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海洋政策研究所ブログ

海洋の総合管理や海事産業の持続可能な発展のために、海洋関係事業及び海事関係事業において、相互に関連を深めながら国際性を高め、社会への貢献に資する政策等の実現を目指して各種事業を展開しています。


海のジグソーピース No.64 <2020 東京オリンピック会場を砂浜社会学的に見ると!> [2018年01月24日(Wed)]

 日本全国、世界各地の砂浜ファンのみなさま、こんにちは。日本では、普段あまり取り上げられることが少ない砂浜の問題に社会学的切り口から取り組む研究員の塩入です。今回も、これまでの2回の私のブログ(No.36No.12)に続き、砂浜に関する話題をご提供します。

 2020年の東京オリンピック開催まで、残すところ900日余りとなりました。今大会では、セーリング(ヨット)だけでなく、追加種目としてサーフィンが加わり、海という自然を舞台に繰り広げられるマリンスポーツが注目されます。

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ヨットレース(出典:神奈川県ホームページ)

 また、マリンスポーツの競技そのものだけでなく、大会開催地の海や、その環境、さらには環境を守ってきた地元地域社会の取り組みについてもしっかりと情報を発信し、海を守るという意識を日本から世界に発信していければこの上ない喜びです。

 さて、砂浜をはじめとする海浜は、欧米諸国と同様に、日本でも自由使用(フリーアクセス)が認められており、特に日本では、伝統的に、祭礼、地引網・網干しなどの漁業活動、明治期以降は、海水浴や潮干狩り、釣りなどのレジャー、結核療養地としての利用価値が認められ親しまれてきました。また、今日では、サーフィン、ビーチバレー、ライフセービング、パラグライダー、ビーチコーミングやウミガメなど、自然環境に向き合うさまざまな活動を支え、新しい発想を与えてくれる場ともなっています。そして、砂浜に関心を寄せる地域社会では、自由使用原則に立ちつつも、独占利用・事故・環境問題などを防ぐためのローカル・ルールを整えるなど、地域独自の持続可能な活用に向けた努力が続けられています。

 そこで今回のブログでは、1964年の東京オリンピックに引き続き2度目のヨット・セーリング競技会場となった神奈川県の湘南海岸および、2020年オリンピックで追加競技に選ばれたサーフィン競技会場である千葉県の釣ヶ崎海岸を取り上げ、オリンピック開催公式ホームページでは紹介されない、これらの海浜地域における砂浜の利用の歴史と地域の人々の砂浜保全の取り組みについて紹介します。

1.湘南海岸
 江戸時代の鎖国体制が終わり、近代日本として開国した明治時代、横浜居留地に住む外国人の中には、避暑地・保養地を求め、軽井沢、箱根、湘南などに、日本人の名義を借りて別荘を所有する人々が現れ始めました。そして、横浜居留地の外国人が外出を許されていた10里(約40km)以内にある湘南地域には、とりわけ多くの別荘が出現しました。

 その後、1887年(明治20年)の東海道線の開通、1894(明治27)年の葉山御用邸の開設など、交通の便やイメージが向上する中で、山や沢が近く飲み水を得やすい江ノ島(藤沢市)から東側の地域を中心に、政府高官・特権階級などの間で別荘を構える者が多く見られるようになりました。しかし、江ノ島から西側の地域(藤沢の鵠沼(くげぬま)から茅ヶ崎)は、水が得にくく、風の強い広大な砂地地帯が広がるだけであり、海浜の地引網漁を除くと、江戸時代からの幕府鉄砲場(明治時代は海軍演習場)としての活用が主なものであり、田畑の開拓などは厳しく制限されていました。しかし、明治新政府における財源確保や土地私的所有の明確化を目的とした地租改正(1873年)が進み、時代の流れの中で、1900年頃に鵠沼(藤沢市)の25万坪(80ha)を超える広大な砂地が、民間へと払い下げられ、その後に、別荘分譲地として計画的な開発が行われることとなりました。また、別荘地開発においては、水の確保、砂丘などの自然地形を活かして植えられたクロマツ防風林や道路の整備が行われ、今日の街並みの基礎を築くこととなりました。

