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2019年01月18日

昨年から、タカキビを見かけるようになったけど…

 今年の秋であったか、三刀屋町内、国道沿いで、高黍畑を見つけたときには、驚いた。えー、こんなに身近なところで「まだ」栽培しているんだ〜と。3年ばかり前に聞いたり見たりした限り、奥出雲町では一箇所をのぞいて皆無だった。昔はつくって食べていたという話はよく聞いたことがあるのみ。だから、車窓越しにみえ、そばに近寄り、車から降りてしげしげとながめてみるまでは心躍った。
 あぁ、しかし、飼料用であることは明白。短稈である。アメリカで品種改良されたものだろう。その後、斐川町でも小規模ながら見かけたので、種とセットで栽培奨励もされているのだろう。ゆかよろこびであった。
 タカキビ、タカキビと私は呼んでいるが、モロコシという呼び名が一般的だろう。モロコシ(蜀黍、唐黍、学名 Sorghum bicolor)である。スーダン・エチオピアといった東アフリカが原産地であり、BC3,000年頃から栽培の証がある。私がぬかよろこびした種は、ソルゴーといえば畜産農家筋にはとおりがいいと思う。

 さて、なぜタカキビなのか。
 アワ、ヒエ、キビ、(昔の)トウモロコシ、雑穀を栽培していた記憶は遠い過去のものとして、ここ出雲地方では人の記憶や体験から消え去ろうとしている。奥出雲地方ではそうしたなかで最後まで栽培されていたのがタカキビではないかと、そう仮説づけていろいろと試行錯誤しているからにほかならない。焼畑でできたタカキビとモチ米で正月モチをついたりと。

 寺領のSさんは、小さいこどもの頃に食べたタカキビモチをもう一度食べてみたい、だから種をわけてもらえないかと、そうおっしゃられた。縁側で昔話しを聞いていたときのことだ。その後、Sさんの畑にタカキビの姿が見えた。どう召し上がられたのだろう。昨年はいつもみる畑では見かけなかった。おいしく食べられただろうか。
 三沢で2年前までタカキビを育てて、モチ米といっしょにしたタカキビ粉を産直市で販売しておられた方からは、在来の種をわけていただいた。その種を継いでいま、焼畑でつづけている。三沢のおばさん方にきいても、昔はつくっていたこともあったと、モチがおいしかったと。
 そして、3年ほどか栽培してみてわかるのが、タカキビは鳥に食われないということ。西東京では食われるという栽培者の言葉をウェブでみたのだから、まったく食べないわけでもないだろう。しかしながら、キビやアワは大群でやってきて食べ尽くさんばかりにやられるともいうのに比べれば皆無に等しい。そして、これが奥出雲地方で最後の雑穀栽培としてタカキビがつくられていた大きな理由ではないかと思う。
 

 昭和9年刊行の「三成村誌」(国会図書館デジタルライブラリーにあり)。 島根県仁多郡三成村尋常高等小学校で編纂されたものだ。そこにこういう一文がある。
《時代の推移と共に自給自足は急激に廃されて行き斯くして畑作物の種類は多様性から単一へと変化し古い時代の作物は桑に依って置き換えられて其の姿を没した》

 大正から昭和のはじめにかけて、産物調査や農村調査が全国的に行われている。出雲地方のそれらを概観するに、米食が「下等」においても常食となっていることがうかがわれる。昭和30年代の食生活を聞き書き調査した農文協のシリーズ、『聞き書き島根の食事』を他の都道府県のそれと比べてみても、雑穀食の割合が低いことがわかる。とくに東部出雲地方だとそうだ。
 そうした背景もあり、早くから雑穀が「没していった」地方である。生産という面だけをみれば。ただ、食は経済や効率だけに拠って立つものではない。なにかもったいない気がする。惜しい気がする。なにか物足りない気がする。そんな「気がする」思いが細々とでもつくり続ける家を残してはいたのだろう。
 が、そうした思いをくじくのは、鳥や獣に負けてしまうということだ。アワはかっこうの餌食だ。いっせいにある程度の面積でつくれば食べつくされることはない。が、細々とつくった場合、全滅に近いことになる。実際私も昨年も今年もそれを経験した。
 そうしたなかで、タカキビだけは、20稈ほどもあればそこそこに食えるし、被害にあわない。畑の隅でもかまわない。
 が、50年もたてば世代がふたつはとぶだろう。
「子どもの頃に食べた味をもう一度」と語ったおじいさんももう70代後半ではなかったか。
 いや、いいのだ。愛惜ではない。そうではないのだが、なかなか言葉をつづれない。
 ……というわけで、つづきはまた。

