• もっと見る

街がシアター 街がミュージアム

ワクワク・ドキドキする感動を街の中でいっぱいしたい。
大人がいきいき、楽しく遊べる街が好き。
思ったことを自分らしくそんなブログです。


プロフィール

おいちゃんさんの画像
おいちゃん
プロフィール
ブログ
<< 2007年04月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
最新記事
最新コメント
高松宮記念 2011
ワックス清掃 (03/19) クロ
盛岡を離れます (12/10) やま
盛岡を離れます (12/10) やま
老舗の居酒屋 (12/09) ほうかごゆうこ
佐賀に来てます (10/17) はなみずき
山の中のお月見 (09/23) チャビン
増殖中! (08/27) チャビン
『僕僕先生』 仁木英之(新潮文庫) (06/24) jin
伊勢海老! (02/23) ナニワ生まれの西都人
日本の古典文学 (02/23)
リンク集
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
最新トラックバック
https://blog.canpan.info/oichan/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/oichan/index2_0.xml
Google

Web全体
このブログの中
世の中連休なのに・・・ [2007年04月30日(Mon)]
 世の中は行楽三昧かのんびり自宅で英気を養っているのにおいちゃんはジタバタしている。

 今日はMAMA(宮崎アート&ミュージック協会)の例会でついさっきまで打ち合わせ。一昨年まではわりとユッタリしたGWだったのに・・・。

 まず、6月に行なう100ゴールド・フィンガーズ・コンサート」の準備。宮崎のお客様は出足が悪い。チケットも予定枚数に到達していないため、仲間の志気を高めて、今後の活動について話し合った。

 もう1点、「宮崎には音楽の流れる季節がある」と、昨年から始まった『宮崎ストリート音楽祭』。MAMAも積極的に参画します。

 当日はメインの橘通りを歩行者天国にして、1日中生演奏が聞かれます。ジャンルはクラッシックかポピュラー、民俗音楽に吹奏楽と盛り沢山。

 特に世界的な名指揮者シャルル・デュトアがストリートで指揮を振ります。
夜の植物園 [2007年04月28日(Sat)]
ジャズ・キャンドル ナイト!
人工の照明は一切消して、月明かりとキャンドルの中で、アコースティックな音と花の香りのコラボです。
青島亜熱帯植物園 [2007年04月28日(Sat)]
やっぱ青島でナイト
宮崎市の青島地区の活性化を支援するイベントを支援するのに、文化本舗の代表と副代表が来てます。
チェロライブ [2007年04月24日(Tue)]
吉川よしひろさんのソロによるチェロコンサートが町ン中の使われなくなったビルで行われてます。
仕掛け人は美容師とイタリア料理のシェフ。
料理とワインとチェロの夕べ。
町は楽しくなくちゃね。
只今引越し準備中 [2007年04月22日(Sun)]
はっきり言ってヘロヘロ状態。

 今月中に自宅を引っ越す予定なんだけれど、2軒分の引越し準備中。
親父から相続した土地を売却して、中古住宅を購入予定だけど、これって本当にパワーが居る。税金もバカ高い。今度の引越しで赤字も出そうで頭痛もひどくなった。

 今日やっと1軒分の目処がついて、今夜から今住んでる家の引越し準備が待っている。ガラクタは処分するとして(処分するにも費用がかかる・・・)本やレコードの整理も大変!!
頭が痛いきょうこの頃です。困った
支援センターのアフター7 [2007年04月20日(Fri)]
 
宮崎県NPO活動支援センターの開設時間は業務委託上は
10:00〜18:00となっている。開設時間を過ぎると事務所のドアに「CLOSED」の札をさげる(時もある)。

ところが19時以降の客が結構多い。札にはちゃんと「Sorry come again」とちゃんと書いてあるにも関わらずドカドカやって来る。中には「CLOSED になってましたよ」などと教えてくれる輩までいる。「アホか! 閉めたんだよ」と言うと、不思議そうな顔をして「だって居るじゃないですか」などと平気である。こんな奴と議論しても無駄なので「今日はなんなんだよ?」みたいな会話が始まる。

大体NPO関係者は本業の後の活動も多く、アフター5以降の動きが活発な部分もあるので仕方がないが結構千客万来である。顔見知りの人間がほとんどなのだが、打ち合わせや意見交換という雑談などなどである。オフレコの話も多い。話題も多岐に亘るので結構面白い。

一昨日は行政マンの来客をかぎつけて、ヘロヘロ石田とダニッ子野崎がやってきた。手にはマイ・カップを持参である。コーヒーを淹れろという意思表示らしい。

二人とも英語は結構話せるのだが、文字は読めないらしい・・・。
長崎市長銃撃事件 [2007年04月19日(Thu)]
 前回のブログを書いた4月17日の夜に、長崎市の伊藤市長が銃撃され帰らぬ人となった。心から哀悼の意を表したい。