 1891(明治24)年には、江ノ島の背後の波が穏やかな片瀬東浜に、学習院遊泳演習場が隅田川(両国)より移転し、1897(明治30)年には、志賀直哉、芥川龍之介などの文化人が集う旅館「東屋(あずまや)」が開業し、大いに賑わったようです。また、結核療養(サナトリウム)のために都会から転居してくる家族も多くありました。そして、1923(大正12)年の関東大震災後には、東京市内の被害を逃れてきた政治家、官僚、企業家、高級将校などの転居が続き、別荘地から高級住宅地へと様相を変化させていきました。

 また、このような発展が続く中で、海浜地域の秩序だった開発が必要性も見え始め、1930(昭和5)年には、当時の神奈川県知事であった山県治郎が、沿岸道路をはじめとした地域のグランドデザインを唱えました。そして、海岸林や幹線道路の整備において、自然環境と共存することを考慮し、海岸線からの距離感を保ちつつ、海側に防風林を配置し、その後ろに海岸遊歩道・乗馬道・車道、山手遊歩道を配置するという都市計画を策定しました。また、これに基づき1936(昭和11)年に、県道片瀬大磯線(湘南海岸公園道路)が完成し、今日の砂浜・防風林から道路・住宅地に至る距離感を持ったランドスケープの基礎を確立するに至りました。

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出典:昭和11年:直営執行府縣道片瀬大磯線道路新設工事概要, 神奈川県公文書館

 そんな中、1941(昭和16)年からの太平洋戦争中においては、海岸と防風林一帯は、再び軍の管理下に置かれ、一時期は完全に荒廃しますが、戦後は、また復興を遂げました。さらに、1960年代の高度経済成長期や、1980年代のバブル経済期の沿岸部における数々の開発構想が打ち出される中でも、地域の財産として砂浜環境を守りたいという地域住民、サーフィン、ライフセービング、環境に関心を持つ人々の熱心な議論や、働きかけが行われ、今日もなお、東海道沿線の砂浜と青松の風景を守っています。

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湘南海岸の夕焼けと富士山(著者撮影)

 なお、1964年の東京オリンピックでは、ヨット競技の会場を横浜市金沢区(富岡海岸)とするための検討されており、その準備として1959(昭和34)年に、隣接する米軍通信補給廠(ほきゅうしょう)の接収解除が模索されていました。しかし、この解除は実現しませんでした。このことから、その当時、港湾施設の築造計画が進んでいた江ノ島(湘南港)が、候補地として急遽浮上したという経過がかつてありました。大会会場の整備には、大規模な埋立を伴うことから、地元でも地域振興と景観保全という両方の観点で地域における様々な議論が交わされ、議論の結果、開発計画の規模を縮小した上で、さらに条例によって景勝地の景観を守る措置を講じ、1964年に湘南港とその管理施設であるヨットハウス(初代)を完成させました。

 今回の2020年大会では、老朽化した初代ヨットハウスに代わり、2014年に建て替えが完了した新しいヨットハウスが大会施設として用いられます。また、2014年の建て替え時においても、地域住民・利用者・行政・設計者の間で、2009年から2012年の3年以上を費やし粘り強い議論が交わされ、施設設計・津波対策・地域景観などを含む様々なテーマについて合意を形成してきました。このヨットハウスは、地域住民らの粘り強い議論の成果でもあり、2020年大会における一つの見所となるかもしれません。

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湘南港(出典:神奈川県ホームページ)

2.釣ヶ崎海岸(千葉県一宮町)
 1897(明治30)年に房総鉄道(JR外房線)が開通し、東京からの交通事情に恵まれた九十九里海岸南端の一宮町は、海水浴場の適地、湘南海岸の大磯をイメージした「東の大磯」とも称され、海水浴場を一つの柱として掲げつつも、町の発展を別荘地開発へと託し、戦前における地域振興が進められていました。別荘は、1901(明治34)年頃より数多く立ち始め、一宮海岸の男性的な様相が、特に軍人の間で好まれ、多くの軍人がこの地に別荘を構えたそうです。そして、大正時代の終盤から1937(昭和12)年の日中戦争の頃に至るまでは、大いに栄えたとのことです。

