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「親学」の教科書、親学アドバイザーの手引き [2009年07月31日(Fri)]



当協会の講座テキストをご紹介いたします。
『「親学」の教科書』(写真左) と、『親学アドバイザーの手引き』(写真右) です。

ご注文は協会info@oyagaku.org までお願いいたします。
(書店での一般販売しておりません)

書籍は各1,680円、
送料は1冊で80円、2冊で160円です。

<お知らせ>一般財団法人に登記いたしました [2009年04月01日(Wed)]
本協会は、本日をもちまして、一般財団法人に登記いたしました。

今後ともよろしくお願い申し上げます。
理事からのメッセージ(25) [2008年08月09日(Sat)]
「目標を定めて着々寸進」


あるアマチュアランナーが、マラソンを完走するコツとして次のような方法を紹介しています。

最初はゴールを目指して軽快に走ることができても、やはりだんだん苦しくなってくる。その際、あの電柱まで頑張ろうというように、少し先の目標を定めて走る。そしてその電柱まで着いたら、また少し先に目標を定めて走る。そのくり返しがついには完走につながるというのです。なるほど、この方法なら私でも少しは頑張れそうです。しかしこれは、マラソンに限らず、お互いの人生においても通用するコツではないでしょうか。

大きな希望、理想、志をもつことは大切です。しかし人は、その希望、理想、志が大きければ大きいほど、そこにいたる道のりの遠さに、ともするとくじけそうになりがちです。そこで、少し頑張れば手が届きそうな目標を定めてまず努力してみる。手が届きそうな目標ですから、頑張れば何とか達成できるはずです。そしてその目標を成し遂げればおのずと達成感、充実感が味わえ、そこからもう少し頑張ろうという気持ちも湧き、また新たな目標を定めて努力することができます。希望、理想、志へは、こうしたくり返しによって少しずつ近づいていくことができるというわけです。

当親学推進協会では、「親が変われば子どもも変わる」を基本理念の一つとして活動を展開しています。しかしその際、共働きで忙しい、核家族化によって祖父母に育児、子育てを頼れない、それでなくてもストレスの高い社会、親に何かを求めるのは親を追い詰めることになりかねないのではないかとの意見が寄せられます。たしかに、親に対して過剰な負担を課すことは問題です。育児ストレスに苦しむ母親に、親のあり方が大切≠ニいうだけでは、さらに母親を苦しめることになりかねません。しかしそうだからといって、今のままでいいということにはなりません。やはり、親は親とし成長していくことが求められます。

この世界のどこを捜しても完璧な親はいません。誰しも多かれ少なかれ欠点をもっています。そこで大切なのが、親としての理想を高く持ち、その上で、できることから少しずつ自分自身を高めていくことです。コツコツと目標を定め、それを着実に達成していく中で親は成長を遂げていきます。そしてその親の成長に応じて子どもも大きく変わっていくのです。

半歩ずつで十分です。お互い親として、また人として、少しでもよりよく変わり、成長していくことができるよう努めていきたいものです。

(副理事長 大江 弘)
理事からのメッセージ(24) [2008年07月24日(Thu)]
「愛を注ぎ込む」


何よりもまず親に求められるのは、溢れるほどに子どもに愛を注ぎ込むことでしょう。私はあなたをとても大切に思っている∞私はいつもあなたのことを気にかけている∞私はあなたに幸せになってほしいと願っている≠ネどのメッセージを、抱きしめたり撫でたり優しく触れ合うことで、あるいはことばや目線、食事、身の回りの世話をすることで常に伝え続けることが、親としての最も重要な役割です。

愛し、慈しむことは、必ずしも親でなくてもできます。しかしそれは往々にして、親切にしてくれたら∞言うことをきいてくれたら∞かわいかったら≠ネど、何らかの条件がつきます。親としての愛は決してそういうものではありません。無条件に愛し、慈しむものです。

そうであればこそ、子どもは生れ落ちた世界を好ましいものと受け止め、基本的に社会を信頼して生きることができます。また、自分自身を肯定的に理解し、そこから他人も同様に肯定的に受け止め、より良い人間関係を築いていくことができます。さらに、人や世の中に尽くし、愛することに喜びを感じることができ、そこに生きがいを味わいながら自分の道を歩いていくことができます。つまり、より幸福な人生を送ることができるようになるのです。

