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2019年06月30日

その昔、どんなヤキモチ、オヤキが食べられていたのか

どこかで読んだのだが思い出せない。「へえ〜。仁多にもあったのか。そりゃあっただろうけれど」という記憶のみ。そう、仁多に、かつてオヤキ=ヤキモチがあっても不思議でもなんでもない。全国どこでもそうだろう。しかし仁多では早くから米食の比率が高まり、麦・雑穀の食制が他の山陰地方より早くなくなっているだろうから、「オヤキをよく食べた」と語る人が昨今まで存命だったというのは驚きではある。たとえ、いらしたとしても、それが活字になって残るためには、「そう語ってもよい」という、発語者と受話者、そして活字となってひろまる地域の受容性がなくてはならない。※1)訂正後述

 その前提からすると、郷土食ブームが過ぎさった後、昨今の「商品開発」の流れのなかで、浮かんできたもののようにも思える。「オヤキ」はいまや売れ筋なのだ。流れとしては中に入る具の種類がふえ、サイズが小さくなり、といったところ。小麦粉にベーキングパウダーをまぜふっくらとした生地となっていることもある。
 
 安曇野チヒロ美術館で食べたオヤキ。小さなふたつだが、大人のお腹を満たすのに十分。「具」は野沢菜とキンピラ。生地は薄め(かな)。



小学館「デジタル大辞泉プラス」では2017年12月更新として、オヤキを次のように説いている。
《長野県の北信地方発祥の郷土料理。炒めて味噌で味付けしたナスなどの野菜の餡(具材)を小麦粉の皮で包み、蒸し上げたもの。古くは囲炉裏の灰で焼いて仕上げたことから「お焼き」の名がついた。「焼餅」とも。現代では県内全域に見られるが、北部ではお盆に食べ、南部では11月のえびす講で小豆餡のおやきを供えるなど、地域により異なる風習もある。近年では野沢菜、カボチャ餡、キノコ、切り干し大根など餡のバリエーションも増え、カレー味などの変わりおやきも作られる。》
 古い事典の類には、「長野発祥」という記述は管見の及ぶかぎり見られず、おそらく郷土食の商品化の流れのなかで全国的に「おやき」という名称が一般化したものだろう。それというのも、ここでも北信地方発祥とする「おやき」は北信地方ではかつて「おやき」ではなく「やきもち」という名称が一般的であったからだ。

 昭和59年発行の「長野県史・民俗編 第四巻(一)北信地方 日々の生活」では、一般名を「ヤキモチ」とし、別名として以下のものをあげている。
・おやき
・こねつけ
・ちゃのま





 皮の材料も北信地方のなかで多種、食制も朝に、昼に、夕に、おやつにといろいろ。ともかく、「焼く」食料の代表ともいえる存在だろう。小麦粉が主ではあるが、クズ米の粉と他の粉との組み合わせの類型も多い。ひろいあげてみよう。
・小麦粉
・米粉(くず米)
・そば
・あわ
・ひえ
・きび
・とち
・もろこし

 
瀬川清子,1968『食生活の歴史』(講談社)には、新潟の小林存翁が取材した食生活をひいて当時の主食がなんであったかを問うている箇所がある。そこでは、カテメシ、雑炊より「ひどい」ものとしてヤクモチがあげられている。
《魚沼郡・頸城郡の山村にゆくともっとひどい、粃米に雑穀の粉をまぜた団子の中には餡の代わりに葉っぱの油煎に味噌あじをつけたものを入れた人頭大の焼餅をつくって、藁火・柴火でじかに焼き、手で灰を払って食う、これをアンプ又はヤクモチといったが、それで茶を飲めば朝飯は終わりだから、朝に人に逢えば必ず”茶あがらしたか”という。昼飯に山にもっていくのもそれである》


