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2018年01月29日

加藤歓一郎の国家主義とはなんだったのか

「灯台もとくらし。加藤歓一郎は日中戦争頃より強烈な国家主義者となり戦時教育の第一線にたっていた。図書館で見つけたこの記述でようやく見えなかったものが見えてきた。霧の中から。宮澤賢治と加藤をつなぐ線を探してみよう。政治と宗教と文学と農学がひとつものであったその時代に」
 そうつぶやいた2017年の夏だったが、なかなかすすまぬ。ともかく「魂の点火者」を図書館で借りてくることからか、などと思っていた矢先のことだった。
 一昨日、森まゆみの『自主独立農民という仕事』の中に、加藤歓一郎の記載をみつけ、あぁと思ったことがある。はたからは「強力な国家主義者」とみえたそれは、外面でしかない。「日中戦争頃より」というのもあやしい。少なくとも森まゆみは、おそらく『魂の点火者者』を頼りにこう記している。
《大正十五(一九二六)年、屋裏小学校に赴任。教育勅語と国家教科書(原文ママ:国定教科書)でがんじがらめになっている現場に、「白樺」「赤い鳥」などに影響を受けた自由主義教育運動を紹介していく。
 加藤は『死線を越えて』の著者賀川豊彦に共鳴し、彼がキリスト教の社会運動家として、その舞台となった神戸の貧民窟で着ていたと同じ「賀川服」を着、小作人の子たちと同様、素足で四里の道を歩いて学校に通い、校長に注意される。
(中略)
 加藤歓一郎は上久野小学校の児童を引率して村の氏神様に参拝して皇軍の無事を祈ることを拒否し、西日登小学校に左遷された。さらに昭和八(一九三三)年、大原郡教会全総会の席上、郡の教育を批判したことから、特別高等警察が西日登小に来るなどの思想調査が行われた。神社参拝にしたがわず、キリスト教の伝道をするなら教師をやめてもらいたいという。これに対し、加藤は憲法二十八条「日本臣民に安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りに於て信教の自由を有す」を示して断固ゆずらなかった。》
 
 加藤は、日中戦争の端緒たる昭和12年(1937)・盧溝橋事件の四年前には、特高の調査を受けている。太平洋戦争の激化を昭和16年(1941)からとするならば、8年で「転向」したのか、それとも加藤の国家主義と彼の信仰とは矛盾せず同居していのか。
 そこらは、『魂の点火者』を読むところからの話となるだろう。
 ここで、論点ではないが注意を向けておくべきは、日本戦時下の思想統制のありようだろう。昭和六年といえば、満州事変が起こり、治安維持法をもって思想統制がきびしくなっていく時代であったと、思われている。あくまでイメージとして、だが。
 しかるにその昭和六年の木次において、キリスト教の伝道、神社参拝の拒絶、政治批判、これらをもってしても、加藤は「注意」や「指導」を受けたのみ。検挙もされてはいない。
 ただ、戦争が激化する前のことではあるが、私たちがドラマや映画などでイメージをすり込まれている戦時下の思想統制の姿はかなりのゆがみがあることはいくつかの書が明らかにしている。たとえば、佐藤卓己『言論統制ー情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書)

 さて、つづきは必ず書く予定だが、いつになるかはわからない。
「感性は宮沢賢治に。行動は田中正造に学べ」というのが加藤の口癖だったというが、その二人から
、加藤自身は何を感得・会得していたのだろうか。
 
(つづく)
 

