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今週のお仕事 [2006年08月25日(Fri)]
アフリカ出張から帰還して2週間。

たらり。

と冷や汗をかきながら、やっとこさ報告書を作成。意気揚々と上司にメールで送ったら、「大作ですね」というねぎらいのお言葉とともに赤ペン添削がすぐ返ってきました。しかも、「ご参考までに」とご自身の出張メモも送ってくださった。開けると、なかには24ページの詳細報告が!キャー!!困ったま、負けた・・・(勝負じゃないって。)

出張後何度か休んでしまったせいで、ここ3日間はわき目もふらずたまった仕事をちぎっては投げ、ちぎっては投げ突き進む(※イメージです)。飽きると、前の席に座っている癒し系の英文エディターさんに話しかけてエディティングの邪魔をし笑顔、満足するとまた孤独な仕事に逆戻り走る

そんななかで、今週は出張処理と同時並行でインド新財団の手配関係、がんばってます力こぶ。わりとさくさく進んで気持ちイイ。新財団の設立準備室の契約案が完成でしょ。準備室の予算もほぼ確定でしょ。契約稟議も発射準備OKロケット!(実は予算書はアフリカにいる間に別の上司とインドのコンサルタントが作ってくださってたんで細かい改定のみだったけど。)あとは多分事務処理のレールに乗せるだけ新幹線

別のコンサルタントの活動計画、活動予算も確定しないとならなかったけど、予定通り今週中に部内承認を得られてほっ。インドで展開しているメディア関係のワークショップやハンセン病に関するフィルム作成に関する活動計画だけど、2005年度(前期)と2006年度(後期)に分かれている上に、経費が入り組んでいるので整理に時間がかかりました落ち込み。アフリカ出張前は、2005年度やった活動の内容と残金確定をするだけで力つきてしまい、のど元にひっかかっていた心配事がようやく処理されたよ〜〜。こっちも後は事務処理のレールに乗せるだけ。

来週からは、9月のインド出張の手配が本格化します。
よし。週末は、遊ぶぞーーーーー炎
ヨルダンの王子とロボ博士 [2006年08月24日(Thu)]
月曜、火曜とアフリカ出張の振休をいただき、実家に帰っていました家。遠出はしなかったけど、のんびりできて、猫と遊べて、最高の休暇でしたよー。

さて、休暇明けの水曜日は、国際があわただしい。なぜかというと、ヨルダン・ハシュミット王国のハッサン王子の講演会があり、うちのグループは総出でお手伝いをしているから。が、今日はWHO東南アジア地域事務所でハンセン病制圧活動を支援しているロボ博士の夕食会などもある。ということで、クローク受付のみ講演会を手伝い、途中で抜けて夕食会へ。

現場の活動を行っている方の意見を聞けるのは貴重な機会。支援にはバランス感覚が必要なこと、特に差別の問題を扱うならニュートラルな立場で、ハンセン病の患者や回復者が受けている差別を知るだけではなくて、社会の現状も知ること - などについて話がありました。インドなどはもともと物乞いも多いし、スラムも多い。ハンセン病のコロニーのほうが状態がいいこともある。患者や回復者だからと優遇されすぎると逆差別になることも。回復者で今指導的立場にたっている人の活動は評価されるが、その人を支える家族のことも評価されるべき、など。

問題を問題として認識しつつも、広い視野と冷静な判断力をもつことが大切、という話であったかと思います。ハンセン病と関係していない人の話ならともかく、そのなかに浸かっている専門家が自己批判の精神をもって、支援もとの財団にも忌憚のない意見を聞かせてくださるのはありがたいことです。

しっかりご飯も完食しました!久々にしゃぶせんに行ったらうまかったよ。出張の時以外は一緒にごはんを食べることのなかった関連財団の方たちとも一緒にいられたし。
おいしいアフリカ [2006年08月18日(Fri)]


正直、食事はだめだろうと思ってました料理。だってアフリカ料理ってあまり聞かないんだもの。まずいんだわきっとー、と、不届きなことを考えながら行ってみたら、あらびっくり!出てくる料理のおいしいことといったらラブ

まず、レストランで最初に出てくるパンがおいしい。どの種類もおいしい。ヨハネスブルグの空港のカフェでなにげなく頼んだクロワッサンもめちゃくちゃにおいしい。きっとバターを一箱分くらい使ってそうだけど、このコテコテさ加減がたまらない!

そして、コーヒーがおいしい。注文したカプチーノは、ミルクのなかにコーヒーを入れるスタイル(写真上)。コーヒーもミルクもコクがあって、やめられないおいしさです。



更に、アンゴラ、モザンビークは海に面してて海産物がとっても豊富クジラ。なかでも海老は格別です。写真はアンゴラでWHOさんが奢ってくれた海老、魚をのせたサフランライスのお料理。その瞬間、全員がアンゴラ好きになったほどのディープインパクト炎!バターと独特の香辛料で味付けした、それなりにシンプルな味なんだけど、噛むほどに口の中に濃厚な素材の味わいが広がります。

そういえば、ブラジルも料理はおいしかった。ポルトガル語圏はそういうものなの?南アフリカは英語圏だけど。

でも、アフリカはおいしいと言いつつ、本物の郷土料理は食べていません。仕事の性質上、食事のほとんどはホテルや晩餐会でとることになるし、地元のお店に行くには治安や時間の問題があるし、そもそも現地にうとい私が気楽に行けるはずもないので仕方ない。けど、アフリカの味を知ったとは言えないですね。

