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受講者の血圧をも上げてしまうNPO講座 [2007年03月31日(Sat)]
まず、お断りしておかなければならないが、大事に至らなかったからの投稿です。

 宮崎県NPO活動支援センターは年間を通して、「NPO講座」と主に行政職員向けと題して(実際は行政・NPO関係者混在の講座)「協働」講座を開催しているが、3月23日に今年度の最後の講座として協働講座を開催しました。

 (ここから文章はレポート調に微妙に変化する)
 講師はかの有名な「NPOの伝道師=川北秀人」氏である。振り返れば今回の講座は予期せぬ出来事が並んでいた。前兆はあったのである。

 まず、何故こんな年度末の忙しい時期に講座を設定したのか?
 当初の予定では「協働調査報告会」を兼ねて開催し、合わせて県庁職員や自治体職員に対して宮崎県の「協働後進県」を認知してもらおうという趣旨。ついでに前日22日が県職員の異動の発表なので、新体制への橋頭堡を確保したいとの狙いもあり、夜にはNPO側だけを集めた来年度に向けた作戦会議もやろうという企画だったんですね。これが。

 行政職員にも真面目に前向きに仕事を捉えている人は多いんですね。ところが、枠の中で仕事をする事に慣れすぎたりして、3年後・5年後を考えられない事が多い。少なくとも口には出さない輩が多いんですよ。異動周期との関係かも知れない。

 異動によって、色んな市民と向き合うことになるが、ニーズは1つではない。例えば環境問題の部署から企業誘致や開発の部署に異動するかもしれない。そうすると当然市民のニーズは違う形で突きつけられる。その部署での仕事をこなすので、大きな意味での見方が出来ても口に出せない。もっと言えば「公共」という視点がニーズに押し切られ、抜け落ちる。

 そんな仕事で頑張る行政マンにNPO側からも企画とかいう手法で側面援助が出来るのじゃないか? 「講座に出席した部署に対する企画の練り上げを検討しよう!!」的な発想だったのです。そこには当然NPOのミッションの具現化が底流にはあるんだけどね。

 ところが、「協働調査報告会」が今年は無くなり、しかも川北氏の超多忙も重なって、夜の戦略会議がなくなったんですね。ここで講座の組み立てを変えなければならなくなった。
講座とは関係ない話であるが、講座前日に「カルメン・マキのブルースLIVE」を企画しており、この場に音楽大好き河北氏を招待し、大いに盛り上がろうぜ!!的企画も流れてしまった。

こんな感じで微調整が続いたのだが、講座自体は上手くいっていた。いつものように川北流言葉のシャワーが会場を覆いつくし、講座の手ごたえが上がっていった。ところが、午前の部が終了し昼休み時間に異変が起こった。

宮崎市から高速で1時間くらいの自治体からの参加者が倒れてしまった。後でわかった話だが、この方最近仕事の心労や過労で体調を崩し気味であったそうだ。血圧も上がり、動悸、めまい、フラツキなど危険な兆候に見えた。応急処置用の薬は家に忘れて来ていて、普段家に居てすぐに動いて下さるらしい奥さんはインフルエンザで倒れていた。

午後からの講座をキャンセルし、自動車で主治医の病院に連れて帰るという職員(その自治体から3名が参加していた)を押しとどめ、まず安静にさせ、主治医に連絡をとってもらった。昼休みで看護婦の対応だけだったのを再度電話を入れて、医者と話をしてもらった。

トッチャン山本は電話をしまくっていた。まず、健康管理室の職員を呼び出し、医者の手配(県庁には週3日医者が勤務するらしい)をしていた。講座に参加中であった、県警から出向中の現役警部補T氏(地域安全安心担当で、青パトの運転手として何度もブログに登場)は患者さんに付き添い、優しく声をかけ安心させている。若手の担当者O氏は緊急を聞き付け、車椅子を持って駆けつけた。講座の参加者の一人が「温めると落ち着くかもしれません」熱いお茶の缶を買ってきてくれた。

患者さんの容態が少し落ち着いたところで、近くの病院まではS戸口氏が車椅子を押して搬送し、この後医者から診断書と連絡をいれてもらい総合病院に搬送した。当初は2〜3日の検査入院が必要かもという見立てだったが、その日の内に快復し夕方には家に戻られた。

参加者の安全を確認して後の懇親会では、「さすが川北秀人!!受講者の血圧までも上げてしまう渾身の講座」という話で盛り上がったが、結果的には会場で倒れてよかったよね〜。という話で落ち着いた。

講座の3日後、件の自治体の審議会に出席したのだが、会議の始まる前に元気な姿でおみえになった。「ご迷惑をおかけしましたが、おかげで助かりました。」と丁重にお礼を言われたが、県庁の生活・文化課の連携は見事だった。
『名人 志ん生、そして志ん朝』小林信彦(文春文庫) [2007年03月30日(Fri)]
「エ〜ッ、三度の飯よりも落語が好きと言う人がいらっしゃいますが、嘘を言っちゃいけませんですな。本当は皆んな飯、オマンマの方が好きなんです。落語を聴かないから死んだという人の話は聞いたことがない。飯を食わなけりゃ死んじゃいますからね。だから皆んなオマンマの方が好きなんです・・・。まぁ落語なんてそんなもんですからちょっとの間お付き合いを願います。」

