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一般財団法人 親学推進協会の公式メールマガジンに投稿した
「図書紹介」を画像付きで掲載します。

2018年08月20日

103号

『技芸(アート)としてのカウンセリング入門』
著 者: 杉原保史
発 行:創元社、2012年

紹介者から

 本書は「カウンセリングに興味や関心を抱いている一般の方々に向けて書かれたカウンセリングの入門書」です。実際の現場で役立つことを優先した実用書といえるでしょう。

 本書における著者(杉原先生)の立場は明確です。カウンセリングの実践を学問や科学ではなく、技芸(アート)として捉えています。アート、特にパフォーミング・アートだからこそ、音楽や演劇の学校のように演奏できること、演じられることが重視されるのです。先生の見本をマネながら、自分のスタイルを確立していく習得方法だといえるでしょう。

 同様のことは親学にもいえるはずです。理論と実践の関係は非常に複雑ですが、どちらも何のためにやっているのかについて考えてみることで、一人ひとりのなかで意味づけられていくのだと思います。

 第二章「カウンセラーの聴き方」から特に印象的だった部分を要約して紹介します。

本書から
 カウンセラーは、クライエントのつらい体験などを聴いても、すぐには慰めません。慰める代わりにすることは、「目覚めさせる体験」(awakening experience)に向かって共に歩もうとします。

 実存的心理療法家のアーヴィン・ヤーロム(2008)が使ったこの言葉(目覚めさせる体験)は、死に直面した人が人生の有限性を深く自覚して、それまでの生き方を根本的に見直して、大きな成長的変化を遂げるときのきっかけ(契機)になる体験を指します。

 一例を挙げます。教育実習に行ってうまく行かなかった学生に対して、ある教授は「そんなことは気にする必要はない。僕にもそんなことがあったけど、こうしてやっているから大丈夫だ」と慰めたことがありました。しかしながら、その学生は退学を選択しました。

 この場合、失敗した体験を追い払ってしまうことではなくて、挫折を「体験し尽くす」ことを通して、自分に何が不足していて、どのように補っていけばいいのかを考え、理解する契機とすることで、多くのことを学ぶ機会にすることができます。

 クライエントがつらい体験を語るとき、「目覚めさせる体験」にまで高めようとするカウンセラーは、共にそちらに向かって歩んでいこうとします。もちろんこの姿勢は、突き放した冷ややかな態度で眺めることを薦めるものではなく、つらい体験をみつめて、率直に語るという大変な仕事をサポートしながら、共に問題を味わおうとする態度です。

熟達したカウンセラーは、問題のなかで落ち着いて身を置くことをみせることによって、モデルを示しているのです。
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2018年07月15日

102号


『脳を鍛えるには運動しかない!最新科学でわかった脳細胞の増やし方』

 著 者:ジョン・J・レイティ/エリック・ヘイガーマン

 訳 者:野中香方子

 発 行:NHK出版、2013年

紹介者から
 運動でやる気や集中力を生み出すことができる。
取材で訪れたある幼稚園の話です。登園した子供達は、到着するやいなや身体を使って遊び始めました。運動した後に集中が訪れることを、この幼稚園は知っていたのです。しばらく運動した後でチャイムが鳴ると、整列を始めて静かに園長先生のお話を聞いていました。

 本書は、運動することで脳が鍛えられることを様々な角度から実証的に根拠づけています。著者のレイティは「運動の第一の目的は、脳を育ててよい状態に保つことにある」というのです。どのような運動が、どのような症状に影響を与えるのか。ストレスや不安、うつや女性ホルモン、加齢などへの影響について読み応え十分のボリュームで語られています。

 一例を紹介すると、アメリカ・シカゴにある高等学校では、一定以上の成績に満たない生徒は希望すれば0(ゼロ)時間目が設けられます。1時間目が始まる前に集合して、心拍計をつけてランニングを終えてから授業に臨むのです。

これには、参加しない生徒よりも成績が向上するという科学的な根拠があるからです。日本でも授業前に校庭で運動する小学校があるように、学習前の運動は理に適っていると言えそうです。

 では、どのような運動がよいのでしょうか。例えば30分のジョギングを週に二から三回、12週間続けると頭のキレを保つ機能が向上することが確認されています。肝心なのは何かをすることで始めることが大切なのだと強調しています。

 有酸素運動以外の運動では、例えば筋力トレーニングが紹介されています。
脳に及ぼす影響を研究したものには、有酸素運動のように記憶や学習に影響を与えるものよりも、気分や不安、自信などの精神面での健康が増進することを扱うものが多いようです。