親として、子どもに限りない愛を注ぎ込みましょう。何ら躊躇する必要はありません。皆さんの子どもを愛するのに、ためらわねばならない理由は何もありません。また、与えれば与えるほど普通のものはなくなっていきますが、与えれば与えるほど増え高まるのが愛や思いやりです。惜しむことはかえって自分自身の心を貧しいものにし、愛を枯渇させかねません。

親として、躊躇せず、惜しむことなく、全力で子どもに愛を注ぎ込みましょう。

(副理事長 大江 弘)
理事からのメッセージ(23) [2008年05月08日(Thu)]
「意欲と自律心のバランス」

同じ車種でも、力のあるエンジンを積んでいる自動車のほうが、急な坂や荒れた道に強く、スピードも出せます。エンジンは、自動車の性能を決める重要な要因の一つです。しかし、どんなにエンジンが良くても、ハンドルやブレーキ等の性能が悪いと、事故を起こしかねません。目的地に着実にたどりつくのはもとより、快適なドライブを楽しむためにも、エンジンの力とあわせてハンドルやブレーキ等に高い性能が求められます。

人間もまた同様です。何としても成し遂げたい、手に入れたいという強い意欲があってはじめてたいへんな困難も乗り越えることができます。この意欲が弱いと、何かを学ぼうとすることも、みずから努力して何かを成し遂げようとすることもないでしょう。学ぶ力、目的に向かって地道に努力する力、困難を乗り越える力等、すべて意欲の有無、強弱にかかっているわけです。

もちろん意欲ばかりが強くても物事はうまくいきません。何かを成し遂げようとする場合、自分の気持ちを適度におさえつつ他の人と協力し合うことも必要です。またじっと時が来るのを待つ忍耐力なども必要でしょう。すなわち、自分の意欲に振りまわされることなく、自分自身を上手に律する力、自律心が欠かせないのです。

近年、この意欲と自律心の二つの面がともに弱くなってきています。
たとえば何としても手に入れたい、成し遂げたいという意欲が弱くなってきたため、少々の困難にも簡単にくじけてしまう子どもが増えています。一部のニートの場合、そもそも夢や目的を自分の力で持つこともできません。さらに、生きようとする意欲が弱いため、若年層でも自殺者が相当数出ています。意欲の低下には著しいものがあります。

また、じっと我慢する力、自分の気持ちと人の気持ちのバランスを取りながらうまく人間関係を築く力なども弱体化しています。自分の思うとおりにならないといっては切れてしまう、友だちとうまく関わってくことができず、親友と呼べる人が一人もいないなど、いずれも自律心の欠如が一因となっているのではないでしょうか。

意欲だけが強くてもダメ。自律心だけが強くてもダメ。その両方がバランスよく高まっていくことがやはり大事なのです。そうしてこそ子どもは、みずからの人生を豊かにまた目的を持って走っていくことができます。

難しいことかもしれませんが、お互いに、意欲と自律心がともに調和しつつ高まっていくよう十分に配慮しつつ、子どもと関わっていきたいものです。

副理事長 大江 弘
理事からのメッセージ(22) [2008年03月31日(Mon)]
「人生を生き抜く」

平成18年にわが国で自殺した人は3万2125名。そのうち20歳未満の子どもが623人。およそ自殺者全体の2パーセントにあたります。経済大国と呼ばれ、暮らしがどんなに恵まれていても、これほど子どもが自殺してしまう国は、とても豊かな国、幸せな国とは言えないでしょう。

また2005年の「世界価値観調査」によれば、人生の意味や目的について考えることがあると答えた日本人はおよそ80パーセントにのぼっています。多くの日本人が、人生についてしばしば思いを巡らし、ときに生きることに悩んでいるのです。

以上のことを考えると、ある日突然子どもが、次のような質問を投げかけてきても決して不思議ではありません。「お母さん、人生って何だろう?」「お父さん、僕に生きる価値はあるの?」「何のために私は生きているんだろう」さて、これに皆さんはどうお答えになるでしょうか。もちろん答えは一つではありません。正解もありません。おそらく、一人ひとりが体験を通じて学んだことによって答えるしかないでしょう。

