CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

海洋政策研究所ブログ

海洋の総合管理や海事産業の持続可能な発展のために、海洋関係事業及び海事関係事業において、相互に関連を深めながら国際性を高め、社会への貢献に資する政策等の実現を目指して各種事業を展開しています。


Ocean Newsletter No.437 [2018年10月23日(Tue)]
No.437が完成いたしました。

『Ocean Newsletter』は、海洋の重要性を広く認識していただくため、
海洋に関する総合的な議論の場を皆様に提供するものです。 

********************************
●水中浮遊式海流発電システムの開発と実海域実証試験
(株)IHI 技術開発本部総合開発センター機械技術開発部海洋技術グループ部長◆長屋茂樹

海洋再生可能エネルギーのひとつである「海流発電」は、「黒潮」を
有効に活用することを目指した日本に適した再生可能エネルギー技術である。
(株)IHIと(国研)新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は、
2017年8月に鹿児島県口之島沖で海流発電システムの実証試験を行い、
今後の実用化に向けたデータを取得した。
100kW規模は世界最大級である。世界初となる水中浮遊式海流発電システムの概要を紹介する。


●大衆魚の資源動向
東京大学名誉教授◆渡邊良朗

大量に漁獲されて日常的に食卓に上る大衆魚は、動物プランクトン食性の小型浮魚類である。
大衆魚は、海洋生態系の中でまぐさ(秣)魚と呼ばれるが、まぐさのような
植物ではなく肉食性の動物であり、生態系の中で植物プランクトンが固定した
太陽エネルギーを100倍に濃縮して生産される。
大衆魚は大きな資源量変動を見せ、変動の大きさはそれぞれの魚種の生態的特性によって異なる。
大きく自然変動する大衆魚の資源管理は重要な課題である。


●期待される灯台の観光活用
『灯台どうだい?』編集長◆不動まゆう

日本には江戸時代以前から日本式の灯台が存在していたが、
今に続く西洋式の灯台が建築されるようになったのは明治元年からである。
それから150年が過ぎ、灯台の存在意義が問われる時代となった。
今後の灯台のあり方として各自治体による観光活用の推進が期待されている。
灯台ファンとして灯台の文化的価値、魅力を広めたい。


●編集後記
同志社大学法学部教授◆坂元茂樹


購読のお申し込みはこちら
Posted by 五條 at 01:00 | Ocean Newsletter | この記事のURL | コメント(0)
海のジグソーピース No.101 <海洋教育パイオニアスクールプログラムの実施状況について(2)> [2018年10月17日(Wed)]

 今回も日本財団東京大学海洋教育促進研究センター笹川平和財団海洋政策研究所が2016年度より実施している全国の学校への助成制度「海洋教育パイオニアスクールプログラム」の実施状況をご紹介します。(前回の記事につきましては、こちらをご覧ください。)

 3年目にあたる2018年度は、全国35の都道府県で146件の活動が行われています。このプログラムでは活動の様子を写真レポートとしてお送りいただくことを採択校のみなさんにお願いしていますが、学習が本格化する夏が終わったこともあり、レポートが続々と集まってきています。

 レポートからは、造船所や漁協の見学を通して海の仕事について学んだり、地元の特産品を通して地域産業について調べたり、海岸清掃を行い環境について考えたり、津波・防災、再生可能エネルギー、プランクトン、アマモ…などなど、ここではまとめきれない多種多様な活動が各地で行われている様子をみることができます。

レポート例について.PNG
写真レポートの例
(クリックして拡大)

 各校の写真レポートは、2018年度採択校一覧のページで届いたものから順次公開しておりますので、是非とも一度ご覧になっていただけると幸いです。

 なお、本プログラムの2019年度募集は10月1日よりスタートしております。来年度から地域展開部門は教育委員会が対象となり、地域規模で海洋教育に取り組む活動を引き続き支援していく予定です。これまで行ってきた海の学習をより充実させたい、あるいは新しい海の学びに取り組んでみたい、という地域や学校の皆様からのご応募をお待ちしております。募集要項、申請方法等の詳細は、パイオニアスクールウェブサイトにてご覧いただけます。

2019チラシイメージ.png
2019年度「海洋教育パイオニアスクールプログラム」について
(クリックしてパンフレットをダウンロード)

 さて、本ブログのアクセス数を見てみると、「海水は何故しょっぱいか?」という記事は2006年に書かれたにもかかわらず、いまだに日々多くの方に見ていただいており、それだけ疑問に思っている人が多いということかと思います(私はこれを読むまで疑問に感じたことすらありませんでした…)。海まで距離のある学校はもちろん、実は海の近くに住んでいても、普段海に行くことのない子どもたちも多いそうですが、このプログラムへの参加を通して、海がどれだけしょっぱいのか、どんな色をしているのか、どんな生物が住んでいるのか、子どもたちが実際に体験するきっかけとしていただけたらと思います。

 ただ、海洋教育が海に行かないとできないかというと、必ずしもそんなことはありません。海は私たちの生活と切り離せないもので、普段気づかなくても身の回りの多くのことと繋がっています。上記の記事でも海がしょっぱい理由には地球の歴史、水の循環、地球温暖化、世界の地理、元素による違い、など様々なことが関係すると説明されています。海について何か調べたり想像してみたりすると、好奇心が刺激され、さらなる疑問や知識の習得に繋がっていくことはよくあります。海洋教育は海について知識を得るだけのものではなく、海を通して私たちの社会や世界について深く学ぶことができる学習だといえます。

 海を入口として何に興味を持ち、何を調べていくかは子供たち、あるいは地域や学校によってそれぞれです。海を用いた学びの可能性がこれからどのように広がっていくか、引き続きこのプログラムを通して見ていきたいと思います。

 なお、上記記事内で紹介されている「海のトリビア」は学校の授業で海のことを取り上げやすくするネタ本で、海の雑学について大変面白く読める書籍となっております。2005年発行のため残念ながら現在は書店等でなかなか手に入れづらいようですが、大きな公立図書館では所蔵しているとのことですので、ぜひ手に取ってご覧いただけますと幸いです。

