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虐待と姿勢(体)考 [2009年05月02日(土)]


  虐待には、いくつかの形があって、精神的・肉体的・あるいはネグレクトといわれるもの・・・本来の姿とは、反対の概念である経済的放棄や無視があるといわれます。



  虐待を受けた人の場合、自分を責めるあまり、表情は暗く、うつむき加減になり、姿勢は首をまえにうなだれた感じを受けます。



  「 うつ 」  になられると、ほとんどそんな印象を受けるのは、 「 自分で自分を責める 」状態になられているからなのかも知れません。


  
  「 非正規雇用 」 という概念は、 その状態からは、普通抜け出せないという点において、 「 社会的・制度的虐待 」 であり、政治や労働組合が、なんら手を差し伸べないという点において、ネグレクト=無視になるもので、本人が積極的に希望した結果と、言うべきではないと思うのです。



  長期間 「 非正規雇用 」 の状態に置かれると、 人間は、 「 社会的 うつ 」 の状態になるのではないでしょうか。 それは、 「 働く意欲 」 の問題でしょうか。



  年収4000万円という 「 天下り 」 、 漢字検定協会などの 「 公益法人の私物化 」 、 金で買う公務員の地位  、 公共事業を請け負う会社からの企業献金 ・・・・・ 



  こういった、 「 社会的虐待 」 を助長し、恩恵に預かっている仕組みは、一刻も早くなくして行かねばなりません。


  









Posted by けんたろう at 12:02
社会的虐待としての現代雇用制度 [2009年04月27日(月)]
いま日本人を苦しめている問題に、「格差」の問題があるが、その中で一番の問題は、「雇用の格差」である。それは足掻いても逃れられない 「人間の尊厳の格差」 にもなっているように見える。



明治維新・昭和の敗戦後と、二度にわたり社会制度(身分制度・地主制度など)が見直されたが、三度目の社会制度の見直しが必要な時代に来た観がある。



その理由は、国民の比率で、世帯収入400万円以下の貧困層が本流となり、200万円以下の極貧層が底流に見えてきたからに他ならない。



昭和の敗戦以降、政治家・経済人・役人は成長神話を唱え、国民にたかっていれば良かった。しかし一次産業・基本産業を軽んじ、空疎なマネーゲームに興じた結果、すっかり破綻してしまった。



そもそも、日本のトップ企業から、 雇用の偽装を行い、人間にロボット以上の効率 を強いてきた。



「社会は人の幸福のために存在すべき 」だが、「国は、一部の強欲な人間の為の装置」 に、成り下がってしまったようだ。



「1日の上限が5時間に満たない非正規社員」という形で、経営者が経費節減 を図るものだから、「保険もない年金もない年休も与えられない、かといって2箇所の職場を掛け持つと言うことも不可能な流浪の民」 が、如何に増大してしまったか。



「介護で自殺」という最近のニュースは、「姥捨て」という昔語 さえ髣髴とさせる。野党の党首が、公共工事の受注会社から 企業献金を、適法に受け取っている場合ではない のだ。献金の元はと言えば、「出所は税金」だろう。あきれた野党だ。



熊本には「こうのとりのゆりかご」があるが、昔の「間引き=えい児殺」の時代背景 と、現代の状況が似て来ているのかも知れない。



「雇用の格差」は、「どうやっても這い上がれない、普通の状態では生きているのがやっと、保険ナシ年金ナシ、子殺し親殺しをせざるを得ない」のであれば、それは一つの社会制度となっているといえる。これを 「社会的虐待」 と言わず、なんと言うのだろうか。



総理大臣からして「世襲」。一流大学を出て倫理的にもすぐれたはずの役人の「天下り」。「受け皿として腐るほど増えた財団法人・公益法人」。かかる制度は 「屁のカッパ」 であり、人間の尊厳を守る上で、無用の長物。



「雇用の格差」は、現代の社会制度にまでなった「社会的虐待制度」であり、平成の今、現代の明治維新=「平成維新」こそ、望まれる。
Posted by けんたろう at 10:28
”いやいや”と自己主張〜〜〜現代日本人を考える [2009年04月06日(月)]


