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ゴウです![2009年07月11日(土)]
郷ひろみって、…若い子も知ってる?

物まねの人が 「ゴウです!」 ってやるんだよね。

本当に郷ひろみさんが、そういう挨拶するのかはわからないけど、

それができたらカッコイイと思う。


つまり、肩書きなしで名乗るってこと。

「○○大学のなんとかです」
「○○博士 なんとか」
「○○株式会社 部長 なんとか」

でなく。


電話でも、「○○のなんとかと申しますが…」って、

まるで、お約束みたいに付くでしょう。


どこかに所属してないと、自分を名乗れないなんて、なんか窮屈だし、

根無し草の私はよくどう言っていいのかわからない。

   「クロガネと申しますが…」

   「どちらのクロガネ様ですか?」

   「・・・」

今度そういうことがあったら、「世界のクロガネです」って言ってみよう♪


全然余談を…。

娘5歳は、甘えたい盛りで、

「はなこは、お母さんのはなこだよー」なんて言う。

へん、そんな浮気性の恋人みたいな台詞は信じないよ〜って思いながら、

「そうだねー、はなこは、お母さんのはなこだねー」と相槌。


そして、横で聞いてる、甘えられない盛りの息子には、

「ゆーたろーは、世界のゆーたろーだねー」と言葉をかける。

もうちょっと甘えてもいいんじゃねぇの〜って思いながら…。


ふたりが、肩書きがなくても逞しく世界を渡れる実力をつけられたらいいなぁ。

その前に、私だねっ!


嘆きます![2009年07月10日(金)]
若者のコミュニケーション能力、

ちまたで言われている通り、

間違いなく、低下してると思います。

名門校の中学生でそれは顕著です。


小学生の内から、親とおしゃべりする時間、

お友達と、「なにしようか〜」って言いながら、何もしないで過ごす時間、

そんなのをへずって、塾に通って、上品な私立中学に入っても、

コミュニケーション力が育ってない。


そりゃぁそうだよ。

自然な形での人との触れ合いの経験が不足してるんだから。


だから、何かに心から興味を持つということがわからないし、

教師の問いかけが求めることを理解することもできないので、

結局、学習の効率は悪い。


ところが、学校は、必要な知識を与えていかなければいけないと思っているので、

生徒の反応が悪ければ、プリントを増やし、テストを増やし、なんとか補おうとする。



だるまさんになってても、必要(かどうか本当はわからないけど)なものを、

お口に運んでもらえる。

それで、なんとか必要(かどうか本当はわからないけど)な栄養を

蓄えて、進学していく。


学校側は、その結果に満足。

親も満足。

生徒も満足…な気がしちゃうんだろうなぁ。


人が本当に必要とする能力は、

どやって、自分に本当に必要なものを見定め吸収するか――だろう。

その力はついてないよ…。


近未来的価値観と日本文化の心髄(4)[2009年07月09日(木)]
私の誤解していた部分をかんさんにご指摘いただきました。 


亡霊は亡霊として恨み辛み、執着などなど、さんざん愚痴(笑)をこぼしてこれまたいいのですが、これが亡霊としての“個”ですね。

その後、亡霊は成仏するので、“個“には帰らず、全体性へと還っていくのですね。
そこがいいのです。(^^)

いまさら言っても詮無きことを、たまたま通りかかった旅の僧に、舞まで踊って、さんざん聞いてもらって、“個”を最後まで堪能した後、“全体”へと還っていく。。。こんな感じです。(^^)



