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2019年03月22日

灰小屋雑考

 邑南町へ在来作物調査へ行く道すがら、灰小屋の「遺構」をみる。灰小屋といっても、岡山県から広島県にかけての高原地帯、山間部から島根県石見地方東部に多くみられるものは、田畑に近いところにもうけられ、そこで土を「焼く」小屋としてある。地域によって呼称の異動はあれど、このあたりだとハンヤと呼ぶことが多いようだ。
 関心がありながらも放置してあるテーマであって、テーマは5つばかり。

1. 小屋の建築として…農夫がつくる建物という点、住ではなく機能性に特化したものとして。しかしながら中では火を扱うという点から納屋とは異なり、住に近いなにかを有するのではないか。すなわち住居の原型としてとらえてみたときに、何か大きな発見がある気がしている。

2. 再生を試みる実践…少なくとも3つの観点がある。ひとつめは焼土をつくる技法とその効果について。農学的アプローチがベースにありながら、環境民俗学をもちいねばとけぬ問題がある。どのような林野利用と農事の循環、作物栽培、複数の要因のからみあいのなかで醸成されてきたものであろうから。そして、多くは茅葺きであったことから、茅葺きの技術を小さくとも身につけることとリンクしている。安藤邦廣先生にご助言いただく予定。

3. 灰利用の文化…草木から繊維を取り出し、糸をつくる、あるいは紙をつくる、そのとき灰は書かせぬものである。麹菌を培養する際にも特定の樹種の灰が使われた。ほか、山菜の灰汁抜きに、焼き物の釉薬に、衣類の洗浄に、あげればきりがないほど。化学でどうのこうのという面をこえた感覚にせまってみたい。

4. 灰小屋の風景と環境と…田畑の中に煙がそこここからたちのぼっている風景。夢のなかであってもそれを見てみたい。灰小屋ひとつひとつは、その配置のバランスもさることながら、芝木を山から持ち運ぶ便、土を運びこむ便、できた焼土を田畑に戻す便、うまく燃焼させるための季節による風向きと強さ、などなど、多くの要因を計算にいれて合理的に設置されるものだが、それらが谷に散居しているさまは、その理ゆえに美しいものであったろうと思う。

5. 焼畑との関係はありやなしや…あっただろうと連想のまま書かれた記事はみかけるが、どうなんだろう。容易な結びつきはちょっと得られそうにないのだが。
 むしろ、建築面からみるに、たたら小屋からの連続性をみるほうが得るところが多いのでは。
 日本ではじめて、弥生時代の竪穴式住居が復元されたとき、参考にしたのが出雲地方のたたら小屋の構造であったと聞く。火を扱いながら、茅等の草葺であること、地面を掘り下げた構造であること……。ハンヤは掘っ建て柱は使わないが、その基本設計は系統を同じくするものではないか。













●関連過去記事
尊い家とは何か〜今和次郎とB.タウトと

粗朶ってなあに?



2018年02月12日

セーター、その始原性とダーニング

 NHKのEテレとBSプレミアムで放映されている「美の壺」。その<File:435>なる回のテーマが「セーター」だというので、観た。

 気仙沼では手編みのセーターが、伝統文化としてあった。はじめて知った。セーターといえば、明治から入ってきた洋文化だと思うだろうが、伝統を形づくる時は100年もあれば十分なのだ。それが人の暮らしに根ざしているかどうかなのだ。私たちは古くさかのぼれば、長く続いたものであれば、伝統としてありがたく頂戴しがちだ。そこではないのだ。織物・服飾に限らない、建築や技芸、食文化、どんなものであれ、人が編み出し共有していくものの育み方、そのヘリテージが伝統というものなのだと、認識を新たにした。
 番組では気仙沼ニッティングが紹介されていたが、ほかにも気仙沼で編み物を扱うところがいくつがたちあがっている。
 こちらの論文※1などからもわかるのだが、編み物は「階級」や年齢、職業を問わず、田舎でも都会でも人々の間に浸透していったようだ。
 経済的、すなわち材料が低廉で供給されたことと、道具が少なく特別な技術を要しないこと、このふたつが初期からそなわっていたのだ。いや、隠れたもうひとつの条件があるだろうが、これはいまは深くはおわない。が、ひとつだけ。
 家族の衣類は自分の家でつくるものだという理念のようなものがあったのだということだろうと思う。
 
