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ヒロシマの新たな貢献(劣化ウラン兵器禁止のために):NO DUヒロシマプロジェクトさん [2010年05月31日(Mon)]
こんにちは、倉庫番@ピースビルダーズです。
このブログでは、現在広島で平和のために取り組んでおられる個人・団体の皆様のご紹介も行っていきます。

記念すべき第一回は、倉庫番が前々からお話を伺ってみたかった「NO DUヒロシマプロジェクト」さん。
劣化ウラン兵器(従来の兵器より強い威力を持つために多く使用されているが、人体や環境への深刻な悪影響が懸念されている。湾岸戦争で初めて大規模に使用された)が使われたイラクなどの地域で行った被害状況調査などに基づき、その問題性を訴え、大規模な禁止キャンペーンや、被害地域の方との交流などを行っていらっしゃいます。

(活動実績:6千人を集めた「人文字」、NYタイムズに意見広告掲載、出版物『劣化ウラン兵器禁止を求めるヒロシマ・アピール』は様々な人に支持されて学習会等での採用多数、2006年にはウラン兵器禁止を求める国際連合世界大会を実施、等々)

ありがたいことに、代表の嘉指信雄さんに直接インタビューをする機会をいただきました。
以下に、その様子をご紹介します。

* * *


(倉庫番)――NO DUさんの活動を拝見するにつけ、「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ヒバクシャ」という声とダイレクトに結びついていながらも、とても現在的なものであるため、その声が単に広島の地で空中に向かって叫ばれているものではなくて、世界の具体的な現実に向けられているものであることを再認識します。またその規模の大きさにも目をみはるものがあります。象徴的かつ研究成果の蓄積も豊富なこの広島の地からの取組が、これ以上の戦争による放射線被害を食い止めることに期待します。
また、当然この活動は広島に向かってなされているものではありませんが、広島に住む私たちにも、広島のこれまでの取組が、世界的に、しかも従来の核兵器廃絶への訴えとは違った角度からも意味を持つことを気付かせてくれ、今後の広島の平和活動をさらに活発にする効果も持っているという点でも、とても参考になります。
まずは、嘉指代表がこの活動を始められたきっかけを教えてください。


(嘉指)――2003年、イラク戦争反対の声に、もしも開戦されたら劣化ウラン兵器がまた使われるのではないかという懸念が重なり、機運が高まったことが一つあります。
またそれ以前の2002年12月に、写真家の豊田直巳さんらとイラクに湾岸戦争後の劣化ウラン弾被害調査に赴いていたことは決定的でした。現地に行って様子が鮮明に見えるようになりました。
その後、いよいよ戦争が本当に始まってしまうという状況になった際、広島のYさんという方から人文字のアイデアが出され、成功するかどうかわかりませんでしたが、始めることにしたわけです。


(倉庫番)――人文字プロジェクトは並大抵のことではなかったと思います。しかし、日本のデモでは珍しい、お祭りのような活気あるものだったようですね。

(嘉指)――当日の準備のために事前に人数を把握しようと、テント村を作って3、4週間登録を受け付けたのですが、それがマスコミにも取り上げてもらうことができました。人文字というわかりやすい方法や、「『ニューヨークタイムズ』に広告を出そう」と呼びかけたのが、市民の皆さんに手ごたえを感じていただく上で良かったと思います。
イラク戦争と劣化ウラン弾使用を止めようと希望を持つ人々が、遠方からも訪れてくださり、6000人に及びました。カンパによって数百万円の意見広告も出すことができました。


(倉庫番)――2006年には、やはり相当規模の大きいICBUW(ウラン兵器禁止を求める国際連合)ヒロシマ大会もありました。

(嘉指)――この時も大変多くの人々のカンパに支えられました。行動は持続させないと、やがて自分には何もできないという感覚が生まれてしまいます。持続性がキャンペーンにとって重要です。
この大会によって、様々な前進がありました。例えば、劣化ウラン弾の被害についての懐疑などもあり、10年以上もこの問題に取り組んできたダマシオ・ロペス氏も疲れてしまっていたようですが、広島に来て見たら大会は非常に大きなものだった。これに力を得て、ロペス氏はコスタリカのアリアス大統領にアピールし、コスタリカでは劣化ウラン弾を禁止する国内法の審議が始まりました。


(倉庫番)――どのような経緯でヒロシマ大会に至ったのですか。

(嘉指)――日本でこの問題に関心を持つ人やメディアの数は世界に比べて多いです。カンパの集まりも多く、国際キャンペーンを支えていました。やはりこれは問題が放射性物質と関わっていることによると思います。このような理由から、ロペス氏が広島を希望したのです。
実は、2002年にイラクから日本に医師が訪問していました。このことが日本でこの問題に注目が集まる一つのきっかけになり、それが私達のイラク訪問につながっていくのですが、この方達も、やはり問題を放射線物質の問題であると認識して訪日していたように、その分野における日本への期待度は大変高いものがあります。
やはりヒロシマ・ナガサキとイメージがつながっていて、そこでアピールすることの意義を感じていると思います。


(倉庫番)――広島はこうした形で世界に貢献していくことができるのですね。今後、私たち草の根の市民が他にできることがあるとすれば、何でしょうか。

(嘉指)――普段顔を合わせることのできる地元選出議員の方などに「劣化ウラン兵器禁止国際キャンペーンはすぐそこまで来ている」ということを伝えることは、より大きな動きにつながると思います。

(倉庫番)――今後の活動についてお聞かせください。

(嘉指)――イラクの医師を日本で育成する活動を続けていきたいと思っています。人を育てるということはとても大切です。昨年バスラで開催された「第1回国際がん会議」では、過去に日本で研修を受けた方々が中心になっていました。
また、禁止キャンペーンには必ず「被害者支援」の視点が盛り込まれるべきです。人のつながりは、被害者の声に耳を傾ける意味でも重要です。
さらに、ベルギーが劣化ウラン兵器禁止に率先して取り組んでいますが、日本政府も運動の先頭に立ってもらうよう要請を続けていきます。


(倉庫番)――ありがとうございました。話は変わりますが、NO DUさんの活動はキャンペーンや人のつながりづくりが上手で、持続可能性が高いと感じます。

(嘉指)――人々の問題意識が高いことを反映してのことだと思いますが、この問題に関して広島で声をあげていることが説得力を持っていることもあるのでしょう。
また、ジャーナリストや写真家の方の協力を得られているのも大きいですね。
このように難しい問題の場合、なかなか人々は動かないものです。イラクでも大臣が問題を知らなかったり、活動している人は孤立しがちです。やはり人とのつながりを感じていれば、やる気が出ます。ポストカードなど様々な方法を駆使してつながりをつくろうとしています。


(倉庫番)――私たちピースビルダーズの活動にとっても、大変参考になるお話でした。本日は本当にどうもありがとうございました。

(以上、広島の世界への新しい貢献について考えさせられるインタビューでした。嘉指代表、事務局の皆さん、ありがとうございました。)

* * *


笑顔NO DUさんの活動や劣化ウラン兵器の実態について詳しくはウェブサイトをご参照ください。
http://icbuw-hiroshima.org/

笑顔また、ICBUWジャパンさんがツイッターをしておられます。「つながり」は力です。ぜひフォローしましょう!
http://twitter.com/ICBUWJapan


<NO DUさんの書籍>