 1941(昭和16)年に太平洋戦争に突入すると、都市部からの疎開者、罹災者の流入に対応すべく、別荘は一般の住宅として転用されていきました。また、九十九里海岸が、米軍の上陸予定地として想定されたため、海岸一帯が日本軍の駐留地となり、海岸林は荒廃しました。

 1945(昭和20)年の終戦時には,九十九里海岸の一帯は、飛砂が舞う荒涼たる景色となり、疲弊した漁民など海岸地域の住民は、林材を燃料として使い、海岸林もほとんど姿を消す状況となってしまいました。また、戦後の占領軍による農地解放政策もあり、戦前にあった別荘の建物や区画の面影は、はほとんど消滅してしまいました。広大な軍用地跡の砂地地帯を有する一宮町では、海岸砂地での海岸林の造林に力が入れられたり、食料確保のための耕地化がなされたりしましたが、砂地という条件に加えて農業用水が確保できないため、収穫は極めて低い状態でした。

 その後、1960年代の高度経済成長期には、海水浴客のための海の家や民宿がつくられ、それが契機となって観光地化の歩みが始まりました。しかし一方で、日本有数の天然ガス産出地であることから、そのガス採取のための大量の地下水のくみ上げが行われ、1970年代より著しい地盤沈下が生じ、さらには周辺海岸でのコンクリート護岸や港湾施設の建設に伴う海岸への供給砂量の減少も後押しし、地域資源である九十九里の砂浜海岸が急速に侵食されるなど、九十九里海岸一帯は開発に翻弄されてきました。

 現在、一宮町は、世界トップレベルのプロが集うサーフィンの国際大会を数多く開催した実績を持ち、太平洋の非常に良い波に恵まれた「波乗り道場」とも称される釣ヶ崎海岸(志田下)を町内に擁しています。人口12,000人余りの一宮町には、毎年60万人以上のサーファーが訪れ、「サーフィンと生きる町」として、世界レベルの選手を輩出するなど、発展することを目指しており、一宮版サーフォノミクス(サーフィンによる経済を捉え、米国で実証された地域政策)を2015年に掲げています。また、深刻な海岸侵食に対しても、これまでは、一宮町のみで、専門家・行政・住民・関係者が加わって議論を交わす協議会が2010年より続けられてきたことを発展させ、2017年からは全長60kmの九十九里海岸に面する9市町の市町長および千葉県も加わり、全体で協議を行っていく場として、新たな活動を発足させ、オリンピック会場でもある砂浜の保全をめぐる地域政策の議論と方向性が注目されています。

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釣ヶ崎海岸の波に乗る一宮町出身のプロサーファー大原洋人選手
(出典:千葉県ホームページ)

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九十九里浜(一宮町)の風景(著者撮影)

3.むすび
 さて、今回は、砂浜社会学的視点を持って、2020年東京オリンピックの会場である2つの地域をご紹介いたしました。

 いずれの地域においても、「砂地」という明治維新後の地租改正(官有地払下げ)後に突如として現れた広大な自由使用の空間において、開発行為と自然との距離感を如何に考え、如何なる利用秩序を与えていくのかなどは、EEZをはじめとする海洋・沿岸域管理、生態系を活かした防災・減災(Eco-DRR)など、SDGs時代の我々が直面する問題を考える上でのヒントになるのではないかと感じさせられます。

 これらいずれの海岸も東京からであれば、電車で90分程度で行くことができます。2020年に開催されるオリンピックに先立ち、競技会場の海域の環境を守ってきた地域社会にも関心を持っていただければこの上ない喜びです。

 なお、「砂浜社会学」とは、波打ち際から砂浜と海岸林および、それらの恩恵を受ける陸側の空間と社会を対象として、その構造や変動を総合的に把握し、海岸侵食などの人間活動に起因する問題など、砂浜の利用と保全に関する諸課題に向き合おうとするもので、私の造語です。一方で米国では、Robert B. Edgertonが、「Alone Together: Social Order on an Urban Beach」(1979)という本に社会学的アプローチの研究があります。

 ビーチに関して社会学的な関心を持つ研究者がいないわけではないですが、こと日本では、伝統的に港湾都市や漁村などに目が向いており、ビーチそのもの研究はあまり活発ではありません。この記事を機会に、日本の砂浜や砂浜社会学に関心を持たれる方がありましたら、ぜひ、ご一報ください!