そもそも人生は、人「が」生きると書きます。とにかく生きること。何があっても生きること、それが人生ということです。そこでは優劣、美醜、良し悪し、成功しているか失敗しているかは関係がありません。つまり、格好が悪かろうと、失敗と思われるようなものであっても生き切ることが人生です。したがって、人生にはみずから死を選ぶという選択肢ありません。この世に生を享け、人生を歩み始めたときから、皆必死に生き抜くことが求められているのです。

また人生は、人「を」生きるとも書きます。つまり、人として、人間として生きること、言い換えれば、人間の尊厳と品格をもって人間らしく生きることが人生だというわけです。決して、牛のそれでも馬のそれでもありません。人間としての道を生きていくことが人生です。そうしてはじめて、お互い、生きる喜びも味わえます。またそうだからこそ、人生を豊かにするためには、人間力を高めることが重要になるのです。

さらに、人生は、人「と」生きるとも書きます。お互い人間は、決して一人で生きているわけではありません。というより、そもそも一人で生きていってはいけないのです。どんなに嫌なことがあろうと、孤独が好きでも、人とともに生きることが人生です。だから、いかにうまく人と関わっていくか、仲良く暮らしていくか、それが豊かな人生の鍵となります。そこで大切なのが人間関係力であり、コミュニケーション能力です。お互い、より良い人生のために、これらの力を高める努力が欠かせません。

また人生は、人「に」生きると書きます。それは人のために、人に尽くして生きるということです。自然を大切にすることもいいでしょう。動物を愛する心も尊いといえます。しかし、人は人のために何かをすることが大切なのです。ただ人と生きるのではない。人のために生きてこそ、人生の輝きはよりその彩を増していくのです。多くの先人は、そのことを知り、率先して人に尽くして豊かな人生を歩みました。

ここにあげたのは言葉遊びのようなものです。しかし、わずかでも人生の一面を指摘しているのではないでしょうか。親として、また一人の人間として、人生について語り合う一助にでもしていただければ幸いです。
副理事長 大江 弘
理事からのメッセージ(21) [2008年03月07日(Fri)]
「子育ては人生を生き直すチャンス」

これまでの人生を振り返り、何一つ後悔することがないという人は、まずいないでしょう。“あのとき、私はどうしてあんなことをしたのか”“もっと先生の話を素直に聞いていたら、自分の人生はどうなっていただろう”“私はどうして彼にあんなことを言ってしまったのか”など、できるならやり直したいと思うことが、どんな人にも必ずあるはずです。とはいえ、いずれも過ぎ去った事柄、誰にも変えることはできません。

しかし、すべてがまったく取り返しがつかないかというと、そうとも限りません。なぜなら私たちは、子育てを通じて擬似的に人生を生き直し、自分の心に残った傷や痛みを理解し、癒し、自分の成長につなげていくことができるからです。

例えば、子どもが自分の子どものころと同じように、何かにつけすぐに友だちに手をあげてけんかし、ともすると孤立しがちになっているとします。親としては、自分の子どものころを見ているようでいたたまれないでしょう。思わず子どもの手を強く引っ張り、感情的になって怒鳴ってしまうかもしれません。しかし、ただ怒鳴るだけでは、手をあげるくせは直りません。そのままでは子どもは変わらず、親としても自分自身の過去の嫌な一面を見つづけることになってしまいます。

そこで大切なことは、どうして子どもがそんなことをするのかを、感情的にならず冷静に、客観的に理解しようと努めることです。子どもの言動に十分に注意を向け、何が子どもにそうさせているのかを見出すようにすれば、何らかの理由が必ず見えてくるはずです。そしてそれは、どうして自分が子どものころにそうしていたかの理由でもあります。例えば、子どもが手をあげるのは、うまく自分の気持ちを表現できない苛立ちが原因であるからかもしれません。ということは、親である自分もまた、子どものころにそうだったと考えられるわけです。

子どもの問題と向き合うことは、親が自分の過去と向き合うことであり、子どもを理解することは、過去の自分を理解することにつながっています。そして子どもに自分の気持ちの伝え方をゆっくり教え、学ばせることは、親が自分で自分自身を教え諭し、学んでいくことでもあります。そうして子どもの変化、成長とともに、親自身も変化、成長していくことができるのです。