海洋教育チーム 藤川 恵一朗

海のジグソーピース No.100 <効果的な海洋資源の保全と利用を達成するために> [2018年10月11日(Thu)]

 2018年9月3日から17日にかけて、ニューヨークの国連本部で開催された「国家管轄権外区域(公海域)における生物多様性(BBNJ)の保全と利用に係る第1回政府間会合」および2018年10月2日から4日にかけて、ジュネーブの世界貿易機関(WTO)で開催された「WTOパブリックフォーラム2018」に参加する機会がありました。これらの会合で見聞きしたり、議論したりしたことをもとに、私が感じたことを文字に起こし、ここで簡単にまとめてみたいと思います。

 BBNJ第1回政府間会合は、BBNJの保全と利用に関して、国連加盟国が初めて本格的な政府間の交渉を行った会合となりました。私は笹川平和財団海洋政策研究所の一員として、交渉の過程を逐一追うと同時に、BBNJの保全と利用を達成するために必要となる「能力構築・海洋技術移転」に関するサイドイベントの開催に関わりました。

 また、WTOパブリックフォーラムでは、NGOや民間企業、各分野の研究者の他、各国政府代表が登壇し、貿易を中心にさまざまなトピックのもと、ワークショップが開催されました。私は漁業補助金や小規模漁業等、海に関するトピックを中心に、各ワークショップに参加しました。

藤井1.jpg
ニューヨークの国連本部前にて(同行者撮影)

 私は、2つの全く異なる場においても、大枠では議論の構造が非常に似ているように感じました。BBNJの政府間会合では、途上国が盛んに新たな協定で設定されるであろう目標を達成するためには、先進国からの能力構築・技術移転が必要だ、と主張していました。特に公海上の生物多様性を保全し、それらの利用から利益を享受するための技術・知見が必要だとされ、科学分野における能力構築への重要性が途上国により強調されました。

 一方、WTOパブリックフォーラムでは、過剰漁獲を助長する漁業補助金を撲滅すべきとするものの、途上国の零細漁民には特別な措置が取られるべき、との従来通りの見解が途上国から示されました。そこで必要な特別な措置とは、持続可能な漁業に資するための方策や知見として、違法漁業を取り締まるための途上国に対する能力構築、水産資源を管理する上での基礎となる資源量推定能力を構築するための科学技術・知見であるという主張がなされました。さらに、こうした議論は貿易の分野においても、途上国の参画を促進させるためには、これらの国々に対する能力構築・技術移転をすべきだとの主張が多く聞かれました。

藤井2.jpg
WTOパブリックフォーラム2018の様子(著者撮影)

 能力構築・技術移転と十把一絡げに言っても、その内容は非常に複雑であります。BBNJの保全と利用においては、途上国によって事情や開発レベルが異なります。また、漁業補助金の議論における特別な措置についても、零細漁業にはあらゆる種類の漁具、漁法、対象魚種が存在し、漁業ごとに求められる能力構築の需要も異なるでしょう。しかし、いずれの議論においても、どのような能力構築が求められているのか、どのような能力構築が現在行われているのか、これらに関する情報を整理した上で、こうした検討を進める必要があると思います。より効果的な海洋資源の保全と利用に資するためにも、まずはこれらの情報を丁寧にまとめることの重要性を認識しました。

海洋政策研究部 藤井 巌

Ocean Newsletter No.436 [2018年10月06日(Sat)]
No.436が完成いたしました。

『Ocean Newsletter』は、海洋の重要性を広く認識していただくため、
海洋に関する総合的な議論の場を皆様に提供するものです。 
********************************
●世界文化遺産三保松原保全活用計画と沿岸域の諸問題
東海大学名誉教授◆田中博通

2013年6月に富士山世界文化遺産の構成資産に登録された三保松原は、
天女の羽衣で有名な松並木、長く続く砂浜、海の青さと遠方に浮かぶ
富士山が織りなす美しい海岸である。
世界遺産登録されたことでそれに相応しい景観を維持するために、
海岸侵食対策やマツの保全も重要な課題となった。
住民ボランティア参加による三保松原の保全と利活用の活動について紹介したい。


●海の恵みの将来
創価大学大学院工学研究科教授、第11回海洋立国推進功労者表彰受賞◆古谷 研

私たちの暮らしは海の恵みによって支えられている。水産物ばかりでなく、
気候を安定化させ、大気の成分を調節し、水を浄化し、膨大な生物種を養い、
さらには、美しい景観は精神の充足をもたらしてくれる。
このような海洋がもつ多様で重要な機能を、深く理解して将来にわたり
うまく利用してこそ、海洋立国としての日本のあるべき姿である。


●スマートフィンプロジェクト 〜サーファーによる海洋環境のモニタリング〜
スマートフィン研究開発主幹、カリフォルニア大学サンディエゴ校スクリップス海洋研究所研究技術員◆Phil BRESNAHAN

「スマートフィン」は、海洋観測用センサーを搭載したIoT機能を持たせた
サーフボードフィンである。
このフィンに差し替えてサーフィンをすれば、各々のサーファーが「ブイ」に変身し、
海の環境データを集められる。
科学者が海洋で起きている異変をより精緻に理解するためにはより多くのデータが必要であるが、
海の仲間たちが集めた膨大なデータの活用を科学研究の世界に広めていきたい。


●編集後記
東京大学海洋アライアンス海洋教育促進研究センター特任教授◆窪川かおる


購読のお申し込みはこちら
Posted by 五條 at 01:07 | Ocean Newsletter | この記事のURL | コメント(0)
The 8th China-Japan-Korea IMBeR Symposiumでの研究報告 [2018年10月05日(Fri)]

 2018年9月17日から19日にかけて、笹川平和財団海洋政策研究所の高翔研究員が中国上海市にある華東師範大学で開催された「The 8th China-Japan-Korea IMBeR Symposium」(日本語通称:CJK IMBeRシンポジウム)に出席し、海洋ガバナンス構築のあり方に関する調査研究成果の普及啓発の一環として、日本における沿岸域管理の方策に注目した「The Development of Coastal Governance in Japan」と題する報告(口頭発表)を行いました。

