)が大使としてヴェニスに赴任する際に贈った書簡詩。
注によれば、ウォトンは「大使とは祖国のために嘘をつくべく外国に送られる正直者」という名言で知られる人物だそうだ。

いま霞が関や永田町に蔓延するウソが国のためなどでないことは、言うまでもない。


浜田知明の版画(4)[2018年04月19日(Thu)]

◆人間の愚かさを諷刺する浜田知明(1917〜)の目はおのれ自身の内部の混沌をも素材にせざるを得ない。

1964年に渡欧し翌年帰国した浜田は、ヨーロッパの印象を作品に刻みながらも、高度成長を遂げたこの国に生きる人間たちに危ういものを感じていたかも知れない。
今回の「浜田知明 100年のまなざし展」(町田市立国際版画美術館。4月8日に終了)では、「ややノイローゼ気味」など、自身の葛藤を見つめ、それを戯画化することで乗り越えようとした作品群に出会うことができた。

浜田知明作品集_0001.jpg
「ややノイローゼ気味」1975年

◆帯のようなものは首くくりのアイテム、すなわち希死念慮の表現。
全身の縞模様は、渦や、迷路のような線で描かれた顔の連作と共通する。堂々めぐりを続ける思考や先を見通せない不安と苦悶の表現だろう。

不思議なのは右腕がないかのように描かれていること。
試みてはみるが決行できないということを暗示するのか。

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「気にしない、気にしない」1976年

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「何とかなるさ」1976年

◆取り換え可能な頭や(上図)、宙に浮いた右目(下図)の代わりにはめる義眼はどれにしようかとお手玉をするヒト。

これらの人物群もまた自画像といってよい。
どれも世界を知覚する己の目や頭の働きを絶対視するな、と自分に言い聞かせているように思える。
観念の詐術にはまらないために最も頼りになるのは「手」であるのだが、その手が動かない苦悩を表現した作品もある。

浜田知明作品集より_0011.jpg
「かげ」1977年

◆光に向かって戸口に立つ一人の男。
長く後方に伸びた影が彼の内面を表す。
作品を創り出すはずの両手は棒で串刺しになっている。
だが、頭上のヒモを摑んで縊(くび)れ死ぬことも叶わないのだ。


*作品は『浜田知明作品集 COMPLETE 1993』(写真:高山宏。求龍堂、1993年)によった。


浜田知明の版画(3)[2018年04月18日(Wed)]

◆1951年に始まる浜田知明(ちめい)の従軍体験をめぐる連作のうち、最も衝撃であったのは1952年の「少年兵哀歌(風景)」である。
荒野に放置された局部に棒が突き刺さった女性の死体。
黄河に向けて行軍する途中に目撃したという。
はるか地平線の彼方に遠ざかる隊列が見え、時間の経過を表現している。
戦争と人間の蛮行を全き沈黙の中に描く。
静寂なのではない。
観る者は言葉を呑み込み息を止めるしかなくなるのである。
昏倒するのでなければ足早にその場から逃げるしかない。

だが木陰も草むらも見えず、どこまでも遮るものがない荒野を行く間、目に焼き付いたままだ。

★この「少年兵哀歌(風景)」を含め、長く浜田の人と作品に接してきた白鳥正夫氏のブログが代表作を紹介している(2015年熊本での「浜田知明のすべて展」を中心に記述)
【ADC文化通信】
http://adcculture.com/journalist/shiratori-4/


◆人間であったそれを浜田は繰り返し描いた。

「黄土地帯(A)」では死体の足もとを銃を担いだ兵士や馬が行進して行く。
死者は巨人な物体として仰向けに横たわる。向こうには蛙の胴と後ろ脚だけのような黒ずんだ死体も見える。

浜田知明作品集より_0006.jpg
「黄土地帯(A)」(1954年)

◆1953年から54年にかけての「風景」「假標識」などでは見せしめのように串刺しにされたものたちが繰り返し描かれる。「絞首台」(1954年)はムッソリーニの処刑が念頭にあったとされるが、他は名も無き人々だ。

浜田知明風景1954.jpg

◆一方で兵たちは、いや一兵卒としての浜田自身は……

浜田知明作品集より_0002.jpg

「初年兵哀歌(歩哨)」(1954年)は自画像だと言われる。
銃口をのどに当て、引き金に足指をかけているやせこけた一人の歩哨。
あごを突き出し、ぽっかり開いた眼窩から涙がこぼれる。

生きる意味を求める孤独な魂を前にして、私たちは足もとからはい上がる冷気のために凍り付いていく。


*作品は「浜田知明作品集〈コンプリート 1993〉」(撮影:高山宏。求龍堂、1993年)によった。



浜田知明の版画(2)[2018年04月17日(Tue)]

