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ミサによせて[2007年03月15日(Thu)]
10日の日曜日は、イグナチオ教会で開かれているスペイン語のミサに行った。
私は時々、思い立ったときだけ教会に行き、祈ることがある。しかし、家のペルー人は教会とはまったく無縁の人だ。
その彼が、日曜日に教会に行こうと言い出した。

ミサが始まると、家のペルー人が「信じられない」と小声でつぶやいた。
その理由は、ミサのときの説教だった。ルカによる福音第15章第17節〜第24節は、たとえ話としても有名だから、クリスチャンでない人も知っているかもしれない。
家を飛び出た息子が、放蕩の末家に戻ってくるのだが、父や神にあわす顔がないので、息子と呼ばれる資格はないから、一介の雇い人にしてほしいと願い出る話だ。
社会的な交流の必要に迫られないかぎり、教会に行くことがなかった家のペルー人にとって、自ら教会に赴いたのは、記憶の限りないのだという。
だから、この説教は、まるで自分のことを言っているように感じたらしい。

説教には、「許し」というのもあった。
マルティネス神父様に、家のペルー人が抱えていた問題について相談したとき、ノートのページを新しくめくってしまいましょうと言ったことがある。
「許す」というのは、本当に難しい。それができれば、幸せが訪れると説教は続くが、私も彼もできずにいる。

司祭が、今週亡くなった人たちの名前を読み上げた。一番最初にマルティネス神父様の名前があった。その後にペテロ某さんや、マリア某さんの名前も続く。
私は祈るとき、イエスの顔(といっても、知らないけれど)や十字架を浮かべることがない。私の中で、神様は光でしかない。
でも、これからはいつもマルティネス神父様のことを考えると思う。

うしろに座っていたコロンビア人姉妹が「なんで日本人カップルがスペイン語のミサにいるのかしらね」と言っているのが聞こえた。彼の容貌を見ればスペイン語が母国語だとは、想像できないのも無理はない。
ミサの内容はよくわからないけれど、a diosというのは、何度も聞いた。to Godの意味だ。

ミサの後は、通り雨だった。
駅に向かうと、道端で血だらけの手を眺めながら、座り込んでいるホームレスの人がいた。
教会の帰りのせいか、数人が空き缶にコインを入れていた。
マルティネス神父のお通夜のとき、「マルティネス神父様にはそのときがきたのです」とミサを執り行った司祭様が話していた。
だから、私たちはそのときがいつきてもいいように、後悔なく精一杯生きなくてはいけないと。

ぼろぼろのズボンをはき、鮮血が流れる手を見つめているやせ細った彼は、そのときのために、精一杯生きているのだろうか。もしも、今そのときを待つまでの希望がないのだとしたら、彼の手を取り大丈夫なのとたずねる人がいなければ、そのときをどんな気持ちで待てというのだろうか。
雨の後は急に空気が冷えてしまい、道を歩く人はコートの衿を合わせていた。
死を待つのと、そのときをまつのでは、意味が違う。

私たちは、マルティネス神父様と最後に会ったときのことを話した。
あの日、神父様は、電話をかけてきてすぐに神学院に来るようにと言っていた。
二人で行くと、また神父様にお金を使わせてしまうので、私は仕事を理由に家のペルー人に、一人でいってほしいと頼んだ。
ところが、神父様は、絶対に二人でくるようにと言っているというのだ。
なんでもPCが壊れてこまっているから、直してほしいとのことだった。

神学館につくと、私は神父様のお部屋には入れないので、応接間で待たせてもらうつもりだった。しかし、そのときは神父様が部屋に招きいれてくださったのだ。
確か、以前は上のほうにお住まいだったのだと思う。しかし通されたのは1階だった。
足が悪くなったからかなと漠然と想像していた。

神父様のお部屋にあるPCは、最新のものだったし、彼がいうのPCの症状はそう壊れているのとは違うものだった。しばらくおしゃべりをしたあと、神父様が、今日は夕方から人と会う約束をしているから、夕飯を一緒に食べられないからと、私たちにお金を下さった。
もらうわけには、いかないと言えば、これは神様の命令だと笑っていた。