2017年08月15日

グローバリズムは戦争を不可能にしていくが戦争反対という主体を許さない

 終戦記念日、つれづれなるままに。
 今日はたまった仕事の1日であった。とはいえ仕事はまだ終わってはいない。敗戦ではなく終戦と名付けることでこの日が記念すべき日となった、日本という国家にとって。
 平和を祈る日であるという認識にさほど間違いはないであろう8月15日。
 小松左京のSF短編『地には平和を』。日本が戦った太平洋戦争とはなんであったのかを「問い」として立ち上げたものであり、国家とは何か、を問うてもいる。……と、この隠れた傑作に対して当時中学生の私は考えただろうか。記憶は捏造錯綜しているだろうが、エンディングにおいて示される「疼き」をわが心の痛みとして感受したことは確かなものとしてある。
 スネークマンショーの『戦争反対、死ぬのはいやだ、こわい』は今、どう受け止められるのだろう。日本周辺において戦争のリアリティはましてはいるものの、実際に生起することの可能性だけは著しく低いと考えるのは楽観主義ではない。
 グローバリズムの進展は戦争を不可能にしていく。戦争が国家間のものであるのなら、グローバリゼーションとは国家を解体していく運動なのだから。だから、グローバリズムは戦争反対という主体をつくりださないし、許さない。戦争に反対するものはその反対をどこにぶつけているのだろうか。戦争の主体とは国家である。
 戦争のボタンを押すものがあるとすれば、それは国家であるのだが、ボタンを押す権限をいまやどの国家、具体的には元首は有していないようだ。いやそう考える方が事態を理解しやすい。

 近代的主体は国民国家が必要上つくりだしたものであるという考え方がある。
 その線で今の世を考えるのであれば、主体のあり方そのものが変革をせまられているのだろう。この世界がまだ人間を必要とするのであれば。もはやそれを近現代の意味での人間とは呼べないまでも。

《人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明に過ぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ・・・賭けてもいい、人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろうと》
(Mフーコー「言葉と物」、渡辺・佐々木訳)

 

2017年07月17日

「世間をお騒がせして…」〜理非を問えない日本というシステム

 7月13日であろうか。NHK総合テレビが全国ニュースである問題を報じた。「自治体が主催する夏休みの子ども向けのツアーやキャンプなどが、いま、各地で次々と中止に追い込まれています」というもの。SNSでは方方でああでもないこうでもないと、感情的祭りの状態。
 以前から取沙汰されていた問題であり、とりわけ地方創生が叫ばれるようになり、イベントに公的資金や助成金が投入されることで、事情がさらにこじれてはいよう。また、この報道が、改正旅行業法の施行を控えての「バルーン」であろうことは意識して見ないと、状況認識を間違えよう。

◉参議院通過
◉閣議決定
◉検討会

 あぁ、さて、しかし、こうした「祭り」は昨今とみに顕著でありことから新しい社会現象にみえるが、さにあらず。古くから繰り返される、日本の社会ならではの、長らく護持され続けている固有の性格に基づくものだと考えてみた。
 そう思うに至ったのは、上にあげた旅行業法をめぐる、ああでもないこうでもないの「騒ぎ」である。旅行業法が何を規制しているのか。取り締まるのは誰なのか。そしてその法に抵触するかもしれないからと中止になる事業は、なにをめざしているものなのか。いったい何が悪いのか。どうすべきなのか。
 個別具体の例はもちろんのこと、一般抽象の問題としても、騒ぎの俎上にあがってこないのだ。いったいなんなのだろう。その違和感とも焦燥ともいえるものを、少なからぬ人々が感じていたようで、「モヤモヤ」「イライラ」「カリカリ」という音がウェブの端々から漏れ聞こえてきた。

 そう。社会ニュースの「いつものこと」ならば、糾弾される個人・団体が個別具体的にあるだけに、その対象を罵り、蔑むことで、溜飲をさげようとする大衆心理がわかりやすく展開されるのだが、今回はその対象があるようでない。自治体の担当部署から市民ボランティアグループあるいは親子会のようなものまで、「対象候補」だけは巷にあふれている。それぞれに千差万別、ひとつひとつ見ていけば、一括りに論じられるものではないことだけは明々白々。無理に糾弾しようとすれば返り討ちにもあいかねんような問題である。

 にもかかわらず、「祭り」は作動した。馬鹿馬鹿しいくらいに。
 定形が要求する収まりは記者会見の席での、ひとこと。「この度はお騒がせして申し訳ない」という謝罪の言葉である。今回の騒動は定形に収められないことによる違和を生じているが、力学は同様。この言葉、決して凡庸なる定型句だとは考えない、私は。
「この度はお騒がせして申し訳ない」
 その意味するところを語る方も聞き入れるほうも深いところで理解しているのだ。
 どういうことか。
「騒がせた」ことが悪いのであって、騒ぎの原因たる行為の善悪には言及していないのだ。「私が悪かった」と言っているのではないし、糾弾するほうとてそれを求めていない。儀式として、対象者が「非」を詫び、糾弾者は儀式として「非」を攻めるのだから、あたかも容疑者=犯人であるかのような錯覚を生じさせる構図に対して、それはおかしいという向きもあろう。
 だが、注意深く観察すればわかるだろう。
 この劇場内にあって、行為の善悪は問われることはない。換言すれば、善悪を問うような言語文化を日本語は形成しそこねてきたのだ。明治の初頭以来。
 川島武宜は、明治日本国家が創出した6つの法典、すなわち憲法・民法・商法・刑法・民事訴訟法・刑事訴訟法を評して、短期間に驚くべき才能の結集によって作成された希有のものとしつつ、”列強と伍するために明治の法典を“日本の飾り”にするためにつくられたものと位置づけている(『日本人の法意識』。