 つくろうことができるということがうえの3つともかかわる。番組の〆もそこにおいていた。
 ほどいた毛糸で編み直すこと。
 そして、ダーニング(これ、はじめて知った)。
 衣服っておもしろいなあと思うことができた。
 と、同時に。本の編集を見直す観点を与えてくれそうだ。
 このあたり、もう少しほってみたいが、また次の機会に。



そして、もうひとつ。この本を読むこと。
「編む」は「織る」よりも、その起源を古層にまでたどれるものなのだ。
滝沢 秀一『編布(あんぎん)の発見―織物以前の衣料』を読みたくなった。


※1 森理恵,櫻井あゆみ,2012「近代日本における編物の変遷の一側面―明治後期から昭和前期の編物書 24 点の分析を通して」(日本家政学会誌 Vol. 63 No. 5 225 〜 236)


2017年12月18日

金継ぎ、はじめます(かな)

 一昨日、全6回の金継ワークショップ受講を終えました。
 「金継ぎ師guu.仲秋の金継教室」として雲南市木次町のカフェ・オリゼで開かれていたもの。9月の残暑きびしい日から寒さで凍えるような年の瀬まで、終わってしまえばあっという間でした。漆がかたまるのをまって次の工程にはいるので、3〜4ヶ月はかかるのですね。段ボールを使った簡易な室で「お世話」することも、手間だなあ面倒だなあという気持ちとは裏腹に、手をかけることに漆がこたえてくれているようで、楽しい時間でした。湿度と気温をみながら、霧吹きで段ボールの中をしめらせておくのですが、季節のうつろいとともにかわきかたもなにもかわっていきます。漆は生きている。そう思わずにはいられません。それやこれやもふくめて、昨今ぱぱっと終えるワークショップが隆盛するなかでは息の長い教室だといえましょう。
 1回のワークショップは2時間程度なのですが、筆やへらの使い方やら練り方やら、ひとつひとつが「微妙」な加減を会得するのが骨折りでした。いや骨折りというのは言葉が違う。ほんの一瞬なので、つかまえようがありませんし、なんとなくわかった気になっているだけです毎回。よって次回にはすっかりといっていいほど忘れている。メモをとっていてもさして役に立ちません(が、メモがないと完全に忘却)。
 そういう具合だったので、6回の受講をおえてまず思い立ったのは、忘れぬうちに実践せねば!ということ。これから、自家(カフェ含む)の器を少しずつ手入れしていきます。

 下の写真は最終回の様子。ガラス板にのっているのは絵漆です。





最終回を終えてのguu.さんの言葉から。
《金継ぎをやっていると、どの工程もすごく大切なのがよくわかります。
(きっと生徒さんたちにもわかっていただけたはず!)
粉蒔きを美しく仕上げるには、中塗りや下塗りから美しくしておかないといけなくて、中塗りや下塗りを美しくするには、錆漆等の下地から美しくしておかないといけなくて…
「丁寧な仕事」の積み重ねが最後の仕上げに全て表れるのと同時に、「まあいっか」の積み重ねも最後の仕上げに全て表れます。
.
「ものを直す」ということを、少しでも身近に、気軽に考えていただきたいのとともに、職人さんや作家さんの漆器が、いかに「丁寧な仕事」の積み重ねであるか、感じていただけたら嬉しいです。》

 丁寧な仕事の積み重ね。
 工芸にはそれが出るものですし、伝わる、ときには数千年をへだてても。
 景観にもあるのではないかと思う、あるいは思いたくなっている、今日このごろ。美しい風景には、人が手をかけただけの積み重ねがあるのだと。ね。