さて、※1の訂正について。
 仁多にヤキモチ、なかったよねと、農文協の『聞き書 島根の食事』を開いてみれば、奥出雲にしっかり見出しつきで掲載。もし島根にあるのだとしたら、石見山間部だろうという思い込みが見事に外れたわけで、ほんとに愚考・愚見だなと反省する。
 石見地方よりむしろ出雲地方にみられるのだ、ヤキモチは。
 まず奥出雲のヤキモチについては、米の項目のうち「米の粉でつくるもの」として4つあげられるもののなかのひとつ。
ヤキモチ
 米の粉二合にそば粉八合と熟柿一〇個を加えてぬるま湯でこね、だんごにする。これを浅い鉄なべで焼いて味噌をつけて食べる。十一月から十二月に食べるもちで、年によっては針供養のとき、このpもちに針をさして川に流すこともある。》

 興味深いのは「米の粉でつくるもの」として挙げられている他の3つ、すなわち「八日焼き」「笹巻き」「あこ見だんご」はともに儀礼食であり米粉を主原料としてつくられるものであるのに対して、「焼きもち」だけが、そば粉を主としてつくられる「日常食」として挙げられていること。
 ここには、何か、ありそうだ。


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追記1
太田直行『出雲新風土記』に焼餅の記述がある。

《…弁当にはエンドウ飯に塩さばをそえてお昼ごろ主婦が山へ届けまたオヤツ用に夏豆餡(そらまめあん)の石糠餅(いしぬかもち)も作る。》

 この石糠餅が「焼餅」なのである。
 なぜ石糠なのか。つづけてみてみよう。出雲地方における、焼餅=オヤキの古態を、肝要にまとめている。
《石糠餅は、死米や青米の混った屑米を石臼でひき、よくこねたものを拳大にまるめてホウロクにかける。従って「焼餅」ともいうが、腹もちがよいので農繁期には不可欠の間食、いな主食でもある。しかし御馳走ぶりに作る時は季節のもの、即ちサツマイモ、ソラマメなどを餡に入れたり、また粉によもぎや柿をまぜたりする。柿は渋い生マ柿をつきまぜるのだが、焼くと不思議に渋味が去って甘くなる。これをカキゴという》


太田は明治23年の生まれ。緒に「自分の体験から幾分かでも血の通った記録を残す」ものとして、年代を明治中期から大正初期にかけての一部落のものだとしている。すなわち大田の郷里たる能義郡飯梨村。

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2019年02月08日

春、それは食える草の季節

 ”春は食える草の季節”――川上卓也の『貧乏真髄』にある至言である。
 春は、食えない草を探すほうが難しいという理屈やらなにやらではない。「食える」ということの歓び。地面さえあれば町の道端にだって食える草があるのが春なのである。飽食の世となって久しいが、ヘンゼルとグレーテルの「お菓子の家」に胸ときめかせた記憶は誰しも多少はあるだろう。それでも足りなければ、道端にコンビニ弁当やおにぎりが10mおきに落ちている状況を想像してもらえばいいのだろうか。
 ただ食えるというは食うに足るのみにあらず。それは「美味い」ということを、三文字に託しつつ静かな歓びを表してもいる。雪解けとともに、冬を越す野の草々は土を這うロゼッタの形状から、徐々に茎を持ち上げ葉を展開し、春の陽射しを全身で受けながら、小さな花をつけようとする。いわば「生命力全開」状態。そこを摘んで食べるのだから、力がつくに違いない。ただそれだけに少量であっても強いのだから、取りすぎてはあく(悪、飽)となる。
 
 さて、春の美味い草の話。
 タネツケバナが美味いのだ。ミチタネツケバナなのか、タネツケバナなのか、いまだにどちらかはわからねど、食べてみたらうまかった。
●タネツケバナの仲間
 近縁のオオバタネツケバナは、山菜として栽培、出荷もされているという。生食でじゅうぶんに美味いのだから、どうやって食べたらよいかをあれこれ想像してみた。
 雑煮かな。
 

 