 IMBeR(Integrated Marine Biogeochemistry and Ecosystem Research)は、海洋における物質循環と生態系動態に関する調査研究の中心的な役割を果たしてきたIGBP(International Geosphere Biosphere Programme:生物圏―地球圏国際共同研究計画)が1990年以降に立ち上げた3つのコアプロジェクトの1つであり、現在も活動を進行している唯一のプロジェクトでもあります。このプロジェクトは太平洋を主な対象海域として、2005年から始められました。CJK IMBeRシンポジウムは、IMBeRの下に設置された分科会の1つですが、自然科学の調査研究に対しても、社会科学の視点を導入する必要性が認識されるようになりました。その結果、今回は海洋や地球環境に重点を置いていたこれまでのCJK IMBeRシンポジウムとは異なり、初めて人間社会にも注目したプログラムが構成され、高研究員は社会科学分野の知見と密接に関わる第3セッション「Responses of society to global change in marine systems: ways forward」において、前述の報告を行いました。

 高研究員は報告において、ガバナンスの視点から日本の海洋ガバナンスの重要な一環をなす沿岸域に分析の焦点を当て、地域レベルにおける日本の沿岸域ガバナンスのあり方を提示することを目指し、日本における沿岸域の利用管理問題の諸相や日本における沿岸域ガバナンスへの取組みの実態(例えば、漁場・藻場再生、漁業の自主管理、サンゴ礁の再生、里海など)を紹介するともに、日本における沿岸域ガバナンスのあり方を提示しました。

 このような自然科学分野での国際会議において、社会科学、特に政策科学の観点から海洋カバナンスの構築について報告できたのは、海洋の複雑なメカニズムを明らかにする上で大変重要な取り組みであると思います。自然科学と社会科学の融合を目指す本シンポジウムには今後も継続的に出席することを予定しておりますが、私たちもこのような複眼的な視点から海洋政策のあり方を模索したいと考えております。

IMBeR 1.PNG
華東師範大学の図書館の入口付近で立てられたシンポジウムの看板

海のジグソーピース No.99 <呑んで歌って働いて−日露樺太国境画定委員会−> [2018年10月04日(Thu)]

1.日本、陸土に国境を得る。

 北海道の最北端、稚内から宗谷海峡を越えれば樺太島(露名サハリン)に至る。稚内宗谷岬から樺太島南端の西能登呂岬まで、約43Kmという近さである。日露戦争終結後、明治38(1905)年から昭和20(1945)年までの40年間、樺太島北緯50度以南は、日本の領土だった。

 樺太は北海道の9割ほどの面積を持つ 南北に細長い島で、もともとはアイヌ、ウィルタ、ニヴヒなどの先住民族、また漁業で生計をたてる日露両国の国民がお互いに隣人として生活していた。日露間に国境問題が生じ始めたのは18世紀半ばのことである。
 やがて日露戦争(1904年2月〜1905年9月)が起こり、明治38(1905)年7月、日本の樺太占領軍(独立第十三師団)が約一か月でロシア領だった樺太全島を制圧する。
 同年9月5日に調印されたポーツマス条約によって、樺太の北半分はロシア、南半分は日本の領土とし、北緯50度線をもって日露の国境とすることが決定した。

鍋倉1.png
「南樺太全図」(昭和20(1945)年現在)
樺太史刊行会編、一般社団法人全国樺太連盟発行、島嶼資料センター所蔵

2.委員会、大いに呑む。

 明治39(1906)年6月14日水曜日午前8時半。ロシア領北樺太、歴山港(アレクサンドロフスク・サハリンスキー)に、日本樺太境界画定委員289名を乗せて大阪商船の汽船「大禮丸」が入港した。この 北緯50度89分の港町で、樺太国境画定委員会が開かれるのだ。

 陸軍によって砕氷船に改造された(船首の外側にさらに砕氷用の船首を取り付けた)大禮丸(1200t)は、これより国境画定委員会の専属船として、冬季にはほぼ全ての港が凍結する樺太と北海道を行き来することになる。

鍋倉2.png
樺太島と北緯50度線(白地図素材から作成)

 明治39(1906)年から明治41(1908)年にかけて行われた樺太における日露国境画定の事業については陸軍省による詳細な報告書「樺太境界劃定事績」(1910)がある。また、委員会に参加した高名な地理学者、志賀重昂(しがしげたか)が日記と体験談「樺太境界劃定」を著している。
 志賀重昂は、札幌農林学校を卒業し、農商務省山林局長、衆議院議員を歴任し、日露戦争にも参加。世界各地を訪れている海外経験豊富な地理学者でありまた優れた文筆家だった。

 ──「建国三千年来、海水のみを以て限られたる島帝国は、此処に初めて陸地もて外国と境界すてふ歴史を作れり」──
 (「樺太境界劃定」以下、── 部分は同書の引用)

 「樺太境界劃定」は、世紀の事業に奮闘する日本人とロシア人、樺太の自然や人々を生き生きと記述した非常に魅力的な作品となっている。

鍋倉3.png
日露樺太境界画定委員一行(露国天測主任アフマメーチェフ大尉撮影)
「志賀重昂全集第6巻」(国立国会図書館デジタルアーカイブズ)


〜「樺太境界劃定(樺太境界劃定日記)」より

六月十五日(金曜)曇。日露国境画定委員会は午後4時から将校倶楽部で打合せ会議を開いた。これに先立って、軍務知事ワルーエフ将軍は委員たち一行を午餐に招く。食事や酒、露国火酒(ウォッカ)が振舞われ、主客とも「連酌満飲」し、座は盛り上がる。

──「曰く露国に諺あり、ウォッカ飲むに、其初メ一杯目は棒を飲むが如く、二杯目鷹の飛ぶが如く、三杯目は小鳥の如く喉に入ると、即ち多々飲めば益々容易に喉に入るなりと」──
──「相叫ぶ、不幸なる2年間は過ぎたり。今や日本人もロシア人も兄弟の如し」──

