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ジャンバルジャン
みんなでのぼろう蜘蛛の糸 (03/14)
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自然界の競争と多様性 [2012年08月17日(Fri)]
 仮に、自然界に競争があるとしましょう。
 しかし、自然界の競争は、明らかに多様性を増大させる方向に働いています。
 それは、当然と言えば当然です。
 最近の人間社会のように、少数の勝者が利益を独占し多数の敗者が搾取される一方であるような競争が、もし自然界に起こっていたらどうなっているでしょう?
コラム再開。 [2012年06月09日(Sat)]
 ですから、「競争が進化を促し、進化を遂げて競争に勝った者が生き残る。敗者は滅びゆく。それが必然である」という虚構の物語(フィクション)を人間社会に当てはめて、競争を賛美し、競争の結果生じる社会的格差や不平等を正当化してきたのも、やっぱり大きな間違いだったのではないでしょうか?
結局、 [2012年05月20日(Sun)]
 「競争が改善・改良・進歩・発展を促す」というのは、19世紀的な神話であったのではないかと思うのです。
 だから、生物の進化についてもそれを当てはめて理解しようとする人が多かったのではないでしょうか?
大して根拠のない競争神話なのに・・・ [2012年05月18日(Fri)]
 なのですが、どうして「競争が進化を促進する」という競争神話が多くの人に信じられるようになってしまったのでしょうか?
 まったく、不思議なことですね。
進化を促進するのは競争ではなくて・・・ [2012年05月16日(Wed)]
 ですから、生物の進化というものも、「他との競争において勝利を収めることができる」ような方向にではなくて、「他との共生関係においてより豊かな貢献ができる」ような方向に進んできたのではないでしょうか?
 だとすれば、進化を促進するのは競争ではなくて、むしろ他との調和的協力関係の深まりであると言えるのではないでしょうか?
自然界の掟は助け合い [2012年05月15日(Tue)]
 そう考えてみると、ぼくたち人間がこの地球上で生きることができるのは、決して他との競争に勝利したからではないのです。
 むしろ、酸素を出してくれる植物のお蔭、植物の花粉を運んでくれる昆虫のお蔭、土を作ってくれる微生物のお蔭、各種の栄養を与えてくれる動植物のお蔭、要するに、様々な動植物の助けを直接間接に受けているからこそなのです。
 つまり、自然界の生き物は、互いに競争しあい闘争しあって生きているというより、助けあい与えあって生きているのです。
ぼくたちが吸っている酸素だって・・・ [2012年05月12日(Sat)]
 第一、ぼくたちが吸っている酸素だって、植物が光合成をすることによって作ってくれたものなのです。ぼくたちを紫外線から守っているオゾン層だって、元は植物の作った酸素なのです。

 これは、人間が植物に勝利し、屈服させ、支配してそうさせているのでしょうか?
生物は、互いに調和し合い協力し合うように進化してきた。 [2012年05月11日(Fri)]
 ぼくたちの身の回りには、その具体例がいっぱいあります。
 被子植物と昆虫などの協力関係とか、牛とその胃の中の微生物の助け合いとか、マメ科植物と根瘤菌の共生とか・・・。
進化を方向付けているものは競争ではなくて・・・ [2012年05月09日(Wed)]
 だから、進化というものも、「より強く」「より大きく」「より支配力がある」ような方向に進んできたわけでは必ずしもなくて、「より平和的」で、「より調和的」で、「より他者の役に立つ存在である」ような方向にこそ進んできたと言えるのではないでしょうか。
平和的な者がとわに栄える。 [2012年05月07日(Mon)]
 自然淘汰の中を生き残るのも、必ずしも他と競争して先んじた者、何らかの優越性を示した者、というわけではないのではないでしょうか。他と闘争して勝利を収めた者、他を打倒して屈服させた者、というわけでもないのではないでしょうか。
 むしろ、他と調和して、他と否定しあうよりも他を生かす者こそが生き延びてきたのではないか、という気がするのです。

 つまり、より強い者でなく、より平和的な者が生き残り、他を圧倒し他を犠牲にしてきた者ではなく、他と調和的な関係を築きえた者こそが永く栄えてきたのではないでしょうか。
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