2019年01月11日

焼畑の雑穀と玄米のご飯

”今日のオリゼランチは玄米と豆(ささげ、さくら豆、大豆)と雑穀(高黍、もちあわ)のごはんを炊いています。”と紹介いただいた。ありがたし。

●豆について
 ささげは畑ささげとして分類される野生化したササゲで、山形のとある集落で焼畑栽培の最終年に近い年に「栽培」されてきたもの。ヘミツルアズキと当地では呼ばれているという。奥出雲町佐白で焼畑を試行していることの縁で、「やってみてはどうか」とわけていただいたもの。種を継いで今年で3年めか。小粒であるが、白米にまぜて炊くとほんのり朱に染まって美しく、食感も味もよい。こうして玄米にいれてもよいということがわかる。食べてみれば。
 さくら豆は北海道厚沢部で栽培されているものを、これもわけていただいたもの。山畑では栽培してこなかったのだが、今年は試してみようと計画中。ほくほくとした食感とほどよい甘さがよい。
 大豆は、中生三河島枝豆で、茶園畑と山畑とで栽培中。山畑だと草に負けがちなので昨年はやっていない。今年は山の畑で再挑戦。

●雑穀について
 高黍は焼畑の主力にしていきたいもの。脱穀・調整の方法も少しずつ改良と技術の向上をみている。なんといっても鳥害にあわない(今のところ)のが大きい。実が大きいことアクが強いことが影響しているのではと思う。タカキビハンバーグが定番となっているように、モチ性があり、こねると肉に近い触感を出せる。味のアクセントとして、また玄米との相性がこれほどよいとは思わなんだというくらいに、これをうまくあわせると美味しい。
 モチアワは、鳥害にやられつづけているのと、発芽率やらなにやら課題が多いものの、来年は覆土とネット張りも併用しつつ、たくさんつくってみる計画。ある程度の量(面積)をつくらないと、(種々の要因で)うまくできないという仮説による。

 ……と、思いつくまま書いてみただけだが、美味しいご飯をありがとうと、ほんとうに頭を下げながら、食べたのだった。

2019年01月03日

ホウコ餅はやはり美味かった

 ホウコ餅を昨年の春に搗いて食べている。が、その記録がまったく見当たらない。どこかにメモ程度でも残っていればと昨年の手帳を改めてもなし。今朝の雑煮に、冷凍庫にあったホウコ餅を食した。つくったのはいつだったろうか、ホウコはどれくらい入れたんだっけ。確かめようとしたらこの始末。忘れぬうちに今日の感想といくつかの課題を書き記す。

 年末に搗いた糯米10割の白餅と比べてみたら歴然。のびが違う。食感からいえばほうこ餅が断然うまい。それだけではない。味もいいのだ。ここまで違うと搗き方や米の性質が影響大なのかもとも思う。
 春に食べたときには、そんなに美味しいということはなかった。配った方々からはおいしかったといわれていたが、まずかったとはいえないだろうし、どこまでなのかが不明であった。
 ただ春についてはホウコ餅、焼いて食べたのだと思う。今回、鮎出汁の雑煮で食べているというその違いもあるのかもしらん。
 ただ「のび」については、ほうこ餅をついているときから「うぁあ」というほどの違い(あまりにのびるので驚いた)があったので、ホウコの影響であることは確か。そしてなぜ「美味しく」なるのかについては、単に食感だけの問題にとどまらないかもしれない。これはこの春、何度かついてみることで証していきたい。
 両方とも餅つき機を使っているが、ホウコ餅の方は蒸しはせいろでやって搗くのは機械。糯米はグッディ三刀屋点で買ったものだったか。一升ほどをつくった。
 白餅の方は蒸すのも搗くのもひとつの機械。2升を一度に蒸して搗いているのでとくに蒸す工程がせいろで少量ずつやったものとは何かが違うはず。糯米は手元にも少し残っているので、比べてみることができる。これは近々に。