  敗戦後、教育体制が、変わってしまい有史以来の日本の歴史は、断絶してしまった。以前にも、意見を述べたが、日本人ほど日本の歴史を、解読できない民族は、いないのではなかろうか。古文・漢詩など、もう宇宙語に近い感覚だ。



  そのうえ最近、社会一般に、協調性のない人間が増えていることについては、筆記方式の変更が、おおいに関係しているのではと、思っている。



  つまり、元来日本人は、「B5版の縦書き」だったのが、近年お役所までが、「A4版横書き」に、変更してしまったということだ。



 これは、「学習」というべきなのだろうか、「刷り込み」というのだろうか、まさか「サブリミナル効果」でもなかろうが、何を言っても日本人の返事は横方向に首を振る、「いやいや」になってしまった。



  私たちが小さいころは、返事はすべて縦方向に振れる、「ハイハイ」であって、もしかすると、文章を読むときの日常動作の揺れの癖が、日本人の生活態度にも影響していたのではないか と、思うのだ。



  もちろん、今日までの日本の 有史以来のお粗末な「たかり政治」 を、是認するわけではないが。



 また、「縦書きで、左に書き進む」と、筆書きの場合右手が墨で汚れてしまう欠点があるが、なんてことはない、「縦書きで右へ進めば・・・・・・」  おっと、これは考えすぎか?



 ともあれ、なんでも首を横に振る、「いやいや」が、自己主張と間違えられている懸念があるが、日本人のそれは、単なる「首振り運動、習慣上のいやいや」のようだ。



 これ以上、怪しげな政治、意思の分からない国民がふえたら、日本は経済上のみならず、精神面からも、先行き滅亡してしまうのではなかろうかと思ってしまう。


Posted by けんたろう at 12:39
淨信寺の300年の木蓮  [2009年03月12日(木)]


 阿蘇熊本空港がある 益城町の下陣「蘇峰生誕の家記念館」の川向こうに、浄土宗の寺、淨信寺があり、境内には300年の木蓮が、満開だ。







 ご住職によれば、300年くらい経っているのではないかという。日本一らしい。花は、1週間しか、持たないらしい。下のほうの花は、茶色に変化してきていた。



  





 長年、益城に住んでいて、気づかなかったなあ!!!



    



  あんなに、からだ一杯花を咲かせて、樹は疲れないんだろうか と、つい思ってしまう。


 境内には、ラジカセから音楽が、流れていた。300年も経ってジャズを聴くなんて、木蓮もビックリしていることだろう。








Posted by けんたろう at 09:14
阿久根市長=竹原信一さんのブログ [2009年02月26日(木)]

  この方のブログ(さるさる日記 阿久根時事報=住民至上主義)を見て、戦慄をおぼえる。

           住民至上主義 ( http://www5.diary.ne.jp/user/521727/ )





一つは、竹原信一市長は、潰されはしないかという危惧。もうひとつは、阿久根市の財政20億円の、約9割が、職員人件費であることの事実。



19年度職員給与、手当明細



 「 給与と手当だけで17億3千万円、市の人件費として更に退職手当や共済年金などのための支出が加わる。 阿久根市の税収はわずか20億円。 」



市職員人件費が、問題にされるほど、最悪の不況であり、公務員制度の肥大化は、不況の一因になったのかもしれない。



空恐ろしいことではあるが、善悪は別にして、この動きは、すべての分野に広がる気がする。公的機関にあるもの・法律により存在を認められている機関・法律により独占を許されている機関・・・・・・・・たとえば、日銀職員の給与(40歳以上は年収1000万以上らしい)・電力会社の給与・新聞/放送局の給与・・・・・・・あるいは、漢字検定協会などという社団・財団・公益法人等の職員給与・採用状況(近親者の縁故採用)・・・・・時代の流れは残酷ではあるが、理の必然なのかもしれない



善良な市民は、知らないだけということか。

Posted by けんたろう at 09:47
台所に、汚染米使用の酒が・・・・・ [2008年09月12日(金)]
 まさか我が家にも・・・・・。生協から買った料理酒の 『 美○女 』 。いままで、たくさん、たくさん 使っていましたが、それが汚染米から造られていたとは!!!私は、冷凍したパンを、レンジで蒸しなおす時、かけて使ってました。たっぷりと。肉と野菜の炒め物のときも!!!たっぷり!!!〜〜〜アア〜〜〜。もう、どれだけ使ったか判らない。・・・・・吐き出そうにも、吐き出せないではないか!!! 時期は特定されたのだろうか。 料理酒ということで、原材料は海千山千になったのだろうか。