つい昨年まで戦争をしていた国とは思えないほどの友好ムードである。これが委員会席上のみのことであれば、政治的なポーズかと思ってしまうところだが、志賀の日記によれば、サハリン(樺太島)の一般市民も非常に友好的で、どこでも日本委員を歓迎しているのである。(但し一般市民といっても多くは流刑囚である。サハリンはロシア帝国の流刑地であった)

六月十六日(土曜)曇又雨。午前十時から午後三時まで第一回特別会議。そのあと志賀は魚釣りに行き、釣果のキウリ魚をフライにして委員たちと札幌ビールを飲む。会議中の宿泊先である露人(流刑囚である)宅で貸し出されたコップは日本製で、桜花が描かれ「征露凱旋記念」と金字で書かれていた。
──「露人の家にしてこの盃あり。また一奇なり」──

六月十七日(日曜)雨又曇。本土から、緯度測量班、地形調査班、写真班、また糧食、諸荷物が歴山港に到着した。午後九時からロシア将校主催の夜会があり、大いに酔ってロシアの将軍も将校も民族舞踏を踊り、ドナウ河の歌を歌う。応えて志賀は越後甚句を唄い、主客大いに歌って午前二時散会。

六月十八日(月曜)晴。午後一時から第二回特別会議開催。

六月十九日(火曜)晴。日本委員本部が、ロシアの文武官を饗応。桜の枝の造花数百本に露国国旗を結んで会場を飾ると、見物に来た子供が「ミカド・パレス!」と喜んで叫んだ。日本委員会は宴会の後、桜枝の造花を近所の子供たちにプレゼントしている。

東京から送られてきた各国の酒を並べて宴会が始まる。「ウラー!ウラー!」「万歳!万歳!」の声が堂に溢れ、ロシア委員たちは何度も歌い、将軍がまた踊りだす。日露一番の大男で共に踊ることになり、ロシアは六尺(約182cm)二十七貫目(約10kg)の巨漢で、ロシア参謀本部天測班長として中央アジアやシベリアで天測に従事した天文学者、アフマメーチェフ陸軍一等大尉を選出し、日本側は志賀を選出した。両人は相抱き合って踊り回り大声で歌い、いよいよ盛り上がって散会は午前2時となる。

この宴会のあと、ワルーエフ将軍が以下の告示を露領全部に発布する。
──「昨日の敵たりし日本人は、平和克復と共に我が善隣となれり」──

六月二十一日(木曜)曇。午前十時、第三回特別会議開催。
午後三時、──「彼我の提案合意せしをもて散会。」──
これより委員たちは現地に向かうことになる。

3.委員会、大いに働く。

(1)星によって緯度を求む
 委員会席上でまず議題になったのは、どの緯度を採用すべきか、ということである。ポーツマス条約ではただ「北緯50度を境界とする」とのみ記されているが、緯度には、地心緯度、天文緯度、測地緯度がある。

 委員会では、以下の理由によって条約の「緯度」を天文緯度と解釈した。
 @地心緯度を単にs略記し地図や海図に用いた例はない。
 A測地緯度を求めるには周囲を広く測量する必要があり、多大な時間と経費を要する。
 B測地緯度と天文緯度の差は概ね10秒(地上の距離にして300m程度)以下である。
 C天文緯度を緯度と略記した例は少なくない。

 天文緯度とは「その地点の鉛直線と赤道面のつくる角度」と定義された緯度で、その地点の天頂と天の北極のつくる角度を測れば、計算で得ることができる。委員会では、その観測を4箇所で行い、日本とロシアの観測結果を平均して、北緯50度を求めることにした。

 これによって東のオホーツク海沿岸から西の間宮海峡まで132kmの間に、日露の紋章を刻した「天測境界標」と呼ぶ国境標石4基を設置、さらに平均6kmごとに中間標石17基を置き、19か所に木標が建てられることが決定する。

 国境全線については、ロシア委員会は「溝を掘ればいいのでは」と提案をしてきたが、日本委員会の意見によって、国境全線に沿って幅10mで木を伐採し「林空」つまり緩衝帯としての空地を切り開くことが決定した。

鍋倉4.png
林空を切り開く日本委員会(渡邊砲兵中佐撮影)
「志賀重昂全集第6巻」
(国立国会図書館デジタルアーカイブズ)

(2)大荷物を背負いて原生林を進む
 樺太島の北緯50度線付近はほぼ山間に位置している。志賀は、天地開闢以来の人跡未踏の地方である、と書いている。延々と重なるトド松、蝦夷松、シベリア松の原生林、その足元は隙間もないほど密生し交差する草藪で、倒木も多くまるで櫛の歯のようだった。ヒグマやトナカイも徘徊し、藪蚊やブヨは雲霞よりも多い。この密林を伐採し、倒木を整理して小径を開き、橋梁を架けて、電話線を張り、それからようやく300人の数か月の糧食と、重い測量器、天測儀等を運搬できるようになるのだ。

 ──「殊にツンドラを運搬致し候際には、泥中に(脚の)第一関節まで没する処もままあり之。(中略)日本人夫が日本人の気象(原文ママ)として、露西亜人との競争に後レを取るまじと、滴る脂汗だに拭わで労働する」──

鍋倉5.png
国境画定作業の荷運隊「志賀重昂全集第6巻」
(国立国会図書館デジタルアーカイブズ)

 緯度観測用として携行する天測器械「運搬子午儀」は、分解して堅固な箱3つに納められており、運搬には交代もいれて8名を要したという。この「運搬子午儀」は、現在、国立科学博物館で展示されている。2003年、東京大学天文学教室の移転の際に発見され、寄贈されたものである。

鍋倉6.png
ドイツのカール・バンベルヒ子午儀70mm、製造番号第8235号。
「樺太境界画定事績」の記述のとおりである。
(国立科学博物館HP)

 また、委員会を大いに悩ませたのが、樺太の植生と夏季の気象条件を原因として頻繁におこる「林火(森林火災)」であった。

七月十七日、志賀は日露委員会本部の置かれているグロデコオという小集落に居た。此処は樺太島の地理的中心である。この日は酷暑であった。寒暖計は摂氏42度。いつも悩まされている蚊やブヨがいないのが奇妙であった。午後三時半、北東北に煙が上る。
 少し前七月十日にも林火があり、焼かれた電話線の修理が終わったばかりだ。志賀は暗い気分になる。やがて風がまわり南東南、南西南から、もくもくと煙が立ったと思うと、黒煙と焔がボッと渦巻きながら昇り、みるみるうちに延焼数里、大火災となった。
 電話線が焼き切られて、現在観測作業を進めている第二天測点と連絡がとれなくなった。