神父様が、電話で介助の人を呼ぶと、車椅子を押して神父様を玄関まで迎えにきたのだった。私はその後をついていき、外に出た。
玄関にくると、家のペルー人に部屋に本を忘れたから、取りにいってくれと神父様が言った。
あわてて引き返す彼に、神父様は「アディオス!!」と声をかけた。
私は、神父様にキスをし、手を握って別れを告げた。彼がなんども手を振り、神学院迎えにある、引退した神父様たちの介護施設へと行くのを見送ったのだった。

それが最後の別れだ。

それから1週間もたたないうちに、神父様は入院をしたのだと最近になって教えられた。
二度目の入院は、3月7日を予定していたけれど、神父様はたいそう嫌がっていたらしい。
入院の当日に亡くなるというのも、因果なものだと思う。
お正月明けには、もう一人では起き上がれないほど体が弱っていたと聞いた。

家のペルー人が、マルティネス神父様は、あの日元気な自分の姿だけを覚えて欲しかったのだと言った。
なによりもエネルギッシュな神父様は、思うように動けなくなったあと気落ちが激しかったらしい。もしも弱った姿の自分が、私たちにとって最後の姿になったら、なにもできない自分たちを責めるのではないかと、神父様は考えたのではないかとも言う。

招き入れてもらった部屋は、あまりにも整理され、人の気配がなかった。
机の上には、封のあいていないマルボロが置かれていた。タバコがすきな神父様なのだから、部屋はタバコくさいはずなのにそれもなかった。

介護施設に入ってしまえば、もう自由には私たちと会えない。
それがわかっていたから、あのとき私たちを呼びつけたのだという、彼の説明は思い返すほどに合点がいく。
おしゃべりな神父様が、私たちの話をただニコニコと聞いているだけだったのも、妙な感じがしていた。

神父様がなくなってから、ふとした瞬間に私の名前を呼ぶ声を思い出していた。

「忠実なよい僕だ。よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」
カトリックでは、帰天と亡くなることを表現するということを始めて知った。

日本で司祭になった後、ペルーへと渡り40年近く、日系人のために働いてきた人だった。
家のペルー人が生まれたときも、父親がなくなった時のミサも神父様が行っている。
体を壊され、日本に戻ってきた後は、日本で働く日系人や南米出身者のために働いてきた。

宮沢賢治ではないが、
西に困った人がいれば、すぐにその手を差し伸べ、それを惜しまない人だった。それがマルティネス神父様だ。
家のペルー人にとっては、お説教もされることもあったが、神父様が励ましてくれたからこそ、今までくじけそうになっても、仕事を続けてくることができた。

神父様から、家のペルー人に送られた最後のエッセイは、「明日もし自分がいなくなったら」というものだった。
彼は、自分のことをわかっていたのだろうか。

明日いなくなるかどうか、だれにもわからない。
自分の大切な人に、愛しているという気持ちを今日のうちに伝えよう。
それが、彼の最後のメッセージだ。

14日は、神父様が亡くなって7日経つ。
許しあうということをミサで聞いたばかりなのに、喧嘩ばかりしている私たちだ。
気持ちの整理がまだできないまま、仕事への集中力もなくなってしまった。
おろかな私たちは、神父様を失っていろいろなことに気づかされているようだ。

私たちが、もう一度神父様と会えるとき、「よくやった」と褒めてもらえるように、
今自分たちができることを、あきらめないで続けていきたいと思います。
さよならマルティネス神父様[2007年03月07日(Wed)]
昨日の夜からPCの調子が悪くて仕事ができないでいた。
今朝は、朝からてんてこ舞いだった。

いつだったか、忙しいとは心を無くすことといわれたことがある。
今の私はそうかもしれない。
本当は年の瀬に、お世話になっているM神父さまにお目にかかろうと思っていた。
うちは、二人ともカトリックではないけれど、彼はいつも気にかけていてくれた。

M神父様は、私よりもずっと日本が長い。そしてペルーにもずっといらした。
日系ペルー人にとっては、なじみ深いお人だと思う。
彼の日本語は、私よりもずっと丁寧で美しい。

二人でがんばるどころか、低空飛行もいいところの私たちだったが、彼はいつも見守ってくれていた。
数年前に、うつ病になってしまい自暴自棄になっていた家のペルー人に対して、言葉には出さないけれど、励ましてくれていた。
小さな用事を見つけては、私たちに来るようにというのは、一緒に食事をしようといえば、
家のペルー人が窮屈がるからだったのを私はわかっていた。

