リパダス(ハゴタン)
[2007年10月16日(火)]
Mさんのお宅の隣には、Mさんの娘さんのご家族が築40年という年代を感じさせない頑丈な木材を使ったシンプルな家に住んでいた。そこで少し休憩したあと、じゃ実際にまずはハゴタンを拝見させてもらおう、ということで外に出た。ハゴタンは、その家のすぐ裏手にあった。

<ハゴタン(現在も使用中)>
ハゴタンとは、マニラ麻を精製するための鉄製の道具で、戦前のダバオ日本人移民のアバカ加工風景によく出てくる。現在、身近なところでは、カリナンにある、日本フィリピン歴史資料館に今は使われていない当時のハゴタンがそのまま展示されていて、気軽に観ることができる。
しかし、今回観るハゴタンは、現在も使用されているものである。
これまで出会ったダバオ在住のどのフィリピン人に尋ねても、現在も動いているハゴタンなど存在しない、と言われていたのだが、今回、Mさんの家族がそれを所持していた。
30年ほど前に、シリブという、戦前アバカ栽培で盛んだったリパダスから少し離れた村に使われなくなったハゴタンがあり、それを当時、900ペソで購入しリパダスのMさん家族の住んでいるところに運んできたという。
関心のない人にとっては、単なる古臭い鉄製のマニラ麻加工機であるが、私としては、まさか未だにハゴタンが普通の山村に存在し、しかも未だに動き、使用されている、という事実をこの目で確かめることが出来たのは、感激であった。
ハゴタンを実際に動かしているMさんの娘婿が、ハゴタンの背に貼り付けてあったブリキの板を指し「なんて書いてあるの?」と私に尋ねた。
そこには、「水野式ハゴタン」と明確な日本語が刻まれていた。このハゴタンの製造元らしき住所と製作元名もそのブリキの板には刻まれていた。住所は「日本名古屋市」とあった。このハゴタンは、戦前日本の名古屋で製造され、そしてはるばるミンダナオ島までやってきたのであろうか。そして戦後は、板に書かれていた日本語が読めない人々によって用い続けられた。歴史的資料ではなく、Mさん家族の生活必需品として存在しているこのハゴタンのたくましさを痛感した。ここまで長きにわたり使い続けられている道具をみると、それそのものは無機物であり、また私自身のものではないのだが、固有名を与えたくなるほど愛着を感じる。
加工するアバカは手元になかったが、私に気を使って少しだけ動かしてくれた。
しっかり動いた。自動車マニアが自慢のエンジンをふかすとき、「ブーン」という私のような自動車に興味のない人にとっては単なる騒音でしかありえない音に酔いしれる気持ちが少しわかる気がした。エンジンの回転音と、ハゴタンが動くことによって鉄がすれる音を聴きながら、一瞬だが、当時の日本人移民時代に実際に触れた感覚を覚えた。
「これ(未だに動くハゴタン)こそが、日本人の宝だ」と、大声で言いたかったが、誤解を招く可能性があるかと思い、遠慮した。
ハゴタンは、ニッパ椰子の葉でできた屋根に覆われ、大事にされていた。
ついでにMさんの娘婿は、その屋根に釣り下がっている、フットボールを半分に切った程度の大きさの釣鐘を指し、
「これは、戦中に誰かが置いていった、ミサイルの先だよ」と教えてくれた。

<元ミサイル、今釣鐘>
そばにあったトンカチでそれをたたくと、「カーン」という良い響きがした。この音で当時の戦争の様子を思い浮かべることはなかったが、かつての大量殺人兵器の先っぽが、いい音色を放つ釣鐘となっている、というギャップになんともいえない面白みを感じた。このような面白みは、なかなか日本では味わうことが出来ない。
生きたハゴタンに出会った感動をシェアできる人が、余り私の周囲にいなさそうなのが残念なのだが、それはそれで仕方ない。いずれにせよ、日本人移民について考えを一歩深めるよい出会いとなった。
PNLSC事務局(S.S 在ダバオ)

