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2019年06月04日

5月の草刈り

 田植えのシーズンが終わると、あちらこちらで草刈りが始まり、梅雨のくるまえに山でもケタでも燃やす光景があちらこちらでみられる。おもしろいなあと思うことがふたつある。
 ひとつには、草の都合ではなく人間の都合で切るものだから、だんだんと草の種類がしぼられていっているように見えること。頻度も少ないだろうし、成長点で切っておさえるのではなく、ともかくおさえこもうと、地際ぎりぎりを切ろうとする、場合によっては土ごと。
 すると成長点が地下にあるチガヤや地下茎をはびこらせるもの、あるいは草刈りのタイミングと花をつけ散種するタイミングをずらす草が年々優勢となっていく。草たちも互いがはげしく生存のための闘争を繰り広げているのだろうが、その場にうまく介入して国益ならぬ人益を確保しようというのとは少々異なる所業が繰り広げられているように感じるのは、草に肩入れする私の偏向だろうか。

 そして、もうひとつには、道路の草刈りのあとで、オオキンケイギクがみごとに刈残されている姿をこの春、木次で多く目にしたこと。最近ふえたから知らない人が多いのだろうか。あぁ、それとも、花が咲いているものをそうやすやすと刈払機では切れないという人のやさしさだったのかもしれない。
 特定外来生物なので、販売・栽培は禁止されているのだから、たとえどこかの家の庭で咲いていたとしても抜き取ってよいものではある。(私人の敷地内で無断で立ち入るという行為そのものが罪に問われることはあるかもしれないが)
 とことんふえたあとで、騒ぎがひろがるのかもしれない。すると、今度はともかく「やっつけろ」となるのだろう。それが悲しい。花がかわいそうなのではない、そうした人間の所業が悲しいのである。思わずなのかなんなのか道路に咲くそれを刈残した作業員は、どう思うだろうか。
 

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