 統計によると、運動を習慣にしようとした人の約半分は、半年から一年以内に諦めてしまっています。その最大の理由はいきなり高強度の運動を始めることなのだそうです。身体にも心にも無理は禁物です。やめてしまうよりは、低強度でも続けていた方がはるかにいいのです。

 著者は、次のメッセージで本書を締めくくっています。

「私たちは動くように生まれついている。動いているとき、あなたの人生は燃え始める」。

やる気スイッチの入れるコツは、運動にあるのかもしれません。
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2018年06月15日

101号


『内向型を強みにする-おとなしい人が活躍するためのガイド』

 著 者:マーティ・O・レイニー

 訳 者:務台夏子

 発 行:パンローリング、2013年(原著2002年、『小心者が世界を変える』(2006年)の新装改訂版)



紹介者から
 子供のやる気スイッチに関わるもう一つのテーマは「充電」です。やる気に満ちた行動の背景には適切なエネルギー補給が欠かせません。何をしているときに「充電」できるのか。意外と見落とされがちなやる気を生むための方法についてご紹介いたします。

 私たちの周りには、たくさんの人と会って話をしたり色々な場所を訪れてみることで活力がみなぎるタイプの人もいれば、一人の時間を大切にしたり親しい数人のたちとの関わりを大切にする人もいます。

 一般的には、コミュニケーションを活発にとるタイプが外向型で、一人の時間を好むタイプが内向型と考えられていますが、今号ではそうしたアウトプット(出力)の方式ではなくて、インプット(入力・充電)の方法に注目してみます。

 本書を読むと、やる気スイッチのヒントが見つけやすくなるかもしれません。
内向型・外向型診断の小テストもついていますので、自分の充電方法もわかります。

本書から
 あなたがリフレッシュしたと感じるのは、どっちだろう。「静かに過ごした後(内向型)」か「活動的に過ごした後(外向型)」か。

 すべての人間には多くの面があるため、どちらも持ち合わせているだろうが、エネルギーをあまり消費せずにすむ自然な居場所はだれにでもある。年を取るにつけて、わたしたちのほとんどは、外向と内向の連続体の中央に近づいていくものだが、スタート地点はそれぞれ異なっている。

 内向性の人は、充電式バッテリーに似ている。一旦エネルギーを使うのをやめて充電のための休息が必要だからだ。休息は刺激の少ない環境でじっくりと考えながら行われる。

 たとえば「久々にビルにあえてうれしかったけど、パーティーが終わってくれてよかった」とほっとしてそう思う。

 外向型の人は、ソーラーパネルに似ている。充電のためには太陽を必要とし、外に出て人と交わる必要がある。様々な刺激のなかで活気づくため、大きな網をかけて情報や経験を得ようとする。たとえば「パーティーではあちらこちらと飛び回って、それぞれの会話のいいところだけを聞くのが好き」などという。

生きるとは経験を収集することなのだ。

こうした特性から、外向型が社交的だと考えられるが、そうともいいきれない。内向型は、外向型と違った社交性を発揮している。多くの人との付き合いよりも、親しい数人との強い結びつきを好み、自分に栄養とエネルギーを与えてくれる中身の濃い会話を好む。

 これらの特徴は子育ての場面では、どのようにあらわれるのだろう。たとえば内向型の親が外向型の子供を育てる場合などのように、組み合わせによっては子育てに困難を感じることもあるだろう。

 そんなときに、一人の時間を持つことで充電するタイプか、活動的に動くことが充電になるタイプかを知っておくと、子供の心身のシグナルを読み取りやすくなり、私たちはもっと子供の力になれる。
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2018年05月15日

100号


『モチベーション改革 稼ぐために働きたくない世代の解体書』

 著 者:尾原和啓

 発 行:幻冬舎、2017年

紹介者から
 子供のやる気スイッチをテーマにした親学講座で、幼稚園児の母親から「私のやる気スイッチを探して欲しい」との声があがりました。

 このような反応は、親学あるあるですが、最近は少し増えてきたような気もします。子育てに限らず、親世代のモチベーションに変化が起きているのでしょうか。

 本書は、モチベーションに焦点を当てて、30代前後(親世代)とその親世代(祖父母世代)の特徴を比較しています。「やる気」変化の背景を覗いてみましょう。

本書から
 時代の変化、右肩上がりの終焉
仕事を頑張った分だけ結果が出て、社会全体が成長していく時代は終わった。その理由には、人口減少による経済成長が見込めないことと、IT革命とグローバル化による変化スピードの加速がある。