海洋政策チーム 塩入 同


〜参考にした主な文献〜
1. Robert B. Edgerton(1979)Alone Together: Social Order on an Urban Beach,Univ. of California Press.
2. 十和田朗ほか(1992)戦前の関東圏における別荘の立地とその類型に関する研究日本建築学会計画系論文報告集,Vol.436,pp.79-86
3. 塩入同(2016)海水浴場の汚水処理に取り組む地方自治体に見る縦割り行政の総合化に関する研究,沿岸域学会誌,Vol.29 No.3,pp.29-44
4. 塩入同(2013)海岸保安林と隣接する砂浜海岸の延長推定に関する研究,土木学会論文集B3(海洋開発),Vol.69,pp.I_814-819
5. 山縣治郎(1930)湘南地方計画と風致開発策,都市公論,Vol.7,pp.5-15
6. 一宮町役場(1964)一宮町史
7. 神奈川県湘南なぎさ事務所(1997)白砂青松:湘南海岸の保全と整備のあゆみ
8. 寳金敏明(2009)里道・水路・海浜 : 長狭物の所有と管理(4訂版),ぎょうせい
9. 千葉県農林部林務課(1979)千葉県林政のあゆみ
10.高三啓輔(2004)サナトリウム残影・結核の百年と日本人,日本評論社

Ocean Newsletter No.419 [2018年01月23日(Tue)]
No.419が完成いたしました。

『Ocean Newsletter』は、海洋の重要性を広く認識していただくため、
海洋に関する総合的な議論の場を皆様に提供するものです。 
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●シーグラント−大学での研究・教育と地域コミュニティとの連携
Director, University of Hawaii Sea Grant College Program◆Darren T. Lerner

半世紀の歴史を持つ米国のシーグラントカレッジ(SGC)プログラムでは、
海洋分野における教育、研究、研究成果の応用・普及が推進されている。
大学における科学研究は、沿岸地域の意思決定者や利害関係者にとっては、
先入観に左右されない技術的支援や助言を得ることができるため、
SGCによる大学と地域との連携によってさまざまな問題解決が期待されている。


●自然に学ぶネイチャー・テクノロジーと心豊かな新しい暮らし方
(同)地球村研究室代表社員、東北大学名誉教授◆石田秀輝

喫緊の課題である地球環境問題とは人間活動の肥大化である。
これを新しいテクノロジーやサービスを用いて、我慢することなく心豊かに
暮らしていくことが求められている。
子供や孫が大人になったときにも、笑顔あふれる美しい国であって欲しいとの思いから、
自然に学ぶ心豊かなものつくりと新しい暮らし方の「かたち」に、
社会や生活を変えていく必要があるのではないか。


●日本発海氷リモートセンシングの重要な役割
(国研)宇宙航空研究開発機構第一宇宙技術部門地球観測研究センター研究領域主幹◆可知美佐子

毎年9月頃になると、北極海の海氷面積が最小値を記録するかどうかが話題となっている。
2017年3月にはついに南極海の海氷面積も史上最小値を記録した。
地球温暖化や気候変動の影響を受けやすい極域の海氷監視を支えているのは衛星による
リモートセンシングであり、中でも日本開発のマイクロ波放射計が重要な役割を果たしている。
北極海の海氷面積の急激な減少に伴って、北極海航路や資源開発での極域航行の数が
増加しており、海氷リモートセンシングの重要度が増している。


●編集後記
同志社大学法学部教授◆坂元茂樹


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Posted by 五條 at 01:41 | Ocean Newsletter | この記事のURL | コメント(0)
海のジグソーピース No.63 <エリザベス・マン・ボルゲーゼ教授の未来予測 『海洋の環』> [2018年01月17日(Wed)]

