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2018年01月20日

岩伏の谷の森神〜#1

 森と畑と牛と。
 森、畑、牛は三位一体ともいえる関係にあるのだが、この活動を森から考えるための断片を今日はここに記す。
 森神はいまどこにいるのか。その答えを求める試行でもある。

◉2017年の8月20日、小さな祭りをはじめた。「岩伏の谷の小さな夏祭り」
 いまや、祭りと名のついた祭りとは思えないもののなかに、私たちの世界はどっぷりつかっている。「オリジナルの不在こそが大量の模倣者を生み出す」。この小さな祭りとて世の流れとまなじりを決して対峙しているわけではない。
 しかしながら、何が祭りなのか。
 この岩伏の谷で、人がまつってきたもの、その消失を確かめることで、来るべき祭りを期したい。

◉祭りには始まりがあって終わりがある。日常を区切る非日常であり、常態であれば、それは祭りとは呼ばない。「〇〇祭り開催中」という幟がつねにあがっている店舗のそれを祭りと呼ぶことは、認知する側にとっては極めて難しくものだ。

◉森の木は倒れることに意義がある。倒木がなければ、若い木は育たない。天然林というものはそうなっている。倒れた木は微生物が分解して土となり、他の生物がそこに生きる糧となる。
 この話を最初に聞いたのは、ソシオ・メディア論の水越伸からであった。著書『メディア・ビオトープ』は、いまこそ再読してみたい。

◉現代がかかえる「問題」の核心には、倒木の価値を位置づけられないがゆえのもどかしさがある。


◉岩伏周辺に残る信仰には山伏のような流浪の民間宗教者の影響があったようだ。
・岩伏山を女人禁制としたこと。
・牛馬信仰を荒神信仰と結びつけたこと。
・大山信仰、縄久利信仰、ふたつが相争った形跡があること。
・岩伏山と素戔嗚尊の来地伝承は、出雲中世神話の影響を受けたものと考えるのが自然であること。
・隣地にある妙見信仰との関連は不明だが、妙見信仰がより古層に位置するものではなかろうか。

◉ダム建設による集落移転の際、かつての山道のあとに合祀されてものと聞く碑。脇にある地蔵尊らしきものは不明。

20150530-P110060902

◉碑のある場所から、ダムの見える牧場をのぞむ。

20150530-P1100605

◉塚神をまつる痕跡があることはこの地にあっては珍しい(これまで聞かない)。この三神について聞き取りをしておきたい。

◉三宝荒神は、ここでは地主神としての性格を色濃く有するものであったろうと推測する。
地主神。とこ=大地の主である。
・とこぬしのかみ
・じぬしがみ
・じしゅのかみ
もののけ姫のおっとこぬしは、じつは乙事主ではなく、おおとこぬしのかみ=大地主神なのだ。宮崎駿がまちがえたにすぎない。

◉この地から数キロ西にある佐白の志学荒神社は、三宝荒神を親神とする。

「今日の雑読断片」に、柳田國男の「山民の生活」に三宝荒神を「山神と同じく山野の神」と言っている箇所を引用しており、ここに再掲。

全国を通じて最も単純でかつ最も由緒を知りにくいのは「荒神」「サイノ神」「山ノ神」であります。仏教でも神道でも相応に理由を付けて我領分へ引き入れようとはしますが。いまだ十分なる根拠はありませぬ。
「山ノ神」は今日でも猟夫が猟に入り木樵が伐木に入り石工が新たに山道を開く際に必ずまず祀る神で、村によってはその持山内に数十の祠がある。思うにこれは山口の神であって、祖先の日本人が自分の占有する土地といまだに占有しぬ土地との境に立てて祀ったものでありましょう。

荒神も三宝荒神などといって今は竈の神のように思われておりますが、地方では山神と同じく山野の神で。神道の盛んな出雲国などにも村々にたくさんあります。

(大塚 英志・編『柳田国男山人論集成』(2013,角川ソフィア文庫)p.88〜)

◉塚神も意味あるようで不明なり
柳田國男「石神問答」より
《姥神もまた山中の神なり
 姥神の名には三種の起源混同せるがごとし
 山姥は伝説的の畏怖なり
 巫女居住の痕跡諸国の山中にあり
 姥神はすなわちオボ神に非ざるか
姥石という石多し》


「巫女居住の痕跡諸国の山中にあり」について。
岩伏山の麓にあった比丘尼の寺というのは、比丘尼というよりも巫女ではなかったか。

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