2019年01月13日

出雲の山墾り〜sec.2

昨日に続き、本日も暖かい。しかも数週間ぶりの青空が広がる晴天。思い立って遊びに出かけられる向きもずいぶん多かったようだ。
 牧場の牛たちものどかに日向ぼっこ。そしてわれわれは、山へ入った。
 気温は10時時点で7℃。最高気温は10℃までいったと思う。

◆大原山の荒廃地ー視察備忘
事前調査概要
・森と畑と牛との里山再生地として候補に。また火入れと雑穀類栽培地の候補。
・5〜6年前までは耕作に通っておられた。つまり耕作放棄後6年ほどが経過した土地。
・道はトレイルランコースに入っているため、年に一度は踏査と簡単な整備が入っている。山道ゆえ軽トラ4駆でのアプローチとなるが、道を補修しないと難しいだろうとのこと。
・水田面積は約8000平米。8反ほどある。グーグル・マップでの計測。住居跡の前に広がる平地は畑地だったかもしれない(H29の地理院地図では水田)がこちらが約3500平米。あわせて1町強ほどの耕作地。
・標高320m〜340m。かんな流し(砂鉄採取)の跡を水田にしたのだろうと地元談。
視察概要
・道は雲南市側からのルートを通った。軽トラを途中でとめ、約1kmを歩く。20分〜30分ほどか。道がえぐれているところがいくつかあるが、通れなくはなさそう。スペアタイヤは必須。一番の問題が大きな落石。1〜2トンほどはあろうか。造林帯を抜けて開けた谷底の水田跡に出ると、道は笹とススキで藪をなしている。
・谷が東西に走っていることもあり、日当たりはよい。
・水は小川からの取水も堰をつくれば容易。土嚢を積んでそうした跡もあった。
・炭焼き小屋は屋根がかろうじてもっていて、今春にでも補修すれば使えそう。木箱が積まれた小さな物置小屋も屋根の穴がなく、これも今春補修すれば維持できそう。
・水田の放棄地はススキがかなり大きくなっており、火入れが必須かもしらん。草刈りしてみての様子見。水のはけはよいようで水の溜りは見られなかった。夏に火入れしてカブをやり、春から雑穀。水はけがよく土が起こせるところであれば、畝をたててもよいかもしれない。
・1反ぶんからか。
・火入れをするには軽トラが入らないとポンプも入れられない。まずは車が入れるよう道を整備するか、佐白側からのルートの状況を踏査してみるべし。
・イノシシ除けの柵はない。すべて撤去されたのかそれほど出なかった場所なのか。
・北面南面とも山の斜面は多種の落葉広葉樹。クヌギ、コナラが多いようだった。アベマキもところどころに目立つ。日のあたる北面はとくに若い。近年まで薪炭林として利用されていたようだ。
・春の新緑はさぞかし美しいだろう。
・電線が農地の南方を東西に通っている。







posted by 面代真樹 at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 焼畑

2019年01月12日

出雲の山墾り〜sec.1

今年から「出雲の山墾り」と名づけて竹の焼畑は5年目に入っていく。
 今日はその1回目。10時時点の気温5℃。曇り。この時期としては暖かい。参加は3名ほどで、ダムの見える牧場フィールドの確認観察と打合せなどで午前の3時間弱をつかった。秋焼きのカブは二十日大根くらいの大きさにはなっていて、これはこれで食べられるのではと思う。葉も一緒にカブ汁で食べるのがいいと思う。タカキビ粉を入れてみたらどうだろうなどと想像した。1月19日の回で試してみよう。





 また、大原山への道を「視察」。雪は残っているものの、道の上にはない。林道途中に小さな滝があった。ここを超える昔の道は藪で進めないようだ(聞き取り情報)。かなり迂回する林道があるのでそちらを明日の天候がよければ、たどっていく予定。



