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2018年03月11日

ずんべらはチガヤのことなのか〜食べる草

 春がきた。「春は喰える草の季節」とは清少納言の枕草子ではなく、川上卓也の『貧乏神髄』の名句であるが、心して迎えたい。平成も終わろうかという時代、子どもたちに草を食べる楽しみを伝えていきたいものだ。
 草を食べるといえば、野山の果実であれ草であれ「あれをたべた、こんなものをたべた」と語る女性は一様に美食家である。母親に教えられた、兄に教えられた、おじいさんに教わった、伝承のかたちはさまざまなれど。さもありなん。酸いも甘いも辛いも苦いも、化学調味のそれではなく、野生のそれを幼少の頃に摂取した体験がタネとなり、長じてなにが美味しいものなのかを分別する力能をしっかり保持する人となるのである。
 
 さて、一昨日に聞いた幼少の頃に食べた草の話。
 広島出身で松江在住のその女性は、思いつくままに3つをあげられた。備忘にのせておく。

◉ずんべら
「白い穂が出て甘い」
 チガヤであろう。しかるに、ずんべらと呼ぶというのははじめて聞いた。八坂書房『日本植物方言集成』をのちほど要確認であるが、手元でひける小学館の『日本方言大辞典』にある「すいば」「ずんばら」のバリエーションか。以下に全方言をあげておく。
《あまかや/あまた/あまちか/あまちこ/あまちゃ/あまちゅー/あまね/あまみ/あまめ/おーの/おなごがや/おばな/かにすかし/かや/かやご/かやぼ/こーじ/ささね/ささみ/ささみぐさ/ささめ/しば/しばはな/しばめ/じょーめぐさ/しらがや/しろつばな/すいすい/すいば/ずいば/ずいぼー/ずば/ずばな/ずぶな/ずぼ/すぼー/ずぼー/ずぼーな/ずぼーなー/ずぼな/ずむな/ずわ/すんば/ずんば/ずんばい/ずんばら/ずんばらこ/ずんぼ/ずんぼー/ずんぼな/ぜにこ/ちぐさ/ちぶく/つあのみ/つぃばな/ついばな/つば/つばくろ/つばころ/つばなこ/つばね/つばねこ/つばのこ/つばめ/つばんこ/つばんこー/つぶな/つぼ/つぼー/つぼーばな/つぼな/つぼみ/つんつんば/つんつんばな/つんば/つんばな/つんばね/つんばら/つんぼ/つんぼー/つんぼば/とまがや/とまぐさ/とますげ/とわば/なつし/のぎ のとと/のぶし/のぼし/のぼせ/のまぎ/ぴーぴーくさ/ひがや/ひるぬき/へびしば/まかや/まがや/まくさ/まはや/まひや/みのかや/みのがや/みのくさ/みのげ/めがや/めんがや/やまわら/わらいぐさ》


◉たきんぽ
「竹に似ている」
これはイタドリだろうと思う。

◉名称不明 赤い茎 すっぱい
 筋をとって食べるという。たきんぽと同じ?




 