 明治より前、江戸時代に通用していた「法規範」「法意識」が明治の新法典制定以降も存続していたというようにもいえるのだが、いまは踏み込まない。ただ、では、その江戸時代にあった法規範とは何か。
 尾藤正英は『江戸時代とは何か』の中で、戦国時代における喧嘩両成敗法を、いわゆる「法」ではないものとして、こう論じている。
 《裁判権を集中・独占するということの意味は、本来はこのように理非を判断する権限を掌握することを指すのではあるまいか。しかし戦国大名による裁判権の集中は、そのような内実をともなわず、むしろ権力者としての主体的判断を回避したといわれても仕方のないような両成敗法の採用という形をとった。その事実は、大名といえども、一揆など各種の自生的な集団のなかで、明文化されると否とを問わず、形成されていた慣習法的な規範から自由ではなかったことを物語っているのであろう》

 そして、尾藤の論は、この慣習法的規範の優越が江戸時代を通して貫徹されているのではないかとう驚くべき展開に進む。そしてこう結論づける。
《あらためて考え直してみると、法的な規範として幕藩体制を支えていたものは、じつは慣習法の巨大な体系的集成であったといえるのではあるまいか》


 ……つづく。


2017年06月29日

宇沢弘文「社会的共通資本」を読みながら

 明日、私たちがまだ知らない世の中のしくみ〜『社会的共通資本』(本の話#0007)を開くにあたって、どういうふうにのぞんだものかとあぐねていた。
 3つの文をあげて、考えてみている。
 
小島寛之《いつも先生は、温かい励ましの言葉をくださった。塾の先生であろうと、何であろうと、「良い仕事をする」ということでは、貴賤はない、君は君の居場所でとにかく良い仕事を目指すべきだ、そんなふうに鼓舞してくださっているように思えた。》〜宇沢弘文先生は、今でも、ぼくにとってのたった一人の「本物の経済学者」


宇沢弘文《むかし、あるところに一人のラビ(ユダヤ教の教師)がいた。Aという人が相談にきたところ、ラビはお前のいうことはもっともだといった。つぎに、Aと争っているBという人がやってきたが、ラビはBに対してもお前のいうことはもっともだといったわけである。この経緯を傍で聞いていたラビの奥さんはいった。あなたはAに対しても、Bに対してもお前のいうことはもっともだといった。ところが、AとBとは争っているわけで、あなたのいうことはまったくおかしい。そこでラビは奥さんに向かっていった。お前のいうことはもっともだ」》〜『「成田」とは何か』岩波新書


岩井克人《それ以降の活躍はまばゆいばかりです。渡米の契機となった数理計画法の研究は58年にアロー氏らと出版した「線形及び非線形計画法研究」という論文集に結実します。当初は社会主義経済の分権化の研究でしたが、そのための数学的手法を開発する中で、数理計画法という新たな分野を作ってしまったのです。
 その後、消費者の顕示選好理論の一般化に成功したほか、一般均衡理論の存在証明や安定性 の条件についての研究を立て続けに発表し、数理経済学研究の最先端に立つことになります。
 宇沢先生の名前を広く経済学界に知らしめたのは、62年の「宇沢の2部門成長モデル」です。56年にロバート・ソロー氏とトレバー・スワン氏が発表した新古典派成長モデルは、経済成長経路の不安定性を主張したハロッド=ドーマー理論に対し、均衡理論を使って、完全雇用と両立し長期的にも安定的な成長経路を描くことに成功しました。

