昭和2年生まれが昇天 [2018年08月31日(Fri)]
お早う御座います。 曇り空の早朝、5時数分過ぎに 医院で昭和2年生まれの方の看取りがあった。 「サービス付き高齢者向け住宅」に統一される前の、 平成21年8月に「オリーブコート新町」は開所した。 友人の弘前大学医学部元教授夫人とお嬢さんを伴って、 「終の住処の候補として拝見」 と、オープン間もないある日3人が私を訪問。 結婚とほぼ同時に家を建てた当時から 私たち家族を見守って関心を寄せてくださっていた 独身女教師の方だった。 「家売って、最後まで観てもらうんだから」 と、住処を売り「オリーブコート新町」に入居。 教師達や教え子達との交流が華やかで、 入居者の女性軍とも結構つるんで外食に出歩いていた。 しかし、ある日彼女の胸を見せられた師長は、 「その胸だば、ちゃんと外科さ診てもらって」 とアドバイス。 やっと重い腰を上げ受診、手術と相成り 退院後戻る計画だったが、 何故か退院後の療養生活を元の主治医先入院室に。 風の便りで結構元気に過ごしている事を聴いていた。 あれから5年は経った。 再発の兆候を密かに感じたのか、 偶然、街で出会った。 元主治医の入院室に入院中だったが、 「今度、遊びに行くから」 と、笑って別れたが、 「最後頼むね」の挨拶とともに サ住高、ショート、クリニック付きの 複合施設「オリーブコート城西一丁目」に入居。 最後の最後までそこで時にショート、「訪問看護共」を うまく利用しサ高住生活でそれなりに楽しんでいた。 彼女がそこをギブアップしたら入院でと、 担当ケアマネから家族本人の意志確認の上報告を受けていた。 最初から最後まで担当ケアマネが変わらなかったケース。 所属はオリーブ居宅介護支援事業所。 今、さっき、 午前7時数分に葬儀社の方と義弟さん、 そして私と看護婦の4人で二階から亡骸を階段で下ろした。 美しい方で、 戦争で青春を翻弄された世代の1人の最後を看取る「縁」に深く感謝する。 そして、敗戦の悲しくも安堵の8月の最後の日に逝った事に、 私は密かに約束を果たしたような安堵感がある。 へば、本日は私は臨時休暇を取る悪しからず。 |
Posted by
石澤育子
at 06:34