防衛省幹部職員による敵対視

小西洋之参議院議員が16日夜、国会議事堂近くの路上で防衛省・統合幕僚監部所属の現職自衛官から「お前は国民の敵だ」と罵声を浴びたという。
ファシズムが露出したものに思える。

河野克俊統合幕僚長は「幹部自衛官が暴言ともとられる発言をしたことは大変不適切で、極めて遺憾だ。」と述べたという。「暴言ともとられる発言」どころではない、憎悪むき出しで敵対視する雑言ではないか。

小野寺五典防衛大臣のコメントも身内をかばって歯切れが悪い。
「不快な思いをさせたのであれば申し訳ない。国民の一人として当然思うことはあると思うが、それを口にするかどうかは自分が置かれた立場をおもんぱかって対応すべきだ」と述べた由。

「〜のであれば」という仮定法でごまかすのがいただけないだけではない。
「国民の一人として」思うことは問題ない、とまさか容認しているわけではあるまいが、「思っていても立場上言うのはまずい」と言ったも同然なのだ。
威嚇も殺傷も可能な「実力」を付与されている自衛官を素手の「国民」と同列に扱うことはできない。
こうした屁理屈で事件を収束させようというなら、シビリアンコントロールを放棄するものだ。

繰り返すが罵声はファシズムの露出であり、国民に牙をむいたに等しい。

【NHKニュースWeb】「お前は国民の敵」自衛官から罵声浴びた 民進 小西参院議員

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180417/k10011407101000.html

*******

浜田知明の「初年兵哀歌」シリーズと従軍体験

◆東京美術学校を出た年に初年兵として中国大陸に渡った浜田知明は、通算5年ものあいだ兵役に就いた。
戦後本格的に銅版画に取り組んだのは1950年から。代表作となる『初年兵哀歌』シリーズは1951年に始まる(当時は川崎市登戸に住んでいた)。

浜田知明「初年兵哀歌(銃架のかげ)」-A.jpg
浜田知明「初年兵哀歌(銃架のかげ)」(1951年)

◆画面左に立つ銃の影と床に横たわる芋虫かボロ切れのような初年兵たち。
一番手前、クギかピンが刺さった初年兵は、銃剣の影に刺し貫かれているように見える。

「肉体的な苦痛は耐えられないことはない。もっとつらいのは、むしろ精神的なもので、人間性を抹殺され、プライドを傷つけられることである」(吉田浩『浜田知明聞書 人と時代を見つめて』西日本新聞社、1996年)と語る浜田が、戦後日本が再軍備の道へと動き出す世情を作品に取り上げることは必然であった。

浜田知明《よみがえる亡霊》1956年.jpg
浜田知明「よみがえる亡霊」1956年
◆暗い海に海中から浮き上がって来た軍艦。マストは上半分が勲章や大綬を帯びた将軍の姿で、ヒゲと目が恐ろしげだがその一つ目の顔は、眼を閉じたもう一つの顔と一体になっている。
「水漬(みづ)く屍」の表徴であろうか。

ここまで明確に告発の意志を表現した人がいたであろうか。


*写真、浜田氏の言葉ともに町田市立国際版画美術館「浜田知明 100年のまなざし展」リーフレットによった。


シリア空爆――浜田知明の版画(1)[2018年04月15日(Sun)]

◆アメリカによるシリア空爆についてアベ首相はNSC(国家安全保障会議)を開き「米英仏の決意を支持」としつつ「(軍事)行動を理解」とロシアへの言い訳も用意して鵼(ヌエ)的態度を表明した。
いずれにせよ、奪われる命へのまなざしはツユほどもない。

ぶら下がり取材で記者団に述べた「米英仏との連携を指示した」というコメントに至っては「連携」が具体的に何を指すのか不明である。突っ込んで訊いた記者がいたかどうかも不明。

浜田知明展《ボタン(A)》.jpg
浜田知明「ボタン(A)」1988年
(町田市立国際版画美術館「浜田知明 100年のまなざし」展リーフレットより)

◆化学兵器であれ核兵器であれ、ボタン一つで世界は地獄となる。
最初の人物の指令こそ頭の中を幾巡りかして発出するにしても、指示を受けた2番手はたった一巡りでその先へ。
3番手、前線の軍人(ブーツを履いている)は機械的にボタンを押すだけだ。
首の上に載っているのは風船かボロ切れを丸めたものか、判断する頭は不要なので目鼻の無いのっぺらぼうがこっち向いてホイ、というわけである。

◆現代の各国トップはせいぜい2番手以下の頭脳であるらしいと思うにつけ背筋が凍る。

*******

◆浜田知明には「ボタンを押す人」(1990年)という彫刻作品もある。

浜田知明[ボタンを押す人]1990_0004-A.jpg
 神奈川県立近代美術館「浜田知明展」(2000年)図録より

【浜田知明の彫刻】(2017年4月25日記事)
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/481



「#国会前いい土地ですから正門前へ進みましょう」[2018年04月14日(Sat)]

国会前、再び解放区に

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◆14日、国会正門前道路が再び人波で埋まった。
2015年夏の戦争法抗議の国会包囲以来だ。

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◆文書改竄・行政と国富・刑事事件もみ消し……疑惑と隠蔽にまみれた内閣の退陣を求めて5万を超す人々が国会前に集まった。
これほど「ウソをつくな!」と国民から言われた首相が憲政史上いたであろうか?

