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2019年07月01日

安曇野ちひろ美術家でみた、シビル・ウェッタシンハ『かさどろぼう』

7月5日の「本とスパイス」、テーマは「雨が滴り落ちるその場所について」。

雨が滴り落ちるその場所について〜シビル・ウェッタシンハ『かさどろぼう』はじめ.(本の話#0019)

先月、安曇野ちひろ美術館で出会ったいくつかの〈もの〉〈光景〉をきっかけ、あるいは足がかりとして論じてみたい、誰かに伝えてみたいと思ったのだ。
今日からまとめていくのだが、そのきっかけを思い起こすために、雑想として記しておく。

まずは写真のみのせておき、テキストはのちほど加筆。

P1290468

P1290449

P1290472



(つづく)



●主な図書等
†. シビル・ウェッタシンハ作&絵、いのくまようこ訳『かさどろぼう』(徳間書店)
†. 『雨と生きる住まい―環境を調節する日本の知恵』(LIXIL出版)
†. 下山眞司〈縁側考―「謂れ」について考える〉新しいウィンドウで開きます〜建築をめぐる話…つくることの原点を考える(web)

2019年01月26日

本とスパイス記録と記憶016−1〜やまたのをろちはワインを飲んだか?

 金曜の会の記録と記憶を何回かにわけて記す。メモとしてここにおき、多少整理したものを樟舎にあげる予定。
○やまたのをろちはワインを飲んだのか〜マイケル・ポーラン『人間は料理をする・下』etc.(本の話#0016)


 マイケル・ポーラン『人間は料理をする』の話が少なかったともいえるが、そうでもないともいえる。なぜかを少し述べておく。
◆本の内容について語ってはいない
 たとえば映画や小説の粗筋を話すのは、読んだ人・観た人を対象にしないと成立しないので、これはなし。またノンフィクションの場合でも、その著者になりかわって何かを語るこできない。それは当該書籍本を買って読んでくださいということ。映画であれば上映権を買って上映会を開くということだ。
◆余談1:著作権
 現下、国内で主だって権利行使されているのは版権、複製権(copyright)である。つまるところ財産権。元来3つわけられる権利をとりまとめて著作権と呼ばれるものでその3つとは以下。
・著作人格権(公表権、氏名表示権)
・同一性保持権
・財産権(複製頒布権、譲渡貸与権、口述等伝達権、etc.)
◆余談2:図書館での読みかせは?
 書協などが出しているガイドラインはわかりやすくていねいである。
 http://www.jbpa.or.jp/guideline/readto.html
 が、著作権の法理からすれば、この示し方はいかがなものか…。と思う。
 すなわち、無償のボランティアならばだいたいOK、営利活動なら必ず許諾をとる(利用料が発生)という示し方。財産権の観点からすると、無償だろうが有償だろうが、関係はない。むしろ無償のほうが侵害の度合いを強める可能性が高いことは、図書館での書籍図書貸出について書店での売上を下げている要因としてちょっとした紛争・議論が発生していることからも明らかである。

 ことは文化文明の根幹にかかわることであって、一私人一企業一業界だけの問題ではない。
 そう。
 朗読として行うことは、法的には許されていないということは明記しておいてよい。
 そして、朗読なのか、引用なのかは多くの場合、灰色である。
 日本の著作権法では、灰色については「慣行」を基準にする旨記されているので、なんにせよ言論にかかわる新しいことを始めようとする際には、ひとつひとつが引っかかってくるものだ。はじめて1年ほどしかたっていないこの小さな会であっても、だ。だからこそ、法理について熟考しくだしたひとつの基準が、会に参加した方が「その本を読みたくなる」ことを念頭において展開している。そういう意味では、ぜひ!という本でもないことは確か、かな?
◆”運動”の原理主義化への牽制もあるM.Pollanの言説
 マイケル・ポーランはベストセラー作家といっていいが日本での売れ行きは今ひとつなようだ。
『雑食動物のジレンマ』(2009年,東洋経済新報社)が代表作なのだが、その要約版『これ、食べていいの?: ハンバーガーから森のなかまで―食を選ぶ力』(2015,河出書房新社)も全米ミリオンにしては話題にはならなかった(たぶん)。また『フードルールー人と地球にやさしいシンプルな食習慣64』(2010年,東洋経済新報社)、『ヘルシーな加工食品はかなりヤバい―本当に安全なのは「自然のままの食品」だ 』(2009年、青志社)という一連の著作は、食の産業化に対する抵抗を訴えており、”運動化”の波にのって「売り物」になっている。そうしたなかで、今回の書籍の取材もできたのだろうが、「急進的」活動家や団体にはやや辟易しているような言い方が多々ある。
 また、これまでの”運動”路線とは異なり、中立的というものでもないが、反・巨大食産業というトーンは薄い。

……つづく。。