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イノベーション [2010年04月22日(Thu)]
はじめまして!当ブログ「広島 “手づくり”平和活動倉庫」の倉庫番@ピースビルダーズです笑顔

ピースビルダーズではこれまでにも、広島の戦後復興を「平和構築」の事例と考えてその過程を調査・研究し(成果の一例)、その教訓を、例えば世界の紛争後地域の人々など、これから平和をつくっていく人々と共有するといった活動を行ってきました。
このブログでは、さらにそのテーマを掘り下げ、特に、平和を自らの手でつくろうとしてきた市民の皆さんの草の根レベルの取り組みを、インタビューや文献に基づいてご紹介します。
また広島では現在も、平和を求める活動が人々の手で連綿と続けられています。とても豊かな皆さんの現在の活動も、できる限りご紹介していきたいと思います(紹介記事の他に、このページの上の方にある「平和イベントカレンダー」も充実させていくつもりです)。
これらが、これからの世界の紛争後地域や日本での平和づくりの主役となる人々にとって、具体的な教訓になればいいなと思っています。
どうぞよろしくお願いします。

さて、まず第一回は、以前にピースビルダーズ研究員が書いた戦後広島の経済復興に関する論文[大川2008]を元に、このブログの趣旨にしたがって、人々が苦境の中で何をしたのか、そしてそれがとてもたくましい営みであったということを書いてみたいと思います。

自動車 自動車 自動車

――ご存知の通り、戦前・戦中、広島は軍都でした。もちろん、広島の非軍事的な復興において、その産業的基盤と労働者の熟練が役に立っていたのは言うまでもありません。
しかし、戦争全体を通じて人的資源が消耗し、原爆によってインフラも壊滅、おまけに軍需産業の解体のため、連合軍によって生産活動が厳しく制限された時代に、そう簡単に経済が再建されるはずはなく、人々は苦境に立たされました。

一方で、人々は工場を持て余すことなく、生産を続けます。各工場とも食糧難などの当時の事情を反映して、食糧生産のための農業機械などから「手当たり次第に」生産を再開しました。中には、航空機のエンジン廃材を使って炊飯釜などを作って農家一軒一軒を売り歩いた方もいたそうです。
こうして民需をいち早く見つけて工場を存続させつつGHQ軍政部の許可が出るのをじっと待ち、本格的な生産の再開に至ったのです。

とはいえ、エネルギーや資金の不足する中での操業は当然容易ではなく、競争も厳しいものでした。
しかし、ここがすごいところだと思うのですが、こうした逆境の中でこそ、様々なイノベーションが生まれているのです。
同論文が紹介しているのは、冷凍パン生地の発明で工場から離れた店舗での焼きたてパンづくりを可能にしたアンデルセン、世界で始めて電気式蚊取り器を開発したフマキラー、ICのシリコンウエハーを切断する機械を開発したディスコ、そしてロータリーエンジンを開発して広島の機械産業を牽引してきたマツダ(元東洋工業)などなど。

東洋工業もGHQによって乗用車を含む多くの生産を禁止されましたが、制限つきながらもトラックを生産し、大型トラックなどによって競合他社との差別化を図りながら成長、また「一県一特約店方針」などの独自の販売戦略も打ち出しました。
もちろん日本はやがてモータリゼーションの時代に入り競争も激化、人気もトラックから乗用車に移りますが、東洋工業は庶民に手の届く軽自動車で人気を集め、さらに将来の自動車社会を見越して、小型で軽量、音が静かで高出力なロータリーエンジンの開発に着手するなど、激しい競争の中で独自の戦略をとり続けたのでした。

当然、政府やGHQの政策、社会的状況も影響しているとはいえ、人々は競争の中でイノベーションをいくつも生み出してきたんでしょうね。

その後もマツダは広島の経済の中心として、周りに多くの関連産業を発展させていきます。
サッカーボールやバレーボールで有名なモルテンも、50年代後半、東洋工業の自動車ゴム部品の生産を何とか試験的に受注するところから、やがて受注量・品種を増やしていったそうです。

【参考文献】
大川富美(ピースビルダーズ研究員)「広島の経済復興〜ダイヤモンド理論からみた産業クラスターの形成」 篠田英朗(編)『現代平和構築活動の視点から見た広島の戦後復興史』(IPSHU研究報告シリーズ・研究報告No.40) 広島大学平和科学研究センター、2008年、pp.64-108

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いまやマツダは広島の大企業なので、「手づくり」「草の根」といったイメージではありませんが、三輪自動車を作っていたんですね。

というわけで、ここで僕が思うのは、戦争で疲弊しても、あるものは実はある。ニーズを見つけながらそれを地道に利用して機会を待ち、同時に、ないものを補うためにイノベーションを生む。そしてそこに生まれた新しいチャンスを捉えて、社会全体で前進する、という人々の生活力が、復興の支えだったんだろうなということです。それが今の日本の平和のための教訓になるかどうかはわかりませんが、世界の紛争後国においては通じるものがあるのではないでしょうか。
もちろん、一つのイノベーションの背後にはたくさんの失敗もあったんだと思いますので、そう簡単ではないでしょうが、それでもこうしてがんばって生きている広島の姿が、これから社会を立て直していかなくちゃという人々にとって、何らかの力になればと思います。

初回なので長くなってしまいました。お読みいただきありがとうございました。
ではまた、次回をお楽しみに。

笑顔 笑顔 笑顔

(ところで、ここでは上記の論文をこのブログの目的に沿って要約してしまいましたが、原爆被害研究に比べて少ない広島の復興研究の一つだと思いますので、どうぞ全体もお読みください。同研究報告の他の論文もいつかご紹介できればと思いますが、とても面白いのでお時間があればぜひどうぞ。→PDFを開く

(倉庫番@ピースビルダーズ)
(追記)
ちなみに、上記の論文集『現代平和構築活動の視点から見た広島の戦後復興史』の編者・篠田英朗(広島大学平和科学研究センター准教授)は、ピースビルダーズの理事でもあります。
私たちの紛争後国支援事業の一環として、世界各地で平和構築研修を行い、平和構築過程としての広島の戦後復興について語っています。 
雑誌(例えばこちら)に論考を書いたりもしていますので、そちらもぜひ。
(倉庫番@ピースビルダーズ)
Posted by ピースビルダーズ at 13:41 | 戦後の復興【経済】 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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