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3. 豊川海軍工廠の惨事 [2011年05月30日(Mon)]

■常設展示から
豊川海軍工廠の惨事『麗し女生徒の未来を想像して』
廣瀬眞由美
ピースあいち・メールマガジン[創刊3号]2010/2/25



 『愛知の空襲の展示』コーナーのなかでも、「豊川海軍工廠の爆撃写真」と「当時3年生(8回生)の出動記念写真」は、戦争のむごさを目の前に突きつけているようだ。

 豊川海軍工廠で戦場の兵士に送る銃や弾丸、双眼鏡、特殊潜望鏡など兵器を昼夜生産していたのは、豊川・豊橋・長野・北陸から集められた女子挺身隊と呼ばれた高等女学校生徒や学徒5万6千人だった。親元から離れ寄宿舎生活を送る彼女たちの様子は、展示室の写真が教えてくれる。セーラー服の上着を着ているものの、まだ幼さの残る純真な顔が、どこか心細さを訴えているように見える。

 豊川海軍工廠は、1945年8月7日午前10時13分から39分までのわずか26分間に、B29爆撃機なんと124機によって250キロ爆弾3256発、813トン投下の波状攻撃を受け、およそ2500人以上の犠牲者を出した。
 広島原爆投下の翌日であり、終戦まであと8日だった。きっといつものように、工場で朝から懸命に働いていただろう少女達の真剣な姿を想像すると、胸がいっぱいになる。

 展示室の陳列台にある「堀部智恵子の学徒動員と豊川海軍工廠の日記」、そして「葬儀弔辞」は、亡くなった彼女のご家族と友人たちの無念さを65年後の今日までずっと訴え続けている。
 「友と一緒の5人の少女たち」のセピア色の写真は、利発そうな彼女達の未来をどれほど暗示していただろう。彼女たちが、大人になってどんな夢を持ち、職業につき、恋愛をし、家庭を築き、何人の子どもや孫が生まれたか……。
 そんな未来を一瞬にして奪うのが、戦争だということを多くの人に伝えたいと思う。

 最後に、「九死に一生を得た松操高等女学校生徒の証言」は、私に平和な今を生きる幸せを教えてくれた。感謝したい。ありがとう。
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