私は亡霊は個に還っていってしまい、共鳴し一体となった観客は取り残されるのかと思ったんですが、逆ってことなんですね。

亡霊は成仏によって、原点、全てを生んだ場所、天? 宇宙? (Whatever you call) に戻ることができる。

観客は体ある限り自分の体に閉じ込められた “個” を続けるしかない。 ついてはいけない。


う〜ん。

で、お題の 「全体と個」 に関して私が思うこと。

そんな、壮大なテーマをひとりでまとめることなんてできないので、

とっとと、ボールを返しましょう


自分の幸せを短いスパンで追求してたら、結局は不幸になると思います。

例えば、授業中でも私は先生に聴いて欲しいことがあるから、

関係ないけど、「ねぇ、先生、ねぇ、先生」と大声を出す。

それじゃ、そのクラスの授業は遅れるだけ。

例えだからね、例え。 そういう話の方が授業より、ステキな話題が詰まってたり、

どんな話題からも、教科学習につなげられるのが教師のプロだろっていうのは置いといてね。


例えば、「アルバイトして小銭稼いで、流行りのサンダル買いました〜」

なんて、プチハッピーにとどまっていたら、

いつのまにか、日本はアメリカの植民地になってるかもしれないし、

戦争が始まってるかもしれない。


人はひとりでは生きていけない。

お金を使ってる人はみんなそう。

そのお金を手に入れるのは、人からなのだもの。

お金に頼って生きてるってことは、

他の人との関係の中で生きてるってことだ。


そういう意味で、誰の体も結ばれてしまっている。


そこで、みんなが全体の動きを考えずに、動いたら、

全体としての動きなど取れるわけがない。


いつのまにか、圧倒的力のある一部の人間に

引きづられてるかもしれない。

自分は自由に楽しく遊んでいたつもりなのに、

いつのまにか潮に流されていて、

レジャーシートを置いた砂浜から随分離れてしまっていたってことあるでしょう?

そんな風に、気付きもしないで、一部の人間にコントロールされる。


あるいは、そんなリーダーの存在さえ不可能かもしれない。

混沌としてぐにょぐにょ内部で動きつつ、全体として消耗し、破滅するのかもしれない。

気付いたら、地球は熱くなり、人間どもは海の下。


ねぇ、どうしたらいいでしょう、かん先生!

近未来的価値観と日本文化の心髄(3)[2009年07月08日(水)]
6月24日の “交換ブログ” の続きです。

私の問いかけに対する、歩くブレーン、喋る(とちょっとうるさい)ブレーンの
康 宝心 (かん ぼしん) さんが答えてくれてる続きになります。

(かんさんのブログでも同じものが読めます。)



〜〜〜〜〜これまでの荒筋〜〜〜〜〜


くろがね : 動詞が最後に来る日本語って相手の顔色見ながら
       結論の軌道修正ができちゃう。 それが、相手との
       協調を大事にする日本の文化ってやつで、かんさんが
       惚れてる能の中で展開される世界なの?

かんさん : 能では、主役の心の叫びをみんなで叫ぶんだよ。
       感動なんだよ。
       

〜〜〜〜〜かんさんの続き〜〜〜〜〜


れーこさんのブログに「彼女(私)の“続きます”は当てにはなりませんが、」(笑)と書いているように、申し訳ありませんでした。 もう10日も空けてしまいました。 ごめんなさい。m(__)m ずっと皆様からペタ頂き、恐縮しつつ、でも本当に皆様の暖かいお気持ちを頂いてうれしかったです。ありがとうございました!)


前回からの続きです。


前回は偉そうに書いてあるようだが、能楽堂に実際に足を運び始めたのは、大学院に行ってからだった。(笑)とはいえ修士の時は月に2度は能を見に行っていた。


「羽衣」の感動を他の曲にも求めていたのだが、はじめは「羽衣」のような感動はすぐには味わうことはなかった。最初はとにかく訳がわからず、????がとにかく並んで、わかるようになりたい!それだけだった。 それが、初めてわかった!!!と私に思わせ、舞だけで私を初めて感動させたのは喜多流シテ方の今や人間国宝の友枝昭世氏である。


それはもはや二十年くらい前のことだが、友枝昭世氏が「朝長」を演じたとき、朝長の絶命の時の舞で僅か5センチくらい肩を落とした、その肩の落とし方でそのプライドや無念の気持ちすべて、その背景ともに胸に広がった。圧倒的な感動だった。


(その後、ファンレターとして熱烈な感想のはがきを送り、奥様にお電話でそのときの感動をとうとうとまくし立てたのであった。。。。。。(笑)←迷惑な人。。。)