七月十八日(水曜)不安のうちに夜を過ごし、早朝、ロシア委員会から、第二天測点のロシア委員の安否情報を問い合わせに人が来たが、日本側も全く情報が無い。志賀たちは、ポロナイ川を下って直接確認に向かうことになった。
 その時、第二天測点で観測作業をしていたのは、測定班の班長をつとめる矢島守一陸地測量師だった。矢島は当時62歳、明治7年から33年間、陸軍で測量に従事してきたベテランだった。

 林火が間近に迫り、人も機器類も筏でポロナイ川対岸に移し終わったが、矢島班長が観測に没頭して子午儀から離れない。巨漢のロシア委員アフマメーチェフ大尉が「このまま私と同学の老人(原文ママ)を見殺しにはできない」と自ら火の中に押し入って矢島と子午儀を助け出したのだった。

 志賀たちが到着したときには、第二天測点基地は一面焼け野原になっていた。ことの経緯を聞いて矢島を見舞いにいくが、計算に没頭していてまったく気づかない。その両手が真っ赤に腫れあがっているのを見て驚いた志賀が、其の手は昨日の大火のせいですか、と声をかけると、初めて顔を上げて、ヤー好う御出で、と加賀弁で挨拶をし、ケロリとした様子で言った。
 ──「子午儀を見ていて蚊を叩かなかったら(手が)コナイになりました。」──

(3)天測境界標
鍋倉7.1.PNG
北緯50度線上の境界標(白地図から作成)

 @ 第一天測点 鳴海標石(旧遠内海岸)
 A 第二天測点 幌内川(ポロナイ川)標石(後に「境」と命名)
 B 第三天測点 半田沢標石(後に「星野」と命名)
 C 第四天測点 安別標石

 ──「八月十二日(日曜)(中略)此夜晴朗、長空一碧、星斗歴々、第三天測点は像定以上の観測を了り得」──

 樺太国境画定委員会では初年度、A→B→Cと標石を置き、翌年明治39(1906)年に@を置いた。国境に置かれた標石を正式には「天測境界標」と呼ぶ。4つの標石は、現地で彫り上げたためか、大きさ、形状、刻字が4基すべて同じではないが、高さ60〜77、底辺40〜56、下部奥行24〜30cm程度の将棋の駒のような形で、現地では巨大な基礎石の上に載っていた。標石の意匠は志賀重昂の意見によるものとされている。

 ──「八月二十五日(土曜)晴。(中略)ボロナイ川岸の第二測點に達し、馬を下ると、此處には日本の石工が汗を拭ひつつ境界標石を彫刻して居る。
 これは参州岡崎の北に産せし最も堅き花崗岩にて、南面には日本領とて菊花の御紋章、北面には露國領として雙頭の鷲を刻るのである。
 丁度南面の菊花と『大日本帝国境界』の文字が刻り上がり、而かも見事に出來上がりたれば、予は石工の頭領(和田)に向ひ、善く刻れたナーと喊(わめ)くと頭領には、ハイ、一生一代の事で御座いますから刻下(ほりした)の版紙丈ケ紀念に頂戴致したう御座りますと云う。」──

鍋倉8.png

鍋倉9.jpg
第二天測境界標(実物)南面に菊の紋章、北面に双頭の鷲の紋章。
(根室市立歴史と自然館、筆者撮影)

4.失われた樺太

 太平洋戦争終戦間際、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して宣戦布告し、昭和20(1945)年8月9日南樺太に侵攻を始めた。

 南樺太国境最前線の第二天測標石(半田沢)付近、半田集落へのソ連軍侵攻は8月11日午前5時。半田集落には歩兵2個小隊、国境警察隊28名の計100名程度の守備兵力しかなかったが、戦車と航空機に支援されたソ連軍先遣隊を丸一昼夜阻止し、ソ連軍に大きな衝撃を与えて、8月12日にほぼ全滅した。

 日本は8月15日にポツダム宣言を受諾したが、ソ連はなおも侵攻を止めず、ソ連兵は樺太で略奪、暴行、虐殺を繰り返し、多くの民間人が犠牲になった。樺太の日本軍は少数部隊であったが、本土からの応援もないまま、人員や装備ではるかにまさるソ連軍の南下を阻止するために各地で奮戦し、多くの民間人の避難を助けている。スターリンは勢いのまま南下し、北海道までも占領する計画だったが、南樺太及び千島列島で日本軍の抗戦があまりに激しかったためにあきらめた、という見解もある。

 南樺太は現在、ロシア領ではない。領有権は未定のままになっている。日本はサンフランシスコ講和条約で南樺太の領有権を放棄したが、ソ連はこの条約の締結国ではないため、武力行使で占領してそのままいわゆる実効支配をしている状態である。

 ソ連軍侵攻の17日間で、南樺太の日本人は、民間人約4.000人、軍人約1,000人(樺太連盟による統計)の死者を数えることになった。


 志賀は「樺太境界劃定」の中で繰り返し樺太の六月の春の美しさを讃えている。

 ──「渓水涓々、垂楊青々、楊花(やなぎのわた)雪の如し……沿道の菜の花全盛を極め、黄金を撒くに似たり……水畔黒百合の花、時を得顔に咲く」──

 ──「六月二十九日(金曜)晴れ。(中略)ツィム川を渡る。真に樺太第二の大河たり。春水悠々、両岸に野生の燕子花(かきつばた)乱開し、橋を渡りてデレベンスコエに入り、昨年日本兵站支部のありし家屋に入るや、庭内林檎の花、罌粟(けし)の花、毛莨(きんぽうげ)の花、紅紫黄白、人として錦繍薔園の中にあるの感あらしむ。」──

 この日、志賀は移動中一人先行してしまい、後続が追いつくのを待つことにする。春の草は柔らかい絨毯のようで辺りには誰もいない。草ッ原にゴロッと大の字になって空を見上げ、大声で詩吟を吟じていると、頭上からクスクスと笑う声がする。

 見れば、うら若いお嬢さんと男女の子供たちだった。父はポーランド人で母はロシア人だというその三人姉弟に、志賀は尋ねる。ポーランドとロシアが戦争になったらどっちの味方をするんだい?