 ソロー=スワン理論で中心的な役割を果たすのが集計的生産関数ですが、宇沢先生の2部門 モデルは消費財と投資財を区別することで生産関数を一般化し、新古典派成長理論の応用可能性を拡大したのです。同時に、新古典派の枠組みでも経済成長が不安定的である可能性も示しました。
 その後、チャリング・クープマンス氏やデビッド・キャス氏とともに、規範的な立場から経済成長を分析する「最適成長理論」を開拓します。技術進歩率を人的資本の蓄積によって説明す る論文も発表し、後の「内生的成長論」の先鞭をつけています。
 宇沢先生はこうした業績によって、36歳で米シカゴ大学の教授となりました。積極的に若手を中心とした研究会も開き、ジョセフ・スティグリッツ(米コロンビア大学教授)、ジョー ジ・アカロフ(米カリフォルニア大学教授)、ロバート・ルーカス(シカゴ大教授)、青木昌彦(スタンフォード大名誉教授)、早世したミゲル・シドラウスキーの各氏ら、多くの重要な経済学者を育てています。
 ただ、それまでの宇沢先生の仕事はすべて新古典派の枠組みの中です。新古典派は基本的に自由放任思想に理論的基礎を与える経済学にほかなりません。そしてシカゴ大はミルトン・フリードマン氏を主導者とする自由放任思想の牙城なのです。先生はその思想を受け入れられず、 ベトナム戦争に対する反対運動が世界的に広がる中で68年に東大の経済学部に移られました。》


《私は酒場のアルコールの匂いの中で、世界最先端の数理経済学者として仰ぎ見ていた宇沢先生 の「心」が、それとは別のところにあることを知りました。事実、先生は日本に戻る前から新古典派に批判的な英ケンブリッジ大学のジョーン・ロビンソン氏らと親交を深め、その影響の下に「ペンローズ効果」に関する論文を69年に発表します。
 企業内の経営資源の大きさが企業成長を制約することを示したエディス・ペンローズ氏の「会社成長理論」を基礎に、ケインズ経済学的な投資理論を初めて数学化した論文です。先生の仕事の中で最も優れたものだと思います。
 宇沢先生は新古典派経済学からの脱却を試みていたのです。しかし、先生の分析手法は基本的に新古典派の枠組みを出ることはありません。先生は自らの分析手法と、正義感に基づく自由放任主義批判――冷徹な頭脳と暖かい心――の間のギャップに長らく葛藤していたのだと思います。その葛藤の切れ切れを、私は酒場でのお話の中から漏れ聞いたのです。
 私はその後、米国に留学してしまいますが、先生が反公害や反成田空港の運動に積極的に関わり始めたことは人づてに聞いていました。74年のある日、友人から岩波新書が送られてきました。先生の「自動車の社会的費用」でした。
 自動車が市民生活に与えるコストは1台200万円という衝撃的な数字が提示されていますが、基本的には先生の「暖かい心」の力で書かれた本です。それは人びとの「心」を動かし、 大ベストセラーとなりました。日本が曲がりなりにも公害対策の先進国になったのは、この新書によるところが大きいはずです。
 私も81年に日本に戻り、再び先生のお話を酒場で聞くようになりました。一番知りたかったのは、「暖かい心」と葛藤していたはずの「冷徹な頭脳」がどうなったかです。そして、先生が70年代の後半から「社会的共通資本」に関する研究に取り組まれていることを知ります。》
だが、その内容を聞いていささか失望します。社会的共通資本とは、自然環境やインフラや社会制度の総称でしかない。ストックとしての公共財と言い換えてもよい。それが私有財産制の下では乱用されるか過小供給になることは、新古典派経済学でもよく知られた事実です。すでにその頃から社会主義体制には資本主義以上の矛盾があることは常識になり始めていました。社会主義に陥らずにいかに社会的共通資本を維持し発展させていくかに関して、先生自身、理論的な解答を見いだせていなかったのです。
 ただ、私はすぐに、先生自身も社会的共通資本という概念自体には新しさがないことを百も承知であることを知ります。先生は学界の中での認知ではなく、市民をいかに動かすかという 社会的な実践を選び取っていたのです。「冷徹な頭脳」を「暖かい心」に仕えさせることにし たのです。晩年の先生が経済学の中に「人間の心」を持ち込むことを提唱し始めたのは、その自然な帰結であったのです。》
「冷徹な頭脳」より「暖かい心」 2014/9/29付 日本経済新聞 朝刊