*出雲の山墾り〜竹の焼畑2019

posted by 面代真樹 at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 焼畑

2019年01月11日

焼畑の雑穀と玄米のご飯

”今日のオリゼランチは玄米と豆(ささげ、さくら豆、大豆)と雑穀(高黍、もちあわ)のごはんを炊いています。”と紹介いただいた。ありがたし。

●豆について
 ささげは畑ささげとして分類される野生化したササゲで、山形のとある集落で焼畑栽培の最終年に近い年に「栽培」されてきたもの。ヘミツルアズキと当地では呼ばれているという。奥出雲町佐白で焼畑を試行していることの縁で、「やってみてはどうか」とわけていただいたもの。種を継いで今年で3年めか。小粒であるが、白米にまぜて炊くとほんのり朱に染まって美しく、食感も味もよい。こうして玄米にいれてもよいということがわかる。食べてみれば。
 さくら豆は北海道厚沢部で栽培されているものを、これもわけていただいたもの。山畑では栽培してこなかったのだが、今年は試してみようと計画中。ほくほくとした食感とほどよい甘さがよい。
 大豆は、中生三河島枝豆で、茶園畑と山畑とで栽培中。山畑だと草に負けがちなので昨年はやっていない。今年は山の畑で再挑戦。

●雑穀について
 高黍は焼畑の主力にしていきたいもの。脱穀・調整の方法も少しずつ改良と技術の向上をみている。なんといっても鳥害にあわない(今のところ)のが大きい。実が大きいことアクが強いことが影響しているのではと思う。タカキビハンバーグが定番となっているように、モチ性があり、こねると肉に近い触感を出せる。味のアクセントとして、また玄米との相性がこれほどよいとは思わなんだというくらいに、これをうまくあわせると美味しい。
 モチアワは、鳥害にやられつづけているのと、発芽率やらなにやら課題が多いものの、来年は覆土とネット張りも併用しつつ、たくさんつくってみる計画。ある程度の量(面積)をつくらないと、(種々の要因で)うまくできないという仮説による。

 ……と、思いつくまま書いてみただけだが、美味しいご飯をありがとうと、ほんとうに頭を下げながら、食べたのだった。

2019年01月03日

ホウコ餅はやはり美味かった

 ホウコ餅を昨年の春に搗いて食べている。が、その記録がまったく見当たらない。どこかにメモ程度でも残っていればと昨年の手帳を改めてもなし。今朝の雑煮に、冷凍庫にあったホウコ餅を食した。つくったのはいつだったろうか、ホウコはどれくらい入れたんだっけ。確かめようとしたらこの始末。忘れぬうちに今日の感想といくつかの課題を書き記す。

 年末に搗いた糯米10割の白餅と比べてみたら歴然。のびが違う。食感からいえばほうこ餅が断然うまい。それだけではない。味もいいのだ。ここまで違うと搗き方や米の性質が影響大なのかもとも思う。
 春に食べたときには、そんなに美味しいということはなかった。配った方々からはおいしかったといわれていたが、まずかったとはいえないだろうし、どこまでなのかが不明であった。
 ただ春についてはホウコ餅、焼いて食べたのだと思う。今回、鮎出汁の雑煮で食べているというその違いもあるのかもしらん。
 ただ「のび」については、ほうこ餅をついているときから「うぁあ」というほどの違い(あまりにのびるので驚いた)があったので、ホウコの影響であることは確か。そしてなぜ「美味しく」なるのかについては、単に食感だけの問題にとどまらないかもしれない。これはこの春、何度かついてみることで証していきたい。
 両方とも餅つき機を使っているが、ホウコ餅の方は蒸しはせいろでやって搗くのは機械。糯米はグッディ三刀屋点で買ったものだったか。一升ほどをつくった。
 白餅の方は蒸すのも搗くのもひとつの機械。2升を一度に蒸して搗いているのでとくに蒸す工程がせいろで少量ずつやったものとは何かが違うはず。糯米は手元にも少し残っているので、比べてみることができる。これは近々に。

