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フィリピン日系人リーガルサポートセンター

NPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンター(通称PNLSC)は、フィリピン日系人、とりわけ太平洋戦争とそれに続く混乱により日本人父と死別または離別し、現地に残された二世(残留日本人2世)の法的・社会的支援を目的に発足したNPO(特定非営利活動法人)です。

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カラガ(カラガまで) [2007年10月29日(月)]
 ダバオ日系人会館でフィリピン残留日本人の皆さんと面接をしていると、面接の中で述べられる日本人移民の足跡をたどるために、その場所に実際に行ってみたい、と、よく思う。その中の一つが、カラガであった。

 カラガは、ダバオ市から北東に位置するダバオオリエンタル州の街の一つである。
イスラム教徒の断食明けの祭りの日の休日を利用し、友人Wさんと彼のバイクに乗り、途中休憩も含め、約7時間かけて、カラガに向った。

 朝4時にダバオ日系人会館で待ち合わせ、24時間営業のガソリンスタンドでガソリンを満タンにした。4時間ほどで、マティという、最近、市に格上げされたようだが、ダバオ市などに比べるとまだまだ小さい規模の街にたどり着き、そこで朝食をとった。

 上述したようにその日は、イスラム教徒の断食明けの休日で、マティ地域に住むイスラム教徒が、トライシクルに乗り込み、国道上を長蛇の列を作り、町の郊外から街中にあるらしいモスクへ向ってパレードしていた。平和な光景であった。

 イスラム教徒の断食、ラマダンの開始と終了は、月の満ち欠けによって決まり、グレゴリウス歴に基づく現在の日本人が用いている太陽暦ではあてはめられないところがあり、その年によって開始と終了の日は異なる。また、ラマダンの最終日の次の日は、満月となり、預言者イブラヒムへの生贄の象徴とされる羊を皆で食べながら、その日を月明かりの中、夜まで祝う。

 私が以前滞在していたセネガルでは、住民のほとんどがイスラム教徒で、そこでもラマダンの最終日の次の日には、私が世話になっていた家族が飼っていた羊を殺し、皮をはいで様々な料理にして祈りを捧げながら肉にありついたのを記憶している。死んだ羊を男性たちが手早く羊の皮をはいでいく様子は、以前読んだ、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』に出てくる、戦中、羊の皮をはぐことが得意なモンゴル人に捕らえられた日本兵が、皮をはがれていく拷問の稿を思い出させるものがあったが、それはそれである。

 マティ、という知名の正式な由来について私は知らないが、セネガルのイスラム教徒の女性で、マティ、という名前をたびたび聞いたことがあり、ひょっとするとこのマティ、という地名は、元々はイスラム教徒によって開拓され、開拓者の1人である女性の名前を街の名前として定められるようになったのではないか、と思った。

 マティでの朝食後、私たちは、更に東に向う。

 マティからの道路は、これまでの道路と異なり、セメントによって舗装されていないところが多く、ところどころ舗装中の箇所を除けば、土と砂と石によって構成されていた。

 山肌を削るようにして出来た道には、砂塵が舞い、でこぼこ道で跳ね上がるバイクが尻を突き、多少険しい道のりであったが、周囲を見渡せば、ミンダナオの土壌に映えるうっそうとした緑とそれを取り囲むような青い海が広がり、ようやく本格的なミンダナオの原風景に近づいたような気にさせてくれた。


<マティからカラガまでの道からみえる風景。中央に見える半島は、『眠る恐竜』という名が付けられている。左側から頭⇒胴体、という風に見えるかららしい。>

 マティからカラガまでは、舗装中の道路が多い。その一箇所で、舗装工事にカラガ出身の身元未判明残留日本人Mさんの息子が従事している、というので、工事に携わっている労働者の顔をみながらバイクを走らせていると、その人物に結構簡単に遭遇できた。

 Mさんの息子は、細身でおとなしい人で、私は、以前何度か会ったことがある。細い体のどこから出てくるのだろう、と思うほど炎天下の中大量の汗をかきながら、金槌で次の舗装場所となる箇所のマークとなる大きな杭をたたきつけていた。

 バイクから突然呼び止められて驚いたようであったが、ヘルメットを取って顔を見せると、笑顔を見せてくれた。仕事中ということで、現場監督の目も光っていて、挨拶を交わす程度でしかなかったが、お互いの無事を確認できてよかった。

 この舗装道路の工事は、余り安定性のない政府の予算によって賄われており、予算が取れなくなると自動的に仕事がなくなり、労働者たちは路頭に迷う。Mさんの息子もそういった環境におかれており、いつ仕事が急になくなるかわからない状況、しかも恐らくさほどの高収入を得ることができないフィリピンの肉体労働事情のなか、懸命になって働いている。

 私たちは、砂とたびたび追い抜かれるディーゼルエンジンの自動車が吐き出す排気ガスによって鼻の穴を真っ黒にしながら、ようやくカラガについた。太陽は、真上に向おうとしていた。

PNLSC事務局(S.S 在東京)
Posted by pnlsc at 10:15 | 事務局便り | この記事のURL | コメント(0)
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