2017年12月02日

熊子(クマゴ)のこと〜その2

森と土と水と火の記憶を探す旅。
2016年3月17日のこと。以下はウェブの記録から発掘し整理し直して記すものです。

西へ南へ、そして県境にほど近いとある山村へ。
奥出雲町の三沢から、車を飛ばして1時間半ほどして着いたその家では、「だいたい家にいるよ」と紹介していただいたお年寄りの方が不在。しょうがないなと、周辺の家々を飛び込みで訪問してみるも、どこもお留守。犬も歩けば何かにあたるかと散策開始です。家の跡に残る扉の壊れた小さな小屋と雨水のたまった鍋と狂い咲きの芳香を放つ椿に頭をくらくらさせながら1時間ほどもうろついていました。そうして、やっと見つけたトラクターをいじるおじさんひとり。
訳を話すと、「あぁ、何某さんならあそこのゲートボール場だよ」。
あぁなんという好機。十数人の爺さん婆さんが揃っておられる。
お茶とぜんざいをいただきながら、聞き取りをはじめると、知っている人と知らない人が半々くらい。
そして、また、記憶を呼び戻すのは、なかなか大儀なところもあって、思い出そうにも思い出しづらそうなところもある。
「……だっと思う」「……じゃなかったかな」「ほら、このくらいの太さで、穂が垂れてる……」
そんな、言葉が行き交うなかで、私のとなりでずーっと黙って聞いていた婆ちゃんが、突然こうおっしゃいました。
「私、見たことある。○×谷で」
ただひとつの断言。
それはいつ頃のことですか?とたずねると、ぽつりと一言。
「……乙女の頃」
みなさん、爆笑で、わいわいと場が盛り上がります。
しかし、隣にいた私には、わかりました。一生懸命に記憶をたどっていたそのお婆ちゃんの心は確かに乙女の時までをさかのぼっていた。戦後間もない頃、その谷で風にゆれる、失われた穀物「熊子」の姿が、瞼にあったのだと。確かに。
その谷はさらに川の上へさかのぼったところにあるといいます。
4月に入ったらまた出かけようと思います。※2

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※1. 写真は話を聞いた場所から5分ほども歩いたところにある石組み。

※2. この後一度出かけはしたものの、通り過ぎる程度であって、取材はすすめておらず。


◉追記
文字に記されたものを追いながらですが、「もうその人は認知で施設に入られているから」「あぁ、半年前になくなったよ」というような言葉を、この地でたくさん聞きました。跡形もなく消え去ってしまう前に、継いでいけるものがあればと、それだけです。
さて熊子が「アワ」らしきものかどうかですか。
お婆ちゃんもですし、みなさん記憶に異同があります。
が、聞くところからはモチアワのことを単にアワと呼び、ウルチアワのことを熊子と呼んでいたのではないかと推定できます。

・アワとクマゴはちがう→これはかなり強く言う人が1名と同意する人が過半。「アワはモチで食べるでしょ。クマゴは違う」「アワは白い。クマゴは黄色い。クマゴはアワより粒が大きかったような気がする」
・クマゴの味をはっきり覚えて語る方はなしでした。どうだったかなあ。と。粟餅はクマゴを食べなくなってからもかなり長く食されていたようで、甘くておいしかったと。
・形状は「粟」のそれですが、人によって曖昧です。確かなのは、、キビとは違うという認識。
・電話で聞いたこの村(旧村)の66歳男性は5歳頃の記憶で「クマゴめし(クマゴとただ米(うるち米)をまぜたご飯)」を食べた記憶があると。昭和30年代頃までつくっていたのだと思うと。


また、これらの証言を得た地域では、山裾の草地・藪を焼いてカブをつくったという聞き書きがあります。『聞き書き島根の食事』農文協


◉石組追記
 大和村誌編纂委員会,昭和56『大和村誌(下巻)』には、「村のそここに残っている石垣にも古人の汗と血のにじむ苦難のあとを偲ぶことが出来る」という一文ではじまる石垣の項がある。積み方を3つに大別し、野面(のづら)積、打込ハギ積、切込ハギ積をあげている。写真の石垣は小なれど打込ハギ積である。


つづく。。

熊子(クマゴ)のこと〜その3

 前進していないわけではない。
 ここ1〜2ヶ月の間に拾った資料としては2つ。
 ひとつは、「出雲民俗」の第24号(昭和27年7月)に掲載された「熊子のからはたぎ」記事。

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 昭和27年当時は、熊子を粳の粟だと断ずるには至っていないことがわかる。
 なにより、この時代において、すでに「熊子」がなんであるか、出雲地方ではまったくわからなくなっていることが驚きである。
 少なくとも幕末・明治初頭には、誰もが知っていたことであろうに。
 