 紙パックには、 『 阿蘇伏流水使用 』 なんて書いてありますが、メタミドホス他入り農薬・カビ入りだったとは。 「 心よりおわびします 」 という  『 三笠フーズ 』  社長や、解雇された社員は、家族にも食べさせていたのでしょうか。 『 医療食品 』 の現場にも流れていたと言いますから、恐ろしい話です。酒造メーカーは、いくらで仕入れていたのでしょうか。もしかして安かったのじゃない?でしょうか?でなきゃケースで安売りなんて、できないでしょう。材料を安く仕入れないと。最終店舗の購入価格も示してもらいたいところだ。



 生協も少しおかしいですね。いつぞやは、体脂肪をはかるというニセモノ器具を、平気で売っていて、・・・・・仕入れるときの価格に、疑問も何もないのでしょうか。今回も、仕入れ価格が一等安かったのでしょうか。そもそも生協自体、大義名分のほかに、組合の天下りの、・・・・・・。




 あれは、 マスコミが書いているように、 『 事故米 』 なんかと言うより、 『 汚染米 』 そのものです。農薬入りの汚染米を、中国などから輸入して、あれは輸出国に、返還しないのでしょうか? おかしな、やさしい国ですね、日本は。( 会計検査院とか、こういうことを防止できずに、意味があるんでしょうか。 ) ( こういう大らかさだから、拉致被害者なんか、取り戻す気慨も、ないのでしょう。 )




 日本は、悲しい国ですね。財界のトップ企業からして偽装請負はするし、教育現場が商品券に汚染されていたり、 会社が、 『 すみませんでした。 』 と頭を下げたときは、たんまり儲かった後のまつり。利益は、あちこち隠しとる。マスコミを賑わしても、せいぜい執行猶予付きの温情判決。会社は、舌を出していないとも限らない。・・・・・計画倒産・・・・・・・。




 際限なく、収まらない偽装問題・・・・・一義的には、偽装した会社が悪いと言われますが、その裏には、公務員の天下り問題があるといわれます。たとえば、農水省なんかは、食品メーカーに、大量に天下っているらしいと。だから、内部告発があっても取り上げず ( ミートホープ事件など ) 、万一偽装がバレたとしても、トカゲのシッポ切りで、1件落着させるとか。( 人事院とか、こういうことを防止できずに、意味があるんでしょうか。 ・・・・・じつはウチ( =人事院 )も天下りやってるよ!・・・・・なんてないでしょうね。 )




 生協は、 『 すみませんでした。仕入れが安かったもので 』 とか云わないし。 生協組合員に、胃袋に納まった、私もたくさん食べてしまったギョウザ代金を返したことも無い。 商品棚には、あいかわらず、安売り国の商品がズラリ。やはり、労働者のための生協であっても 『 労働貴族 』 の  『 天下り・・・・・』 。 食べてしまった過去に遡っては、何の謝罪もない。 酒造メーカーも、販売生協も 『 知らなかった 』 で、一件落着!!!




 マスコミの方々も、その辺は汚染されていて、農水省からどこのメーカーに、何人天下っているかなどと言うのは、少しも報道しようとしない。だから、 『 偽装は、ちっとも根絶されない。  』  ( 「 事故米 」 などとさすがに、官僚の表現力は一流。 )




まったくモウ・・・・・・腹が立つ・・・・・。健康被害の害が出ていなければ、何をしてもいいのか!!!・・・・・・生協は、金返せ・・・・・と、どうにもならないのに、感情的になり、興奮してしまいます。庶民は、 ” ゴマメの歯ぎしり ” です。 『 うつくしい国 日本 』 のモラルは一体、どこに行ったのでしょうか。しかし、どうのこうのと云っては見ても、この国の将来も、実態は、二世〜三世議員に、あるいは二世〜三世総理大臣に、ひたすら縋るしか方法はないのでしょう。


  