3人で出かけるときは、私たちのことを孫だよと周りの紹介してくれていた。
典型的なスペイン人の神父様と私たちが似ているとは到底思えないけれど、
私は、その気持ちがうれしかった。

すごく不思議なことだけれど、家のペルー人とひどい喧嘩をして、
この世の中に神様なんていないと悪態をつくと、決まって神父様から電話があった。

本当のPapaが神父様を連れて行ってしまった。
眠るようにして旅立ったと聞いたのだが、後悔の気持ちでいっぱいだ。

もっともっと話したかった。
あいがとうございますと伝えたかった。
これからのことや、仕事のことなど本当につらいとき、彼は笑って指を天に向けたことがある。
「今、上が用意しているところですよ」と。
家のペルー人は、「神父のいう典型的なせりふだ」と言ったけれど、私は彼が伝えようしていたことがわかる。
信じているよと言ってくれたんだ。

思っていたのならば、どうしてすぐにたずねなかったのだろう。
神様に一生仕えた人なのだから、神様がそばにいかれるのに決まっている。
最後にお目にかかったとき、一人で歩くのがつらくなっていた。

おじいさんは困りますねとさびしく笑っていた。
何度もさよならと私たちに言った。

ありがとうございました。
言葉になりません。
なぜもっと会わなかったのか。おろかな私たちを許してください。


弱気なんだな[2007年03月01日(Thu)]
いつも晴れではないとは思うけれど、
私は疲れたな。

すごく疲れてしまった。

体も頭も一つなのに。
そんなにいろいろできない。

要領が悪いからかな・・・
Mariaさんへ[2007年02月20日(Tue)]
コメントに書ききれなかったので、こちらにお返事を書きました。

mariaさん
コメントありがとうございます。
圧力鍋はサイズでいうと5リットルくらいのものです。
形は、これと似ています。

圧力なべサンプル


私のはもう古くて、製造されてはいないですが、16年くらい使っていますが、中のものがでるということはないですね。
思うに、インド製という圧力鍋は、ふたをしめたときに、完全に密封されていないか、蒸気のでるところにつまりがあるかじゃないでしょうか?
危なくないですか?ちょっと心配です。
普通、圧力鍋は安全性を確保するために、蒸気の出口が2箇所あります。なべの上についている煙突みたいなところと、なべのふち(ふたのほう)です。なので、中身がでるほどというのは、なにか問題があるのではないかと思いました。

調理時間は、同じ圧力なべでもかかる圧力具合によって違うので、ついている仕様書みたいのを参考にしたほうがいいのですが、私のなべだと、ご飯は、だいたい8分くらいでたけます。
重石がくるくる回り始めたら(私のは古いので、ふたにこれがついています)、火を弱くし8分。その後火を止めて、自然に蒸気が収まるのを待ちます(蒸らしています)。玄米ならば、倍くらいの時間です。
お米は、水で研いだ後30分くらい置いたものを使っています。

芋は、そのまま食べるときは、スチームをしています。普通に蒸すのと同じです。調理時間は5分から10分くらいです。
さつまいもは、ちょっと時間がかかります。
芋類を料理に使うとき、スープ、シチュー、カレーならば、そのままストックに野菜を入れて、煮てしまいます。
スチームでは、調理の時間がながくても(スチーム時間が長くても)、崩れることはあんまりないですけれど、スープとかでは、ちょっとやりすぎると崩れますね。
私は、自分の圧力鍋だと野菜を8分と調理時間を決めています。
圧力なべでスチームした場合と、普通のおなべでスチームした場合の違いは、芋の味の濃さです。
圧力なべのほうが、時間が短いせいか香りが逃げないし、味もいいように思います。

セコは、たまねぎとにんにくをいためたところに、肉をいれ両面に焼き色をつけます。
そこに、アヒとクアントロをいれ、ひたひたの水、ローリエを入れてふたをします。
時間は、鳥ならば3分くらい、牛すね肉、マトンだったら30分くらい中火で調理します。
肉が煮えたら、ここにジャガイモをいれ、圧力をかけずに火が通るまで煮ています。

塩、こしょうは、肉を入れたときに軽く、ジャガイモが煮えたら、足りない分はちょっと足します。
いつも、こんな感じで作っています。
最近のこと[2007年01月27日(Sat)]
最近どうもコミュニケーションが悪い私達。