感情表現を押さえに押さえた形式的美によって、観客の想像力を最大限に引き出す。 その引き出された想像力の大きさが観客の感動の大きさになる。 能の観客はじつは想像力を演者に試されているところがあって、演者は観客の想像力を最大に引き出すヒントを決定的な一瞬に込める。 その決定的な一瞬を際だたせるためにそれまでの、足の運び、手の振り、全身の筋肉の緩急、これらがあるか無いかで演者の表現力が決まるようなのだ。


ともかく、これでまた私は能楽堂に引き寄せられることになった。


能の種類は大きく分けて5つに分類される。
一番目物は神様が出てくる能、
二番目物は修羅物といって「朝長」のように武士の亡霊が出てくる能、
三番目物は鬘能といって亡霊だったり、天女だったり、女の人が出てくる能、
四番目物は以上の分類にまたがったりして分類しにくい物を集めて、四番目物と呼ぶ。
五番目は鬼物といって、龍神など神様に準ずるような存在、亡霊でも執着心がない亡霊(「融」)を扱う。


ということで、能は亡霊が出てくる、あるいは異次元の存在が出てくることが非常に多い。


亡霊を扱っても、その亡霊はほとんど必ず旅の僧によってその執着を解かれて成仏する。


観客のそれぞれの個としての執着を、次元の違う存在を演じて観せることによって、その執着を解く。


そうしておいてその想像力を最大に引き出す。


能の舞台はその個々の想像力が融合する共感性の広場になる。


次元の違うところで私たちの“個”が融合するのを能は誘い、“個”の感情や執着を認めつつ、全体としての融合へのエクスタシーを観客に持ち帰らせる。 “個”が“個”であることの悦ばしいほどの悲しみと、全体として融合することの悲しいほどの悦びを観客に手を替え品を替え、観客自身の想像力で体験させるのである。


(続きます)(笑)


それでは、全体と個について、れーこ先生に伺ってみよう。(^^)


〜〜〜〜〜くろがね解説〜〜〜〜〜


ひとこと、ひとことに、かんさんの感動がしっかり詰まってるので、
それをバリバリっと噛み砕いてしまうのは、申し訳ないのだけれど、
…許して

ポイントは2つ。

1つ。 能は抑えた抑えた動きの中に感情を込めるので、
    それを理解するのには、観る側に想像力が必要とされる。

2つ。 能では、人の執念を異次元の存在(亡霊)に変換させ、
    それを成仏させる。 亡霊の存在は受容されつつも、
    やがて去らねばならない。

以上から言いたいことは…

能の抑えた動きという表現方法により、想像力が刺激されてるところに、
主人公の想いが亡霊になって、謡い舞った日にゃぁ、のめりこんじゃう。
演者、観客、心はひとつ、それがかんさんの言う共感性の広場だ。

しかし、そんな風に全体的に共感させまくっておい最後には亡霊は個に帰る。

あぁぁぁぁぁ、こんなにも、あなたは私だったのに、
あなたは、あなただけに戻ってしまうのね…。

みんなはこんなに一つだったのに、
私はやっぱりひとりなのね…。

…ってこと???

じゃないかもしれませんが、そんな解釈の元に、

お題の“個と全体”について、明日、語らせていただきます。    
出鼻をくじかれる(TT)[2009年07月07日(火)]
去年、本で知った2つの学校にびびっときて、姫路郊外にある2つの学校を訪問した。

そして、期待通りの感動と、期待以上のつながりを持つことができた。


今週読み始めた本が、同じくらいのインパクトを持っていて、ここのところ興奮していた。

「心からのごめんなさいへ」 (品川 裕香 著)

内容は…サブタイトルそのままだが、

「一人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦」

をルポしたもの。

本の最初の方で、一般解放も行われ、院生と一緒にワークショップができると知り、

  さぁ、いつ行こうか…

  夏休みってもう間に合わないかな?