☽ 長文注意。 仲秋の金継ぎ教室 at カフェオリゼ 今日は最終回でした。 . 仲秋の頃、9月末から始まったこのワークショップも、とうとう仕上げです。 それぞれ金仕上げ、銀仕上げ、ベンガラ漆仕上げ、錆漆仕上げとなりました。 しっかり乾かした後、水洗いをして完成です。 (ベンガラ漆のやつ、撮り忘れあせあせ(飛び散る汗)乾かないと色も正しく伝わらないので、まあいっか) . 粉蒔きのタイミングを見るのが、やっぱり皆さん一番難しいのかな? 一番難しいけど、一番楽しい瞬間。 (できること粉蒔きだけやりたい笑) なんとか光ってよかったです。 . 金継ぎをやっていると、どの工程もすごく大切なのがよくわかります。 (きっと生徒さんたちにもわかっていただけたはず!) 粉蒔きを美しく仕上げるには、中塗りや下塗りから美しくしておかないといけなくて、中塗りや下塗りを美しくするには、錆漆等の下地から美しくしておかないといけなくて… 「丁寧な仕事」の積み重ねが最後の仕上げに全て表れるのと同時に、「まあいっか」の積み重ねも最後の仕上げに全て表れます。 . 「ものを直す」ということを、少しでも身近に、気軽に考えていただきたいのとともに、職人さんや作家さんの漆器が、いかに「丁寧な仕事」の積み重ねであるか、感じていただけたら嬉しいです。 . でもあまり敷居を高くせず、その「丁寧な仕事」は、決してしまい込んでおくためのものではなく、普段使いのものだからこそだと思っていただけたら。 . あっという間の3ヶ月でした。 ご参加いただいた皆様、場所を貸してくださったカフェオリゼさん、ありがとうございました。 また暖かくなってから、再び企画できたら嬉しいな。 . 明日は松江のワークショップ、最終回! お楽しみにわからん . . #漆#urushi#金継#金継ぎ#kintsugi#金繕い#漆継ぎ#銀継ぎ#器継ぎ#器#うつわ#直してでも使いたい#お直し#手仕事#職人#金継ぎ師#暮らし#暮らしの道具#繕う#金継ぎ師guu#金継ぎ教室#金継ぎワークショップ#仲秋の金継ぎ教室#島根#木次#カフェオリゼ

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 なお、2018年2月から5月まで全6回の金継教室が東京で開催予定です。おすすめ。
 会場は中野にある「cominka 若宮荘」。詳細は、こちらから。
タグ:金継ぎ

2017年07月09日

尊い家とは何か〜今和次郎とB.タウトと

 粗朶ってなあに?の中であげている「ハンヤ」のことを今和次郎が名著『日本の民家』であげていた。
 「備後山間の灰屋」。



《これらは肥料の製造所である。田圃の中や山の根だどにこれらは作られている。農夫たちは仕事の余暇に山の芝を刈り取って来て、この家の中でもやして灰を作るのである》と。
 ほぼこれだけの記述なので、ハンヤについての新たな知見はなかったのだが、何かが気にかかった。今はハンヤの何が気にかかったのだろう。今は日本の民家に何を見ようとしていたのだろう。そうしたことを思い、読み返してみた。これまで資料的に散見する程度のものであったから。それは、考現学の今和次郎ではなく、『日本の民家』を書く作家として読むことである。ほどなく、というより、とてもわかりやすく、今の筆が走るのがどんな家なのかが見えてきた。「山人足の小屋と樵夫の家」では、無邪気ともいえるようなはしゃぎっぷりがほとばしりでている。
《柱は又を頂く丸太を掘立にし、桁や棟木を柱から柱へ架け渡している。自在鉤の工夫は木片のかんたんな細工である。燃えざしの枝が真っ白な灰になり、その端に谷川の水を汲みとってきたルリ色のヤカンが尻をあぶられて留守の小屋の中に残されていたのである。小屋の壁は刈りとった叢の枝で出来ていて、生葉の枯れた匂いが室内に充ち満ちている。そして細かく切り刻まれた日光の片々が、薄暗い室内をぼんやり明るくしている》