 もうひとつは、神米に比するものとしてのクマゴ。
 奠をクマと訓じ、供米と同じく、神への供物としての米を「クマ」としたことに由来する用語が山陰地方にある。
 邑智郡には神に供える米を「くましろ」と呼ぶ方言があった。この場合のしろは土地を意味し、くましろを供米をつくる田とする用例は古い。和名類聚抄には「神稲 久末之呂」とある。
 ここでピンとくるのが、出雲国産物帳名疏における熊子のひとつ、「坊主熊子」が寺に供するアワであった可能性である。坊主正月は昭和30年代にはまだ生きていた。言葉のみならず習俗としても。 熊子=粳アワであるとはいえないのではないか。
 どこかで散見した資料には、熊子とはアワだけではなく広く雑穀でアワの代わりに用いたものも呼んだという一文が確かにあったのだが、思い出せない。県立図書館であると思う。それほど重要だとは捉えなかったのは、典拠不明なものであったのかもしらん。

 これまでブログで書いた記事をまとめつつ、少しずつ整理していこう。

●備前國備中國にも熊子はあった

●クマゴ、地カブ、キビ

●みざわの館前の「地カブ」

●くまごのこと〜その1

●熊子(クマゴ)のこと〜その2

 



2017年11月04日

エノコログサの食べ方〜その3

 11月4日。雲南市木次町里方は局所一時的豪雨に見舞われた。雑穀類を車に運ぶのもままならず、ダムの見える牧場で開く予定だった「エノコログサを食べてみよう」は、自宅の土間で実施。トーミによる選別はできないものの、そのぶん、丁寧に一粒ひとつぶを確かめながら、脱ぷを進められた。

◉10月中旬から下旬にかけて「収穫」したもので、籾殻つきの乾燥重量は62g。



これは10月24日の収穫時なのだが、こうなるととりにくい。黒い実となると脱粒しすぎて、ふれただけでぽろっといくのだ。紫色くらいの状態になったものを手でしごくのがもっとも効率がよい。緑色のものもとれなくはないが、するっとはいかない。

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時期としては10月上旬のほうが「穂が紫色にみえるもの」が多いと思う。

◉乾燥は粒の状態で天日干し。雨天時は屋内にしまっていた。直射日光にさらせたのは3〜5日程度で、あとは屋内で新聞紙をしいた段ボールにほおっておかれた状態が2〜3週間ほどか。鳥に食べられることは、今回は少量でもあったのでなかった。

◉脱ぷしてみてわかったことをいくつかあげておく。
・モチアワよりも粒が大きい。アマランサスよりは大。
・籾は緑色でも黒色でも中身はほぼ同じで、薄墨色。
・籾殻は稲わらの香りがする! これは意外であって、モチアワではそんなことはない。なぜだろう。緑色の殻がその香りを有しているのかもしれない。




◉粒も大きいので、トーミを使った風選でいけるのではないかと思う。これは明日、味見も含めて検証してみよう。今日は一粒一粒たしかめながら、ピンセットでつまみ選別した。



 さて、どういう料理にするかだが、リゾットを試みるつもりだが、明日のところは脱ぷ作業に集中しようと思う。牧場では、昨年のアマランサスとネギをまぜたロティに少しばかりまぜてやいてみようと思う。粉化を石臼でやってみることも含めて。

2017年10月25日

エノコログサの食べ方〜その2

 台風ランが列島に荒ぶる威を3日ほどたち、今日は久しぶりに太陽が山の地にも降り注ぐ日和となりました。エノコログサの採集は昨日から再開しましたが、もう時期が終わりなのかなと少々意気消沈。



 こういう状態。10日ばかり前の時期であれば、実が黒茶のものの割合がもっと高く、手でしごくかたたけば、ボロボロと実がとれたのですが、そうはいかない穂が9割以上なのです。
 採取した奥出雲町佐白ですが、豪雨に見舞われた、その影響もあるかもしれません。考えたことをいくつか。あげてみます。