 そして課題をふたつ。
ホウコをもっとたくさん採る。そしてここらへん(木次、雲南、仁多)で見なくなった理由を考え、ふやしていく試みを。
 
雑穀にホウコを入れて搗く(糯米を使わないタイプを試す)
雑穀の餅のつき方の最後に記しているように、雑穀をホウコと一緒に搗くということ、これをやってみたい。

あるよ、と妻から送られてきた写真。感謝。

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春にホウコ餅を搗いたときの写真。日付は5月18日。

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2018年12月31日

年取りのタカキビ餅

 タカキビ餅の仕込み〜平成30年12月のその後。
 タカキビは最終的に4合ほどを調製し、昨年のもの半合ほどを材料に。
 うち今年のもの2合ほどはミキサーにかけてひき割りに。4分の3ほどが割れたと思う。粉状になったものは今回は使わず。半合弱ほどか。
 よって、というか、つまりというか、材料は以下となった。製法とあわせて記す。
【材料】
・モチ米…一升6合。仁多のモチ米。無肥料減農薬栽培と聞く縁故米的なもの。
・タカキビ…計4合。2合が今年の粒。3合半が今年の挽き割りと粒のミックス(割合は5:1か)。半合ほどが昨年の粒。
・水…700cc弱
【製法】
●下準備
・タカキビは2日半ほど水につけておいた。1日おきに水かえ。早めに腐敗っぽい膜が浮いてきた。昨年はこうではなかった。成育不十分なまま収穫したため、表面が白っぽい。もっと紅茶のような色に染まっている状態ならばこうはならないのではと思われた。ただそれがゆえに水につけるのが3日弱でもよかったのだろう。通常7日つけると、参考にした匹見の聞き書きにはあった。昨年は5日つけている。
・モチ米は通常どおり前日に水につけておき、朝方ざるにあけたもの。
・昨年はモチアワも含めていた。今年は不作のため混入せず。
●搗き
 タイガーの餅つき機を使用。「蒸す→搗く&こねる」。雑穀を搗くときには上に軽いものをおいてこねてから搗くというが、餅つき機の場合は関係ないだろう……とはいえ、下にモチ米、上にタカキビをおいて蒸し始めた。より強く蒸されるのが鍋の下部であるならば、逆あるいはタカキビを挟むほうがよいのかもしれない。来年はそうしてみよう。
 蒸し終わりまでは2升で40分〜50分ほどだろうか。蒸しきったところで機械が教えてくれる。それから搗き、捏ねに入る。10分ほど。
●丸餅に
 打ち粉として売られている米粉と片栗粉を8対2くらいに混ぜたものを打ち粉として使用。2升分でおよそ80ほどをつくった。
【味見】
 昨年よりもタカキビの割合が多く、より美味しくなった、つまりタカキビ餅らしくなったと思う。搗きたてをほおばってみたときの、つぶつぶを噛む食感とねばりと香ばしさのバランスがなんともよい。自画自賛。
 そして、お配りした方からの感想で「思ったよりねばりがあっておいしかった」と。そういえばつきたてのモチを取り出すときにも、「のびるね〜」という声があった。なぜモチ米だけのものよりのびがあるのかといえば、質の異なるタカキビのモチ性が影響しているのでは。次回食べて気づくことがあれば、追記することとしよう。









2018年12月26日

タカキビ餅の仕込み〜平成30年12月

 我が家の年取り餅に使うタカキビの仕込みは夜なべ仕事。トーミで選別すれば早いのだが、いかんせん雨が続いて出番待ちする間にせっぱつまってしまったのだ。ゆえに夜なべ。昼に小さな土間の勝手で脱穀をはじめた。先ごろ手に入れた足踏み脱穀機でやってみたかった。これも雨のせいにしておく。
 風選は夜。勝手口のドアをあけ、ボウルに小分けしたキビを暗闇に向かってふーふー吹き、殻やゴミをとっていく。
 最初のうち、脱ぷ(殻をとること)は、すりこぎでやっていた。これも先ごろ購入した循環式精米機の出番のはずなのだが、こちらはまだ一度も試運転していないので、せっぱつまった状況では使えない。で、1合ほどを進めたところで、家庭用精米機を使うことにした。以前使ったときには、粒がくだけてしまい、大変歩留まりが悪く、もったないことになった。すりこぎを使うのは「もったいない」からだが、もちに使うぶんにはよいのではと考え直した次第。
 結果、コツのようなものを会得できた。
 くだける手前でとめる。そんな当たり前のことなのだが、見ていて、荒かった殻の粒子がすーっと細かくなるポイントでとめる。忘れてしまいそう。だから、こうやって書き留めるのだ。
 あの感じ、忘れぬよう。

