お祭りとくれば綿菓子である。これがなければ祭りではない。綿菓子を買わなかったことは一度もない。これに金魚すくいが加われば完璧である。
昨夜のお祭りでもマキノスケはお土産に綿菓子を買ってきた。綿菓子をつまんで口の中に入れる。さっと溶けて甘みだけが口に残る。つまんだ指が砂糖でベタベタしてくるので、指を舐めてはまた綿菓子をつまむ。いつのまにか口のまわりもベタベタしてくる。
僕の母は宮崎県と県境を接する大分県の山村で育った。子ども達の夏一番の楽しみは村の鎮守様のお祭りである。昭和10年くらいの話だろう。母は姉妹、兄弟と一緒に浴衣をきてお祭りに出かけた。七人兄弟のほぼ真ん中だがその日は長兄も親も一緒ではなく、年齢の近い者だけだったそうだ。
子ども達の手には、縁日で一品だけ買い物ができる額のおこづかいがあった。一品しか買えないのだから皆真剣である。欲しいものと所持金とのにらめっこが続く。あれとこれとどっちにしよう? 本当はこっちが欲しいけど高くて買えない・・・。いつか子ども達はバラバラになっていた。
母は綿菓子を買った。おじさんが機械にザラメをひとすくいいれると、雲のような綿菓子が浮いてくる。おじさんは上手にそれを割り箸に巻きつけていく。手品のようだ。「はい、出来た。落とさなんでね」後に列が出来ている。機械の周りにはうっとりと、または興味深げに綿菓子の出来上がる工程を見る人だかりも出来ていた。急いで人ごみから抜け出そう。
落とさないように、周囲の人たちに綿菓子が触らないように注意して人の輪から出た途端、母は転んでしまった。慌てて起き上がったが真っ白だった綿菓子は砂だらけ、泥だらけになっていた。まだ一口も食べていない。悲しくて泣き出してしまった。
リンゴ飴を食べ終わった2歳年上の姉が泣いている妹を見つけてとんできた。「あ〜ぁ、しょわない、しょわない。よごれたんは周りだけや。きれいにすれば食べれるけん泣かんでいいが。」しゃくりあげながら泣き続ける妹の手を引いた姉は井戸に連れてゆき、水の流れる樋の下に汚れた綿飴をかざして立たせ、渾身の力で釣る瓶を押した。
勢いよく水が流れた。一瞬の出来事だった。手には一本の割り箸だけが残った。綿菓子の痕跡すらなかった。残った1本の割り箸を呆然とみつめる姉妹。母の目には涙はなかったそうだ。
母の33回忌法要の時に聞いたはなしである。みんな大笑いした。「むげねぇ〜のぉ(かわいそうだねぇ〜)」。目に涙を溜めて大笑いした。「そんときの昭ちゃんの気持ちは今の子供たちにはわかんよね。」と我が家の娘二人の顔を見ながら叔母がポツリと言った。「分からん方が幸せなんよ・・・」泣きじゃくる妹の世話をした姉である。
綿菓子を食べるときこの母のエピソードを思い出す。綿菓子を普通に食べれる幸せを、親として子ども達に伝えていきたい。