■常設展示から『あたらしい憲法のはなし』普天間基地問題等、国防のあり方にも寄せて
佐藤和夫
ピースあいち・メールマガジン[創刊2号]2010/1/25
ピースあいちの展示物のうち私が一番感銘を受けたものは、2階展示室に展示されている黄色い表紙の小冊子『あたらしい憲法のはなし』という文部省(現文科省)発行の教科書です。
なかでも、「戦争の放棄」の項は感動的であり、いま問題となっている普天間基地問題やアメリカの核の傘の必要性等、国防問題や世界平和のあり方を考えるうえでの大きなヒントになると思われます。
『あたらしい憲法のはなし』は、当時の慶応義塾大学の浅井清法学部長の執筆によるもので、1947(昭和22)年8月、新制中学1年生の社会科教科書として文部省が発行しました。
当時13歳だった人のなかには「それまで戦争、戦争の連続だったのに、軍隊がなくなって戦争ができなくなるなんて、こんな素晴らしいことはないと思った。もう、バンザイでした」と、当時のこの教科書との出会いの感想を語られる人もいます。
しかし、この教科書は、朝鮮戦争が始まった1950(昭和25)年には副読本に格下げされ、再軍備の高波に飲み込まれて、その翌年には学校から消えていきました。わずか3年ほどの命だったわけですが、最近になってこの教科書のことを知った私にとっては、身震いするほどの感銘をうけた内容で、今や平和問題を考えるうえでの「バイブル」ともなっています。
ピースあいちは、自らの使命を「戦争という20世紀の負の遺産を、歴史の教訓として次代に伝え、平和のために役立てるよう……」うたっていますが、この『あたらしい憲法のはなし』のように、「平和のために、今」を考えるうえでヒントになるような資料がたくさん展示されています。みなさん、ぜひご来館いただきますように。
『あたらしい憲法のはなし』「戦争の放棄」の項は比較的短い文章なので、ここに紹介します。(改行は編集部でしました。)
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////戦争の放棄
みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで家やうちの人をなくされた人も多いでしょう。
いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。
だから、こんどの戦争をしかけた国には大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
そこで、今度の憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これは、戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。
しかし、みなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国はさかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また、戦争を二度とおこさないにいたしましょう。以上