ともすると、子育ては負担だ、面倒だと考えがちです。しかし子育てが、人生を生き直すきっかけになっていることを理解すれば、おのずと子育てに対する姿勢も変わってきます。子どもとともに、生き直すことで心は癒され、さらに成長もはたせるのです。これはとても素晴らしいことではないでしょうか。
(副理事長 大江 弘)
理事からのメッセージ(20) [2008年02月04日(Mon)]
「礼儀・マナーの躾をするのは家庭か学校か」

通信教育大手の株式会社ユーキャンが、20代〜60代の男女に「小学校で行われている通常の授業以外にどのような授業が必要だと思うか」をアンケート調査したところ、最も多かったのが71.6パーセントで「礼儀・マナー」。次いで多かったのは64.4パーセントの「道徳・倫理(命の大切さ)」、以下48.8パーセントの「自然体験」、38.0パーセントの「ボランティア」、37.6パーセントの「高齢者との交流」と続き、勉強に関わる回答は32.2パーセントの「外国語(英会話等)」でかろうじて6番目に入っているそうです。

このアンケート調査から、子どもの社会性や人間性、人間関係力等に関わる力の弱体化に、多くの人が危機感を抱いているということがわかります。学級崩壊、いじめや不登校、引きこもり、さらには非行や少年犯罪などといった子どもの現状を見れば、こうした結果になるのも当然かもしれません。しかし、本来「礼儀・マナー」から「高齢者との交流」までのトップ5の回答は、家庭教育で躾け、体験させるべき基礎課題です。それを学校教育に求めるのは無理難題を押し付けるようなものではないでしょうか。

現在学校には、安全教育、IT教育、環境教育、性教育等など、かつてはなかった数多くの事柄が求められるようになっています。その上に、それらの授業を追加しろといわれても、まず不可能です。結果的に、当たり障りのない表面をなぞる程度のことしかできないに違いありません。小学校に期待できるのはせいぜい家庭教育で躾けられたそれらのフォローアップ、ブラッシュアップを行う程度なのです。にもかかわらず、小学校の授業としてそれらを実施すべきとする人が多いというのは、おそらくたくさんの人が、“もう家庭教育には何ら期待できない”と考えているからでしょう。

やはり、家庭で教育し、躾けるべきことは家庭で行う。この当然のことを、当然のこととして親が勇気と固い決意をもって取り組むことがまず求められます。

そもそも基本的事柄は皆共通しているにしても、「礼儀・マナー」にはある程度地域色、家庭の伝統というものもあります。必ずしも学校が全国一律で教育ができるものではありません。「道徳・倫理」とは、まさしく価値観そのものです。それを教師にすべて委ねることは、親としての存在価値をみずから放棄するようなものでしょう。“人生、いかに生きるべきか”“人間はどうあるべきか”等、そこにこそ親が自分自身の生き様を通じて伝えるべき欠くべからざるものがあります。さらに「自然体験」も「ボランティア」や「高齢者との交流」も、すべて親が、日々の暮らしの中でごく日常的に与えることができる体験のはずです。それらを学校の授業にしてしまっては、かえって不自然なものとなり、奉仕の精神を損ない、敬老の念を失うことになりかねないでしょう。

もちろん小学校に期待すべきことは期待し、委ねるべきは委ねるべきです。しかし、何より親として、お互い家庭で担うべきことはきっちりと担うようにすることが大切です。言うまでもなく、そこには完璧も正解もありません。自信がなくて結構です。恐る恐るで十分です。まず、親であるみずからの足元から始めることが重要なのです。
(副理事長 大江 弘)
理事からのメッセージ(19) [2008年01月13日(Sun)]
「夢は体験の中から芽生える」


しばしば大人は、子どもに「夢を持て」といいます。夢を持つことで生きる力がわく。夢に向かって努力することで成長が促がされる。さらに努力の甲斐があって夢が実現できれば、より幸せな人生を送ることができる。たしかに夢を持つことは大切なことです。