 今が描く「日本の民家」は、明治の終わりから大正の時代に取材記録され、1922年(大正11)に刊行されたものだ。当時にあっては、ごくごくふつうの民家がその対象となっている。その中でも、粗末な家に、小屋のような家に、つまりは家の原初の姿を形としてとどめるものに今は惹かれているように思える。
 開拓者の家(小屋)を今は、「尊い家」だといい、《めったにそれらの尊い家を訪問した人はいないと思うからここで一般の民家の構造を紹介する一番最初に、真実な心で私は、それらの家の話をして置くことにする》として述べる。
 《彼らは木の枝や木の幹を切り取ってきて、地につきたてて柱とする。枝の又が出ているとそれが棟木を架けるのに利用される。縄でそれらは結び付けられる。……(略)……。床は土間のままである。一方に入口が付けられ、そこには藁の菰が吊るされる。そこは野原の上の彼らの家の門であり、玄関であり、また部屋の入口でもあるのだ》


 今和次郎のこの叙述に、私はブルーノ・タウトと同じ匂いを覚える。篠田英雄訳『忘れられた日本』から一節をひいておこう。

《農民は、今日と異なりできるだけ金銭の厄介にならなかった。それだからこそ彼等の自然観は、家屋のみならず、総じて自分達の作りだすものに独自の形を与え得たのである。実際、私は農家のいかものをこれまでついぞ見たことがないくらいである。
 原始的なごく貧しい小屋は、丸太をほんの形ばかり斧で削って柱や梁とし、この簡単な屋根組の上に竹を敷き並べて藁屋根を葺くのである、小屋を蔽うている藁葺屋根の線は非常に美しく、また柱間に塗った藁スサ入りの荒壁は絵のようである》




 
タグ:古民家 灰屋

2017年03月09日

住まいの床下は土であるべきと私は考える

 森と畑と牛と=MHU.が手がける奥出雲の小さな風の谷のプラン(自然地形としての谷にとって大事なのは水と風が淀まず流れ続けることです)。そこにはどんな建物がどこに配置されていくべきなのか。…てなことを皮切りに、忘却の箱にいれたままだった建築のことを少しずつ思い出しています。
 下山眞司さんのブログを読みながら、こんな記事を発見。
アリヂゴク・・・・アリヂゴクが棲める床下

《一般に、床下は湿気ると言われている。
 たとえば、「住宅金融支援機構(以前の「住宅金融公庫」)」の「木造住宅工事仕様書」には、「床下は、地面からの湿気の蒸発等により湿気がたまりやすい・・・」と解説があり、「ベタ基礎」以外の場合は「防湿用のコンクリートの打設」または「防湿フィルムの敷詰め」とすることを求めている。 この解説にある「床下の湿気理論」について、かねてから私は疑問を抱いている。》
 かねてから、古民家にこの仕様を施す例を散見するにつれ、疑問がぬぐえなかったのですね。構造的補強の仕方もですが、ここで問題視されている湿気・通気に与える影響についてからも。だって、土は呼吸しているんですから。
 引き続き引用(というには長いのですが)。
《では、普通の土地で、床下をコンクリートを打設したりフィルムを敷き詰めると、どのような事態が起きるだろうか。
 床下の地面は、陽が当らないから、その温度は屋外の地面よりは低い。コンクリートやフィルムの表面温度も、地面の温度と同じになっているはず。そこへ、床下の地表温度よりも暖かい湿気た空気が入り込むと、どうなるか。コンクリートやフィルムの表面に結露するのである。夏の朝、雨も降らなかったのに、舗装道路が濡れているのも同じ現象。
 そうならないようにと「断熱材(保温材)」をコンクリートやフィルムの下に敷きこめばよい、と考える人がいる。そういう「仕様」もある。しかしそれは、「断熱材」の「断熱」の語に惑わされている証拠。どんなに厚く「断熱材(保温材)」を敷こうが、地温になるまでの時間がかかるだけに過ぎない、だから、コンクリートやフィルムの表面は地温に等しい、ということを忘れている。》
 なぜ「忘れる」のでしょう。理由はともかく、確かに忘れるのです。
《(前略)同じ理由で、私は「ベタ基礎」は使わない。地耐力が小さくても、別の手立てを考え、床下地面を確保する。》