<ハゴタン(現在も使用中)>
ハゴタンとは、マニラ麻を精製するための鉄製の道具で、戦前のダバオ日本人移民のアバカ加工風景によく出てくる。現在、身近なところでは、カリナンにある、日本フィリピン歴史資料館に今は使われていない当時のハゴタンがそのまま展示されていて、気軽に観ることができる。
しかし、今回観るハゴタンは、現在も使用されているものである。
これまで出会ったダバオ在住のどのフィリピン人に尋ねても、現在も動いているハゴタンなど存在しない、と言われていたのだが、今回、Mさんの家族がそれを所持していた。
30年ほど前に、シリブという、戦前アバカ栽培で盛んだったリパダスから少し離れた村に使われなくなったハゴタンがあり、それを当時、900ペソで購入しリパダスのMさん家族の住んでいるところに運んできたという。
関心のない人にとっては、単なる古臭い鉄製のマニラ麻加工機であるが、私としては、まさか未だにハゴタンが普通の山村に存在し、しかも未だに動き、使用されている、という事実をこの目で確かめることが出来たのは、感激であった。
ハゴタンを実際に動かしているMさんの娘婿が、ハゴタンの背に貼り付けてあったブリキの板を指し「なんて書いてあるの?」と私に尋ねた。
そこには、「水野式ハゴタン」と明確な日本語が刻まれていた。このハゴタンの製造元らしき住所と製作元名もそのブリキの板には刻まれていた。住所は「日本名古屋市」とあった。このハゴタンは、戦前日本の名古屋で製造され、そしてはるばるミンダナオ島までやってきたのであろうか。そして戦後は、板に書かれていた日本語が読めない人々によって用い続けられた。歴史的資料ではなく、Mさん家族の生活必需品として存在しているこのハゴタンのたくましさを痛感した。ここまで長きにわたり使い続けられている道具をみると、それそのものは無機物であり、また私自身のものではないのだが、固有名を与えたくなるほど愛着を感じる。
加工するアバカは手元になかったが、私に気を使って少しだけ動かしてくれた。
しっかり動いた。自動車マニアが自慢のエンジンをふかすとき、「ブーン」という私のような自動車に興味のない人にとっては単なる騒音でしかありえない音に酔いしれる気持ちが少しわかる気がした。エンジンの回転音と、ハゴタンが動くことによって鉄がすれる音を聴きながら、一瞬だが、当時の日本人移民時代に実際に触れた感覚を覚えた。
「これ(未だに動くハゴタン)こそが、日本人の宝だ」と、大声で言いたかったが、誤解を招く可能性があるかと思い、遠慮した。
ハゴタンは、ニッパ椰子の葉でできた屋根に覆われ、大事にされていた。
ついでにMさんの娘婿は、その屋根に釣り下がっている、フットボールを半分に切った程度の大きさの釣鐘を指し、
「これは、戦中に誰かが置いていった、ミサイルの先だよ」と教えてくれた。

<元ミサイル、今釣鐘>
そばにあったトンカチでそれをたたくと、「カーン」という良い響きがした。この音で当時の戦争の様子を思い浮かべることはなかったが、かつての大量殺人兵器の先っぽが、いい音色を放つ釣鐘となっている、というギャップになんともいえない面白みを感じた。このような面白みは、なかなか日本では味わうことが出来ない。
生きたハゴタンに出会った感動をシェアできる人が、余り私の周囲にいなさそうなのが残念なのだが、それはそれで仕方ない。いずれにせよ、日本人移民について考えを一歩深めるよい出会いとなった。
PNLSC事務局(S.S 在ダバオ)




なんとなくこの水野式3輪自動車
が妖しそうです。
http://www.mizuno-iw.co.jp/
でしょうか?
名古屋の企業です。