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お土産[2009年02月06日(金)]
オフィスで働いていると、来所した日系人の方々からお土産を頂くことがあります。


今日は,日本旅券の取得を支援して欲しい,とある日系人が来所されました。
彼女は,どうしても戸籍が見つからず,きょうだいらと就籍の申立をしていたのですが,なんと申し立て中に再度手を尽くして戸籍を捜したところ戸籍を発見!しかもカテゴリーAだった(2世本人らの名前が既に戸籍に登載されていた)というケースです。

そして,彼女が持ってきてくれたのが,かごいっぱいのおもち!
緑のはっぱに包まれたもち米を蒸したものです。
かわいいでしょ?




頂く暇がないので,まだ味はみていませんが,手作りならではの素朴な味わいなのでしょう。

Posted by pnlsc at 16:55 | 事務局便り | この記事のURL | コメント(1)
Year of the ox!(今年は丑年)[2009年01月28日(水)]
明けましておめでとうございます!

1月も終わりなのに・・・とお思いかもしれませんが、今日は旧暦では1月3日・・・。
ということで、遅れての新年の挨拶をお許しください。

私は先週金曜にマニラに到着し、マニラ事務所にて勤務しております。
昨年は主にダバオでしたが、今年は大都市マニラでの勤務、気を引き締めて業務遂行にまい進する所存です。

さて、タイトルにもあるように今年は丑年。中国系の多いフィリピンでも、旧暦の正月は盛大に行われたようです。その様子は伝えられませんが、代わりに田舎で撮ったカラバオ(水牛)たちの写真をどうぞ。

今年もPNLSCをどうぞよろしくお願いいたします!
 (Y.I)


Posted by pnlsc at 11:41 | 事務局便り | この記事のURL | コメント(0)
今年もお世話になりました![2008年12月26日(金)]

日頃から、当団体の活動にご理解とご協力を賜り、感謝申し上げます。
会員の皆様、に支えられ、無事に1年の業務を終えることができました。
また、就籍プロジェクトに大きな支援をいただいております、日本財団の皆様にもこの場を借りて、感謝申し上げます。






来年は5日からの始業となります。

皆様、よいお年をお迎えくださいませ。
Posted by pnlsc at 16:17 | この記事のURL | コメント(0)
メリークリスマス![2008年12月22日(月)]

12月14日、マニラでは早めのクリスマスパーティーが催されました。参加人数は200人ほどで、準備した会場はぎゅうぎゅうに埋め尽くされました。








主催はマニラセントラル日比日系人会で、「今年1年の感謝を込めて盛大なものにしたい!」という会長らの意向で、出し物あり、食事あり、ギフトありの楽しい会となりました。

来年もよい年になりますように・・・。
Posted by pnlsc at 12:24 | 事務局便り | この記事のURL | コメント(0)
今年もやります![2008年12月18日(木)]


今年も残すところ、あとわずかとなりました。
PNLSCでは、在日フィリピン人のネットワーク作りを支援しており、夏にはバーベキュー、そしてこの時期にはクリスマス会を開催しています。

毎回たくさんの日系人が交流を深める場として、クリスマス会を楽しみにしていらっしゃいます。また、今回はJFCネットワークと共同で開催し、更に楽しい場になること、必至です。

お時間のある方は是非、ふるってご参加くださいませ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(以下、詳細)

★ 日時:2008年12月21日(日)
12:00〜16:00

★ 集合場所・会場
集合:JR高田馬場駅早稲田口改札に11:00
※直接会場にいらっしゃる方は、12:00に早稲田大学大隈ガーデンハウス2F(大隈講堂裏手)

★参加費1000円(食事、飲み物、ビンゴ参加代込)
※食事、飲み物の持ち込み大歓迎です!