 現場から(シロアリ屋のひとり言)からも、こんな写真が。
「古民家だから冬はすきま風が入って寒いです。密閉対策をしてほしいな」などと言われる我が家(一部店舗)ですが、隙間だらけでよかったね〜と思います。
 住まいの床下は土であるべきと私は考えますし、アリジコクとともにある住まいがいいなあと思います。

2016年06月10日

空き屋問題は人口問題ではないの巻

 つれづれなるお話である。筋はとおってない、脱線を繰り返しながら、なんとか辻をあわせていこうと思う。

 朝、ラジオからこんな声が聞こえてきた。
「東京でもあと10年もすれば2軒に1軒は空き屋になる。総体としての住宅価格は暴落する」
 妻曰く。
「えー、そうしたら東京に家買えるかなあ」
 ……。
 そうきたか、いや、そうくるか。

 ひとつ。
 数字でしかモノが見えないと、こうも簡単に頷いてしまうのだ。愚かだと言いたいのではない。どうして考えないのだろうと、その状況を。暴落に至る過程を。現実を、少なくとも自分が知っている住宅、住まい、地域のありようというものを思い浮かべてみれば、そう簡単な話ではないことがわかるだろう。
 妻にはこう言うた。いやいや。買えるは買えるけどね。ほら、半年前に近所で0円の家を見たでしょ。不動産屋にも行って見学もしたでしょ。でも、、買おうとは思わなかった。そりゃそうだ。売ろうにも売れない状態になってしまったのが「空き屋」なのだ。ほとんどの人が買おうとは思わない家、それがほとんどの空き屋の正体。
 むしろ、空き家が一定数に達した段階で、まっとうに人が住めるエリアの住宅価格は値上がりすることも考えられる。

 ひとつ。
 いつから、家は「買う」ものになってしまったのだろう。価格で評価されたり、市場で売買されるものになってしまったのだろう。
 都市生活における集合住宅であるのならば、わからないではない。あるものを「買う」あるいは「取得する」「賃借する」のだから。
 金融、税制、法制…、これらきわめていじりやすい社会制度が「住まい」については適用可能だ。だからこそ、戦後日本はここをかなり人為的に設計したのだ。それが悪いのではない。もはやまったう間尺に合わないことになっているのに、変えられなくなってしまったことが「悪い」のだ。事情を知る人はみなそう考えている。だが、もういじれない。なぜか。いいとかわるいとか、こうすればいいのだということではない。
 なぜ変えられないのか。そこを解いてみることをしてみたい。

 さて、冒頭に述べたラジオのこと。TBSラジオ・荒川強けいのデイキャッチという番組で、ポッドキャストを録音したものがウェブでも視聴できる。そして、番組のなかでコメンテイターの宮台真司氏がドイツの空き家の不法占拠運動のことを引き合いに出していた。記憶違いもあるだろうが、まとめるとおよそこんなふうだ。

・空き屋問題はチャンスでもある。
・とりわけNPOにとって、市民活動にとって。
・ドイツの場合、行政が追認した。なぜなら、人が住んだ方がよいのだから。

 しかし、このドイツの場合、東ドイツのそれがおそらくよく引き合いに出されるのであるけれど、不法占拠民自らが、自治を行ったというのは大きな要素だと思う。「空き屋」が「空き屋」になるゆえんは世界各国どこもそうで、ドイツの不法占拠運動の場合もDIYが必須であって、それも重要な核である。そしてなにより、その法的な決着・解決がなされるまでに、聖職者(教会の司祭)がつねに仲介・指導の労をとっているということに、もっと注目すべきだと思うんですよ、私は。

 行政でも民間でもない立場から事象にアタッチできる機構をもっているというのは、変革や変動や移行期には、ものごとをよりよい方向へと導くキモとなるのだなと。

 そういうものを、たちあげていかねばなりませんなぁ。
※荒川強啓デイキャッチ 佐々木紀彦×宮台真司「空き家問題。首都圏では今後、ゴースト化が進む?/ など」2016.06.10
タグ:空き屋