10月からずーっとなぜか、忙しい私。忙しくないとまずい仕事なので、仕事があるというのはありがたい。
いくつか、同時に進行しているものもあったりするから、頭に中がいっぱいになってしまっていた。

スケジュールにあわせるとなれば、夜中に仕事することもしばしば。
うちは、二人とも基本的に家で作業していることが多いが、11月と12月にかけて、私は外出が多かった。
旦那は、どちらかというと、ペルー時間で動いているほうが、仕事の都合がいい。
だから、なんとなく夜型になってしまう。
そこで、二人とも夜通し仕事ということなるわけだ。
しかし、彼の仕事には、リサーチとか、もろもろ私の助けを必要とすることがあって、
それは、わかっているんだけれど、彼が忙しくなると、私も仕事が終らないというイライラがでてしまう。

Aという疑問があったら、すぐに答えが欲しい彼。
Aのために答えを探すのには、私の仕事を中断しなくてはならない。

たまに、一人で仕事をしていると、ものすごくリラックスする。
この数ヶ月、でずっぱのことが多かったので、時間制のオフィスを利用していた。
一番安いところを使っていたのだけれど、ものすご〜く仕事が早い。
なんでだろうって考えたら、
誰も私に話しかけないからだ。

納得。

私と彼は似たような仕事をしている。
しかし、仕事環境の好みは全然違う。
方や、なにかと話していないとテンションが上がらないタイプ。おまけに大音量の音楽が好き。あんな状況で、やっていられるのかが不思議。
私は、資料が結構多いので、集中して読んでいないと、頭に全く入らない。
だから、話すこともないし、音楽もよほどのことがない限り流しっぱなしということはない。

仕事の合間にクライアントからの電話があると、さっきまで仏頂面していた私が、愛想よく話しているのが気に入らないと思っているのがよくわかる。
当たり前だ。相手はお客様なんだから。お客様は神様なのだ。

本当に、仕事のことで頭が一杯のときは、それだけに集中したい。
というか、自分のキャパを考えると、そんなに一度にいろいろできない。

うちは、ラテン男らしいオシの強さや頑固さもあるけれど、基本的には、シャイな性格。
自分のことよりも、相手の都合に合わせてストレスをためるタイプだ。
そんな彼だからなのか、
自分のやりたいことを主張しないで、結果的にできないことに腹を立てている。

今日は、ある方にあって話をするために、私はアシスタントとしてでかけた。
夜、どうしても録画したいテレビがあったらしいのだが、話しが終るのが遅くなってしまい。
絶対に間に合わないことがわかって、不機嫌になる彼。
「チスモサ!なんで、あんなに話すんだよ」と怒るので、私は公共の乗り物の中だったが、切れそうになる2秒前だった。

お相手が日本語だったので話しが盛り上がったのと、私にも話を聞いてほしかったというのがあって、相手の話の腰を折って、席を立つわけにいかなかったのだ。
だいたい、私が話すのは、自分のためじゃない。彼のためだ。
それなのに、「二人の話が日本語で長いから、退屈だった」というのだ。

おのれが、日本語で会話できないのが、悪いのだ!

家にいる家人Bに、録画を頼もうかという。
なので、私が電話をしてみたら、夕飯を作っているところだった。
「ご飯作ってるみたいよ」と言ったら、むっすりだんまりの彼。
しばらくして、「録画頼むの?」と聞いたら、もういいと言う。
なんだそりゃ?
駅について、「電話するの?」と再度いうと、料理しているから、録画できないでしょと言うのだ。
ほんと、どうしたら、そういう理屈になるのかわからない。

私は、家人Bが家にいるのかどうか確かめるために電話した。
家人Bは、料理している。つまり、家にいるということだ。大体録画はセットすれば、おわりじゃん。どうして、料理しているが、拒否の言葉に思えるのか、本当に不思議だ。
もしもだ、本当に録画してもらいたいならば、「料理中だと思うが、そこを何とか一つ」と小松のおやぶんのようになって、頼むがよい。