長い植民地支配、内戦、今に続く利権争いで、散々傷つき今も癒えずにいるだろう国々。首都を中心に各国2、3日滞在しただけの私は、その片鱗も知っているとは言えないけど。外国人向けのいいレストランに行きながら言うのもおこがましかもしれないけど。

本来豊かな土地なんだ、と、はしばしで感じる。復興、開発支援のためでなく、普通のビジネスや観光を目的に、世界中の人が安心して訪れることのできる場所に早くなれればいいのにと思う。素人が見る白昼夢のように簡単にいくものなら、誰も苦労しないだろうけど。
マンデラの家 [2006年08月18日(Fri)]
アフリカ南部のキーポートは、ヨハネスブルグ。今回のアフリカ出張では、レソト、アンゴラ、モザンビークと移動するごとにヨハネスを経由しました。空いた時間に、「マンデラの家」を訪問。



黒人たちのダウンタウン。世界一といわれるヨハネスブルグの犯罪率をかせぎだしている地域。美しいビルが建ち並ぶが、その大半はアフリカ全土から来た移民、難民が不法占拠。すでに経済の中心は他の地区に移り、ビジネスビルの森のなか、不釣合いな洗濯物が風にたなびく。



正直、昼間はさほど危なそうでもないのだけど。と思いつつも、車から出ることはできない。殺人はニュースにもならないそう。



1963年の逮捕時までネルソン・マンデラが過ごしたという家。今はミュージアムとなっています。反アパルトヘイト運動に火を付けたソウェト蜂起が起こったのはこの地域。死者700人、負傷者4000人に及んだという。



飾られた写真類。右側は、監獄内でのマンデラの顔。



社会見学かな。元気いっぱいの子供たち。

アパルトヘイトの歴史をよく知らない。帰ったら「闘いはわが人生」を読もう。ほんのひと時見ただけでも渦巻くエネルギーの感じられるこの街で、過去何があったのか。これから、どこへ向かおうとしているのか。

整然と美しい建物が建ちならぶ黒人居住区ソウェトは、ほんの少し前までたくさんのバラック小屋が並んでいたらしい。今、アメリカばりのだだっぴろいフリーウェイから見えるのは、政府によって一様に整備された家々の姿ばかり。

閉じられた車のなかから、空気の層に隠れて眠る、都市の記憶に想いをはせてみる。
天空の王国、レソト紀行 [2006年08月18日(Fri)]
アフリカから戻って一週間。ようやく体調の治ってきた今日この頃。もそっとアフリカ紀行をご紹介。



南アフリカ共和国に浮かぶ小島のような国、レソト王国。笹川会長ブログにあるとおり、人口200万人弱が、四国の1.7倍程度の広さの土地に住む。山岳地帯なので、標高はのきなみ1600メートル以上というとんでもないところ。折りしも南半球は冬、甘く見ていたらめっちゃ寒かった!

写真上は、天候に恵まれていたときの写真。それでも木枯らしが身に沁みた〜〜。



だんだん天気の怪しくなってきた頃。レソトは「水」が重要な資源。国が誇るモハレ・ダムがビミョーに写ってますが・・・見えませんよね。ダムは標高3000メートル近くにあるため、更にさぶい。もはや木枯らしどころではない。

道々、丘の上にぽつんぽつんとたたずむ家屋は「南アフリカのスイス」という愛称を思い出させる愛らしさだけど(写真取り損ねて残念)、肝心のダムでは寒すぎて外にいられず、数分で車のなかに避難。

現地のWHOが手配して、帰り道で食べるようにとお弁当を受け取りましたが、中身は鳥の丸焼きwithout fork。まさか、手づかみ?・・・空腹には勝てず、車の中で手を油まみれにしてかぶりつく。うまい。異様にうまい。



帰り道はアフリカで25年ぶりという大雪。南アフリカ共和国からレスキュー隊も出たとか。空港にもしんしんと雪が降る。飛行機もすべりそうな凍りかけのしゃりしゃり滑走路を飛んで一路南部アフリカのキーポート、ヨハネスブルグへ。

静かで平和な土地、特に首都を抜けるとまるで時が止まったかのようだ。人は優しく、温かい。ホテルの暖炉では火が燃えていて、空気がひんやり、澄んでいるところ。でも、この平和そうな土地でもエイズが猛威をふるっている。国民の30%という信じがたい感染率の現実。天上の歌声が聞こえそうな山の中で、命の針が逆走する。

人口増加率0.9%、平均寿命34歳。国内18万人の孤児のうち、エイズ孤児の数、10万人。
アフリカ帰り [2006年08月11日(Fri)]
アフリカから帰ってきました!

いやあ、今度はあまりネット環境パソコンがよくなかったので記事を全然アップできず。しかも、いつも写真撮影に使っている自分の携帯電話もモザンビークに忘れてきてしまった困った!最終日で気が抜けたか?だから、記事をアップできるのは先になりそう。でもまあ、無事に全員帰ってきました笑顔

今回は不調が重なり、コーディネーターが労われててどうする幽霊〜〜というようなお仕事振りだったので、周りにも迷惑をかけたし自分もかなり欝入ってます。今月のテーマは心身の健康でいこうと思います。社会人の基礎ですけどね。

アフリカから帰ってきたら、巷はお盆ですね。
みなさん、よい夏を太陽