  得意のごり押し作戦に出るか

と、心は既に京都に向かう新幹線に乗りながら、

ネットで情報を…

  えーーーーーっ 2008年、閉鎖だって


でも、この少年院で紹介された素晴らしいスピリットを持った人たちが、

閉鎖したわけじゃない。 

むしろ、各地に散ってそこで種まきをしている。

そこから、新しい芽が複数伸びていくのだから、

むしろ関われる可能性は高くなってる。


そして、著者の品川裕香さんのような方の存在も

素晴らしい目標になります。


いつか、この今日はがっかり話だったこの話題の続きが、

キラキラ話としてできたらいいなと思います。

アイアム ストロング![2009年07月06日(月)]
体調不良です。

ここのところ、ずっと病院に掛かり、

抗生物質をいただいてる間はOKなんだけれど、

飲み終えると、またすぐ、発熱。 &喉が腫れ上がる。

体調が悪いと、とても弱気になります。

自分には何もできないんじゃないか…。

全ては器にそぐわないことなんじゃないか…。


こういう時に、頑張れなければ、偽せ物だ。

諦めたら、そこで終わり。

死ぬ時になって、自分が信じてたものが、実はやっぱり鰯の頭だったとわかっても、

笑い飛ばしゃぁいいだけのこと。


騙されたと思って、やって、実際騙されていたって何も損はないのだから、

アイアム ストロングと唱えて、がんばります!



PRIME 〜好き英シリーズ〜[2009年07月05日(日)]
忘れた頃にやってくる “好きな英語表現シリーズ” Yeah

PRIMEです。 

プライム… なんとなく日本語にも入ってきてるからイメージが沸くでしょうか?

「最高の」って訳しておけば、なんとかなっちゃう。

prime minister は “最高の大臣” てことで、総理大臣のことだし、

prime time は “最高の時間” てことで、テレビのいわゆるゴールデンタイムを指す。


でも、もともと PRIME は 日本語で言う “素” とか “原” とかいうニュアンスです。

だから、

PRIME NUMBERS と言えば、昨日語った “素数” のことで、

PRIME COLORS と言うのは、色の3原色のこと。


言いたいこと、ぴんと来ちゃった?


素数は、どの数をどんなに掛け合わせても作れない。

逆に、どんな数も割っていけば、素数が出てくる。

原色(赤・青・黄) は他の色をどんなに混ぜても作れない。

逆に、どんな色もこの3色から作ることができる。


PRIME というのはだから、 “素” であり “原”。


人とは違う部分、そして、つきつめれば誰の中にも存在する…

それがPRIME

そして、それは “最高の” という意味に派生しているっていうのがいいんです。


日本語にも “素敵” というステキな言葉がありますね。

「素敵」 というのは当て字で、元々は 「素的」 と書いたそうです。

「素」 は もと / そのまま って意味だから、

ステキと言うのはつまり、 「もともとっぽい」 「ありのままな」 って意味。


「もともとのありのまま」 が ステキ という意味になってる。

PRIME と同じです。 いいよねー。 うん、うん。


誰かと混ぜたり、何かで飾ったりせずに、

自分の中の “PRIME” “素” を追求したら、

あなた(私)は最高でステキなものになる
最大公約数でなく素数[2009年07月04日(土)]
一般ウケする先生はやめよう。

たとえ、学校には大勢生徒がいても、私を必要とする子は極々一部だろう。

その子たちに応えられなかったら、私はウンコ教師になってしまう。

(注 ウンコ = 特別な価値を持たないもの。 そこから得るものがないもの)