 そして課題をふたつ。
ホウコをもっとたくさん採る。そしてここらへん(木次、雲南、仁多)で見なくなった理由を考え、ふやしていく試みを。
 
雑穀にホウコを入れて搗く(糯米を使わないタイプを試す)
雑穀の餅のつき方の最後に記しているように、雑穀をホウコと一緒に搗くということ、これをやってみたい。

あるよ、と妻から送られてきた写真。感謝。

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春にホウコ餅を搗いたときの写真。日付は5月18日。

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2018年12月31日

大晦日と年取り

 平成30年12月31日。久しぶりに午後からの晴れ日。年の瀬も佳境をむかえた大晦日である。昨日までのところで三所の家の荷物は片付け終えていたので、少しばかりは余裕をかませるかといえばそうではない。常日頃の片付けでさえままならぬのに、やれ大掃除だの、年賀状だの、できるはずもないではないか。とはいえ年賀の葉書ばかりは午前に切手貼りなどすませ午後には投函。おくればせにすぎたしめ飾りづくりは断念していたのであとは多少の片付けか。
 まあこれとて、掃除にかまけて本当に久しぶりの晴天の機会を逃してはならぬ。雲なき空がひろがるゆえに零下3度まで気温が下がりそうだというので、とっておいた里芋や菊芋を土中深く埋めて越冬の準備をはかることを優先させた次第。里芋なんてものは外気が0℃をきったらおしまい。元来が熱帯亜熱帯の植物ゆえ種芋としては死んでしまう。細胞が壊れて腐りゆくだけの存在となってしまっては惜しいばかりか来年の畑にその姿をおがむことすらできない。なおかつ今年わけてもらって育った三刀屋のとあるお家の里芋なのだから、だいじに代をつないでいきたいもの。越冬といっても大層な口上をあげるまでもなく、畑に穴を掘って埋めるだけのことだ。それがなかなか手をつけられずにここまできてしまった。伝え聞くに20センチ下に埋めるべしと。そうするためには30センチは掘らねばならぬ。ちゃちゃっと20分もあればとは思ったものの、着替えたり場所を整えたりしていたら、あわせて小一時間はかかってしまった。
 しかし、やれやれ、これで安心がひとつふえたわけで、これも年越しの一貫ではあろう。

 さて正月を迎える飾りのほう。しめ飾りはないが、裏の軒先に新たに吊るした脱穀残りの稲束が3つ。2日ほど前からスズメたちが再来していたが、今朝ほどの賑わいは秋が帰ってきたかと思うくらいだった。あぁ、こうして鳥の子らも満足して年を越せるのだろうと思えば、今年はこれが我が家のしめ飾りだと思うことにした。
 動物たちに年越しは関係あるのかといえば、あるのだといいたい。かつてほとんどの日本に住む人々、とりわけ農村に住む人たちはそう考えていた。動物だけではない、鍬だろうが枡だろうが、ありとあらゆるものが「ひとしく」年を迎え、年をとるのが正月だったのだ。
 妻が読んでいる入江相政の『味のぐるり』を拾い読んでいたら、正月料理と題したエッセイにこんな一節を見つけた。
《子供のころには「もういくつ寝るとお正月」と歌って、胸をはずませて、正月を待った。それだけに、大みそかの庭の暮色に、特別の感慨を持ったものだった。このごろは、年を取ったせいか、それとも正月には年を取らないことになったせいか、正月というものに、昔ほどには、新鮮な味を感じないようになった。》
そう、明治三十八年生まれの入江相政であれば、《正月に年を取る》のが当たり前であった時代から、そうでない時代への様変わりをひとつ身の中に感じておられたのだ。昭和四十一年生まれの私には経験し得ないことであって、その感覚を一滴ばかりでも味わえたら。
 一滴であればこの今の時代のどこかに残っているとしよう。その雫がどこからきたのか、たどっていくこともできるかもしれない。事件現場に残された血痕をたどるようなものか。なんちゃら鑑定と称せられているような手法よりはホームズを代名詞とするような推理を範としたい。
 が、今日のところは思いつきを散りばめつつ、攻め口をさぐってみる。