社会経済の基軸は「決められたことをひたすらやる」時代から「消費者の潜在的な欲求を発見し提案する」方向に変化している。

「決められたことをひたすらやる」ことに価値を置いていた世代(祖父母世代)にとっては、何かを「達成」することはモチベーションに欠かせないものであった。何のために、何をやるかは社会や世間、会社が決めてくれたので、達成するものの大きさが大事であった。安定した経済、家計のために、具体的な目標はなくても全力で物理的な達成を追い求めることに幸福があった。

 一方で、その世代の子供たち(30代前後の子育て中の親世代)は、物心ついたときから、物質的に恵まれて育っているので、物質的な「達成」(マイホーム、高級車、海外旅行など)はモチベーションに直結しにくい。欲望に乾くことができない世代といえる。

 この「乾けない」世代(30代前後)は、やることの意味や、人間関係、没頭して取り組めることに価値を置く。世界や国や会社のような大きな目標のために自分を犠牲にして働く自分の親世代を見てきていることもあって、そこには価値を置かずに、「自分にとってやる意味を見いだせるものを、好きな仲間たちと一緒に、没頭して取り組む」ことに幸せを感じる。趣味のボランティアであれば延長を引き受けるが、サービス残業は一切しないように、自分の時間は犠牲にしたくない。

 このように「好きなことに夢中になれるか」、「好きな人と笑顔でいれるか」、「この作業をやる意味を見いだせるか」が見つからないと、とたんにやる気が起きなくなる。

 この世代が輝くためには、心理的な安全性を保障する必要がある。「人として見てくれているか」が、心理的安全性には欠かせない。人として認め合うことで自分の色を全部出し合って彩りある未来の絵を描いていくことができるようになる。
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2018年04月16日

99号


『支援者が成長するための50の原則−あなたの心と力を築く物語−』

 著 者:川村 隆彦

 発 行:中央法規出版、2006年

紹介者から
 本書は、ソーシャルワーカーを育成してきた筆者の立場から「支援者としての心と力を築くことで、実践力を高める」ことを目的としています。内容は人間性、専門職倫理、専門スキルに分かれますが、今号は特に親学活動の手がかりになる自己効力感について要約してお伝えします。

本書から
 自己効力感は人間存在の基盤になるもので「自分自身が価値ある存在であるという肯定的な感情」を指す。低くなると、周りの評価ばかりが気になってしまう。

 ソーシャルワーカーが関わる子供たちには「あなたはすばらしい価値をもった人間ですよ」とメッセージを送ることが求められる。このメッセージは、両親から愛をもらえない子供たちにとっては、その日に受け取る唯一の称賛の言葉になるからだ。

 支援者には、ある程度高くて、安定した自己効力感が求められる。自分の感情に左右されない一貫した態度が生まれてくると、問題を抱える人がどのような強さでぶつかってきても、その強さに応じた支援を返すことができるようになる。

 支援者自身の優しい・厳しい人柄に関係なく、固い壁のように一貫した態度が支援には求められる。そのためにも支援者自身の自己効力感を養うことが大切だ。自分自身を信頼する力を高めること、自分自身の存在価値について考える機会を設けることで、内面の強さが得られて力が湧いてくる。

「あなたは、いつか自分が高貴なすばらしい存在であることに気づかなければならない。そうでなければ、どうして相手も価値ある存在であると理解できるだろうか(p35)」
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2018年03月15日

98号

『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』

 著 者:中野信子
 発 行:幻冬舎、2018年

紹介者から---
 「シャーデンフロイデ」とは、他人を引きずり下ろしたときに生まれる快感を指しています。成功した人のちょっとした失敗をネット上で糾弾して喜びに浸るような行動の背景には、脳内物質「オキシトシン」が関わっているようです。

 オキシトシンといえば、親学では母性原理の源として知られています。人と人との愛着を形成するために欠かせないこの脳内ホルモンが、実は「妬み」の感情を高めている、というのです。愛と絆の背後にある妬みの正体をみていきましょう。

本書から(一部要約しました)---
 「シャーデンフロイデ(独:Schadenfreude)」は、誰かが失敗したときに思わず沸き起こってしまう喜びのことで、「オキシトシン」と深い関わりを持っています。

 オキシトシンは、俗に愛情ホルモン、幸せホルモンなどと呼ばれていて、基本的には人間に良い影響を与える物質と考えられています。しかし、最近ではオキシトシンが仲間を大切にする気持ちや安心感や活力、幸福感と同時に妬みの感情を強める働きを持つことがわかってきました。

