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Uさんの奇蹟の戦争体験 [2011年12月02日(Fri)]

                                           11.12.2(金)
 昨日12月1日、東海市の小学校で6年生の児童を相手に戦争体験者の話を聞く平和学習授業があった。
 語り手は名古屋市天白区に住むUさんである。現在97歳の高齢だがしっかりしてみえる。
 すでに30歳になっていた昭和19年6月、二度目の応召で入隊し、7月に下関港から輸送船「扶桑丸」に乗船したが、どこの戦地へ行くのかは知らされなかった。
 扶桑丸は大阪商船所属の大型輸送船(8195トン)だったが、昭和16年陸軍に徴用されたものである。
 台湾の高雄までは平穏な航行だったが、高雄を出航してからは毎日警戒警報が鳴り、7月31日ついに敵の攻撃を受けて沈没、Uさんは海に投げ出されてから数時間の地獄のような体験の後、奇跡的に日本軍の戦艦に救助された。
 多くの犠牲者を出してもなお、Uさんらはマニラに上陸、南方のザンボアンガまで移動して塹壕の構築作業などで数か月を過ごしたという。
 昭和20年5月ごろになって、米艦数十隻が沖合いに集結し艦砲射撃が始まった。その強烈な破壊力にどうすることもできずただ退却するのみであった。
 ジャングルの中を逃げ回りつつ、突撃隊も結成されたがいずれもその後の行方は不明である。飢えと病気との闘いで次から次へと仲間が死んでゆく中、10月頃になってついに米軍の捕虜となった。現地人には罵倒され石を投げられたが、皮肉にも米兵に守られた。そして昭和21年2月復員することができた。
 Uさんは、奇蹟の連続で生還できたが、亡くなった戦友の無念さは計り知れない、戦争はもうあってはならないと訴えられた。
 年が明けると98歳になるというUさんであるが、記憶をたどりながらとつとつと話すその姿と話の内容に心が打たれた。
 約40分間の話を子どもたちは一言の私語もなく真剣に聞いていた。扶桑丸が沈没し、Uさんらが荒波にさまよう様子をUさんが自ら絵にし、それをパワーポイントに仕立てての臨場感にあふれた体験談であった。
 Uさんが結びとした「敗戦後の長い平和は尊いものであり、これからも皆さんに守り続けてもらいたい」という言葉は、子どもたちにも深く伝わったに違いない。
                                                H・T記
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