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海洋政策研究所ブログ

海洋の総合管理や海事産業の持続可能な発展のために、海洋関係事業及び海事関係事業において、相互に関連を深めながら国際性を高め、社会への貢献に資する政策等の実現を目指して各種事業を展開しています。


海のジグソーピース No.145 <露領漁業を知っていますか?> [2019年09月11日(Wed)]

 島嶼資料センターでは『島嶼研究ジャーナル』を年2回発行するとともに、ウェブサイトの情報ライブラリーに尖閣諸島や竹島、北方領土に関する事項を1.領有権―法と歴史、2.地理、3.海洋・気象、4.生態系、5.産業、6.環境に分けた「Facts & Figures」という項目を設けて、日本の島嶼領土の理解を促進するための情報発信を行っていますが、これらの活動のためには資料調査が欠かせません。資料調査には、事前調査の後で目当ての資料の所在を確認し、所蔵先で資料調査を行う場合と、資料調査に出向いた先で、偶然の出会いが縁となって、これまで知られていなかった資料を発見する場合があります。2019年7月には函館市立博物館へ資料調査に行きましたが、思いがけなく露領漁業の資料を発見することができました。

 第2次世界大戦後、現在は北方領土と呼ばれる南千島では、島民が日本兵の武装解除目的で上陸してきたソ連兵と僅かな期間を一緒に暮らしていましたが、やがて本土へ強制的に引き揚げさせられることになりました。手提げカバン一つでソ連の貨物船に積み込まれた挙句、樺太島の真岡(現クリルスク)の国民学校と高等女学校にそのまま約2年間収容されて多くの餓死者や凍死者を出し、艱難辛苦の末にようやく函館港へと帰還したのです。当初、函館市立博物館に赴いた目的は、北方領土の旧島民に函館税関を経由して北海道へ到着した際に持ち込まれたと思われる資料の調査でした。また、札幌や根室で調査しても所在不明だった戦前の北方領土の貴重なフィルム資料が同博物館に所蔵されていることを突き止めたことが函館出張の理由の一つでした。

 同博物館での資料調査に係る意見交換の場で、島嶼資料センターの活動を紹介したところ、「北方領土の関係資料を調査するなら、函館市内で活動している『択捉島水産会』の代表者をぜひご紹介したい」と申し出てくれました。函館は、明治・大正期に進められた北海道開拓の玄関口であり、小樽とともに日本銀行が支店を構える物流の中心地で、小樽は農産物、函館は海産物が中心で、大きな水産会社のほとんどが函館に本社を置いていた歴史があるとのことでした。

 翌日、学芸員の方にご同行いただき、択捉島を中心としたサケ・マスの漁業関連の資料を準備して待っていて下さった、御年86歳の択捉島水産会の代表の方とお会いしました。代表は、「函館こそが北方領土への漁業基地であり、どこよりも縁の深い土地で、多くの資料が残されているのに、政府関係者が札幌と根室にしか足を運ばなかったため、まだまだたくさんの資料が自宅や友人宅に保管してきたので、函館の資料を調査に来て下さる方をずっとお待ちしていました」と大変喜んで協力を約束してくれました。代表がご存命の間に、なるべく早くこれらの資料調査の必要性を痛感しました。

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日魯漁業経営漁区(昭和7年)
(出典:サーモンミュージアム

 北方領土関連の資料の中で特に興味を惹かれたのは、多くの「露領漁業」の写真と一次資料でした。1875に日本とロシアは樺太千島交換条約を締結し、樺太はロシア領、千島列島は日本領となりました。そして、千島列島からさらに北方のカムチャッカ半島はロシア領のままでした。1905年に結ばれたポーツマス条約(日露戦争の講和条約)で樺太南部は日本領となりましたが、日本は1907年に日露漁業協約が締結し、カムチャッカ半島周辺海域におけるサケ、マス、カニ等の経営漁区を獲得しました。当時のロシアは漁業技術が未発達だったため、日本人に漁区を貸すかたちで操業を許可して収益を確保したわけです。これを「露領漁業」と言い、露領漁業の資料が充実している函館市北洋資料館には、当時の日本政府が発給したA4用紙大のパスポートや露領漁業の契約書等が陳列されていました。

 サケ・マスは産まれた河に帰る習性があり、季節になると故郷の河の河口沖合いに集結するので、そこが絶好の漁場となります。マルハ・ニチロのウェブサイト(サーモンミュージアム)によると、カムチャッカ半島の各河川に日本の水産各社の経営漁区が連なり、獲った魚も当初は塩蔵で保存していましたが、1914年から大型船上に缶詰工場施設を載せた母船式サケ・マス漁業が始まって、函館は前代未聞の好景気に沸きかえったそうです。日魯漁業株式会社は、露領漁業で得たサケやカニを曙印の鮭缶やカニ缶として輸出し、外貨獲得に大きな貢献をしました。当時、函館は人・物・金・情報が集まる、露領漁業に支えられた北海道経済の中心基地だったのです。

 現在、日ロ両国は北方領土の返還を視野に入れた対日平和条約の締結に向けて交渉を行っていますが、具体的な内容については秘密裏に進行していることでしょう。報道によるとロシアは1956年の日ソ共同宣言で日本に引き渡されると規定した「歯舞群島及び色丹島」(第9項)について、「島を返すが主権は返さない」と主張しています。この文言の趣旨は不明だったのですが、今回、露領漁業の資料を調査してこの主張に込められたロシアの狙いが推察できたように思います。

 ロシアは「露領漁業」の経験を旨味として学んでいて、歯舞諸島と色丹島の領土権を返還せずに経済活動を認める租借地にする方式を考えている可能性があります。租借地というのは、租借条約を締結して領土権を保有したまま自国領域の一部の統治権を外国に認める国際法上の方式です。北方領土の返還実現には実に多くの課題があります。日本は、租借方式を受け容れるか不明ですが、平和的な解決を目指して努力を継続していくしかありません。

特別研究員 井 晉

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