2015年09月01日

安藤邦廣「古民家の価値とそれを活用した地域づくり」

去る日曜日。邑南町の日貫にある旧山崎家住宅で行われた講演会、安藤邦廣「古民家の価値とそれを活用した地域づくり」のメモです。

20150830-P111049602

 会場の古民家は、安永8(1780)年9月27日に棟梁大工・銀山領・川登兵七によって建てられたものだと、町のウェブサイトには記載されています。
 昭和58(1983)年の大雨災害に伴う裏山及び河川護岸の崩落により、木橋、蔵1棟、土塀が流 出しています。そのため、河川改修の護岸嵩上げ、ブロック塀に改修されており往時の様子を伺うことは難しくなっています。

 ともありますが、昭和3年当時の写真が残されています。これです。

20150830-P111050602

 現在のブロック塀は残念ですが、かつての姿を「復元」する機会を与えてくれていると考えれば、気持ちが盛り上がってきます。そう考えるようにしましょう。他のあらゆる「がっかり」することについても。

 さて、講演の要旨を記しておきたいのですが、まず、前段として、演題について。
◉古民家の価値→文化財は"守る"だけでは守りきれない時代。使う・利用するの" 攻め"が必須。そのために、古民家の"価値をとらえなおす"こと。
◉活用→古民家を現住宅としてみると捉え損なう。とりわけ大きな古民家はもともと人が集まり、経済、文化の核の役割を果たしてきた
、、、ということです。

 えーっと、続きはまた明日。なかなかに奥深いのです。
 メモとして箇条書きを残しておきます。

◉事例1 うぶすなの家(新潟県十日町市)
・枠組みと事業に必要な3者について
行政(県)が3年に1度の芸術祭に約1億円
ベネッセという存在(これはあとで質問したところでこたえていただいた)
http://www.echigo-tsumari.jp/artwork/ubusuna_house
◉事例2 松代町の古民家〜カールベンクス&アソシエイト
・ドイツの建築家が、貴重な古民家が次々と失われていくことに”義憤"を感じて、最初に手がけたはのは自費で1棟。3800万?近くかかったという。それを気に入った人に売却。その資金でさらに1棟を手がけ、、、というようにして、20年がかりで8棟が再生。高級別荘地となっている。
http://www.k-bengs.com
・安藤氏をして、最初は「これを古民家"再生"といってよいのか」と思わしめたほどに、様式は変わっている。屋根が典型なのだろうが北欧・ドイツのそれ。
・もっとも価値があるのは松梁の小屋組なのだ。もう2度と再現できないものとして。世界でもここ日本のこの雪深い地域で人類の文化として高みをきわめた遺産として。資産価値としても上がることはあっても落ちることは決してないものは、松梁の小屋組、その構造である、という思想。
◉事例3 つばめの家
・デイサービスと学童保育
※論文いくつかPDFでひっぱってあります
◉事例4 清匠庵(福島県会津)  
◉事例5 ゲストハウス 
◉事例6 筑波

共通していえることは
交流 
だとみました。

松について、ですが、興味ふかいことがいくつか。
・地下水の涵養力が高いということ……根が深くまでいくのだと。あまり知られていないことだとききましたが、ちょっとした検索くらいではでてきません。
・腐葉土にしていちばんいいのは松の葉である

そんなこんないろいろあります。少しずつ加筆していきましょう。

2014年05月31日

「古い家」または「空き屋」

 美しい。
 数多くの田舎の家を見てきた中で、あぁ美しい、と、この家のことをまず思い浮かべる。


 この納屋の庇をみれば、なんと板葺きなのです。


 雪深い地区にあるこの家には若い夫婦が移り住んで暮らしています。


 ……というように、種々の家を出すのもいいのだろうけれど、
 どかんと、廃屋に至る道を歩き始めた家をのせるのもいいような気もしている。
タグ:古民家