< 参照 ブログ >


 Jcastニュースより引用。
 http://www.j-cast.com/2008/09/11026863.html

「工業用糊に限り販売」 農水省の説明は大ウソだった
2008/9/11 コメント

農薬や毒カビに汚染された「事故米」が食用として出回っている事件で、農林水産省の説明に大きな疑惑が浮上している。農水省は「事故米」を、工業用糊や、木材の合板や修正材の接着剤の原料使用に限り販売を許可していると説明していたが、実は、国内では接着剤などの原料に米を使用することは殆どないことがわかった。使い道のない米を穀物業者に販売していた形になり、今後農水省の責任が厳しく追及されるのは必至だ。

糊に使うのは「事故米」でなくタピオカや小麦
問題を起こした三笠フーズの場合も「工業用糊加工品」に用途を限定することを条件に販売したという。しかし、工業用糊メーカーの大手ヤマト、不易糊工業、住友3MにJ-CASTニュースが取材すると、いずれも、澱粉糊のうち「米を原料にしているものはない」という答えが返ってきた。また、「米を原料に糊を作っているメーカーがあるという話は聞いたことがない」のだという。ちなみに澱粉糊はヤマトがタピオカ、不易糊工業はコーンスターチを原料にしている。

また、森林総合研究所によれば、合板を作る際や、修正材に使う接着剤の原料に小麦を使う例はあるものの、米を使ったものは見たことがないそうだ。工業用糊や接着剤に使われないとなると、「事故米」を工業用糊などに使用を限定、という農水省の「前提」が全く崩れてしまう。

「三笠フーズ」を発端とする今回の「事故米」の食品使用問題では、2008年9月10日に、新たに食品・資料販売会社「浅井」(名古屋市)、肥料製造会社「太田産業」(愛知県小坂井町)が米穀の仲介業者に転売していたことが発覚。食用に転用されている可能性が強まっている。

今回の「事故米」は、日本政府が世界貿易機関(WTO)のルールで輸入を義務づけられたミニマムアクセス(MA)米で、年間約77万トン輸入している中の一部。農水省のホームページには、

「MA米によって国産米の価格・需給に影響を与えないよう、加工用中心の輸入・販売を行うなどの措置を講じている」
と書かれている。

「何でも工業用に回すというわけではありません」
08年9月10日のテレビ朝日系「報道ステーション」では、東北の穀物業者が匿名でインタビューに応じていた。

「農政事務所からカビの生えた270キロの米があるという話があり、食用以外なら何でも処理していいと。それで、堆肥にするということで私が買った。(事故米は)手を出す人がいないので、お金にならない」
穀物業者に直接の依頼があるのは驚きで、それだけ「汚染米」の使い道は少なく、在庫が膨らみ、農水省は頭を痛めていた様子がうかがえる。

農水省の報道担当はJ-CASTニュースに対し、「三笠フーズ」に「事故米」を販売したのは「三笠フーズ」が工業用穀物も扱っていたため、契約通りに加工すると考えたからだと話した。しかし、「事故米」が工業用糊としては需要がないのでは、と指摘したところ、これまでの農水省の発表やJ-CASTニュースの取材に答えたこととニュアンスが一変した。

「台風で水に浸った事故米は食用としてすぐに出荷するように、事故米も臨機応変に、何でも工業用に回すというわけではありません」
という理解不能の説明だった。食用に転売される可能性にうすうす気が付いていた、といわれても仕方がないような対応だ。




http://www.tottori.coop/coopqa/qa_osen.html の『 とりコープ Q&A 』 より 引用

1. 環境汚染物質やカビ毒とは?

 現在、環境汚染物質として問題となっているのは環境中に存在する重金属類です。カドミウムや水銀といった重金属類の生鮮食品への含有や、カビ毒の実態が、国の調査などで明らかになり、それらへの対応が新たな課題として出てきています。
 カビ毒は、カビが作り出す有害代謝物であり、熱に強く、加工・調理過程で分解することができません。これらの問題は消費者の健康を守る上で大変重要な問題と考えます。

 生協独自の対策を進めることは困難ですが「米に含まれるカドミウム」「魚介類の総水銀」「ナッツ類に係るカビ毒アフラトキシン」「リンゴ果汁に係るカビ毒パツリン」についての生協としての基本的な考え方を整理します。