2017年06月28日

JJの贈り物#002〜地域とは問題が解決できなかった前回の地理的範囲より広い範囲のこと

 4年ばかり前のこと。島根県の邑南町へグリーンツーリズム研修で訪問したときに、こう言われたことが宿題のようにして耳に残っている。
「雲南市。(われわれとは)レベルが違いますね(笑)。なんでもできるでしょう(から、われわれのことが参考になるかどうかはわかりませんが)」
 規模の大小が活動の質量ともに左右する。そういうシステム(社会の仕組み)の中で私たちは生きているという認識は、規模が小さければ小さいほどにリアルだ。痛いほどにわかってしまう。そして、大きなものの中に生きるものは、しばしばそれを忘れる。邑南町で耳にすることになった件の言葉には確かに、「あなたたちにはわからないかもしれない。わかりますか」という皮肉とも裏メッセージともつかない何かがあった。
 いやいや、雲南市だって十分に小さな自治体であるし、同じ課題を共有する仲間なんだよね、ということはその場にいた誰もが了解しているようでもあった。邑南町の件の発言者とて、そのうえで「痛み」を共有しようと試みたのかもしれない。わかってほしいということであったか。
 この「痛み・辛さ」というものは、時間的な先送り、空間的な排除、人的な選別によって、「押しつけ」が可能である。わからない人にはまったくわからなくなるものだ。たとえ目の前にあっても。なぜ、そんなことを思い出したのは、JJの『アメリカ大都市の死と生』第22章にある、糸のタイトルにあげた字句を目にしたときからだ。

《範囲は広いほど、また人口は多いほど、どちらも神の視点から見て、まとまりのない複雑な問題として、もっと合理的かつ容易に扱えます。「地域とは問題が解決できなかった前回の地理的範囲より文句なしに広い範囲のこと」という皮肉な批評は、この意味では皮肉ではありません。……(中略)……でも都市計画がこのように、取り組む問題の性質そのものについて根深い誤解に陥ってきた一方で、この誤りを負わされることなく非常に早く進歩しつつある生命科学は、都市計画に必要な概念の一部を提供してきました。》


 JJがいう、都市計画に必要な、生命科学の概念と手法とはなんだろう。明示されてはいないが、手法については、#001であげた、プロセスを考えること、帰納的に考えることなどがそう。
 そして重要なのは、《都市で起こるプロセスは、専門家だけが理解できる難解なものではありません。ほとんどだれにでも理解できます。一般人の多くはすでに理解しています。ただこれらのプロセスに名前をつけていないか、こういった原因と結果の普通の取り合わせを理解すればそれに方向づけできるということを考えたことがないだけです》という、一般人と専門家の「違い」である。
 都市計画を実質的に左右している官僚機構は、一般人でも専門家でもなく、そのBridgeたるべき存在である(べき)なのだが、まったくそうなっていないのはなぜか。一般人の思考回路をもたず(よって理解できず)、専門家の思考回路や概念すら理解しえないところだと私は考える。後者については個人にもよるが、前者については病理ともいえるもので、超えがたいものがある。
 …つづく。
 