・アワも発育不良のものは脱粒性が高い。別面からいえば、実の熟し方がひとつの穂の中でもばらついてしまうということ。たとえばこんなふうに(下写真)。

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 エノコログサはもともとばらつきがさらにあるもの。そのばらつき加減・偏差がよりひろがる傾向にあるのかもしれません。登熟時期の遅れや天候不順といった要因によって。

・今日から3〜4日は気温が高く快晴が続きます。

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 この間、登熟が遅かった群落の実がうまく熟してくれれば、1日あたりにどさっと収穫できるかも、しれません。うまく晴れてくれれば乾燥に3〜4日。

「エノコログサを食べてみよう」の会に間に合う!? という展開を期待しつつ、観察とほかの仕事にいそしみましょうぞ。

参照
●エノコログサを食べてみよう〜その1


 

2017年09月19日

秋、野生のあずきを探しに、6000年前の記憶を探しに

 焼畑で2年目となるヘミツルアズキの収穫が進んでおります。焼畑地でのそれは島根大学里山管理研究会におまかせ。私めは、自宅の庭と裏の畑でいたずらまじりにまいておりましたが、ぼちぼちととれています。
 今日あらためて、焼畑地(2年目)のものと菜園畑地のものとをくらべてみました。焼畑地の方が鞘も実も大きいですね。





 左が庭と畑のもの、右が焼畑(山畑)のもの。
 なぜこんなにもちがうのか。興味深いところです。
 
 いろいろと考え、古い資料をひっくり返したりしてみました。そう。もともとアズキはとてもおもしろい豆ですし、日本で研究・調査する価値の高い生物資源でもある。
 素人の疑問として、栽培アズキが日本起源であるという説はDNA解析の進展とともに有力さをましているようですが、他の多くの作物、イネ・ムギ・アワ・キビ・が中国大陸からもたらされたものであるのに対し、なぜアズキは日本から大陸(東アジア)へ伝播していったのか。

 日本思想の特質とも重なるようで、これ、大変刺激的なヒントをはらんでいると思うのですが、いかがでしょうか。

●ツルアズキを植えてみるその準備メモに追加する参照資料として、《山口裕文「照葉樹林文化が育んだ雑豆”あずき”と祖先種」2003,〜『雑穀の自然史』北海道大学図書刊行会所収》をあげつつ。

 日本でもっとも古いアズキ出土は滋賀県の粟津湖底遺跡(6000年前)ですが、他をみても軒並み日本海側、山陰〜北陸に分布しているのはこれまた興味深いことです。鳥取県の桂見遺跡では、4000年〜5000年前の炭化したアズキが出ています。桂見遺跡といえば、6mをこえる長さの丸木舟2槽が出たことで知られますが、人とともに種や豆が海を越えて行き来したことを夢想せずにはいられませんね。

 さて、これから10月にかけて、野のあずきを探しにでかけてみませんか。5000万年の記憶を探しに、秋の野に。





 

2017年09月06日

種子を残す意思と摂理と

 温海かぶの種を蒔いてから1週間。昨日確認したところでは、なんと発芽は0。炭で黒くなっている地面なのでどんなに小さくとも緑色を見過ごすことはない。どれだけ出ているか、雨の中、期待を胸にすべる山の斜面をのぼっての0。落胆と同時になぜだろうと「?」が脳内を行きつ戻りつした。
 火入れから25日ほどたった蕎麦が発芽しなかったところに蒔いているので、条件はよくない。とはいえ、過去2年ほどは火入れした2〜5日後には発芽が確認できていたものだ。ちょっいと原因を整理してみよう。