< 追記 > 諫早湾の潮止め堤防にしても、漁民には、 『 因果関係が証明されない 』 などど、 『 天文学的に困難な証明 』 を要求するが、自分たちの不始末には、だんまりを決め込んでいる。
Posted by けんたろう at 04:24
龍之介〜80年後を予測した男 [2008年07月24日(木)]
    
 50年生きている人ならだれしも、チャップリンのモダンタイムズ(1936年=昭和11年)で、チャップリンが巨大歯車に巻き込まれる映像を見て、おかしかった経験が、あるだろう。ところが、モダンタイムスより9年も早く、芥川龍之介がその作品「河童」(1927年=昭和2年)の中で、おなじ状況を、日本人としてのすぐれた洞察力をもって、表現している。今から81年前の、作品だ。



 40年前、高校に入ったばかりの私は、暖かい日差しの中で、雌が雄を追いかけるという「河童」の世界に、「こんなことが、ありうるのか」と、心から考えていた。というのも、戦前までは、家長制というものがあり、親の一存で女性の一生が、決まっていたと聞かされていたし、なにより、身近に、その証拠が、たくさんあったからだ。



 ところが、没後81年の今日、「雌が雄を追いかける」状況は、はからずも実現して、頭の固い私も、いささか発想の転換を、迫らせられざるを得なくなった。
(さらに、フランスにおける非嫡出子の出生率51%というのは、驚きに値する。)
 しかし問題は、男女関係の転換に留まらない。「河童」に示された社会構造の再現だ。「河童」の世界では、解雇された河童は「殺してしまって、肉を食料に使うのです。」「機械工業の進歩に伴い」、「それは騒いでもしかたありません。職工屠殺法があるのですから」「つまり餓死したり自殺したりする手数を国家的に省略してやるのです・・・」



 現代において、餓死や自殺を「国家的に省略して」やる明示の法律は、存在しない。それは、自殺幇助法律が存在しないということであり、国家の免罪符になっているに過ぎない。必要な法律を作らない、政治や権力による、不作為の作為ともいえるものだ。「河童」を世に出して3ヵ月後、7月24日、龍之介は自殺した(河童忌)ので、作品は精神的に幼稚という向きもあるが、文学表現としては、文句の入る余地はない。(龍之介の墓は、豊島区巣鴨5丁目の慈眼寺にある。JR巣鴨駅から歩いて、ほどよいところ。)







 そもそも、81年後のいま、なぜ自殺者が毎日、毎日、約100人ちかく、年間で3万人以上(実に小さな市の人口と同じ位の人数)もいるのか。自殺せざるを得ない、逃げ場のない硬直した、あるいは救い難い、末期的な社会になっているのではないか。家庭内で、なぜ殺しあうのか。餓死してゆくものに、なぜ人は、無表情なのか。無差別殺人が増えたのは、なぜか。人は、殺し合うという、共食いにも似た行動をするのは、なぜか?学問・世襲・官僚・法律・政治・役所・天下り・汚職という言葉は、何のためにあるのか?表現は、悪の賛美のためにあるのか







 こういった現実に、今日の時代を築いてきた人間ならだれしも、見識を持ち、原因を究明し、それぞれの立場で、少しでも解決策を、実行すべき必要と責任がありはしないか。








 昔、「村八分」という言葉があり、あとの「村二分」つまり冠婚葬祭(人としての喜怒哀楽表現)については、排除することなく、共同体で行われていたという。
 ところが今日、人間の尊厳を守る砦の「二分」の余裕すら、現代人には、与えられなくなっている。経済的に、であろう。亡くなっても、お坊さんを呼べるのは、都会では半数程度ではないか、とも聞く。現代の”職工”には、供養する金も、悲しむ時間もないのだ。特に、“臨時職工”にあっては、番(つがい)をつくり、繁殖する力すら、奪われている。人間から、喜怒哀楽をうばってしまったら、どうなるのか。わずかな時間で風化しつつある秋葉原の事件は、何を示しているのか。






 いま現代人は、「職工」というより「ブロイラー」という言葉が、ピッタリなのかも知れない。ひたすら餌を与えられ、ひたすら卵を生み続ける。餌の食べ方、立ち方、羽の広げ方、座り方、一挙手一投足マニュアル化され、効率だけの存在。ロボットの効率に劣るようでは、廃鶏にされかねない。昔「庭の鳥」だったころの家族はなく、かけ回る庭も、草原も、止まり木もない。〇○○方式などと、秒単位で計られる存在。ブロイラーになってしまった人間。