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◆風で立ち上がらせる吹き流し(?)が2組登場。
「安倍ハヤメロ」「イノリマス」と書いてある。
これはその後正門前に移動した。

◆国会前の広い道路が決壊したのは、「Stand for Truth」による集会後半、若者たちの「前へ!前へ!」コールが沸き起こるとほぼ同時、午後3時40分ごろだった。

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◆ツイッターでは「#国会前いい土地ですから正門前へ進みましょう」という傑作ハッシュタグで、決壊後人々が前へ前へと進む様子がツイートされていた。

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国会・行政の私物化は終わりを告げようとしている。
与党の御歴々に詰め腹を切らせる力もないなら何をか言わんや、だ。



てんで! その覚悟がないんだな、あいつら[2018年04月13日(Fri)]

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 ハナミズキ(町田市国際版画美術館で)

*******

朝の生活    石垣りん
    築地魚市場

荷揚げ場は海のまないた
ぬれた石だたみの上で
町が食事の用意をする

魚はシッポを握られる
人間は損得の帳尻を握られる
小車は梶棒を握られる
どうにも自由のきかない
まないたの上の朝だ

魚は身をひきしめていう
死んでも腐ったりしないつもり

大事なのは覚悟だ
食われる覚悟
食わせる覚悟
てんで!
その覚悟がないんだな、あいつら
向こうはち巻きで
夜明けの男たちがなげいた

それを聞いて
議事堂の
会社の
応接間の
椅子という椅子が腹をかかえて笑った
まったく
食えないのが多くなったからな
声なきその声は
誰の耳にも届かなかった

位どりのない
青天井の下の台所で
船は白いエプロンをつけて
静かにつぶやいた
「きのうと同じ料理をするわけにはいかないのよ」

石垣りん『夜の太鼓』〈自作について〉より(ちくま文庫,2001年)

◆さまざまに読める詩だが、はっきりしているのは、ここで自分の言葉を持っているのはセリにかけられる「魚」たちであり、議事堂や会社や応接間の「椅子」たちであり、白いエプロンをつけた「船」であり、人間では夜明けの魚河岸で立ち働く向こうはち巻きの男たちであって、議事堂や会社の椅子に座っている人間たちではない、ということだ。

「食われ・食わせる」覚悟で身を引きしめている魚たちに引き換え、あいつら=椅子の上に座っている者たちには「てんで/その覚悟がない」――それが汗みずくで働く庶民の「声なき声」だ。
だがその声は、「声なき声」という言い方で空とぼけた岸信介総理がそうであったように、椅子に乗っかっているエライ人の耳には聞こえない。

◆だが、議事堂の椅子たちには聞こえているのだ。
当然、椅子に座った閣僚・官僚の内心のツブヤきも流す脂汗も椅子たちには分かっている。

教育は金儲けの道具だとソロバンをはじく理事長の椅子も、官邸で応接した側近たちが「首相案件」を口するのを聞いた椅子も、上に座ったのが「まないた」の上に身を横たえる「覚悟」がてんでない、性根の腐った者ばかりであることをしみじみ分かっているだけに、爆笑するのは当然の話だった。

◆さて最終連、「位どりのない青天井の下の台所」とは船が陸揚げしたマグロなど高級魚が供される食卓のことだろう。包丁をさばく者の「昨日と同じお料理をするわけにはいかないのよ」とは、毎日判で押したようにつましいおかずが続く庶民への申し訳なさを言いわけするようで可笑しい。
同時に、寿司や刺身をほおばる「椅子の上の人々」への痛烈な皮肉にもなっている。

◆「辞めるということは、はっきり申し上げておきたい」とは口先だけでその覚悟はツユほどもなく、「その件は回答を控えさせていただく」「仮定の話には答えられない」「手続きは適正だった」等々の言い訳が続くだけでは、主権者に毎日イワシの小骨ばかり食べさせるような話だ。

――明日の国会正門をイメージしたら、そんな深読みをしてしまった。

「Stand for Truth」のサイトで多彩なプラカードを公開している。
https://standfortruth.jp/card.html

むろん手書きのプラカードを手にはせ参じるのも大いに良いでしょう。
同じ料理を毎日食べていても、昨日までとは違う政治を私たちは求める。

石垣りん夜の太鼓.jpg



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