 年取りカブを縁起ものであってうまいものではないという平田の爺さんの話。これには大いに首肯するものだが、年取りが縁起のよいもの、祝うべきものだということと、それがカブだろうと、鍬だろうと、乞食だろうと、身分も性別も年齢も、人も動物も、植物もそのへんに転がる石ころとさえ、享受さるべきもの、分け与えるべきものとして、ひろく認識されていたことは、おそらく江戸時代になった思想のひとつの形として、とらえておくべきだと思う。
 そう。平田の爺さんの音声を起こしていない。宿題として手帳に記しておく。春には再訪したい。
 このブログ内を「年取り」で検索すると、カブと大根についていくつかがヒットする。それらの中で、佐白の赤名さんが話した年取りのことをすっかり忘れていたので、ここに一節を再録して締めとする。
《●年取りカブ(正月カブ)
・聞かんなあ(何かひっかかる感じ)
・年取りという言葉は、年に3回だか4回だか使っていた。節分の前の日、旧正月の前の日、大晦日の日か。》
 「クマゴ、地カブ、キビ」

 年取りというコトバを使っていたのは、節目の前日。まさに今日、大晦日もそうであって、元旦の日ではないということに、まだ考えていないポイントがあると思う。しばらく考えてみる。

【参考】
◉日本国語大辞典(小学館)より
† ねずみの年取り:正月に鼠にも年取りをさせるといって、餠などを与える習俗。長野県など各地に現存。
† なべかま の 年取:小正月に炊事具や農具をみがいて並べ、餠などを供える行事。東北地方に多い。道具の年取り。
† どうぐ の 年取り:小正月などに、農具などを洗って、餠や供物を上げてまつる年中行事。
† 大根の年取り:(新潟・長野で)10月10日の十日夜(とおかんや)のこと。この日に大根畑に入ってはいけないという。大根の年越し。大根の年夜(としや)。
† おんなの年取→方言:(1)正月一四日。《おんなの年取》福島県会津《おんなのとしこし》宮城県仙台市 (2)一月一五日に女が一日休養すること。《おんなの年取》宮城県栗原郡
† 年取物:年の暮れに用意する正月の飾物や必要品。正月を迎えるのに必要な品物や費用。
† 年取餠:正月に吉例として食べる餠。*俳諧・七番日記‐文化11(1814)一月「藪陰やとしとり餠も一人づき」
→方言:正月のために、暮れの二八、九日ごろにこしらえる餠。《としとりもち》和歌山県日高郡
† 年取豆:節分に蒔く豆。自分の年齢の数だけ拾って食べるのでいう。としのまめ。
年取米正月を迎えるために用意する米。
† としとり‐ひけぎ 【年取火埋木】 「ひけぎ」は火埋(い)け木の意)→大晦日から正月にかけて、火を絶やさないために、囲炉裏にくべる太い薪を、福岡県・熊本県などでいう。
† としとりの飯(めし):大晦日の正式食事。多くの地方で大晦日の晩飯を年取りの祝膳にしている。
† 年取魚:年取りの行事の食膳に白飯とともに吉例として必ず付ける魚。塩鰤、塩鮭などを使う。
 