2017年06月24日

JJ(ジェイン・ジェイコブズ)の贈り物#001〜序 

 Jane Jacobs,1961"The Death and Life of Greate American Cities,『アメリカ大都市の死と生』山形浩生訳(鹿島出版会)。この本を読む資格を手にしているような気がする。読めなかったものが読めるようになっている。島根県吉賀町に引っ越してくる直前に買ったはずの本。帯の惹句にはこうある。「近代都市計画への強烈な批判、都市の多様性の魅力、都市とは明らかに複雑に結びついている有機体」。ジェイン・ジェイコブズ(以下JJ)を紹介する際に、この中の前ふたつでもってなされることが多い。わかりやすいしね。「都市計画への批判」「都市の多様性の魅力」この2つだけをとれば、JJを読まなくても、なにがしかの紹介文や解説を読んで、それらしくわかったようにはなれる。私の理解だって、それらとさほど変わりはしなかっただろう、これまでは。
 読み解くのは、惹句の中の3番目、「複雑に結びついている有機体である」。この言があらわそうとしている『アメリカ大都市の死と生』の可能性をあきらかにしていきたい。それは、有機体、すなわち生命とは何か、どうとらえるべきものなのか、ということでもある。
 22章 都市とはどういう種類の問題か から引用しよう。
《生命科学では、特別な要素か量ーたとえば酵素ーを特定し、その複雑な関係と、他の要素や量との相互関連を苦労して学ぶことによって組織だった複雑性を扱っています。……中略……原理的には、これらは都市を理解して助けるのに用いられる方策とほぼ同じです》
 JJののちの著作『経済の本質−自然から学ぶ』では経済を生命現象としてとらえようとしている、その萌芽とみることもできよう。だが、この見方は補助線であって、JJが繰り返し主張する帰納的方法とは軌を異にするものだ。
 肝要にすえるべきものは、JJが「ここまで本書を読んできた方なら、これらの方策をあまり説明する必要はない」としてあげている「都市の理解で最も重要な思考習慣」、すなわち次の3つである。
《・プロセスを考える
 ・一般から個別事象へ、ではなく個別事象から一般へと帰納的に考える
 ・ごく小さな量からくる「非平均的」なヒントを探して、それがもっと大きくてもっと「平均的」数量が機能する方法を明らかにしてくれないか考える》

 どういうことだろう。それは、あと100回、このシリーズが続いたらば明らかになるであろうことだ、と思う。
 以上。

2017年06月19日

都市農村交流の本気とは

 本気でやるとはどういうことか。
 端的には生死がかかっているということ。ことの軽重にかかわらず。それは、個が、身体的なもの、感覚的なものを通して、世界との接続がある場合である。
 ただ、生死を賭する経験など21世紀の日本社会ではのぞむべくもないし、それどころか、さらに、ますます、どうしようもなく、そうした経験を削ぎ続けようとするのが「時代の流れ」である。わかりやすく、この流れを、安心・安全至上主義社会と呼んでみる。
 道路の側溝におちて誰かが怪我をしたとしよう。さて、こうした場合、本人の落ち度はともかく、誰かの責任が追究・計量されねばならない。なぜなら、側溝に落ちて怪我をするということは「あってはならない」ことだからだ。交通事故とくらべるとその対象性がよくわかるだろう。交通事故は道路のせいでも車のせいでもない。事故にあってしまった当事者の双方がその責任を分担して担うということに「都合上」なっている。この都合は社会の仕組みに深く組み込まれているので、ふだん自覚することはない。社会内に発生する件数が膨大であることからもそうしてしまっている。

 いっぽうで、側溝に落ちるという事故は件数もすくなければ問題となることもない。いやなかった。問題となりはじめたのは近年のことである。つまり、たとえば、ガードレールを設置しろという陳情が管轄部署に入るのだそうだ。さすがにそれはおかしいという意見が今現在においては多数をしめるうようで、見聞したニュースの構成もそういう展開になっていた。「おかしいよね」と。

 さて、日本の風景の特徴のひとつが、どこまでいっても道路にガードレールがあるということだ。しばしば思う。人の少なくなる田舎に特区をつくるとしたら、ガードレールを撤去すればよい。それだけでずいぶんと景色がよくなるはずだし、見えなかったものが見えてくると思う。それだけではない。心理が変わるはずだ。不安だ危険だと感じるのであれば、車のスピードを落とせばいいだけのことだ。ゆっくり走ることで、そこでの出会いが豊かになるはず、と夢想してしまう。

 さて、ここまででおわかりになるだろうか。唐突ではあるが。そう。「安心・安全」は、人から本気を奪っていく。そう思いませんか? 整理軸その1を展開するとこうなる。
  
安心・安全 |  本気

   人工 |  自然

 安心・安全と対になるのは、不安・危険ではないかという向きもあるだろうが、ここで整理した二項は対立軸ではない。整理軸その2として補訂を以下に。

安心・安全 |  本気

   人工 |  自然

  同一性 |  異質性

  経験知 |  経験

 電脳空間 |  現実世界

あらゆる道にガードレールがめぐらされた世界 |  そうでない世界



 さて、ここでなぜ都市農村交流が出てくるのか。
 都市農村交流とは、その本質において、上の左と右の世界が交流するということだからだ。しかるに、いまのニッポンでは農村がかぎりなく左の世界に傾いている。これじゃ都市農村交流にならんという事例にみちみちている。