問題起こしたくない
主張したくない
だめと言われるのがいや。

どうせそんな了見なんじゃなかろかと勝手に考えてむかつくわたし。

欲しいのならば、果敢に挑戦せよ。

そういう非難がましい気持ちでいるから、いちいち言われることにむかついてしまう。

「ねえ、もう自分のことは必要ないよね?」と言われたことがあった。
こういう、試すようなことを言われるのが、男も女も大嫌いなのだ。
なんで、そう自分の気持ちが主体じゃないくて、受身なのかわからない。
相手が自分を必要じゃないといえば、すごすごいなくなれるわけ?
自分がいたいから、いるんじゃないの?
と、まくし立てたが、二人の気持ちがイラつくだけだった。

たいした睡眠もとっていなくて、仕事をしていたので、私の健康を心配してくれているんだと思う。でも、締め切りがあるかぎり、寝てなんかいられない。
だから、仮眠を取ってまた仕事をする。
自分は、こんなに心配しているのに、言うこと聞かないのならもういいとぶちきれられた。

とにかく、一息つけるところまで、仕事して、あとは流れで休んでいくしかないと説明したけれど、わかってもらえない。日本人は異常だといわれて、売り言葉に買い言葉になってしまった。

私の性分なんだけれど、一人で考える時間とか、ぼーっとしている時間がないとだめ。
そして、仕事が片付かないとリラックスができない。
私がイライラしているのは、彼のことでもなんでもない。
ただ、自分の仕事のことなんだが、彼は自分が私をイライラさせていると思いこんでいる。

う〜ん。
お母さん、教えてほしいよ。
そういえば、決算前になると、めちゃくちゃだったよね。家の中。
ちょっとでも、話かけようものなら、逆上するくらいぴりぴりしてた。
私は、ああいう大人になりたくないって思っていたけれど、同じなのかな。

限られた時間の中で、仕事や家事、生活の雑多なことなどを終らせるには、
一度にいろいろやらないと間に合わない。
私は、それを終らせたくて、そこ一点しか見つめられないんだな。

私のものの言い方は、用件ズバリで、それも彼を傷つけているのかもしれない。
わかっているけれど、あれこれ回りくどく言われていると、イライラしてしまう。

どうしたらいいもんかな。

搾取する同国人[2007年01月18日(Thu)]
最近のうちの話題は、マックの新製品。あのハンバーグのパテが4枚重ねになったもの。
あれを日本人が食べるわけ?と旦那さんは驚いていたが、結構売れているらしい。昨日も友人とその話しになって、高校生の頃ならば、挑戦もしただろうけれど今は、見るだけで胃もたれしちゃうねと笑っていた。
友人が興味のまま調べたところによると、このハンバーガーの総カロリーは870弱。まあカツどんをお昼に食べたのとほぼ一緒。しかし、脂質は5割を超えている。もうこれは、成人病のための爆弾みたいなものだ。
ただでさえ、コレステロールが高めのうちは絶対にダメダメのものだ。

それは置いておいて、
本日は、不快というか、ああやっぱりというような話しを聞いた。

以前旦那が働いていた会社に、外国人のための労働ユニオンが働きかけているらしい。
実は、旦那の友人から、このユニオンの人がうちのケースを聞きたいという打診の電話があった。
なんでも、契約途中のペルー人女性が、会社の車で帰宅途中、交通事故にあったらしい。ケガそのものはたいしたことは、なかったのだがそれでも1週間くらいの休養が必要だった。
会社に届けて休み、休み明けに会社に行ったらくびになっていた。

たまたま、ユニオン関係者とコンタクトのあった彼女は、不当解雇を撤回してもらい、職場に復帰したいと相談をしたのだ。

私が腹立つのは、このくびを言い渡しているのが、同じペルー人だということ。
この男は、旦那の元上司に当たるが、本当にとんでもない男でどれだけ同国人を搾取し、利用していたかわからない。
うちも同じような被害にあっている。一応この会社はそれなりに体面を保っているが、この上司がやっていることは、奴隷商人とかわらない。日本に連れてくる時は、言葉巧みで、スペイン語の契約書もそれは、大変条件よく書いてある。
しかし、日本にきて実際にサインさせられる契約書とスペイン語のものは、一致していない。

相手が外国人で、日本の事情に疎いことを利用しては、規定外の労働をさせ(無報酬)、圧力をかけてはいいように使っていた。
なぜ同じ国の人間に、事情がわかっているくせにそんなことができるのか、本当に理解できない。