 今日、人類は海洋の汚染、漁業資源の減少、海洋の温暖化・酸性化などの海洋に迫り来る危機にいかに対応するかに迫られています。国連海洋法条約は、オーシャンガバナンスを確実に実施して海洋の危機を回避するという点からすると、十分な行動計画とは言えません。海洋の危機に対応するためには、さらに抜本的な枠組みと取り組みが必要です。海洋の環境悪化が進行しているという深刻な状況は、人類の生存にかかわる重大問題であるにもかかわらず、人々の関心は深くありません。

(故ボルゲーゼ教授について)
 「海洋の母」と称えられる、故エリザベス・ヴェロニカ・マン・ボルゲーゼ教授(2002年2月8日没)は、第一次世界大戦終戦直前の1918年4月24日、ドイツのノーベル賞作家トーマス・マンの三女としてミュンヘンに生まれました。その後、ナチス・ドイツの台頭を避けて、エリザベスが14歳の時、一家はスイス、そして米国へと亡命しました。ボルゲーゼ教授は、資源、人口、軍備拡張、経済、環境破壊など全地球的な問題に対処するために設立されたローマ・クラブの設立メンバーとして活躍した他、長くカナダのダルハウジー大学の教授をつとめました。

(遺著『海洋の環』)
 このたび、笹川平和財団海洋政策研究所では、教授の晩年の著作『The Oceanic Circle: Governing the Seas as a Global Resource』を『海洋の環』と題して出版するはこびとなりました。本書は海洋の総合管理(オーシャン・ガバナンス)に関するスタンダードな著作として知られています。地球システムおよび人間社会に対する深い洞察に裏打ちされ記述は、我々が今後海洋問題にいかに対処していくかを考える上で示唆に富んでいます。晩年のボルゲーゼ教授は、「海洋は人類の共同財産」を実現するには、エコロジカルな世界観に基づく取り組みが必要と考えるようになり、それに通じる東洋的考え方、特にガンジーの思想に強く惹かれた結果、本書のタイトルもガンジーの詩の言葉を借りて「The Oceanic Circle(海洋の環)」としています。

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『海洋の環 人類の共同財産「海洋」ガバナンス』(2018年2月8日発売予定)

 ボルゲーゼ教授は、本書において、海洋の問題は、「複雑に絡み合った問題(Problematique)」であり、そのためには学際的な取組が必要であり、「総合的解決方法(Solutique)」が必要であるとして、自然科学、文化、経済、法、制度の各視点からオーシャン・ガバナンスについて、国際社会、地域、国、地方自治体等がどう取り組むべきかを説いています。

 原著は1998年の刊行ですから、オーシャンガバナンスの動向に関する最新の情報内容まで含んでいません。本書で扱われるテーマに関するアップデートについては、笹川平和財団海洋政策研究所が今後の研究活動を通じ継続的に貢献できるものと考えます。

 なお、本訳書には、「海洋の環」でボルゲーゼ教授が伝えようとしたメッセージの今日的な意義を解説する序章、生前の教授と親交のあった笹川陽平日本財団会長を囲む対談、日本の海洋政策の成り立ちを解説する附章を併録し、読者の理解の一助としました。

(ボルゲーゼ教授の海洋活動)
 ボルゲーゼ教授は、第二次世界大戦直後に提唱された地球上を一つの秩序の下に治める「世界連邦」構想に関わり、その構想を先ず地球表面の7割を占める海洋において実現しようと、第3次国連海洋法会議、「Pacem in Maribus(海の平和)」会議、国際海洋研究所やローマ・クラブの場などを通じてオーシャン・ガバナンスのための政策やそれを実施する仕組み作りを提唱し、世界をリードしました。教授が「海洋の母」と称される由縁です。