 オキシトシンは「人と人とのつながりを強める」働きがあります。したがって、そのつながりが切れそうになると、それを阻止しようとする行動を促すのです。

それは「私から離れないで」であったり、「私たちの絆を断ち切ろうとすることは許さない」となります。こうしたことから、オキシトシンはあればあるほどよいというわけではなく、適度なバランスが保たれていることが大切だとわかります。

 オキシトシンは触れ合うことで分泌が増えるため、特に母子間で愛着の絆が深まりますが、この愛着は母親が子供から離れないようにも働きかけています。ですから、母親は子供から離れると強い不安を感じるように脳が変化しているといってもよいでしょう。

 この働きは子供が小さいうちはとても有効なのですが、子供が成人した後もこの愛着は残り続けます。大部分の母親は、子供の独り立ちに寂しさを覚えながらも、立派な成長に喜びを感じて、時間をかけながら受容しますが、一部にはそうすることができない母親がいるのです。いわゆる毒親脳の誕生です。

「あなたのためを思っている」という愛は、子供の支配に変わり、ときには傷つけることにつながりかねません。この「よかれと思って」の気持ちが必ずしも子供を守ることにつながらないこともある、ということを意識しておいたほうがいいでしょう。愛はそれだけでは成立せず、深い憎しみがこれを裏打ちしているのです。
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2018年02月15日

97号

『ヒトは「いじめ」をやめられない』
著 者:中野信子
発 行:小学館、2017年

紹介者から---
 本書は、大人や子供を問わず「いじめ」の防止と対応について脳科学の視点から検討しています。筆者は、いじめは「人間に備わっている機能による行為」であるとして「いじめ」をなくすことは難しいといいます。

 大人が子供に向かっていくら「いじめ」はよくないと言っても一向に効果をみせないのは、脳に備わった異物を集団から排除しようとする機能に由来するからだというのです。

特に興味深かったことは、「いじめ」を回避するには特定の分野で「あの人には敵わない」と思わせることが有効だということでした。

 大人の「いじめ」への対策としては「以前は・・・でしたが、最新のデータでは・・・だといわれています」などのように理論的に論拠を示すことが有効なのだそうです。

 オキシトシンやセロトニン、ドーパミンなど、親学でもよく耳にする脳内物質の話にはじまり、脳科学的にいじめを分析していますが、その背景にはいじめは脳機能を背景にするから防ぐことができないとする悲観的なものではなく、「脳機能だからこそコントロールできる」とする立場です。

そのためには、学校でも社会でもできるだけたくさんの人と交流することで、狭い人間関係のなかで異物を排除しようとするいじめの機能は弱まるのではないか、主張しています。

道徳の問題を脳科学の観点から考えることで、新しい道徳心理学の地平がみえたように思います。

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2018年01月15日

96号

 『「甘え」の構造』(増補普及版)
 著 者:土居健郎
 発 行:弘文堂、1971/2007年

紹介者から---
 公私混同というように「日本人は公私の意識が薄い」と言われることがあります。この場合の公と私は、西洋のそれではなく内と外という日本的な連帯感を伴うために、欧米文化から見ると分かりづらいように見えるのかもしれません。そして、この内と外を分ける基準は「遠慮」の有無にあるというのが本書の主張です。

 日本の文化では、遠慮のない関係にある人を内、遠慮が必要な関係にある人を外と区別しています。その背景には本書のタイトルにある「甘え」があるのではないかというのです。遠慮なく甘えられる人間関係を内の感覚として大切にしてきたという視点です。本書を読むと「内と」、「公と私」の感覚が絡み合いながら、様々な状況で私たちの規範意識に影響を与えていることに気づきます。
 親学に応用してみると次のように考えられそうです。まず私の親学と公の親学。そして内の親学と外の親学です。日本社会のなかで社会的に親学への期待が高まったきっかけには、ここでいうところの私の親学が目立つようになったということができそうです。

言い換えると、親の立場にある人が私優位の感覚でする子育てに対して、公私・内外の意識を再起して調和がとれるようにするための場づくりや仕組みが社会的に求められるようになったということができるかと思います。

公と私、内と外の規範意識が絡みあう日本社会で本書が指摘する「甘え」の構造を理解することは、親学を我が国で展開するうえで役立つものといえるでしょう。

本書から(一部要約。「小見出し」は紹介者)---
 「甘えが成立する関係」
 甘えは、親しい二者関係を前提にするため、相手が自分に対して好意をもっていることがわかっている必要がある。肝腎なのは相手の好意がわかっているということである。

