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まちづくりという仕事 [2014年12月17日(Wed)]
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生  活  芸  述
行為そのものではなく、その結果に至る  
プロセスや物語の重なりがまちを形成していく
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きっかけは僕が持って行った祭りのチラシだった。そのお店の主人もお祭りが好き、という話から女将さんとの会話が弾んだ。


 「私は、あの人が小さいころそうだったように、子どもたちがこのまちでワクワクしたり、祭りのたびに特別な気分を味わったり、そういうのを遺したいだけなんです。そうすれば普通の子が育つのにねえ。」


 僕がまちづくりの勉強を始めた今から15年ほど前には、まちづくりという仕事は日本にはなかった。今、僕は「まちづくり」を仕事にしているが、それは幸運のようでいて、心の底では本当は必要のない仕事ではないか、という思いが渦巻いている。もともと、そんな仕事はなかったのだ。


 まちに暮らす一人ひとりが、当たり前のように、祭りとなれば仕事や学校を休み参加する、地域の子どもたちに目を配る。どこの誰だか知っている。叱る。問題が起きたら話し合うまちに暮らす一人ひとりが、まちを営むために、当たり前のように参加する。そんな当たり前なことが立ち行かなくなくなったとき、まちづくりという仕事が生まれた。


 中町に「ショッピングセンター アロー」というスーパーがある。スーパーと言っても、八百屋、酒屋、肉屋、魚屋など、それぞれの店が独立しており、別個に会計をする今となっては珍しい形態をのこしている。「商品を買う」という点では、コンビニやショッピング・センターと変わらないが、買い物の質がまるで違う。どちらが高級とか安いとかそういう話ではない。アローは「雑談」の風景にあふれている。常連さんに比べれば、デビューも遅く、頻度も低い僕ですら、「お兄ちゃん、今日はなにするの?」と会話に巻き込まれ、瞬く間にその日の献立がつまびらかにされ、隣のおばちゃんのおすすめも加わり、買い物かごが埋まっていく。ここでは、商品のやり取りを通じて、「物語」が生まれる。


 コンビニやショッピング・センターのレジでは、こんなやり取りが交わされることはない。これらは「商品を買う」という機能に最適化された空間を提供してくれるが、物語は生まない。
 こうしたコミュニケーションを疎ましく思う人もいるだろう。品揃え、価格、いずれにしても大型ショッピング・センターやインターネット通販にはかなわない。しかし、僕はそうした商品の多様性が増えるのと引き換えに、まちの多様性が失われていくことが残念でならない。
ちから物語が消えたとき、まちのことを語りたい人がいなくなったとき、そのまちは誰にとっても大切なまちではなくなってしまう。


 まちづくりという仕事に存在意義があるとすると、物語を生むまちの多様性を守り、育むことなのかもしれない。

(「A」 Litaracy vol.57より)
Posted by 広報担当@りた at 11:25 | 生活芸述 | この記事のURL | コメント(0)
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