★参加方法(事前申込み)
下記の電話又はEmailにて『お名前』『ふりがな』『連絡先メールアドレス(携帯アドレスOK)』を明記の上お申込みください。
Posted by pnlsc at 16:08 | イベント情報 | この記事のURL | コメント(1)
プロジェクト進捗会議、セブにて。[2008年04月18日(金)]
 就籍プロジェクトの進捗その他を話し合う、プロジェクトマネージメント会議が、セブのフエンテペンションハウスで開かれ、PNLSC代表の河合弘之弁護士はじめ、プロジェクトに参加する各地の日系人組織の代表が参加した。開催地のセブ日系人会メンバーも、オブザーバーとして列席し、総勢30人余の会議となった。

会議は準備に奔走してくれたセブ日系人会会長による日本語の挨拶で始まった。
フィリピン側でプロジェクト推進主体となっている、PNLSC Inc(PNLSCフィリピン)の拡大理事会でもあるため、同法人の2007年度決算報告や会員ルールなどの議論もなされたが、中心議題は就籍プロジェクトとその戦略、今後についてである。

河合弁護士は、@日本で、フィリピン日系人問題に取り組む議員連盟がまもなく発足することA3月末にダバオの神山3兄弟に新たに就籍許可がおりたことBプロジェクトU期は121件の目標中、18件の申立てが完了していること、現在54件が東京家裁に係属中であり、うち38件が身元未判明ケースであること、裁判所からの問い合わせが増えており、時間はかかっているがじょじょに許可がおりる見通しはあることから、もうしばらく待ってほしいこと などを報告した。

フィリピンにおける証拠収集、作成の過程でネックとなっている遅延登録の問題、その解決に向けたとビー活動の方法等も話し合われた。
7月半ばに実施する集団帰国の枠組みについても合意、また在比、在日日系人向けに発行している『Nikkei-jin News』の編集委員も決まった。

各地からの報告では、これまで任意団体であったが、PNLSCInc同様、最近、法人登録を完了したというカラガ日系人会会長からの報告、数年ぶりに3月に総会を開き、選挙を実施したというカガヤンデオロ日系人会会長からの報告などを聞くことができた。
就籍プロジェクト及び今回のようなプロジェクトマネージメント会議に参加し、情報交換をすることが、各地での活動活性化にどんな形であれつながってほしい、と願っているが、それが少しずつかなってきているようでうれしかった。

毎回、コミュニケーションの難しさ、大切さを痛感させられる会議である。
が、きたんなく意見を交わしあい、場を共有することで、関係と絆が深まっていることは確かである。会場でも河合弁護士が強調していたが、この会議は、日本財団の就籍プロジェクトの一環として実現している。感謝したい。(在マニラ K.I)
Posted by pnlsc at 10:41 | 事務局便り | この記事のURL | コメント(2)
NPO職員 S.SB[2008年04月14日(月)]
 前回から少し時間が空いてしまって、どう続きを書けばよいのか考えながら筆を進める。

 日本で、NPO、PNLSCという職場で働かせてもらうなかで、出会う出来事、感じることは日々新鮮なことが多い。

新鮮さを感じることは、充実した日々を過ごす上で大切な要素であり、人生をそれなりに満喫できている証拠ではある。

 しかし反面、いろんな出会い、経験から新鮮さを感じるということは、これまで30年そこそこも生きてきた私の人生の中で経験することがなかった、という人生経験の未熟さを露呈する、ということにも当てはまる。

 新鮮との出会いは、捉え方にもよるが、私自身の人生にとって新たな経験が蓄積されていくという意味で大抵がよりよいことではある。しかし、私が新鮮だと思っていることを特に新鮮だと思っていない、当然のことだと思っている人たちにとっては、なぜ私が新鮮だと思っているのかについて理解できない。理解できないことが、理解しあうことによってよりよい関係が築けて効率的な作業が行われていく、という過程の妨げになっているのであれば、それは組織の人間としては言語道断である。そういった現状を回避するためには、まず私自身が理解し合える立場になるように努力しならなければならない。新鮮さを感じて満足するだけでなく、その新鮮さがごく自然に自分のものになり、速やかに吸収できるように努めなければならない。