 だから、である。「本気」で都市農村交流を目論むのであれば、もはや、海外を視野にいれる必要がでてきていると、そう訴えたいのだ。
 たとえば、獣害。
 獣害対策がジビエにしろなんにしろ、じつはうまくいきそうもないということを最近耳目にすることが多い。ならば、ミャンマー、タイから狩猟民族を呼ぶべきである、いまこそ。交流なので、こちらからも出向く。
 とどのつまりが、焼畑と狩猟を本気でやってみようじゃないか。ということです。はい。
 なぜか。彼らは本気だから。
 本気というのがどういうもの・ことなのか。
 学ぶことがあまりに多すぎて目眩がするだろう。どうです。
 で き る か な。

2017年06月14日

主要農作物種子法を廃止する法律についての雑感

 先月であったか、議会を通ったのは。主要農作物とは、稲、小麦、大豆だったかな。稲にとっては戦後何度目かの大きな曲がり角にはなると思う。これで、稲作が大打撃とか、壊滅とか、乗っ取られるとか、まあとにかく最近は煽りが多い。とりわけウェブ上には。
 たかが法律、されど法律。社会の仕組みの根幹をなすものでは、ある。だがしかし、これほど大事なことを法律だけに委ねてしまってきたのだから、それは甘んじて受け入れざるを得ないだろう。どのような運命・結末を招くにせよ。
 そもそも。
 種子は公共のものである。
 何を意味するか。
 行政、内閣、司法にゆだねるものではない、ということだ。ゆだねてまかせてブーたれるもんじゃない。公共とはそういうものだ。種子は食べることのおおもとである。市民であれ、農民であれ、労働者であれ、年金生活者であれ、無職であれ、食べることはみんなの問題なのだ。問題としてそこにタッチしないといけないし、毎日何を食べるかということの中にその意思や決定が反映していくものなのだ。
 そういう意味で、この法案の可決で日本の稲作がズタボロになるのであれば、その前に日本そのものが終わっている、としか言いようがない。
 種子の問題だけが問題ではない、食を生み出し整える人とものと制度は、みんなで、支えて、いくことだと、思う。

 参考文献をふたつあげておく。
西川芳昭,2004『作物遺伝資源の農民参加型管理ーー経済開発から人間開発へ』(農文協)
 西川氏は先の参議院農林水産委員会で参考人として意見を述べられたが、発言の冒頭に意見の趣旨をこうまとめられている。
《種子は公共のものであるということです。誰か個人のものではない、または特定の企業が所有するものではない》
と。
 この著書は氏の博士論文を基調にしたものである。「その多くが農民によって作出・継承されてきた作物遺伝資源は、持続的農業を行なっていくための最大の資産である。これを専門家だけの手にゆだねるのでなく、NPOや農民の参加を含む多様な利用・管理のあり方を提唱」。
 専門家だけの手、行政だけの手にゆだねてはならない。
 その通りであり、そのためには、専門家、行政、市民、異なる立場をつなぐ存在が必要だ。こういうと、それをコーディネータとかリーダーとかキーマンとか様々な呼称をつけたい気持はわかる。わかるのだが、そりゃ違うんだと思う。強い専門家、すぐれた行政マン、すぐれた市民、の中からその役を一時的に担う「べき」なのだ。
 専業化への道は個別においてはありだが、制度や流れとして開くべきではなかろう。劣化がはやいと推察されるから。

 閑話休題。もう1冊はこれ。
増田昭子,2013『在来作物を受け継ぐ人々ーー種子(たね)は万人のもの』(農文協)
 「第4章 作物遺伝資源管理における公的研究機関と農民の協働」を今すぐにでも読みたい。〈内戦後のルワンダにおける在来作物品種の復活〉、〈広島におけるローカルジーンバンクと農民の協働〉。ちょいとググってみたのだが、先の西川氏の著書とあわせて読み、加筆することとしよう。
 各都道府県のジーンバンクへの影響はあるのだろうか。もしあるのだとしたら、それこそ県民がささえなければならんと思う。
船越 建明「広島県における在来種種子の保存とその利用の取り組みについて」特産種苗 第14号
 