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 さて、搗く日は30日の午前。1週間は水につけておかねばならぬと自分でも書いていたのだが(タカキビ餅のぜんざい)、はや4日しかない。ま、いろいろ考えてやる。
 畑もちを搗く〜その2
 では、出来上がったときにまた。
 

2018年02月11日

タカキビ餅のぜんざい

 うまし。
 タカキビ餅と名乗っているものの、原料の8割5分ほどは餅米である。若干のモチアワも含まれている。1割2分ほどだろうかタカキビの入っている割合は。されど、しっかりとタカキビらしい味わいというか野性味というか深みというかそんなものがある。
 タカキビは今年の焼畑で収穫したもの。ミキサーで軽く挽き割って使っているが、粒のままのものが6〜7割はあるだろう。つきたてのときはほんのり紅がさしたようなきれいな色を出していた。
 タカキビ10割でつくのであれば、粉状にまで挽き割って、搗くといううよりはこねるのではなかろうか。以前、つくりかたは記したので繰り返しになるが、タカキビは水にひたすこと1週間、水は最初は毎日かえるのがよい。温度があがりすぎると腐敗するので、冬期なら土間など冷えたところに静置すること。

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 さて、小豆である。
 これは、自然栽培の小豆なのだ。
 じつは小豆を作らないかという話があって、種子もくれるし、栽培法も指導してくれるのだと。虫がつきやすいので駆除するための農薬はいろいろあるらしい。
 新しく土地を借りるのであれば、まずは雑穀でならして、土のバランスがとれたところで豆類だろうなあと考える。放棄地であっても火はいれてスタートしたい。小さな納屋がそばにあればなおよし。竹がはびこってしまった山もあるとよい。

 そんなことを、食べながら考えていたのだった。

 

2018年01月27日

牛乳からバターをつくる

 When was the last time you made your own butter?
 あなたが、最後に自分でバターをつくったのはいつのことですか?
 
 大変興味深い台詞なのだ、これは。
 ”バターづくり体験”は、日本でもありふれたものになりつつあって、子供あるいは親子で体験するものとして、ひろく知られてもいる。そのルーツが知りたいと思い、調べてみたのだが、いまひとつわからないのだ。
 どうしたもんじゃろのおー、と投げやり気分でぼんやりとウェブの画面をながめていたら、冒頭の英文が飛び込んできて、はたと何かがひらめいたのだ。
 おそらくという括弧づきではあるが、いえるのはこういうことだろう。

◉バターづくり体験はどこからきたのか

1. ありがちな話であるが、欧米からの輸入。ウェブの検索に限るがアメリカ生まれかと思われる。冒頭の英文も、幼稚園の頃、先生からミルクをわけられて、みんなで瓶を振った記憶が……と続く。また、アメリカの民俗資料動画のなかに、チャーンでバターをつくっている子供の姿があった。

2. ヨーロッパにはない文化かもしらん。バターをホームメイドでつくるというのは。乳製品の代表はバターではなくチーズ。しかもアルプス以北に限られる。むしろバターをよく使うのはインドの食文化ではないか、と。

3. 牛乳をたくさん飲むというのはアメリカの食文化では(だと思う)? ガロン単位で売られていて、添加されるものも含めていくつもの種類があり、大きな冷蔵庫があり、という土台があってこそか。