しかし夢は、ただ「持て」と言われて持つことができるものではありません。また、じっと夢について思いを巡らすことで見つかるものでもありません。夢は、みずからの実地の体験の中で、新たな気づきや発見、感動を得ることによって、おのずと心に芽生えるものなのです。したがって、学校と塾、家の往復、あるいはテレビやテレビゲームだけという限られた体験からは、同様に限られた夢しか生まれてきません。また、そもそもそんな暮らしでは心が鈍くなりがちで、何の発見も気づきも得られないため、小さな夢さえもちにくくなります。

ある夢についてのアンケート調査では、小学生の1位がプロ野球選手等、2位がケーキ屋・パティシエ等、3位がサッカー選手等、4位が幼稚園教諭・保育士、5位が看護士。そして中学生では、1位が幼稚園教諭・保育士、2位が平凡で楽しく幸せな家庭、3位が高校合格・大学入学、4位がプロ野球選手等、5位がケーキ屋・パティシエ等だったそうです。いずれも子どもたちの身近な暮らしの中での体験が、夢に深く関わっていることがわかります。

大切なことは、ただ「夢を持て」というのではなく、日々の暮らしの中でさまざまな体験ができるように子どもの環境を整えてあげることです。「夢を持て」という前に、親・保護者として、どれほど豊かで多様な体験ができる環境を与えられているでしょうか。自らを顧みるとともに、それぞれに創意工夫を凝らしていただければと思います。

また、親学の観点からすれば、何より重要なのは、まず親・保護者自身が夢を持って毎日を力強く生きることです。その際、夢がある親・保護者の方は、子どものためにも自分自身のためにもその実現に是非まい進してください。その姿が子どもの心に夢を芽生えさせる大きなきっかけとなります。どうも夢らしい夢がないという親・保護者の方は、部屋を飛び出し、子どもと一緒にいろんな体験を重ねるようにしてみてください。そしてわずかでも興味がもてるものがあればどんどんチャレンジしてみていただければと思います。そうした取り組みを重ねる中で、きっと何らかの夢が、子どもの心にも親・保護者の方の心にも芽生え、毎日がより豊かになってくるはずです。
(副理事長 大江弘)
理事からのメッセージ(18) [2007年12月08日(Sat)]
「人間観を省みよう」

「人間とは何か」「人間はどんな本質を持っているのか」「人間はどう生きるべきか」等、人間に関わるものの見方、考え方を人間観といいます。たとえば、「人間は考える葦のようなもの」「人間は道具を使う動物」「人間の本性は善である」「人間は弱い存在」などなど、いずれも人間観の一つです。そして意識するしないにかかわらず、すべての人がこうした何らかの人間観を持って生きています。

いや、そんな人間観というような小難しいものは持っていないという方もいらっしゃるかもしれません。しかし、たとえば周りの人間の言うことはいつも疑ってかかるという人の場合、当人は意識していなくても、「人間は信用できないもの」という人間観が心の奥にあると考えられるでしょう。結局、どんな人も何らかの人間観を持っており、それがその人の言動を左右し、その人の生き方をも決めているのです。

とすれば、人間観を軽視し、疎かに扱うわけにはいきません。無意識のうちに偏った、あまり好ましくない人間観に基づいて行動しないよう注意する必要があります。とりわけ親は、しっかりとした人間観を持つことが求められます。子どもは親の言動を通じ、親の意識していない人間観までも見習い、身に着けてしまうからです。「人を見たら泥棒と思え」などというような乱暴な人間観もありますが、そんなことを子どもに教え、子どものものの見方や考え方、生き方を決めてよいものでしょうか。やはり、しっかりと自分自身が納得するのはもちろんのこと、親として子どもに自信を持って伝えることができる人間観を持つよう心がけなければならないでしょう。

もとより、どんな人間観が好ましいか、それは一概には言えません。それについてはそれぞれの人が、理想をもって懸命に生きつつ、経験、研鑽を積む中で見出すしかありません。人間としての成長を通じて学び続けるしかないわけです。

お互いのために、そして子どもたちのよりよい人生のために、まずは自分自身がどんな人間観をもっているのか、そしてそれが適切かどうか、日ごろから省みるようにしたいものです。

(大江弘 理事)
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