 「新鮮な経験は人生に大切なこと、しかし新鮮を感じることは、自分が物知らずであるということ。」

 この「しかし」以降のことを最近はより強く意識したほうがよい、と思っている。

PNLSC事務局(S.S 在東京)

Posted by pnlsc at 10:20 | 事務局便り | この記事のURL | コメント(0)
NPO職員 S.SA[2008年03月21日(金)]
 
 PNLSCの活動を行っている人間の一例を紹介しながら、活動そのものだけでなく、活動を展開する人間が、いかなるかたちで受益者、被受益者、また、それらを展望、もしくは間接的に接触しているフィリピン、日本社会、更には世界と関係を持っているか、ということを考えたいと思い、書いている。

 と、壮大なことを言いつつ、話は再びミクロになる。

 ワーキングプワーと、ある一部の人々から呼ばれている私ではあるが、とりあえずは私の都内(といってもはずれだが)アパートには雨風を防ぐことができる屋根と壁があり、春夏秋冬に最低限対応した寝具や衣類も(周囲のサポートを受けながら)揃えることが出来ている。食事も(メニューの中身を問わなければ)一日三食は、摂ることができている。つまり、戦時中の食糧難の時期や、現在も世界中で飢餓で苦しむ人々と比べれば、豊かな暮らしを送ることが出来ている。

 しかしながら、人間というものは一人では生きられず、周囲の環境に影響を受けやすい動物である、ということも、自分自身を俯瞰してよく理解できる。

 腹いっぱい食べているにも関わらず、隣の人の食事のほうが豪華だと、それを欲しくなるし、十分に冬の寒さをしのぐことが出来る衣類を持っていても、周辺の人に格好よく観られたい、という願望のためにもっと高価なお洒落なものを手に入れたい、と思う。とりあえずは衣食住を維持できる金銭的報酬を得ておきながら、隣を見るともっと金のかかる衣食住生活を手に入れている人がいて、そういう人をうらやましい、と思う。

 こういった願望(欲望)について、今の私は否定したいとは思っていない。どちらかといえば肯定してもよい、と思っている。しかし、その願望を何のフィルターもなく単純に肯定し続けたりしたら、ひょっとしたらそれは、底の無い泥沼に陥って自分自身が腐ってしまうのではないだろうか、という懸念も心のどこかで抱いている。

 前にも少し書いたが、電車から降りて四谷の事務所に向かうために信号を渡るのだが、そのときよく白い杖を持って点字ブロックに乗って歩く目の見えない方たちをみかける。願望の拡大を目指して通勤先に真っすぐ進んでいく、目が見える人たちの群れに囲まれながら、その人たちはゆっくり前へ進んでいき、たまに私はその人たちがもう少し早く、気楽に信号を渡ることが出来るように手助けをさせてもらう。

 その日もある初老の目の不自由な男性と交差点を渡り、渡った先にある点字ブロックにその方を連れて行って、そこから進む道が違うので別れを告げようとすると、後ろから私たちにぶつかってくる人がいた。私は、ちょっとむっとして「ちゃんと前見て歩けよ。」と思いながらぶつかってきたその人を見た。

 そのぶつかってきた人(女性)も白い杖を持っていた。その女性は私に、「すみません」と誤った。私は、ものすごく恥ずかしくなった。私もとっさにその女性に「すみません」と言ったが、私とは視線をあわすことなくその女性は、初老の男性の後ろをついていくように点字ブロックの上に乗って去っていった。

 私は、私自身にまだまだ見えていないものが無数にあることを自覚しなければならない、と強く思った。底知れぬ欲望にフィルターをかけずに泥沼に落ちて腐ってしまう可能性とは、別に他人事ではなく、自分自身にも大いに当てはまることだというのを改めて思った。