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 そもそも。
 こうしたことを考えてみたのは、去る半年ほど前に、サンデーマーケット・チーボで、このバターづくり体験をやったことに由来することだ。
 そもそも。
 参加者のひとりが言われた。
「クリームからつくるものだと思っていた。牛乳からとあるので変だなあとは思ったが」。
 そう。ふつうは生クリームからつくる。理由は「それがふつう。工場でつくる場合の手順も、手作りの場合でもそう」ということと、「そのほうが早くてかんたん。牛乳からつくることに比べたら」という2点。

 じゃあ、なぜ生クリームを使わなかったのか。その理由は3つだ。
理由1)ダムの見える牧場での活動をプレゼンする場でもあるのに、大山蒜山高原のクリームは使えないだろう。ただ自前の生クリームはない。集荷され他の牧場の乳も入ったものも可だろうとした場合には、木次乳業で販売されている生クリームが12月限定であることから、それは不可能。
理由2)以下にも記載するが、木次乳業のノンホモ牛乳から生クリームに近いものを取り出すことはそれほど難しくはない。しかし、気温もまだ高い9月の時期に、開封した牛乳をもとに原材料をつくり、それを持ち込むというのは、注意を払ったとしても少々こわい。マーケットという場ではなく、たとえばカフェ・オリゼでやるのなら、理由2がクリアーできて、やれただろう。
理由3)上記のふたつが消極的理由であるが、3つめは積極的理由だ。
 牛乳からバターをつくるということ。それは手間のかかること。手間がかかるということはなんなのか。食べることに手間をかけないでどうするんだという、そういう主張を込めたかったのだ。
 ホームメイドDIY方式で、牛乳からクリームを取り出すのに手間はいらない。冷蔵庫に1〜2日静置するのみ。なにが起こっているのかを時の経過とともに見て知って感じなければ、この意味はない。
まあ、それくらいはやろうよということでもある。さらに一歩進むのなら、牛の乳を搾って飲むというのもいいだろうし、その絞った乳を原料にバターをつくるのならさらにいい。
 乳搾りは体験として実践するならば、一瞬でしかない。
 そういうものは体験とはなりえない。

(つづく)




2018年01月26日

醤油の歴史雑考〜旧松江藩領・温泉村の安永十年(1781)

 温泉村(現雲南市)の安永10年(1781)の検地に際して、村三役が役人を接待した記録の一部をみるに、「大根牛蒡など、醤油にて煮〆をつくりもてなしたる」とある。「醤油にて」つくる煮しめがもてなし料理であるなら、醤油をつかわない煮しめがあったということだろうか。
 瀬川清子『食生活の歴史』には、「醤油の自家製造は非常に新しい流行で、味噌のたまりをとって使用した時代を入れても、ここ二、三世紀をさかのぼれない」とある。
 藩政時代から醤油の自家製造は許可制だったというのだが、そこで制限されている「醤油」と、タマリ、スマシと呼ばれた、味噌からとるものやなんやとはちがうわけだろうし、どうもいろいろごっちゃになっててようわからん。
 とはいえ、明治はじめの島根県の場合、醤油の自家製造の制限とは「1年一人につき七升ずつであった」というから、けっこうな量である。
 こんなことを思い出し、記してみたのにはわけがある。
「醤油絞り機、いりませんか?」
 先日、そんな電話がかかってきた。解体する家から出てきたという。古いものらしいが、100年はたっていないだろうと思われる。
……
 もらって、どうする?
 そりゃ、つくるさ、醤油を。
 えええ、どうやって?
 つくりたい人が現れたのさ、これは何かの縁だよ。
……
 さて、どうなりますか。
 下のは、2年前、とある醤油屋さんの蔵を特別に(本当に)見学させていただいた折の写真です。
 多種の膨大な菌が共生したある種の平衡状態、プラトーとでも呼ぶべき状態にあるらしい。
 少々の雑菌、たとえば大腸菌が入ってきたとしても、殲滅されてしまうのだという。
 近代以降の滅菌・殺菌の方法とは異なるやり方、というよりも思想ではないか。生命の思想ともいえよう。そうした話をふまえて、社長さんは、ここはひとつの宇宙だと言っておられた。
 醤油蔵はひとつの宇宙。
 しかし、ここ数十年の間、目の前で次々と消滅していくのをみてきたという。
 なんともやるせない。