 長崎市では平成2年に本島市長が銃撃された事件が起きており、二代続けて市長が拳銃で撃たれるという悲劇に襲われたことになる。

 以前には日本は「世界で最も安全な国」と言われていた。それが一夜に2件の銃による殺傷事件が発生してしまった。一件は「平和宣言都市・長崎」で起こったことである。
 
 幸いなことに僕は銃に触ったことも、銃口の前に立ったこともない。だから実感としての恐怖感はないのかもしれない。しかし「銃」の持つ暴力性は感じた事がある。

 前回のブログでちょっと触れたが、4年前の県知事選の公開討論会は事務局長で現場責任者だった。導線のチェックから警備体制など何度も打ち合わせを行なっていたのだが、当日には警備担当のボランティアや警察関係者と最終打ち合わせを行なった。役割分担のチェックや突発事項の対応など入念に話し合っている時に、誰かが「大変な事に首をつっこんだなぁ」とつぶやいた。即座に担当の警部が「本当に大変なことなんですよ」と低く厳しい声で言った。その一言で全員に緊張が走った。

 討論会は警察の万全の警備で何事もなく、成功裡に終わった。しかし警備担当の人間はクタクタだった。開場後は多分一人も緊張の糸は緩めなかったと思う。警察関係者以外は誰一人として、「銃」には無縁の人間である。それでも銃→暴力→殺傷の連鎖に緊張を解くことは出来なかった。

 日常の中に忍び込む暴力の影に無関心でいてはならない。立て続けに起こる不幸な事件(イラクの最大規模のテロも含めて)はもはや対岸の火事では済まされなくなっていることを僕らに告げている。

 今こそ僕達は「平和」の意味に正面から向き合わなければならない。そうでなければ、僕達は安心で平和な日本を次の世代に渡すことが出来なくなるのではないだろうか。
バージニア銃乱射事件 [2007年04月17日(Tue)]
 またもやアメリカで銃の乱射による惨劇が繰り返された。バージニア工科大学の構内で32人の学生が犠牲になった。詳細はまだわかってないが犠牲者の数は増えそうな状況である。

 宮崎市はバージニア市と姉妹都市提携を行なっており、相互訪問を行なっている。昨年はGSAマグネットスクールの高校生約20人が来県し、ホームステイしながら地元の高校生と交流をし、最終日には素晴らしい歌と踊りの公演を開催した。
 ミュージカルナンバーをメインにしたレビュー形式のショーだったがそこには夢と希望の国「アメリカ」の姿が(公演後の楽屋では、かつて経験したことのないゴミの山が出現しており、消費社会アメリカも感じたが)感動とともに再現された。そのバージニアで起こった惨劇にアメリカ社会の明と暗の落差を見せ付けられた思いがする。
 

 1999年のコロンバイン高校銃乱射事件を題材にした、マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画『ボーリング・フォー・コロンバイン』という作品を見た人は多いと思う。監督は、カメラをかついで突撃取材を繰り返し米国銃社会の問題を探るべくカメラを回し続ける。
 事件の犯人である高校生2人が銃弾を購入したスーパー、Kマートに、事件の被害者と共に出向き、銃弾販売をやめることを承諾させる。
 また、一方では事件の直後に同じ土地で銃擁護の演説大会を開催した「全米ライフル協会」にも取材をし、会長の俳優チャールトン・ヘストンの自宅を訪問し謝罪を要求する。

 まさに銃社会アメリカの実態が浮き彫りになっているので、見てない方は是非1度見て欲しい。

 4年前の県知事選挙で公開討論会を開催した折に、警察の現場担当責任者と何度も打ち合わせを行なった。警備体制の打ち合わせだったが「銃が持ち込まれる可能性が非常に高い」とか「ヒットマンが潜り込む事が懸念される」などという会話がなされた。実際はもっと生々しく緊張した打ち合わせが続いたのだが、正直ここは日本でしかも宮崎なんだろうか?という感想を強く持ったものである。

 銃は人を殺傷する道具である。日本では強い銃規制が行なわれているが、それでも上記の会話がなされた。また、学校での凶悪な事件も発生している。今度の事件を遠くはなれた国での出来事と片付けてはならないと思う。
開館3周年パーティー [2007年04月15日(Sun)]
西都原の考古博物館の三周年のパーティーが、巨大古墳群の横で開かれてます。
親ばかの話 [2007年04月10日(Tue)]
 下の娘が高校生になった。時のたつのは早いものである。そこで、初めて親ばかの話。

 子ども達が小さい頃はNPOなどという不規則な生活(勝手に自分がしてるだけなのだが)ではなく、児童福祉の仕事をしていて5時退社の実に健康的な生活だった。自然があたたかく、家には音楽と絵本がある環境を考えた。

 相当数のレコードやCD(本当は僕の趣味のROCKやJAZZが8割を占めるのだが)や本がある。聞かせたり、読ませたりという働きかけは一切しなかった。ただ音楽は流れていて、本は本棚にきちんとあるだけである。

 本当はキャッチボールがしたかったのだけれど、上の子が幼稚園時代にあきらめた。代わりに決めたことは、子どもが寝る時に絵本の読みきかせをすることだった。毎晩3冊の絵本を選んで持ってくる。この習慣は小学校に入学するまで続けた。子どもは5歳の年齢差があるのでほぼ10年である。

 今でも多分1000冊くらいの絵本はあるだろう。だからといって二人が読書家や音楽家に育っているわけではない。二人ともどちらかといえば体育会系である。おまけに国語と音楽の成績は並みである。

 でも、二人ともたまぁ〜〜にだけど絵本を読んでいる。時々BEATLESやボサノバ(ボブ・ディランや渋いブルースが僕のCDラックから消えたことはない)のCDが子ども部屋から聞こえてくる。まあこんなもんかなと思う。
| 次へ