 と同時に、こじつけだと思われるかもしれないが、PNLSC活動を行っていく中でも、私にはまだまだ見えていないもの、活動をよりよくしていくためには見ていかなければならないものは沢山あるはずだと思った。そういうことを思いながらその日、事務所の扉を開けた。

 <補足:以下の話をすると、また長くなるので疑問点だけにするが、例えば、目の見えない方はこの私の文字を点字化、もしくは他人が読み聞かせる中間媒体を得なければ、読むことが出来ない。「こういう世界を私はどう受け止めたらええのか?」と思う今日この頃である。>

PNLSC事務局(S.S 在東京)

Posted by pnlsc at 10:05 | 事務局便り | この記事のURL | コメント(0)
NPO職員 S.S@[2008年03月19日(水)]

 2008年しょっぱなからのダバオへの出張から東京に戻ってきて、1ヶ月以上が過ぎようとしている。

 以下、フィリピン残留日本人支援活動の話とは直接関係するものではないが、それに関わっているNPO職員とはどういったものか、という一例を紹介する。

 東京でお世話になっているある日本人から聞いた話では、私は、現代日本では、「ワーキングプワー」という部類に入るらしい。

 「ワーキングプワー」という言葉を2005年版の広辞苑で調べてみたのだが、見つけられなかった。ということはおそらく2005年以降に生まれた新語か、公式に日本語(外来語?和製英語?)として認定されていない造語なのかもしれない。

 なので、公式な意味は未だによくわからないが、周辺日本人が「ワーキングプワー」という言葉を発しながら会話しているやり取りを聞く限り、「ワーキングプワー」とは、一定時間働いている労働者で、日本の一般社会人の平均収入より低い収入を得ている人々という意味に近いようである。

 私は、自分が「ワーキングプワー」だと指摘されて、「ああ、そうですか。」と答えるしかなかった。

 「ワーキングプワー」とは、捉え方によれば、非常に深刻な社会問題に直面している人々(主に日本人)でもあるようで、「働けど働けど我が暮らし猶楽にならず」と石川啄木がいう、かつてのプロレタリア(Proletariat)とフランスからの外来語で呼ばれた労働者に流行ったような言葉を地で行く人々ともとられているようである。実際、ワーキングプワーであるがゆえにそれが自己否定につながり、精神に障害をきたしたり、自分の将来に希望が持てなくなったりする人々も多いらしい。

 一方、私の場合は、例えば今得ている収入をもってフィリピンに出張に行った際には、一般的フィリピン人よりも比較的裕福な生活をおくることが出来、フィリピンと日本の経済格差に翻弄されながら、いったい自分は世界標準で言えば本当にワーキングプワーなのか、と思ったりしている段階である。そういった状況の中で、自分のこれからの人生に不安がない、といえば嘘になるが、それら不安要素に対して、「どうしようかなあ。」と漠然と考える、時間的、精神的余裕は、わずかではあるが今のところ存在している。

 ただ今いえることは、少なくとも、日本ではワーキングプワーだが、フィリピンではそうではない、というのはある程度事実のようである。

 ということは、とりあえず今の私は、日本、特に世界基準でも物価の高いといわれている東京におり、そこにあるカテゴリーとしてはワーキングプワーだと、主に客観的に認識されているだけである。
 
 つまり、以上の在東京の私の周囲に存在する客観的認識は、見方を変えれば現代日本という世界の中の固有存在が抱く主観的認識ということもできる。

 次回に続く。

PNLSC事務局(S.S 在東京)
Posted by pnlsc at 09:30 | 事務局便り | この記事のURL | コメント(6)
書評:『旋風のダバオ(第1巻)』(非売品)B[2008年03月17日(月)]

