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14. 原爆の死―原爆症 [2011年05月30日(Mon)]

■常設展示から
原爆の死―原爆症
桑原勝美
ピースあいち・メールマガジン[第14号]2011/1/25



 広島で被爆し髪の毛がかなり抜け落ちた少女が横たわる(2階、“命の壁”)。脱毛、下痢、発熱などは急性放射能障害、原爆症を暗示する。
 広島、長崎の被爆直後、国民の戦意喪失を恐れた当局の検閲に配慮し、報道機関は実相を伝えなかった。さらに終戦直後から講和条約発効(52年)までの間、米軍を主体とする連合国軍総司令部(GHQ)が占領政策遂行上、報道関係に厳しい規制(プレスコード)を敷いたため、原爆症を含む被害の実態は国民に知らされなかった。一方、米国の報道事情はどうであったか。原爆投下から3週間ほど後、米国の報道陣が廃虚と化した広島、長崎に入り、見聞した残酷な様相について本国へ送信したが、その多くが米国当局の検閲にかかり、中でも原爆症に関わる報道は抑制された。

 ところで、長崎への原爆投下直後、米国は原爆を一発も所有していなかったという(但し、プルトニウム核と起爆装置は別個に準備)。この時点で、もし、原爆地獄の実相が米国を始め世界中の人々に知らされていたら、核兵器の非人道性・国際法違反を弾劾する声が世界中に巻き起こって核廃絶の世論が定着し、「核抑止論」は登場してこなかったのではないだろうか。

 だが、米国では人的悲惨を国民には伝えないという指針に沿って、核情報(放射能の影響や原爆症など)の守秘に向けた報道規制が続けられてきている。日本で大問題となった第五福竜丸事件が過小に報道されるに留まったこと(54年)、スミソニアン博物館における原爆展開催企画が中止に追い込まれたこと(95年)などはその一環である。こうした報道規制が行われる一方で、「核抑止」を名目に核兵器開発が続き、遂に核テロまで憂慮される深刻な事態を招いてしまった。オバマ氏が米国大統領としては初めて核廃絶への理念を表明したが(09年)、その後に行われた未臨界核実験については説明されていない(10年)。

 “命の壁”の原爆症の少女は、この世界の動きを見つめ続ける。なぜ戦争を止められなかったのか、なぜ核兵器が使われたのか、なぜ……、なぜ……と問いかけながら。
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