年取りのタカキビ餅

 タカキビ餅の仕込み〜平成30年12月のその後。
 タカキビは最終的に4合ほどを調製し、昨年のもの半合ほどを材料に。
 うち今年のもの2合ほどはミキサーにかけてひき割りに。4分の3ほどが割れたと思う。粉状になったものは今回は使わず。半合弱ほどか。
 よって、というか、つまりというか、材料は以下となった。製法とあわせて記す。
【材料】
・モチ米…一升6合。仁多のモチ米。無肥料減農薬栽培と聞く縁故米的なもの。
・タカキビ…計4合。2合が今年の粒。3合半が今年の挽き割りと粒のミックス(割合は5:1か)。半合ほどが昨年の粒。
・水…700cc弱
【製法】
●下準備
・タカキビは2日半ほど水につけておいた。1日おきに水かえ。早めに腐敗っぽい膜が浮いてきた。昨年はこうではなかった。成育不十分なまま収穫したため、表面が白っぽい。もっと紅茶のような色に染まっている状態ならばこうはならないのではと思われた。ただそれがゆえに水につけるのが3日弱でもよかったのだろう。通常7日つけると、参考にした匹見の聞き書きにはあった。昨年は5日つけている。
・モチ米は通常どおり前日に水につけておき、朝方ざるにあけたもの。
・昨年はモチアワも含めていた。今年は不作のため混入せず。
●搗き
 タイガーの餅つき機を使用。「蒸す→搗く&こねる」。雑穀を搗くときには上に軽いものをおいてこねてから搗くというが、餅つき機の場合は関係ないだろう……とはいえ、下にモチ米、上にタカキビをおいて蒸し始めた。より強く蒸されるのが鍋の下部であるならば、逆あるいはタカキビを挟むほうがよいのかもしれない。来年はそうしてみよう。
 蒸し終わりまでは2升で40分〜50分ほどだろうか。蒸しきったところで機械が教えてくれる。それから搗き、捏ねに入る。10分ほど。
●丸餅に
 打ち粉として売られている米粉と片栗粉を8対2くらいに混ぜたものを打ち粉として使用。2升分でおよそ80ほどをつくった。
【味見】
 昨年よりもタカキビの割合が多く、より美味しくなった、つまりタカキビ餅らしくなったと思う。搗きたてをほおばってみたときの、つぶつぶを噛む食感とねばりと香ばしさのバランスがなんともよい。自画自賛。
 そして、お配りした方からの感想で「思ったよりねばりがあっておいしかった」と。そういえばつきたてのモチを取り出すときにも、「のびるね〜」という声があった。なぜモチ米だけのものよりのびがあるのかといえば、質の異なるタカキビのモチ性が影響しているのでは。次回食べて気づくことがあれば、追記することとしよう。









2018年12月29日

三年仕込み、孟宗竹の漬け樽

 三所の家を片づけている。年内にはきれいにして鍵を返すのだ。昨日からの雪で気になっていた山側の庇屋根の応急処置だが、この程度の雪なら問題ないということは確認できた。大雪でも積もれば落ちるかもしらんが、素人大工仕事を重ねるよりは気になったら様子を見にくればいいと思い切ることにした。
 それにしても雪がここまで積もるとは。30センチほどはある。四駆の軽トラでも下の写真の少し手前まできてとまった。雪をかきさえすれば家の前までつけれなくはないが、雪をあまくみてはいけない。土はぐずぐず、坂ですべって川にドボンあるいは横転という図がありえるのできっぱり断念。今日で終えるつもりだったことを、明日明後日と2回にわけてやればよい。



 今日は部屋の掃き掃除を少々と、一番重い荷物である竹を漬け込んだ樽の整理を終えた。竹は平成27(2015)年の6月に漬けたもので全部で9樽ほどか。孟宗竹が7樽、真竹が2樽。竹林においた4樽は雪の中、運ぶかどうか迷ったが、水をバケツに汲み出しなどして片付けた。冬だからこそできること。夏にやったら虫がついてしまうだろう。空気にふれることは避けたいが、昼でも道路の温度計は0℃をさしており、水を汲み出しても、蓋をしておけば問題ない。移動する場所は某所へ4つ、某所へ5つといったところか。水がそばにないと困る。春になったら洗い出して日干し、繊維の束になってしまえば、どこにでもおいておける。



 さて、驚いたのは、意外にもきれいだったこと。竹の中にいた発酵分解を行う微生物たちはうまく仕事をすると、3〜5ヶ月ほどで水を赤色に染める。3回ほどの春夏秋冬をくぐっているわけで、さまざまな腐朽菌も入り込んで、異臭を放っていることも想像されて気が重かったのだが、あれ、なんだというほどの拍子抜け。濁りの多寡はあるが、概ね黒や茶にはなっていない。水の中に浸かっており空気にふれていないことが大きいのかもしれない。
 黒ずみがあったのは下の写真のように横においたのではなく縦においた樽のもの。水の蒸発によって竹が水面から出てしまっていたのだ。竹の切口部分が黒ずんでいたし、他のものより臭くて濁っていた。他の樽ではワインかと思う透明な色のものもあったのだが、こいつはしいて言えば葡萄ネクター。
 また、3年仕込みともいえるものにもかかわらず、半年経過した段階から竹の状態すなわち繊維束のほぐれ具合は変わっていないようだ。1年半前くらいにいくつかの樽は様子をみたり、水を追加したりしていたが、それ以降はまったく見ていない。ものによっては3年開かずにいたものもある。どれがどれだかは記憶にないが。
 さて、引っ越しがおわれば、春が来る前にもうひとつふたつみっつと準備をすすめていく。ほんとやることは盛りだくさんだが、漉いた竹紙で本をつくるという、3年前にはそこまで思ってもみなかったことが近づいてきた。零下の吹雪さえもが苦にはならないほどに愉快になるわけだ。