 喜びも悲しみも無く、効率だけの存在。子育て・介護に疲れ、かかる状況に置かれ、重圧だけが、のしかかっている。つまり、人間としての記憶は、まだ残っているのだ。
 龍之介没後81年。この間の歴史は、見直されねばならない。全職場の3分1以上の人間(35%)が、非正規雇用という形になり、まともに結婚し、まともに生きるすべまで、否定されている。少数の人間によって、料亭やゴルフ場で、歴史は作られるのだろうか。政治は=「たかり」ではないはずだ。人間を機械としての「ブロイラー」から、もっと家族を感じられる「庭の鳥」へと、戻さなければならない。



 自由・平等・博愛の近代精神は、いつしか、金拝・強欲という言葉に、代わってしまっている。(公務員の縁故採用〜食品偽装表示など、際限がない、)いまこそこの現状に、怒りをもって、アートはアートの立場で、人間だった頃の自分を、呼び覚ませばなるまい。
Posted by けんたろう at 07:02
劇場と車椅子用トイレ [2008年03月05日(水)]

  2時間もあるような、長いコンサートでは、途中休憩が15分ほど入れてあるが、それでも足りない場合があることが分かった。


  きっかけは、いったん会場から出られるお客様の多さから。「トイレがいっぱいで」ということで、このことについては、熊本市民会館では、改築の際に女性トイレを増設し、解決が図られたと聞いている。


  だが、もっと深刻な問題は、車椅子対応の場合だろう。熊本県立劇場の場合、ホール内には、車椅子対応のトイレはないので、エントランス横のトイレを利用することになる。そうすると、座席からトイレまで5分・中で5分・ホールに帰るのに5分・・・となると15分かかることになる。ところが、車椅子対応のトイレが、ひとつしかない場合、2人目はどうなるか。15分の休憩タイムを、5分オーバーすることになる。(それで、15分の休憩に2人が利用しようとすれば、これは車椅子レースの様相さえみせることになる。)


   クラッシックコンサートの場合、演奏の途中で出入りはできないので、悲惨な結果になりはしないか。「後半の遅れ客は、曲間でもドア付近までしか行けない」という主催側の意向が働く場合、どうなるんだろう。


  数人の車椅子の方のために、そこまでは出来ないという意見で、現状があると思うが、専用を、せめて一個でも増設し、この進化した時代こそ、答えるべきではないかと思うのだが。
Posted by けんたろう at 14:55
恐竜雛〜御船(熊本)のギャラリー [2008年02月21日(木)]

 御船町恐竜博物館の道を隔てた南側の、福永幸山堂御船ギャラリーに、古布で作った干支のお雛様や、動物のお雛様を、展示してあります。





一体なんでしょうか。







にぎやかです。








川の町らしくカッパのもありました。





春は御船でひな祭り」ということで、3月9日(日)まで、あってます。おいしいコーヒーと、数量限定のタイ料理ランチがあります。TEL 096−282−3443 で、午後6時まで。



    交通は、熊本空港から車で30分。御船インターチェンジから、20分てとこでしょうか。
Posted by けんたろう at 23:09
岩本貴文〜アヴェマリア [2007年12月19日(水)]

ヴィーブル合唱団の練習拠点「合志中部保育園」で、12月18日「祝クリスマスの夕べ」があった。川島直道牧師(日本基督教団錦ヶ丘教会)のクリスマスメッセージ(主旨=サンタはいるか〜現代人の失ったもの)のあと、賛美歌。





独唱 岩本貴文 伴奏 斎藤里沙で、アヴェマリア・AveMaria・Panis Angelicus(天使のパン=糧)。声の伸び長さ、高音移行時のなめらかさが、さすがトップスター。おなじフレーズでも声を変えられているのがわかる。近くで、聞けるのは、有難い。




   なぜ12月24日がクリスマスなのか、私見ではあるが、闇の時間から、光の時間が増え始める冬至に、密接に関係しているように思う。光に対する生物的本能が、人間の祝福の心を醸成しているのではないだろうか。とにもかくも、クリスマスにすぐれた声を聞け、ヴィーブル合唱団に行ってよかった。
Posted by けんたろう at 09:13