書評:『旋風のダバオ(第1巻)』(非売品)B
著者・発行者:大久保福市郎

 この作品(私が読んだのは第一巻だけであるが)を読んで、戦争中盤になって日本からダバオに向かう日本兵が置かれている状況、心境、環境などの一例を知ることが出来る。

 主人公の大保福太郎は、池袋付近の自宅から埼玉県志木に向かい、ダバオに出兵するための事前訓練を受ける。ダバオでは、飛行場建設が彼の任務であった。

 その後、大保やその他日本兵たちは大阪、堺の港まで行き、そこから4千トン級の船に乗る。船は満州方面から南方方面の戦闘に加わる兵隊を乗せるため、下関を通って釜山に向かう。その後は、台湾の高雄を越え、ようやくマニラに到着する。この間、20数日くらいになるだろうか。飛行機で成田空港からマニラ空港まで5時間もあれば行ける現在と比較すると驚くべき長旅である。しかもその旅路は、人間という客を運ぶ旅行のために用意されたものではなく、戦争を行う人間というものを運ぶ箱であり、目的地まで運びきることのみが目的となっているため、船内の環境はどうのこうのという議論は無用である。

 マニラで大保たちはしばらく滞在するのだが、その間に大保がみるマニラの風景から、エレベーター付のホテルがあり、その6階には一時的に日本軍の司令部が設置されていた、ということを伝えてくれる。しかも、そのホテルのエレベーターを興味津々に利用する日本兵たちに大保と行動を共にしていたあるインテリっぽい日本兵が

「アメリカでは全部これ(エレベーター)だよ。」

と、日本の田舎上がりの日本兵に伝えるところなど、既に高度な技術をフィリピンという外国にまで輸出していたアメリカによって建てられた建物の恩恵をうけながらアメリカとの戦争に勝つつもりでいた日本がいかに勘違いしていたのか、ということを皮肉っぽく物語っている。

 その後、コレヒドールを見学し、アメリカは戦争に負けない、と豪語する日本軍の捕虜となっていたアメリカ兵に出会う。しかし、その当時の日本兵は、自分たち以外の世界がどのように動いているのか、ということなど知る由もなく、そのアメリカ兵の発言は一笑に付される。いや、ひょっとしたら遠い日本から魚雷におびえながらようやくフィリピンンにたどり着いた彼ら日本兵にとしては、自らの精神状態を維持するために、一笑に付す以外の選択肢しかなかったかもしれない。

 そうこうしながらようやく、マニラを発ち、数日かけてダバオに到着する。途中、ミンダナオの各都市で、その地に赴任する兵隊を置いていった。全く経験したことのない土地に急に配属された兵隊はどんな気持ちだっただろうか。その地に立ち続けるために必要な大部分の要素としては、精神力であっただろう。そしてその精神力が限界に達し、自己の中で弾け飛んだとき、それは暴力に変化し、どうしようもない戦争の本質へと進化していく。

 東上線の電車に乗り込んだその先が、無数の虱がわき、いつ魚雷で撃沈されるかわからない船であり、その船に乗ってもいつ再び陸にたどり着けるのかわからない無計画な我慢旅行であり、しかもたどり着いた先が、亜熱帯の異人種が住む半密林世界であったとしたら、日本で培ってきた日本の庶民的神経ではやっていけないだろう。

そういったときに、神がかり的な精神論、侍の家系でもない日本人に武士道を押し付けて、神経を膠着麻痺させ、見事に独特の世界観を植えつけていく日本軍部。

そしてそれら押し付けられた世界観の限界がところどころで暴発を重ね、その結果が例えばダバオの日系人社会の破滅であったりした。

 この作品(第1巻)は、ダバオに到着した大保たちが、ダバオで親切な現地の人々と出会い、交流が始まるところで終わり、第2巻以降に続く。

 揺るぐことのない日本の敗戦、という結末は知っているが、そこに至るまでに大保たち日本兵がいかにしてダバオで生きたか、ということを知るためにはやはり第2巻以降は読まねばならない。

 しつこいが、もし、この作品の第2巻、第3巻について何かご存知の方は、ご一報いただけるとありがたい。

PNLSC事務局(S.S 在東京)

Posted by pnlsc at 09:24 | 事務局便り | この記事のURL | コメント(0)
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