 「甘えのメリット、デメリット」
 日本人は集団と一体になることによって、個人としては持ち得ない力を発揮するということができると考えてきた。(一方で)他人を甘えによってとろかして、その他者性を消失させてしまおうとする働きをもっている。

 「なぜ、感謝するのにすみませんと言うのか」
 日本人は、親切の好意に対して単純に感謝するのでは足れりとせず、相手の迷惑を想像して詫びているのは、相手が非礼ととって、結果として相手の好意を失いはしないかと恐れるためとはいえないだろうか。相手の好意を失いたくないので、そして今後も末永く甘えさせてほしいと思うので、日本人は「すまない」という言葉を頻発すると考えることができる。

 「甘えさせてくれる人に求めること」
 何でも打ち明けることができて泳がしてくれる人。私に助言と承認を与えてくれる人。(注:日本式「甘え」文化のなかでは親学アドバイザーの役割はここにあると思います)
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2017年12月15日

95号

 『「若者」とは誰か−アイデンティティの30年』

 著 者:浅野智彦
 発 行:河出書房新社、2015年

紹介者から----
 若者とは誰のことか。本書はこの問いから始まっている。
 現代の若者は、時々の状況や関係によって「キャラ」を使い分けて生活している。したがって、ひとまとまりに若者を特定しようとすると、どの関係のなかでの若者かをはっきりと示さなければ、得難いものになっている。

かつて、ある一定の年齢になるとほとんど自動的にライフイベント(就職や結婚、子育てや退職、老後)が起きていた時代があった。その時代には、ある一定の年齢期にある人々を若者と呼ぶことが容易であったが、現代ではその定義づけが難しくなっている。

 本書は、若者のアイデンティティに焦点を当て、現代に至るまでの30年史を扱っている。

 親学が援助の対象と想定している人々は、ここで扱われている多元的な自己像が一般化しつつある社会のなかで子育てをしている。この本を読むと、私たち(親学アドバイザー)が関わる対象が育ってきた時代の状況や、彼らの行動の背景を垣間見ることができる。

本書から---
 1980年代に進展した消費社会文化によって、若者のライフスタイルは多様化していき、1990年代以降には社会経済的な状況の変動にともなって就職や結婚など人生の節目となる移行が従前のように滑らかには進まなくなるとともに、そのタイミングも人によってばらつきの大きいものとなる。

 考えてみると、ある時期まで若者をひとまとまりの集団として扱うことができていたのは、ライフコースやスタイルが比較的、似通った形に標準化されていたからではなかったか。その意味で若者というアイデンティティは、戦後日本のある時期に成立し、安定していた諸制度の相関物ということになるのかもしれない。(pp220-221)
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2017年11月16日

94号

『現代思想の使い方』

著 者:高田明典
発 行:秀和システム、2006年

紹介者から----
 対人援助の場面で、私たち援助者に望まれる態度の一つに「無知の知」アプローチがあります。これは「私にはよく分からないので、教えていただけませんか」という姿勢です。

そこでは「支援する人」と「支援される人」ではなくて、相手と目線を合わせて物語を聴かせていただこうとします。この本で取り上げているケネス・ガーゲンは、このような立場を「ナラティブ・プラクティス」と説明しています。本書では「説得する」のではなくて「説得されにいく」と紹介しています。

本書から---
 問題解決のために対話や話し合いをしようとしても、相手に聞く耳がなければ対話そのものが成り立たないことがあります。いくら自分に話し合う意思があっても、相手の態度次第では解決の糸口さえみつけることができないことがあるのです。

 なぜこのようなことがおこるのでしょうか。また、このような時にどうすれば少しでも改善につなげることができるのでしょう。

 まず、人が聞く耳を持たなくなるのは、どのようなときかを考えてみます。例えば、相手の指摘は痛いほど分かるものの変更することができないときや、他人から強制されているように感じるときに私たちは不愉快になります。

 このようなときに、その人の話を教えてもらおうとするのです。この立場に身を置くと、私たち側の価値観が変わる可能性がありますが、それはそれで好ましいことと考えて、「私はあなたの世界のことや、あなたが考えていること、知っていることを全く知らないので、教えてほしい」というアプローチをとります。援助者が「説得する」のではなくて「説得されに」行こうとするのです。

このアプローチは、妥協への道ではありません。双方の努力で最も好ましい解決策としての新しい物語を作り上げようとするものです。
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