うちも、彼によって信じられないような状況に陥ったが、あきらめなかった。
しかし、結果的に会社を辞めることになった。それはそれでよかったと思っているけれど、その女性がどんな扱いを受けたのか想像ができるだけに、腹ただしいのだ。

まあ、幸いなのはうちと違って、力になってくれる団体があったこと。
日本語もできない上に、なれない生活の中で交通事故にあって、そのままクビになったら、どうやって生活していくのだろうか。
直接の知り合いではないけれど、あの時の自分達を思い出してしまい、その女性のことを考えると、どれだけ不安なことだろうと同情してしまう。

偉そうな看板を掲げているが、やっていることはなんだろうか。
この上司、ただ飯を食べられるところには、いつでもあらわれる。私が最初に覚えた得スペイン語「conchudo」はこの上司のためにあるようなものだ。

外国人労働者の保護を訴えていく先鋒の役割がある会社で、一番の外国人搾取をしているとは。
謹賀新年[2007年01月06日(Sat)]
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

お正月休みのメインイベントは、中部地方にいる旦那さんの親戚めぐり。
今年は、雪がなかったのと日にちを上手く選らんだせいか、渋滞もなく快適なドライブだった。
今回、旦那よりお褒めいただいたのは、きっとリマでも運転できるとお墨付きをもらったこと。
どういう意味かと考えれば、決して褒め言葉ではないけれど。
免許を取ってから、すでに15年くらい経つ。でもその間一度も違反はないし事故も起こしたことないのだから、もっと信用してほしいものだと思う。

東京から東名に入って、3時間ちょいで愛知県まできたのは、自分の中では記録かもしれない笑顔

浜松にロモ・サルタードが激うまのお店があると教えてもらったのに、残念ながら訪れる時間がなかった。かわりに川崎のペルー料理店で、食事を済ませた。
松の内も終わり、2007年が始まっている。
なかなか、気分が復帰できないのが辛い。

メリークリスマス[2006年12月23日(Sat)]

年末進行もなんとか終らせることができました。拍手拍手
約束通り、明日は朝からコストコに買出しへ。夜は友だちを招いてささやかにクリスマスを祝います。

風邪をこじらせてしんどい数週間でしたが、体も回復しましたし、あとは家の雑多なことをやるエネルギーを残し、年越しを迎えたいと思います。

私の雑文にいつも目を通していただきありがとうございます。
忙しさにかまけて、ほったらかしにしてしまいました。

またポツポツと書いていきますので、よろしくお願いします。

皆様のご多幸をいつも祈っております。

Peruanomamaハート矢
PAVO!PAVO![2006年12月03日(Sun)]

日曜日だけど、ダンナは仕事へ。久しぶりに一人の日曜日笑顔これで、仕事さえなければ・・・昼からお仕事仲間がやってきて、おうちでちゃっちゃと仕事を片付けた。残りは徹夜かな。

仕事の合間にフレンチトーストなどを作り、パクパク食べながらおしゃべりをする。今のところ年末進行のため、ダンドリよくやらないとまずいのだけれど、今週からすでにはじまる忘年会。楽しくもあり辛くもあり。人様のお酒というのは、どうも気を使う。気兼ねなく友だち同士で飲めるほうが楽しいのだけれど、そうもいかない。

家のペルー人と一緒になってからは、正月料理らしいものは作らなくなった。せいぜいお餅を食べるくらい。そのかわり、12月になるとパネトーネをたんまりと買う。最初に過ごしたクリスマス、彼が大きなパネトーネを抱えて帰ってきたときは、とても驚いた。

これと、ホットチョコレートを食べるのがペルー風のクリスマス。あとはPAVO・・七面鳥ですね。

アメリカに行ったときは、よくターキーのサンドイッチを食べていたが、私はどうもこのどーんと丸ごと七面鳥がでてくるのは、苦手だった。

ところが、あるときご招待していただいたお宅で食べると、びっくりするくらい美味しかった。うちのオーブンは、小さいので、上手に焼けないなと思っていたら、小ぶりのPAVOを見つけた。

私が好きなタイプは、PAVOに塩コショウとローズマリーをすり込んで焼き、PAVOの首や内臓は別に細かくして、セロリ、たまねぎ、にんじん、ジャガイモ、グリンピースと煮ておくもの。PAVOのおなかの中には、なにも入れない。