 お嬢さんは答えず、ただ微笑んだ。と志賀は書いている。

【主な参考文献】
「樺太境界劃定事績」樺太境界画定委員会編,1910,陸軍省
「志賀重昂全集第6巻 大役小志」志賀重昂全集刊行会編,1929,志賀重昂全集刊行会
「樺太国境画定に用いられたバンベルヒ子午儀」洞口俊博、中桐正夫、西城惠一,2010,国立科学博物館研究報告E類33
「北海道周辺の海峡と水道」海上保安庁第一管区海上保安本部HP
「旧樺太(サハリン)の日露国境標石−樺太国境の設置」(根室市歴史と自然の資料館,2012)

海洋事業企画部 鍋倉英美

第4回世界社会科学フォーラムでの研究報告 [2018年10月03日(Wed)]

 2018年9月25日から28日にかけて、笹川平和財団海洋政策研究所の村上悠平研究員と小森雄太研究員が福岡市で開催された第4回世界社会科学フォーラム(4th World Social Science Forum)に出席し、海洋政策研究所が現在実施している海洋管理におけるプライベートガバナンスのあり方に関する調査研究プロジェクトの経過報告を行いました。

 この会議は、国連教育科学文化機関(UNESCO)の支援により設立された国際社会科学評議会(ISSC:International Social Science Council)が3年に1度開催する世界最大級の国際学会です。アジア初開催となる今回は、開会式に皇太子徳仁親王殿下および同妃殿下の行啓を仰ぎ、「持続可能な未来のための生存・安全の確保(Security and Equality for Sustainable Futures)」をメインテーマに、現在世界が直面しているさまざまな課題への方策を提示すべく、70を超えるセッションが設置され、研究分野の垣根を超えた議論が活発に行われました。

 海洋政策研究所の村上研究員および小森研究員は、「OP4-01 Transformation in coastal zones: Coping with global change」と題したセッションにおいて、日本沿岸の自治体における共同体の中核としての漁業協同組合のあり方に注目した「Access to marine resources and the role of fishers’ associations: focusing on the Japanese coastal communities(海洋資源へのアクセスと漁業協同組合の役割―日本沿岸の共同体に注目して―)」という研究報告を行いました。

 このような世界的な注目を集める国際会議において、海洋政策研究所の研究成果を紹介し、海洋政策をはじめとする国際的な取り組みに貢献することは、海洋政策研究所の重要な使命です。今後も私たちは国際学会などに積極的に出席し、「人類共同の財産である海洋を200年後の人類に健全な状態で引き継ぐ」という海洋政策研究所の理念に資する調査研究の成果を発表したいと考えております。

村上1.jpg
研究報告を行う村上研究員

村上2.jpg
セッションの登壇者(左端が村上研究員)

復旦大学第3回中国海洋戦略フォーラムでの研究報告 [2018年09月27日(Thu)]

 2018年9月21日から22日にかけて、海洋政策研究所の高翔研究員と小森雄太研究員が中国上海市にある復旦大学の招聘を受け、「復旦大学第3回中国海洋戦略フォーラム」に出席し、海洋政策研究所が現在実施している地域海の海洋ガバナンス構築のあり方に関する調査研究の経過報告および昨年度まで実施した「ユーラシア・ブルーベルトの安全保障とシーパワー」研究事業の成果報告を行いました。

 この会議は「国際海洋協力の推進、人類運命共同体の構築」をメインテーマとして、中国による海洋強国建設の目標と政策や海洋安全保障、海洋をめぐる国際協力、他国の海洋戦略が中国に与える影響などの課題に関する意見交換を目的として、復旦大学国際問題研究院と中国国際戦略学会が共催したものです。会議には、中国の政府機関(国家海洋局や中国南海研究院、軍事科学院など)や澳門大学(University of Macau)、ボストン・カレッジ(Boston College)、英国王立国際問題研究所(RIIA:Royal Institute of International Affairs (Chatham House))など計8ヶ国(日本、中国、米国、英国、ドイツ、韓国、ベトナム、シンガポール)の25研究機関、40名あまりの学者が出席し、さまざまな観点からの議論が行われました。

 海洋政策研究所の高研究員からは、地域海管理の先進事例であるバルト海と地中海の海洋環境管理の取り組みを踏まえて、東アジアの海洋ガバナンスのあり方について報告が行われました。また、小森研究員からは、海洋政策研究所が2015年度から2017年度にかけて、「海洋安全保障交流の支援促進」事業の一環として実施した「ユーラシア・ブルーベルトの安全保障とシーパワー」研究事業の実施内容と研究成果に関する報告が行われました。

 このような国際会議において、海洋政策研究所の研究成果を紹介し、さまざまな観点からの意見を頂くことは、調査研究を推進する上で重要なプロセスです。私たちは今後も国際会議に積極的に出席し、調査研究の成果を発表したいと考えております。なお、この会議は来年も開催が予定されており、海洋政策研究所からも引き続き研究者を派遣することを予定しています。

復旦大学報告.PNG
復旦大学第3回中国海洋戦略フォーラム出席者の集合写真

海のジグソーピース No.98 <日本版シーグラントの構築に向けてA> [2018年09月26日(Wed)]

 本稿では、前回に引き続き、米国で行われているシーグラントに類するシステム<日本版シーグラント>が出来ないか、日本海洋政策学会の課題研究グループ「海洋政策学的アプローチを用いた地方沿岸域の活性化に向けて」(研究代表:神田穣太・東京海洋大学教授、筆者もメンバー)が2018年6月に作成した提言書を紹介しつつ考えてみたいと思います。