2018年01月21日

味噌をつくる前に〜#2

 味噌づくりの主役はカビである。
 一口にカビといっても確か数万種におよぶ。広大な世界がミクロの次元にひらかれている。その膨大なカビ世界のなかのひとつの種類が、味噌をつくってくれる。名前もきちんとある。学名をアスペルギルス・オリゼという。Aspergillus oryzaeと綴るラテン語読みだと、オリゼではなくオリザエなのだが、英語読みのオリゼーが、ことこの菌に限っては一般的だ、国内では。
 それというのも、石川雅之の漫画『もやしもん』の貢献による。アニメ化、ドラマ化もされ、一躍スターダムにあがったカビの中のカビ。スターといってもいいだろう。
 一般には麹菌(コウジキン)と呼ぶことが多いこのカビ、パンやごはんの上にできていることもある、ありふれた菌なのだが、なにがこの菌をして、人をひきつけてきたのか。
 種として同定されたのは明治時代に入ってからなのだが、菌そのものの存在は古く知られ、その起源、すなわち人による利用は少なくとも室町時代にまでさかのぼれるようだ。コウジキンの利用という観点からすれば、さらにルーツを奈良時代、弥生時代にまで求めることもできる。
 よく引かれる例として、播磨国風土記にある酒造りの記述がある。奈良時代の播磨国とは、江戸時代における播州で、平成の現代では兵庫県南西部にあたる地域。そこに宍禾郡(しさわのこおり)庭音村というところがかつてあり、こういう記述が残っている。

《大神の御粮(みかれい)沾(ぬ)れてかび生えき
 すなわち酒を醸さしめて
 庭酒(にわき)を献(たてまつ)りて宴 (うたげ)しき》

 
 神にお供えした、乾燥ご飯がぬれてしまって、カビがはえてしまった。だったらと、そのカビで酒を醸造しあらためて神に献上し、宴を開いたのだった。

 いまでも、日本酒をつくる原理はこの当時と基本的にはかわならい。コウジキンを使って発酵させる。コウジキンは味噌、醤油の醸造にも使われてきた。
 そんな日本人に欠かせない菌ともいえるコウジキンだが、かつて猛毒を生成する可能性があるという疑いがもたれたことがある。アスペルギリス・オリゼは、ながらくアスペルギリス・フラバスのひとつという分類をされてきた。で、このフラバス、天然では最強ともいわれる毒を生成する。オリゼにもどうやら同じ能力があるようだ。
 この嫌疑に日本の醸造業界は震撼した。これをきっかけにオリゼの研究がすすみ、2006年には全遺伝子配列が解明、嫌疑ははれた。ちょっとわかりにくいのであるが、たしかにオリゼにも毒を生成す遺伝子をもっているのだが、それを働かせないようにする機構が幾重にもしかけられているということだ。
 また、この研究の副産物として、オリゼという菌の精妙にして不思議な特性が明らかになってきた。いや、こんな素晴らしい菌がどうやってできたのだと。
 学会で「国菌」に指定すべきだという声があがり、いまや他の4種とともに日本の国菌として褒称されている。
 そして、室町時代にはじまったことが絵図などから確認されている、このオリゼを培養して売るという仕事、種麹屋。顕微鏡もなく、自然科学も未発達の時代にあって、現代の遺伝子操作顔負けのことをやってのけていたわけで、「世界最古のバイオビジネス」という呼ばれ方をするようにもなった。

 そう。味噌をつくるということは、千年をこえて培われてきたものに、加わるということでもあるのだ。