・島根大の冷蔵庫で保管してきた2年前の種子である。冷蔵庫から出したのはおそらく数日前か。
→常温の方がよいのかもしらん。あるいはもう少し早く冷蔵庫から出しておくべきか。種子にとっては冬から春に変わったという認識となる。
・発芽しにくい土である
→蕎麦が発芽しなかった地であるからして。蕎麦よりは条件悪くても発芽はしそうなのがカブなのだが、どうでしょう。
・降雨が少なかった
→一時的に降ることはあったが、まとまった降雨は8月30日〜9月5日までない。これが要因として大かもしらん。山の斜面でかつ水もちの悪いところであると思われるので。
 最寄り気象台データである大東の降雨記録をあげておこう。

大東気象台降雨記録

 さて、書きおくべきこと、本題はこれからなのだ。
 落胆を胸に、?マークを頭にのせて、山を降りようとしたとき、ふと目がとまった。
 ん?? これはカブじゃあないか。
 おそらくこぼれ種と思われるカブである。種を蒔いた周辺部、すなわち火入れした地面と草が生えている境界部で発芽しているではないか。けっこう成長している。双葉から3つ葉を出しひろげている。おやおや。要点をば以下に。

・種は2年前のものと推定される。
・8月5日に火入れした際、蒔かれて眠っていた種子の大半は死んでしまったが、温度が死ぬほど高くならず、しかも休眠を打破するくらいには高くあがった地点で発芽したもの。発芽から2週間くらい経過したものか。

 種子の生存にかかる摂理を感じる。


 

2017年07月31日

モチアワ、タカキビ、ヒエの現状

 春焼き地のモチアワが出穂です。勢いはありませんし稔りは薄いでしょうが、7月13日(下の写真)の惨状からすればよくぞここまでという感があります。シカにもウシにも食べられました。出穂前というのは、茎が美味しいのでしょうか。

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 そして、本日、すなわち2017年7月31日のモチアワが下の写真です。




 ちなみに昨年、2016年8月3日のモチアワはこちら。稔り方の違いがわかるかと思います。

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 続きましてタカキビです。
 まず7月13日。こりゃダメだわと思いました。

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 が、ここまで回復はしています。

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 そして、ヒエ。
 7月13日のこの食害のさまはひどいものだと思いました。

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 約20日後の7月31日の状況がこちら。
 モチアワ、タカキビより状態は悪いのですが、この勢いがどこまで続くか、ですねえ。

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 これから夏の盛りの1ヶ月は光合成能力をいかんなく発揮できるときであります。
 見守っていきますよ。
 応急処置の草刈りを約15分実施しました。
 水曜日にまた少しやっておこうと思います。

2017年07月27日

2017年アマランサス(赤穂)の成長を振り返る

 島根県仁多郡奥出雲町佐白における竹の焼畑。アマランサスの焼畑栽培については2年目にあたる。赤い立穂を有する種を優先的に栽培すべく、新たな種を入手し育成することにした。長野県松本地方で自然栽培による育成を重ねている種である。
 これを火入れ後、蕎麦と蕪を栽培した後にまくものとして試してみた今年。途上であるが振り返りつつ課題をもう一度整理してみようと思う。

◉5月18日
 通称「中山」。播前にはオオアレチノギク(おそらく)が背を伸ばし始めている。中山ではオオアレチノギクが焼畑後のパイオニアプランツとして優先している。この日、そのキクを根こそぎ抜いて種を蒔いた。

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◉6月4日
なかなか発芽しないこともあり何度かにわけて種を蒔いているのだが、この段階でも発芽は認められなかった。
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◉6月10日
待ちに待った発芽。ひとあんしん。
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◉6月23日
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◉7月6日
地形上、日照にめぐまれておらず、また間引きが大きく遅れたこともあるのだが、成育はよくないうようだ。
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◉7月24日
夏、ぐんぐんと成育してほしい〜。
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2017年07月08日

アマランサスの発育状況と「神の穀物」の由縁と

◉アマランサスの発芽のこと
 今年は焼畑2作目として播種しているアマランサス。
 ざっと以下のことを考えている。
・吸肥力が高いその性質から2作目向きかもしれない→収穫量はどうか(単純比較はできないが)
・急斜面で日照不十分なところではどうか&昨年は9月の秋雨で倒伏がひどかった。
・赤穂を選抜したい→新しい種を取り寄せ(A地点)&赤穂から種取したものだけを播種(B地点)