<米国のシーグラントの取組み>
 前回、米国の沿岸域で50年以上も続けられてきた「シーグラント」という地方大学による取組みの概要を紹介しました。その現状を知るため、先週、ポートランド市(オレゴン州)で開催されたシーグラント・ウィークに参加してきました。このイベントは、全米各地でシーグラントに関わっている科学者等が集まる、年に1度の会合です。

 9月18日の開会式と前日17日の会合に参加したのですが、米国において50年以上も継続されてきた、その実績の持つパワーを実感したというのが率直な感想です。海洋分野の科学者が各州の大学に何人もいて、シーグラントのもと身近な海洋・沿岸域の課題解決に横断的に熱意を持って取り組んでいる。そして、各州の取組みを結ぶネットワークが機能し、約7000万ドルの予算もある。一朝一夕で追いつくことの難しさを感じました。

 一方、その具体的な実施内容を見てみると、漁業向けの海洋観測データ取得や養殖の技術開発、沿岸防災の調査研究など、基本的に日本では行政レベルで予算が措置され実施されている事項が、米国においてはシーグラントのもとで行われていることも分かりました。すなわち、シーグラントの機能のうち、各地のノウハウ共有を担うネットワークや、地元産業と連携した地域活性化、地域での海洋教育推進など、必ずしも大規模な予算を要しない機能に注目したシステムならば日本でも構築できる可能性がありそうです。

角田1.png
シーグラント・ウィークの開会式の様子(筆者撮影)

<日本の沿岸域へのシーグラントの展開に向けて>
 日本において、このような米国のシーグラントに類するシステムが出来ないか、日本海洋政策学会の課題研究グループにおいて、2016年度より検討を進めました。そして、国内外の動向や日本の大学・研究機関のポテンシャルについて検討し、日本海洋政策学会年次大会(2017年12月)で発表するとともに、2018年6月に海洋・沿岸域の課題解決を目指す緊密な産学官民の連携に向けた政策提言「海の知がもたらす海洋・沿岸域の活性化に関する提言」を作成しました。

 提言で苦労したのは、「なぜ今、海洋・沿岸域に特化したシステムが必要なのか」を合理的に説明することです。海洋ならではのニーズや特性等について、以下に例示するように整理しました。

 ニーズの多様化:水産、洋上風車、観光・レジャー、
         防災、環境保全・創造、
         温暖化影響、不審船対策等

  過疎・高齢化:沿岸管理の劣化、
         離島の無人化等

 必要となる労力、困難:海洋・沿岸域特有の専門的知識、
            船や港などのインフラ、
            大学や地方公共団体のタテワリ

 そして提言では、海洋・沿岸域において、様々な主体間の連携・総合調整の下での最適化された管理が必要であることを示しました。また、分野を超えた取組みのニーズが生まれつつあるなか、組織としての大学の参画が課題解決のための有力な方策となる可能性があることや、志摩市の「新しい里海のまちづくり」の事例のように、学が中心となり、科学的根拠を積み上げ、行政・市民との協働活動が実現したことなどが、海洋・沿岸域の課題解決の難しさを乗り越えるヒントになることを示しました。

 具体的な実施事項については、これら整理を踏まえて次の3項目の必要性を示しています。

(1)パイロットプロジェクト実施
 地域の大学・研究機関が中心となり海洋・沿岸域の課題をサイエンス・ベースで解決。地域内の関係主体の連携を促進。

(2)リエゾンオフィス設置
 各地域の取組みを結び、ノウハウ・経験・情報の共有や、 人材育成を担う司令塔。優良事例の全国展開を目指す。

(3)国際連携・貢献の推進
 日本の経験共有、アジア・太平洋域の持続的発展の支援。

 提言書については、日本海洋政策学会ウェブページよりダウンロードができます。ご関心のある方は是非、ご覧ください。また、研究グループの皆さんの協力のもと提言書の英語版(下図)を作成し、シーグラント・ウィークの開会式の前日9月17日に開催された「Sea Grant Association Meeting」において参加者に配布するとともに、提言内容について口頭発表を行いました。

 提言で示した海洋・沿岸域の経済基盤の維持や価値創出は、第3期海洋基本計画や地域でのSDGsの推進などにも資するものです。引き続き、サイエンス・ベースの新たな産学官民の連携の実現に向けて取組みを進めていきたいと考えています。

角田2.png
政策提言(英語版の表紙)
※英語版については、こちらからダウンロードできます。


海洋政策研究部 角田 智彦

海のジグソーピース No.97 <東京都伊豆諸島八丈島、小笠原諸島父島における島しょ海洋教育> [2018年09月20日(Thu)]

 東京都立八丈高校と東京都立小笠原高校は、今年も当研究所の支援する海洋教育パイオニアスクールプログラムの地域展開部門に参加し、2校間の交流や伊豆・小笠原諸島の7つの学校が集結する島しょ高校生サミットなどの取り組みを行っています(昨年の様子は海のジグソーピース No.41で紹介)。私は今年の6月21-27日に八丈島と父島を訪問し、2島の島しょ海洋教育についてお話を伺ってきました。

 八丈島には、開拓民として小笠原へ渡った人たちが、戦時中に強制疎開で八丈島に戻った歴史があります(海のジグソーピース No.95で紹介)。そのため毎年、小笠原親善訪問団が結成され、6月26日の小笠原返還記念日に合わせて、年に1度八丈島に寄港するおがさわら丸で父島に向かいます。その便を利用し、八丈高校と小笠原高校の交流会が企画され、私もそこに便乗して参加しました。普段は直通の航路がない両島を東京から一度に訪問する唯一のチャンス、また、本年がちょうど小笠原返還50周年記念に当たり、父島ではさまざまなイベントが開かれていると知り、期待が膨らみました。

 まず先に飛行機で八丈島に降り立つと、どんよりした厚い雲と強い風に迎えられました。八丈島は黒潮暖流に洗われ、年間を通して強風と高降水が特徴です。ひょうたん型の島の南北に2つの火山 三原山と八丈富士がそびえ、その谷間にある空港には霧が発生しやすく、1日3便就航する航空便の欠航率の高さは有名です。