 さて、私は焼畑をきっかけに種をとるということをはじめて2年目となる。素人のなぐさみ程度のものであるが、一粒1ミリほどのアマランサスの小さな種が、小さな小さな芽をだし根をのばし、2mを越す背丈となり、多くの種、私たちにとっては稔りをもたらすことを、「時」とともに体感知覚することの意味と意義を深めつつ、強くすぐれた市民たることをめざそう。

 以上を備忘的に記す。のちほど加筆整理します。
 

2017年04月21日

国家機構は交通形態から生まれる

「国家機構は交通形態から生まれる。つまり中央と地方を結ぶ「道」から生まれたということになるだろう。」保立道久
 至言である。現代の政治においても、道路や新幹線の誘致・建設というものが、なぜあれほど熱をおびてしまうのかというそのワケを、もう少し丁寧に読み解いたほうがよい。
 道は必要。高速鉄道も必要。けれど、あなたがたが言っているそれじゃない、という論がそこから生まれるだろう。
 さて、関心はそこではない。歴史をみる、その見方の問題だし、総体としての民俗学が軽視してきた「交通」の問題である。
 奥出雲山村塾の目下の関心事、奥出雲の佐白の地歴をたどるとき、現大東の阿用、現在の日登(木次)へ通じる道、佐白(奥出雲)へ通じる道、風土記記載の山の名、谷の名などからみていくべきであろう。
※湯町八川往還が古代の道(ルート)に近いのではないかな。http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/recordID/1001575725

2017年01月28日

相模原施設殺傷事件にどう向かうかは日本社会の重大な節目となる

 相模原施設殺傷事件から半年が経過した。
 私は新聞・テレビ・ネットを含めたメディアのニュースをほとんど見聞しない。理由は種々あれど、流れるニュースの大半はニュースとしての価値のない、たとえばいえば「今日はいい天気ですね」と同水準のもの、すなわち挨拶程度のものとしか受け取れないからである。私にとっては。
 そんな私が昨年最大の「ニュース」として今もその経過が気になるものが、この事件である。
 ネットから3つの記事をひろってみた。
 
NHKニュースウェブ「殺傷事件から半年 元職員は障害者冒とくの供述続ける」1月26日 4時05分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170126/k10010853161000.html

 この記事がオブラートに包んでいるかもしれないことに、いや、妄想であってくれと思いたいのだが、私は戦慄を覚えざるを得ない。それというのも10日前には、こんな記事が出ているからだ。

朝日新聞デジタル「植松容疑者の鑑定留置、4週間延長 相模原殺傷事件」2017年1月17日19時58分
http://www.asahi.com/articles/ASK1K5RMDK1KULOB02K.html

 植松容疑者は、責任能力を有しているのだ。精神鑑定の延長はそれを徹底して確かめるためだと思われる。記事では取り調べの状況をこう記している。
《植松容疑者は、調べに対し、こうした主張(障害者やその家族を冒とくし、みずからの行動を正当化する内容:編注,記事前半より)を一貫して供述しているということで、捜査関係者によりますと、取り調べの中でその考えは問題があると指摘されると「わかっていない」などと反論していたということです》
 専門家による鑑定は、来月20日までの予定で、検察は鑑定結果などを踏まえて起訴について判断する見通しです。

 そして、昨日のシンポジウムの開催は京都ローカルの記事らしい。こんな小さな扱いでよいのだろうか。

朝日新聞デジタル「京都)相模原殺傷事件半年でシンポ 優生思想根深さ指摘」大村治郎,2017年1月28日03時00分
http://digital.asahi.com/articles/ASK1W3F5GK1WPLZB002.html?rm=381

 私の戦慄は、植松容疑者は優生思想というわかりやすく断罪されやすいものではない、古い型をもちながらも、21世紀に現出した新しい思想を宿しているという予感だ。
 共感し同調する人間が少なからずいるし、今後どんどん増えていくだろう。その場その場の損得だけで動く社会がとまらなくなってしまったのだ。

 だとしたら、私は戦わねばならない。思想を学ぶもの、知を愛するもの、人間を信じるものとして。思想と戦えるのは、法でも裁判でも戦車でもない。これは、正しさをめぐる思想と思想の戦いなのだ。
 生きるに値しない命などない。
 


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