注記:ワインのような液体の中にあったのを水洗してこの状態。気温0℃で匂わないせいか美味しそうですらある。

2018年12月26日

タカキビ餅の仕込み〜平成30年12月

 我が家の年取り餅に使うタカキビの仕込みは夜なべ仕事。トーミで選別すれば早いのだが、いかんせん雨が続いて出番待ちする間にせっぱつまってしまったのだ。ゆえに夜なべ。昼に小さな土間の勝手で脱穀をはじめた。先ごろ手に入れた足踏み脱穀機でやってみたかった。これも雨のせいにしておく。
 風選は夜。勝手口のドアをあけ、ボウルに小分けしたキビを暗闇に向かってふーふー吹き、殻やゴミをとっていく。
 最初のうち、脱ぷ(殻をとること)は、すりこぎでやっていた。これも先ごろ購入した循環式精米機の出番のはずなのだが、こちらはまだ一度も試運転していないので、せっぱつまった状況では使えない。で、1合ほどを進めたところで、家庭用精米機を使うことにした。以前使ったときには、粒がくだけてしまい、大変歩留まりが悪く、もったないことになった。すりこぎを使うのは「もったいない」からだが、もちに使うぶんにはよいのではと考え直した次第。
 結果、コツのようなものを会得できた。
 くだける手前でとめる。そんな当たり前のことなのだが、見ていて、荒かった殻の粒子がすーっと細かくなるポイントでとめる。忘れてしまいそう。だから、こうやって書き留めるのだ。
 あの感じ、忘れぬよう。

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 さて、搗く日は30日の午前。1週間は水につけておかねばならぬと自分でも書いていたのだが(タカキビ餅のぜんざい)、はや4日しかない。ま、いろいろ考えてやる。
 畑もちを搗く〜その2
 では、出来上がったときにまた。
 

三所の家を片付けながら

 4年ほどになろうか、借りていた家を片付けている。片付けという「作業」は頭で考える限り、後ろ向きなものだ。生産性はない。後始末ともいうだろうし、撤退という意味ではやりたくない仕事の筆頭にあがってくるものだ。実際、軽トラで向かう道中、冬の寒さと空の暗さもあいまって気は重い。
 が、しかし、やりはじめると、これはこれでのってくるものでもある。
 掃除、整理、処分、廃棄。たたむ、はく、切る、水を汲む、捨てる。……などなど。
 今日は、いちばん気が重かった屋根の補修(応急処置)をした。もう1〜2年早くやっていればと思う。ま、この冬をしのげればいいと思えばこその応急処置であって、だからできたのだとも考える。
 というわけで教訓。
 まずはやりたくないことから手をつければいい。できそうになければ、できる範囲でけりをつけておくべし。
 このブログも、canpanにおいたまま、当面続けることにした。
 出版も、次の1年も、焼畑も、調査も、みんな、そんなものなのだろう。
 
 2017年(平成29年)1月6日の「三所の家」。あぁ、年明けても脱穀をしていたのだな2年前も。今年もこうなりそう。場所は変わるけど。
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 2015年(平成27年)5月の「三所の家」。きれいに見えるのは気のせいか。
 トタン部分はここから3年でずいぶんと劣化した。この年に応急処置的にペンキを塗っていればよかったのかも、しらん。
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 そう、木次の家もそうであって、少しへこんできたなあというときに応急処置的に手を打っておけばずいぶんと助かるものなのだ。春から手がけるべし。

posted by 面代真樹 at 00:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々