リュウキュウから来た祖父
[2007年03月28日(水)]
本日、身元未判明の日系3世の家族がマニラ事務所に来所され、私たちの面接に応じていただきました。
1世は、1880年代にフィリピンのボホール島に渡られたという人物です。その後、フィリピン人女性と結婚し、19世紀末から20世紀初頭にかけて5人のお子さん(2世)をもうけました。残念ながらそのお子さんたちは既に亡くなられています。なので今回、その2世の子(3世)の1人が事務所に訪れ、祖父や父の日本人性について話を聞きました。
しかしながら、3世自身は祖父についての記憶がなく、会ったことがあるかどうかも記憶していません。ただ、2世である父が語っていた祖父についてのわずかな話を聞くことができただけでした。
ただ、数すくない貴重な3世の話の中で、印象的だったのは、
「私の父が言うには、私の祖父は、『リュウキュウ』というところから来たらしい。」
と、リュウキュウという地名が日本に存在するのかどうかもわからない3世が答えました。
リュウキュウ、とは、戦後生まれの我々にはなじみの薄い言葉ですが、恐らく「琉球」と書ける土地、つまり今の沖縄ではないかと想像できます。
私は、この一言や、面接中にぽつぽつと飛び出てくる父が語っていた祖父の日本人姓を証明するようなエピソードなどから、今から110年以上も前に、遠くフィリピンの地にたどり着いた3世の祖父の存在の真実を、断片的ながら想像することができました。
私の未熟なフィリピノ語と、1世の存在を現実的に知らない3世、という非常に不利な状況の中で数時間をかけて何とか聞き取りを終了しました。
面接終了後、今回の面接を元に更に身元捜し調査を進めていく、という約束をしました。
PNLSC事務局スタッフ(S・S)(於マニラ)
1世は、1880年代にフィリピンのボホール島に渡られたという人物です。その後、フィリピン人女性と結婚し、19世紀末から20世紀初頭にかけて5人のお子さん(2世)をもうけました。残念ながらそのお子さんたちは既に亡くなられています。なので今回、その2世の子(3世)の1人が事務所に訪れ、祖父や父の日本人性について話を聞きました。
しかしながら、3世自身は祖父についての記憶がなく、会ったことがあるかどうかも記憶していません。ただ、2世である父が語っていた祖父についてのわずかな話を聞くことができただけでした。
ただ、数すくない貴重な3世の話の中で、印象的だったのは、
「私の父が言うには、私の祖父は、『リュウキュウ』というところから来たらしい。」
と、リュウキュウという地名が日本に存在するのかどうかもわからない3世が答えました。
リュウキュウ、とは、戦後生まれの我々にはなじみの薄い言葉ですが、恐らく「琉球」と書ける土地、つまり今の沖縄ではないかと想像できます。
私は、この一言や、面接中にぽつぽつと飛び出てくる父が語っていた祖父の日本人姓を証明するようなエピソードなどから、今から110年以上も前に、遠くフィリピンの地にたどり着いた3世の祖父の存在の真実を、断片的ながら想像することができました。
私の未熟なフィリピノ語と、1世の存在を現実的に知らない3世、という非常に不利な状況の中で数時間をかけて何とか聞き取りを終了しました。
面接終了後、今回の面接を元に更に身元捜し調査を進めていく、という約束をしました。
PNLSC事務局スタッフ(S・S)(於マニラ)