付け合せは、冷たくしたリンゴのプリザード、サワークリーム、クランベリーソース、かぼちゃのロースト。なにがすばらしいかというと、焼き加減さえ気をつければ、PAVOは、ただオーブンに入れておくだけでおいしいのだ。

さらにお楽しみが、食べた後の骨。これでスープを作る。このスープに、ありあわせの野菜を入れて、といた小麦を流しいれ、タンブリン(スイトン)にしても美味しいし、うどんを入れてもいい。鳥のスープなんか、もう食べたくないくらいおいしいのだ。

デザートには、マシュマロとフルーツのサラダともちろん、パネトーネ。うちの近所にある輸入食品のお店は、なぜかミニサイズのパネトーネを売っている。そんなのじゃ足りない我が家。ペルーの伝統的なクリスマス料理が、ほかにどんなものがあるのかわからないのだが、毎年ちょっとずつ挑戦してみたい。今年もパネトーネを買い込んで、親戚周りをする予定。なんか、まるでお互いのパネトーネを交換するみたいなんだけれど、一年に一度くらいしか、親戚達と会うことがないので、彼は楽しみにしている。

私達もぐずぐずしていないで、クリスマスの贈り物を用意しておかないと、ペルーに届かなくなってしまうだが・・・来年こそは、このグズラ癖を直したいと心から決心するのだ。

出稼ぎカップルの事件[2006年12月02日(Sat)]
国内の新聞で報道されたのかどうかわからないが、北関東のある地方都市に住む日系人男性が恋人の日系人女性に殺される事件があった。
殺された男性は、日本に来て数年になる日系ペルー人で、両親はすでに離婚しており父親が日本にいて、母親がペルーという環境だった。
彼はいわゆる出稼ぎをしながら、そのお金をせっせとペルーに住む母親に送っていたのだった。
通訳をしていたという人もいるが、殺された時は無職だったと聞いている。

殺してしまった女性も男性と同じ世代で30代前半。日本に出稼ぎにきていた口だが、滞在年数は長い。

なぜ男性は殺されてしまったのか。

今わかっているのは、ペルーにいるときはなにも問題を起こしたことなに、まじめだった彼が、この数年間で、ひどいうつ病を患いアルコール依存症も進んでいたということだ。
そして、女性への日常的な暴力。

彼女は、事件当日いつものように男性が家を訪ねてきた男性から、罵声を浴びせられる。
そして暴力を振るわれてしまった。
「殺せるものなら、殺せ」と言われて、とっさに手にした包丁で彼を刺してしまったのだが、我に返ったときには、彼は事切れていたという。

2人は同棲をしていたというが、男性が働いている様子はなかったみたいだ。

現在女性には、女性の人権問題にも詳しい弁護士が付いている。
警察側は、どの時点で殺意を持っていたのかどうかを争っているが、状況からみても殺そうと思ったというより、発作的な行動が大きいように判断するほうが妥当ではないだろうか。

殺された彼の人となりは、よくわからないが、少なくともペルーにいる妻や友人の証言から、ペルーにいたころ、警察沙汰になるような暴力事件を起こしたことも、アルコールでトラブルになるようなこともなかったようだ。
しかし、日本での生活では、こうした厄介ごとを起こすトラブルメーカーとしての印象が強く、警察のお世話になったこと、数度ではないのだという。

もし、彼がひどいうつ病を患っていたとしたら、アルコールを飲むのは大変危険だ。
早い段階で専門医による治療を受けなけれは、うつ病の状態が長引いてしまうだけが。
こうした南米系の出稼ぎ者が精神的な病を抱えるケースは、本当に多い。

慣れない日本での生活や、自分の置かれている立場の不安定さ、行き場のない寂しさ。
しかし、本国には送金を待っている人たちがいる。
夏の終わりになって、日系人の友だちも、ペルーから日本に戻ってきた。
彼は子供の手術費を稼ぐために、日本で5年近く出稼ぎしていた。子供の手術も無事に終ったので、2月に帰国したのだが、豊富な送金額に慣れてしまった妻とその家族との関係が悪くなり、別れることになってしまった。
国に帰っても、チャットやメールで交流をしていたのだが、だんだん彼の態度が沈んでいるように見えたのが気になっていた。
奥さんが悪いとかそういうことではなくて、家族が離れてしまった間に、お互いのいろいろなストレス、すれ違いが取り返しの付かない溝を作ったのかもしれない。
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