 八丈高校では、海洋と深く結びついた地理と文化を学ぶ単元が、全日制と定時制の両方のカリキュラムで組まれています。定時制で夜間の限られた時間に「海洋学」を学ぶ高校は、少ないと思います。全日制の選択授業では、全員がスキューバダイビングのライセンス取得を目指し、アオウミガメの調査でその成果が発揮されていました。また、島外留学生を受け入れており、練馬区から単身で「農業を勉強したい」という自分の意志で来た同級生に、島内の生徒さんも刺激を受けているようです。

中村1.png
八丈島南西部の大阪トンネル展望(八丈富士と小島を望む)

中村2.png
裏見ヶ滝

 1964年から米国ハワイ州マウイ郡と姉妹都市を結ぶ八丈島は、海洋教育におけるハワイとの高大連携を推進し、注目されています。薄れゆく双方の言語(八丈方言・ハワイ語)や伝統文化の継承は島しょの共通課題であり、ハワイでの取り組みを伊豆諸島の高校生が習ったり考えたりするプログラム(SHIP:Share Heart Islander Program) は興味深いものです。このプログラムの一環として行われる短期留学の一部費用は、八丈島のみなさんによるクラウドファンディングにより調達されます。またハワイでは、2016年9月に外洋航海に供されるアウトリガーカヌー「ホクレア号」の姉妹艇「ナマホエ号」が建造され、その世界航海での八丈寄港を実現すべく関係者と交渉中とのことです。日本の鎖国中、ハワイからの移住者により小笠原へ伝わったアウトリガーカヌーは、今も小笠原諸島と八丈島に和洋折衷型のカノー式漁船として残っています(八丈島では櫓漕ぎアウトリガーカヌー)(*)。「ナマホエ号」の航海は資金面からもまだ先のようですが、国境をはるかに越え、太平洋で繋がる海洋教育の可能性を実感します。

中村3.png
父島ビジターセンターの帆走カヌー

 八丈高校から代表の生徒さん2名、ハワイ島からの留学生Mさん、引率の先生と共に小笠原親善訪問団に加わって、夕刻に底土(そこど)港に接岸したおがさわら丸へ乗船しました。八丈島からさらに南へ 700kmを隔てた小笠原父島へは16時間の船旅でしたが、2016年に就航した3代目おがさわら丸は1万トンの大型フェリーでしたので、船内は快適でした。翌朝8時半に訪問団はデッキへ集合し、小笠原諸島の聟島近くの洋上で青龍丸戦没者追悼式が開かれました。1944年、疎開途中に魚雷攻撃を受けて亡くなった多くの方を悼み、献花した白菊が朝日に輝く南国の海の波間に漂う光景は印象に残りました。

中村4.png
底土港からおがさわら丸に乗船

中村5.png
青龍丸戦没者追悼式

 小笠原諸島の父島にある二見(ふたみ)港では、小笠原高校から生徒さんと先生の暖かい出迎えがあり、島内のフィールドトリップを通して小笠原の自然や文化をご紹介いただき、高校では授業参観しました。私は生物科の先生とお話し、シュノーケルで沿岸のサンゴ礁も見ることができました。世界遺産に登録された小笠原諸島は言うまでもなく自然の宝庫であり、動植物の固有種は多く、生態調査すべき対象は多種です。小笠原高校では生物の授業で、河川に生息する巻貝(オガサワラカワニナ)の調査を行っています。サンゴ礁の海と僅かに残る干潟のどちらへも、教室からフィールドへの出やすさは同じであるものの、授業に海洋を取り入れる場合の制約(天候、潮の干満の時間、季節など)は海洋の方が大きいことを教わりました。体育ではウィンドサーフィンを習い、アウトリガーカヌーについて講義を受ける機会もあるそうです。一方の八丈島では、砂浜のないことがカヌーなどのマリンスポーツの実施を阻んでいました。

中村6.jpg
二見港で歓迎を受ける

中村7.png
沈水カルスト地形の無人島 南島

 小笠原諸島のサンゴ礁は火山島の急しゅんな地形から横に広がらず、沿岸の幅の狭いエリアにサンゴは密集して生息しています。ダイビング観光の目玉とはならず、サンゴへの関心はそれ程高くないのが現状です。けれども、沖縄・八重山諸島での白化などと比べると、水温や水質が安定しており、小笠原諸島のサンゴはまだ健全な状態にあります。その背景には小笠原諸島が米国から返還された際にいち早く、下水処理施設が島の端に設置されたことも大きく効いている、と聞きました。海洋教育でのサンゴはビーチコーミングの他に題材とされておらず、今回は砂の観察(サンゴ礫とウニの棘が多い)や、サンゴの成長速度あるいは被度の調査などを実施可能なテーマとして提案してみました。

中村8.png
赤灯台下の枝サンゴ(スギノキミドリイシ)群落

中村9.jpg
宮の浜の塊状サンゴ

 小笠原諸島返還 50周年に当たる今年は、父島で大きな記念式典も開催されました。八丈島と比べると、小笠原諸島では「南洋踊り」といった文化や歴史は新しく、さらに若い世代の移住者が増加していると聞きます。現在では平和な楽園に見える小笠原諸島ですが、太平洋戦争の際には本土防衛の要衝となり、父島の夜明山には通信関連の軍事施設の跡がそのまま残っています。サンゴの美しい宮の浜の砂地には、戦争前にはサイパンへ繋がっていた海底ケーブルが切断されたまま残り、戦争をリアルに感じられます。同じ国境の立ち位置にある沖縄とはまた異なる戦後の歴史をたどり、東京都の財政で充実したインフラが整備される島しょ地域です。八丈島では見られない白い砂浜がある一方で、飛行場建設を巡る議論が長く続き、遠隔離島の課題は様々にあります。今後、台風や気候変動の影響をより大きく受けていく可能性は高く、今回のような遠隔離島の高校生同士の交流の機会は、横の繋がりを強化し将来に役立つものと期待しています。

海洋政策研究部 中村 修子

【参考文献】
*後藤 明 2010 「環太平洋海域の伝統的船舶技術の交流について−小笠原・八丈島のカヌー漁船を題材に−」神奈川大学 国際常民文化研究機構 年報, 1: 75−82

| 次へ