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クリスマスツリーと気候変動[2011年12月04日(Sun)]
私が勤めるFisheries Centre(漁業センター)にクリスマスツリーが飾られた。イギリスにいた時は特に、街頭にクリスマスセールの宣伝としての飾り付けが出る時期が年々早くなっている気がした。

不況の中、人々が家族とともに過ごす心安らぐ3日間を待ち望んでいる中、早くから街に鳴り響くクリスマスソングに当日はもう消化不良気味だったのを覚えている。

カナダでの生活は、私の住居が大学構内にあるため、商戦がらみのクリスマスソングの応酬はないが、今年は国内では東北大地震、国外では数々の災害に加え,「オキュパイ」デモで問われる経済格差問題の深刻化と人々の厳しい生活状況を考えるとクリスマスツリーの灯りも単純に楽しむ事が出来ない。

先日、アメリカでは、103歳の老人に自宅から立ち退き命令がでるというニュースが流れていた。一方で、ABCニュースでは労働雇用問題の解決策として「最低賃金をなくす」「失業保険をカットする」等と提案していた。問題解決を単純なカット戦略に「翻訳」されてしまう事は、漁業で言えば、資源減少に関して単純に漁師に「穫るな!」というのと同じ理屈である。

世界的な問題について、個人的な責任は、モラルの議論だ。例えば、気候変動(Climate Change)に関して、日曜のドライブをやめる事と、問題解決につながる政策を支援する事のどちらが個人的な責任であろうか?科学的見解によって、私達はこのような選択を迫られる事はない。魚資源の問題も同様に、科学的な見解のみによって、私達は、「魚を穫るな!」「食べるな!」という選択を迫られる事はないだろう。

消費者は、温暖化抑制の為にドライブに行かない事や、資源状況が問題視される魚を食べない事を個人的に迫られるべきであろうか?そのような選択を迫られる事のない、「許される数日間」を求めクリスマスツリーを飾り付けている訳ではないが、いつの日か、科学ではなく哲学の話をネレウスプログラムでも行わなければならないと考えている。

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