ピンダサンにて
[2008年02月09日(土)]
ピンダサンにて、90歳になろうとするフィリピン人女性から話を聞いた。その女性は、1937年くらいにセブ島から、ミンダナオ島ピンダサンに来たと言う。
当時、ミンダナオ島は、一大アバカ(マニラ麻)の産地として、周辺のフィリピンの島々に住むフィリピン人をミンダナオ島に呼び、移住させ、アバカプランテーションで働かせた。ピンダサンにも多くのフィリピン人が訪れ、私が聞いた限りでは、セブ島出身者が多かった。
いつかのブログで書いたかと思うが、ある日系2世の話によると、ミンダナオ島は本来、バゴボ族など民族によって自己のアイデンティティーを確立させる人間集団によって成立していた。
そこに、スペイン人、アメリカ人、日本人と呼ばれる資本主義集団が海を渡ってやってきて、近代的社会を形成していった。そして、これら資本主義集団が徐々に多くの被雇用者を必要とする産業機関をミンダナオ島内に構築し始め、それに伴い、ミンダナオ島周辺に住む比較的貨幣経済などに慣れた人々をミンダナオ島に呼び寄せ、雇い始めた。
1935年前後のセブ島などでは、ミンダナオ島に行けば仕事がたくさんあり、頑張れば頑張るほど自由に土地を得、豊かな生活がおくれる、というような宣伝が流れ、その宣伝に乗ってミンダナオ島行きの船に飛び乗る人々がたくさんいたという。そういった、ミンダナオ島以外のフィリピンの島々からやってきた人々がいわゆるミンダナオ島内において「フィリピン人」と呼ばれていた。
そう考えると、ミンダナオ島におけるフィリピン人の歴史、というものはここ100年あるかないか、というほどである。つまり、ミンダナオ島の歴史の本質的なところを探ろうとするならば、国民という観点以上に、民族という観点により重きを置いて見たほうが良いのかもしれない。
例えば、ミンダナオ島の少数民族の一つであるマノボ族は、本来「マノボ」と言う言葉が彼らの言語では「人間」という意味をなしており、その世界観は、現在我々が二足歩行で火と道具を使う動物全てを「人間」と定義している感覚とは大きく異なる。
その認識の相違においてどちらがより正しいと言うものはなく、それぞれの定義が異なるという事実を冷静に俯瞰的に認識することで、今現在ある自分の価値観がいかに普遍的なものではなく、大きな社会に従うように流動的であることを知る。
PNLSC事務局(S.S 在ダバオ)
当時、ミンダナオ島は、一大アバカ(マニラ麻)の産地として、周辺のフィリピンの島々に住むフィリピン人をミンダナオ島に呼び、移住させ、アバカプランテーションで働かせた。ピンダサンにも多くのフィリピン人が訪れ、私が聞いた限りでは、セブ島出身者が多かった。
いつかのブログで書いたかと思うが、ある日系2世の話によると、ミンダナオ島は本来、バゴボ族など民族によって自己のアイデンティティーを確立させる人間集団によって成立していた。
そこに、スペイン人、アメリカ人、日本人と呼ばれる資本主義集団が海を渡ってやってきて、近代的社会を形成していった。そして、これら資本主義集団が徐々に多くの被雇用者を必要とする産業機関をミンダナオ島内に構築し始め、それに伴い、ミンダナオ島周辺に住む比較的貨幣経済などに慣れた人々をミンダナオ島に呼び寄せ、雇い始めた。
1935年前後のセブ島などでは、ミンダナオ島に行けば仕事がたくさんあり、頑張れば頑張るほど自由に土地を得、豊かな生活がおくれる、というような宣伝が流れ、その宣伝に乗ってミンダナオ島行きの船に飛び乗る人々がたくさんいたという。そういった、ミンダナオ島以外のフィリピンの島々からやってきた人々がいわゆるミンダナオ島内において「フィリピン人」と呼ばれていた。
そう考えると、ミンダナオ島におけるフィリピン人の歴史、というものはここ100年あるかないか、というほどである。つまり、ミンダナオ島の歴史の本質的なところを探ろうとするならば、国民という観点以上に、民族という観点により重きを置いて見たほうが良いのかもしれない。
例えば、ミンダナオ島の少数民族の一つであるマノボ族は、本来「マノボ」と言う言葉が彼らの言語では「人間」という意味をなしており、その世界観は、現在我々が二足歩行で火と道具を使う動物全てを「人間」と定義している感覚とは大きく異なる。
その認識の相違においてどちらがより正しいと言うものはなく、それぞれの定義が異なるという事実を冷静に俯瞰的に認識することで、今現在ある自分の価値観がいかに普遍的なものではなく、大きな社会に従うように流動的であることを知る。
PNLSC事務局(S.S 在ダバオ)