 結局播種が遅れ、発芽もかんばしくなく、昨年より1ヶ月遅れの収穫かと思っていたら、意外においついてきている感はある。

▼昨年(2016年)7月9日時点のアマランサス

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▼今年(2017年)7月6日時点のアマランサス

A地点…急斜面・日照不十分/前年夏火入れ〜秋冬で蕎麦と蕪栽培/入手した赤穂を播種
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B地点…段丘地・日照良し/前年夏火入れ〜秋冬で蕪栽培/赤穂から種取したものを播種
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◉神の穀物と呼ばれる由縁(1)
 アマランサスの説明をする際に、インド・ネパールでは「神の穀物」と呼ばれていることを常套句のように使う。神事に供物として欠かせないものであることと、他の穀類が干魃で不作となってもアマランサスだけは稔りを約束してくれるからだと。しかし、乏しい知見に基いておるので、薄っぺらいなあと自分でもよく思う。せめて資料を再読し、あたるべき文献にもあたっておこうと思った次第。
 今回は(1)として。

 概要は、アマランサス・キヌア研究会のシンポジウムのレポートをみるのが早いと思います。それらの中でのべられる特徴としては以下の内容が代表的。
【アマランサス】
・学名アマランサス、ヒユ科、中米原産。
・主な栽培種は Amaranthus hypochondriacus(センニンコク)、 Amaranthus cruentus(スギモリゲイトウ)、 Amaranthus caudatus(ヒモゲイトウ)。
・主な栽培国は、アメリカ合衆国、メキシコ、ペルー、中国、インド、ネパール。日本国内では岩手県、長野県等。
・環境適応性が高く、熱帯、温帯、乾燥地帯での栽培が可能。(→悪条件下での栽培に可能性。未来の穀物として期待)
・光合成能が高く、生長がはやいC4植物。
 播種から収穫までの期間が短い。品種による差異はあるが3〜5ケ月である。干魃に強い。種子の収量(1〜3トン/ヘクタール)は穀物の中では平均的。
・国内における栽培の課題は、倒伏しやすさ、種子サイズが小さい(直径約1.5mm、千粒重量約0.7g)ことによる脱穀選別の難しさなど。
・利用法は、米との混炊が一般的。ポップ菓子や、パン、ビスケット、麺、 食酢にも。


◉南峰夫・根本和洋の「ネパールにおけるセンニンコク類の栽培と変異」
 2003年に北海道大学図書刊行会より発行された『雑穀の自然史ーその起源と分化を求めて』に所収されている論文である。いくつかのポイントをひいておく。
《私たちは1982年以来、ネパールのほぼ全域においてセンニンコク類の調査と収集を行った
収集したセンニンコク類の種子サンプルは399系統である。センニンコクは347系統で大部分を占め、ヒモゲイトウは52系統である》
《センニンコク類の栽培は、乾燥した西側の灌漑設備がなく天水に頼る中山間地の僻地ほど多い。……(中略)……標高90mから3400mまでの幅広い標高に分布し、
1000m〜3000mのあいだに大部分のものが見られる》
《ヒモゲイトウのほとんどは1500m以上に分布し、1000m以下では収集されなかった。ヒモゲイトウがセンニンコクより乾燥と高温に弱い(西山,1997)ことを裏付けている》

 ネパールでの呼称の分布は3つにわかれるとしているが、インド北西部(ビハール州・ウッタルブラデシュ州)とネパールのタライ平野に見られるramdanaが、神の穀物と称されるものにあたる。
 ramはヒンドゥー教の神のこと、danaは穀物の意であると、この論文では簡単にふれている。ここらはインドでの利用、栽培、神事での位置づけなどについて、他の論文をあたってみる必要がある。

 というわけで、今日はここまで。