 1970 年、ボルゲーゼ教授は、国際会議「Pacem in Maribus(PIM)海に平和を」をマルタで開催しました。そこで確認された「海洋の諸問題は、相互に密接な関連を有し、全体として検討される必要がある」という考え方は、国連海洋法条約の前文にそのまま反映されています。ボルゲーゼ教授は、国連での会議と並行して国連海洋法のあるべき姿を討議するため、PIM会議を毎年開催するとともに、そのための母体として1972 年にマルタに本部を置くNGO「国際海洋研究所(International Ocean Institute:IOI)」を創設しました。ボルゲーゼ教授は、IOI代表として、第三次国連海洋法会議に参加して議論をリードし、PIM会議の成果を活用して審議に貢献しました。国連海洋法条約作成の条約採択(1982)後は、その実施推進に努力し、さらに、リオの地球サミットの行動計画「アジェンダ21」第17 章のオーシャンガバナンス海洋の総合的管理と持続可能な開発に関する行動計画の起草にも取り組みました。

 2000年7月、日本財団主催の第1回海洋管理研究セミナー「新世紀に向けて海を考える〜海洋管理への取り組み〜」が旧日本財団ビルの10階ホールで開催されました。ボルゲーゼ教授は、「海洋管理の哲学−海は人類の共同財産−」というタイトルで、国連海洋法条約、ブルントランド報告、及びリオ地球サミットの行動計画「アジェンダ21」などをもとに「海洋管理の哲学」について講演しました。この講演は、いまその記録を読み返しても現在海洋ガバナンスの確立に向けて取り組んでいる私たちの問題意識に応えて説得力を持って迫ってくる内容でした。

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2000年7月、日本財団主催の第1回海洋管理研究セミナー(役職は当時)

 当時はセミナーの事務局を担当していましたが、17年後「海洋の環」の発刊に携わることになるとは夢にも思いませんでした。

 写真は講演後に浅草を案内したときのものです。短い時間ではありましたが浅草寺の常香炉の煙を浴びたりおみくじを引いたりリラックスして楽しんでおられました。

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寺島紘士海洋政策研究所参与(当時日本財団常務理事)と浅草寺を散策(筆者撮影)

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浅草寺の常香炉の煙を浴びるボルケーゼ教授(筆者撮影)

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おみくじは吉(筆者撮影)

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日本のお土産品を見て微笑むボルケーゼ教授(筆者撮影)

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会食後、研究会メンバーと

(海の未来にむけて)
 地球環境全体の課題の解決のみならず持続可能な経済成長を実現するうえでも、海洋にかかわる科学技術イノベーションは今後ますます重要となることは間違いありません。あわせて、海洋課題に取り組むために、緊急に行うべき取組みとして、オーシャンガバナンスを推進する新たな枠組みの構築と、主として開発途上国において海洋の諸問題に対応するための知識、技術、経験をもつ人材の育成があげられます。ボルゲーゼ教授が唱えた「複雑に絡み合った問題に対する総合的な解決法」を生み出すための国際的な枠組みの構築に、日本財団を中心として英知を結集してまいりたい所存です。ボルゲーゼ教授の志は日本財団、笹川平和財団海洋政策研究所によって、しっかりと受け継がれています。

『海洋の環 人類の共同財産「海洋」ガバナンス』内容構成(全6章+付属書)
 第一章は地球規模の生命維持体系における海洋の重要性を説く。
 第二章では海洋空間の文化的側面について考察する。
 第三章では、経済性だけにとどまらない海洋の多様な価値について述べる。
 第四章では「陸の視点」と「海の視点」を対比して考察。
 第五章では、海洋ガバナンス・海洋管理の「規範的ビジョン」を展開。
 第六章では、二十一世紀の世界で海洋がいかに直面する根本的諸問題(不安定性、貧困、
 不平等、人間や自然の荒廃)に対する「総合的な解決」となり得るかにつき考察する。
 付属書では、「国際海底機構」の長期的な再構築のためのモデル案を提案する。

副所長 吉田 哲朗

海のジグソーピース No.62 <海について考える新年―海洋教育教員研修プログラム> [2018年01月10日(Wed)]

 新年明けましておめでとうございます。今年がみなさまにとって良い年となりますようお祈り申し上げます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 当研究所が進めている海洋教育普及のための活動については、これまでも本ブログをはじめとして、さまざまな記事でご紹介しておりますが、今年度から新たにスタートした、全国の教職員を対象とした研修プログラムの総まとめである、全国海洋教育サミットが2月3〜4日にかけて東京都文京区にある東京大学本郷キャンパスで開催されることになりました。