“他の子の手前”とかどうでもいいじゃん。

“ひいき”とか言うんじゃなく、求めてくれる相手には精を尽くして応えるってことだ。


学校の先生が、みんな最大公約数的な態度を取る姿勢でいたら、

素数な子は居場所がなくなる。

私は素数狙いで、投げかけよう。


意味がわからない…? 喩えを変えよう。


人のツボなんてみんな違うんだから、

教師の全てが、一般的にこの辺ですょって辺りを皆して圧してたら、

ツボがくっきりズレてる子はいつまで経っても、適切な刺激を受けない。

他の子だって一人ひとり違うんだから、ニアミスって感じで、

微妙に欲求不満が残りそう。


教師一人ひとりが違うところを押せば、

「キターーー(゜∀゜)−−−」

って子が教師一人につき数名になり、

いろんな教師がいることで、いろんな生徒が満たされるはず。


学校は、教師に、個性的に伸び伸び生徒に接するように奨励すべきだ。

「最大公約数的な態度を取るように」

「この辺りのツボを押すように」

的な姿勢では、その学校には欲求不満な生徒ばかりになってしまうだろう。


私は、みんなの先生です! なんて、キレイゴトなウンコを言わずに、

きっと存在する私だから通じるって生徒のこと、

定冠詞(the) の付いた生徒と向き合うことを考えよう。


スランプとシャクトリ虫[2009年07月03日(金)]
スランプなんて… とかって、巷の自己啓発書では、

否定的な意見が多いけれど、

私はスランプってありだと思う。

そして大切だと思う。


本当に、自分がちっぽけでちっぽけで、

何もできない。

情けなくて悔しくて、

誰に比べても負けてる気がしては、

そうやって周りをキョロキョロする自分に腹を立てる。

見渡して、ひとりぼっちの気がして、

長いものに巻かれなかったことを悔やみ、

長いものから逃れられなかったことを恨み、

お先も真っ暗に思えて、

消えちまいたいって…。


私は定期的にしかもかなりの頻度で、そんな心理状態に陥ります。

抜け出すのに時間が掛かることもあれば、

3時間でおつりがくる時もある。


陥った時は、自分がシャクトリ虫だと思うようにしている。

シャクトリ虫が一尺進むために、

その小さい体を一層縮めているのが今のスランプ状態。


思い切り伸びたって、たかが一尺の自分。

せいぜいしっかり縮むことだ。

その分1ミリでも、余分に伸びれるのではないか。


あぁ、でも、このシャクトリ虫、方向音痴なんだよね。

ジタバタジタバタと同じところばかり周って、

ちっとも、前に行かない。


もしくは、つるつるのプラスチック容器に落っこちたか。

登ろうとしてはツルツル落ちる。

こうして消耗していくのだろうか…。


う〜ん、今回のスランプはちょっと長引きそうかな。


ってことは、きっと、飛び切りの脱却ノウハウをご紹介できますね。

へん、なにごとも経験した方がいいのさ!


Full Metal Jacket[2009年07月02日(木)]
「男の子」ってわからない。

私は男の子だったこと、ないから、一応。


じゃぁ、女の子のことはわかるの? って言われたら、

ひとりひとり違うから、やっぱりわからないんだけど、

でも、クワガタや戦争や世界遺産や格闘技よりも、

アクセサリーやダイエットや料理やお人形への興味の方が、

少なくとも身近である。


だから、高等学院のある生徒が “戦争好き” だという前情報をもらった時も、

う〜ん、そこでは、絡めないな…、と思った。


私の担当教科は英語であり、彼と英語の接点は、戦争を扱った海外の写真集や、映画。

とりあえず、彼が持っていた Full Metal Jacket という映画のDVDを貸してもらった。

ベトナム戦争に参加した兵士達の物語。

目を覆いたくなるシーンの連続に、最初は “イヤ!”

っていう抵抗感しか感じなかったんだけど、


観続けていくと、それだけではなかった。

戦争の破壊性と、人の心に共存する弱さと美しさを丸ごと描いた素晴らしい映画だった。


戦争って言うと、手に負えないものとして、

想像力をストップさせているところが私にはある。


わからないし、関係ないし、見たくないのだ。

私が関わらなくても、自分とは違うタイプの他の人が担当するだろう、

くらいに思ってた。 …思っている。


思えば、私はいわゆる障害者などに対しても数年前までは目を背けていた。

わからないし、関係ないし、見たくなかった。

私の仕事の範疇ではないと思っていた。

今は違う。 障害というものの捉え方からして間違っていたことがよくわかる。


私のテーマは 「人」 。 


いわゆる障害者と呼ばれる方々との関わりの中からこそ、

「人」 の本質に気付かせていただけることがあることを知った。


戦争も 「人」 が起こすものだ。

目を背けてはいけない。


そう簡単に、これから戦争を私のテーマの一つにします!

とは、いかないが、

これからは決して、チャンスがある時に目を背けるようなことはすまい。


貸してくれた男の子はその映画のどこが好きなのかな?

明日、教えてもらうのも楽しみだ♪
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