 この1年間の研修プログラムでは、3回の研修と全国サミットの全4回を予定しました。第1回は、2017年8月3日〜5日に行われた夏季集中講座でした。東京大学本郷キャンパスでの講義や千葉県市川市行徳にある野鳥の楽園でのフィールドワーク、東京湾周辺での巡検などを行いました(その様子はこちらでレポートしています!)。

 その後、10月13日〜14日に行われた第1回フォローアップ研修では、東京大学本郷キャンパスで集中的にワークショップやディスカッションを行い、各地域の実践や課題を学び合いながら共有しました。

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東京大学での研修の様子

 さらに、11月30日〜12月1日に行われた第2回フォローアップ研修では、神奈川県三浦市にて、市内の小学校での実践の様子や地域の取り組みの視察を行いました。

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視察した三浦市内の小学校の様子

 三浦市内にある三崎漁港は遠洋漁業の拠点であり、日本有数のマグロ水揚げ港です。水産加工場の視察のため訪れた三崎漁港には、ちょうど向かい側の港から、1年半かけてマグロを獲りに行く大型の遠洋漁船が出港していくのが見えました。

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遠洋漁業の出港の様子

 三浦市の漁業は自ら漁を行う形態だけでなく、市外の漁獲をも集積する形態に移行してきており、水産加工場の見学ではたくさんのマグロがマイナス60度にもなる超低温の倉庫に集められた後、次々と工場で加工されていく様子を見せていただきました。

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視察した水産加工場の様子

 この研修プログラムには、海洋教育について知ってもらう、他校の実践を共有する、先生方のネットワークを広げてもらうなど、多くの目的があります。その中でも、実際参加してみて思うのは、同じメンバーで集まって、回数を追うごとに先生方が打ちとけ合って行くことや、参加された先生方が生徒さんと同じ体験をしながら、生徒さんと同じ気持ちで楽しめていることが、この研修のもうひとつの大きな収穫なのではと感じています。

 この研修は、次年度からも継続して行われる予定です。この研修に参加していただくことで、先生方に海洋教育の先進事例を経験・共有していただき、新しいことを教える難しさを少しでも減らすお手伝いとなるとともに、その楽しさを共有できる体験になればいいなと思っています。

 今年度は残り1回、総まとめを残すのみとなり、少しさみしくもありますが、次回最後の研修は、他の海洋教育プログラムと合同で行われます。2月3日〜4日に行われる全国海洋教育サミットが楽しみです!

客員研究員 五條 理保

Ocean Newsletter No.418 [2018年01月09日(Tue)]
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    ─ 謹 賀 新 年 ─
本年もご愛読のほどよろしくお願い申し上げます。
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No.418が完成いたしました。

『Ocean Newsletter』は、海洋の重要性を広く認識していただくため、
海洋に関する総合的な議論の場を皆様に提供するものです。 
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●対談:「海洋の危機を克服するイノベーション」を語る
日本財団会長◆笹川陽平
笹川平和財団海洋政策研究所所長◆角南 篤

明治元年から満150年を迎える2018年、海洋においても高まる危機を
克服するための新しい取り組みが求められている。
この世界共通の財産を守ってゆくためには、いまこそわが国が国際社会の
変化を導くべきであり、そのためにも海のためのひとづくりや
科学技術外交の推進などによるイノベーションが重要となる。


●古代より継承される信仰 〜世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群〜
海の道むなかた館 宗像市郷土文化課学習指導員◆鎌田隆徳

「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群は、2017年7月にユネスコ世界遺産として登録された。
これらは沖ノ島そのものを神として信仰する宗像地域の漁師をはじめ、
地域の人々によって古代から守り伝えられてきた遺産群だ。
世界遺産となっても、これまでと変わることなく、この信仰を守り、
次世代へと受け継いでいきたい。


●編集後記
東京大学海洋アライアンス海洋教育促進研究センター特任教授◆窪川かおる


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Posted by 五條 at 14:40 | Ocean Newsletter | この記事のURL | コメント(0)