 この枕を志ん朝で聞いたように記憶しているのだが、実ははっきりしない。前段のようないい加減な落語好きで、しかも宮崎に引っ込んでからは生の高座に接する機会もほとんどなくなってしまい、忘れたころ志ん生や可楽のCDを引っ張り出して「昔は良かった・・・」と相槌を打つ。まさにご隠居である。

 2001年10月、三代目古今亭志ん朝が死んだ時は信じられなかった。著者は「志ん朝の死によって、ぼくの老後の楽しみはみごとに失われた」と書いている。女優の水谷八重子は「きれいな江戸弁がなくなってしまった。江戸っ子として寂しい。もっと(江戸弁を)聴かせて欲しかった。」と語っていたが著者も江戸弁あっての「江戸落語」でありそれが滅んでしまったことを嘆いている。

 東京の下町生まれの人間として、自分の生い立ちと志ん朝・古今亭志ん生を軸に、東京落語の過去と現在を、自らの体験を織り交ぜて描いている。僕らが昭和の臭いのする町並みを見たときに感じる懐かしさを名人の話芸の上にみていたようだ。思えば贅沢な話である。
 
 江戸弁による江戸落語については何も語れないが、三代目古今亭志ん朝の生の高座を何度も見れたことは幸せだったとしみじみ思う。明るく、粋で、テンポがよく本当の名人だった。夏目漱石ではないが「三代目と同じ時代を生きたってことは幸せですよ」と改めて言いたい。
日本NPO学会でのパネル討論 [2007年03月29日(Thu)]


 3月17・18日に開催された、第9回日本NPO学会でのNPO法見直しに関するパネル討論に参加しました。現在内閣府でNPOの見直しに関する議論がすすめられています。

 実際にNPOの現場に居て、NPOの質的な向上が急務であると感じていますが、中間支援に携わり、事業系のNPO法人の役員として、パネラー参加してきました。

 今回のパネルは日本NPO学会と(特活)言論NPOと(特活)宮崎文化本舗の共催という形で行なわれました。議論の詳細が言論NPOのHPにアップされました。4回に分けてアップされる予定です。

 できるだけ当日の議論に忠実に編集し、白熱した議論の様子が伝わるように作られています。興味のある方は是非どうぞ。

 
大嫌い!!年度末 [2007年03月29日(Thu)]
 誰が何と言おうと年度末が嫌いです。
 
 事務処理はもっと嫌いです。領収書の精算やら、NPOハウスの家賃請求やら、入金状況のチャックやら・・・。

 普段遊び呆けてるのが悪い!!と指摘をされれば「ごもっとも・・・」と頭をたれます。

 一昨日、文化本舗の事務局次長の高妻様が支援センターにお見えになり、報告書用のデータ処理についてご教授いただきました。だいたいPCも大嫌いな小生は、平身低頭その神業のような処理技術に敬服し、いたく感動しつつ不細工にキー・ボードを叩いておりました。

 出来の悪い生徒に対する優越感とでも言うのでしょうか?高妻様の鼻の穴が心もち開き加減の頃を見計らって、思い出したような口調で「この前の講座の領収とか・・・」と口にしたとたん・・・。

 「センター長!!年度末ですからね、経理処理は明日までにお願いしますよ!!!!!
それと、NPOハウスの入金チェックとかもお願いしますね。このデータの処理は4月でもいいんだから、優先順位を間違わないでくださいね。」

 野郎!!見越していやがった・・・。

 優先順位がわかってたら、今こんなブログ書くか困った
ボランティア拒否宣言 《花田 えくぼ》 [2007年03月29日(Thu)]
 宮崎のNPOのリーダーの一人に永山昌彦という男がいる。
 障害者の自立支援を行なうNPO法人 障害者自立応援センターYAH!DOみやざき の理事長である。この男の事は後日紹介したいが、今日彼から素晴らしい詩を教えてもらったので紹介したい。

 作者は 花田 えくぼ さんという方だが、投稿された作品で作者が誰なのかわからないそうだ。

 20年くらい前に発表された詩で、今回おおさか行動する障害者応援センターの了解を得て、機関紙『すたこらさん』1986年10月号から引用させていただきます。転載希望の方がありましたら「おおさか行動する障害者応援センター」(電話:06−6357−5797)の了承を受けてください。

ボランティア拒否宣言 《花田 えくぼ》

それを言ったらオシマイと言う前に 一体私に何が始まっていたと言うの
何時だってオシマイの 向こうにしかハジマリは無い
その向こう側に 私は車椅子を漕(こ)ぎ出すのだ

ボランティアこそ 私の敵 私はボランティアの犬達を 拒否する

ボランティアの犬達は 私を優しく自滅させる
ボランティアの犬達は 私を巧(たくみ)に甘えさせる
ボランティアの犬達は アテにならぬものを頼らせる
ボランティアの犬達は 残された僅(わずか)かな筋力を弱らせる
ボランティアの犬達は 私をアクセサリーにして街を歩く
ボランティアの犬達は 車椅子の蔭で出来上がっている
ボランティアの犬達は 私を優しい青年達の結婚式を飾る哀れな道具にする
ボランティアの犬達は 私を 夏休みの宿題にする
ボランティアの犬達は 彼らの子供達に観察日記を書かせる
ボランティアの犬達は 私の我がままと頑(かたく)なを確かな権利であると主張さ
せる
ボランティアの犬達は ごう慢と無知をかけがえのない個性であると信じ込ませる
ボランティアの犬達は 非常識と非協調をたくましい行動だと煽りたてる
ボランティアの犬達は 文化住宅に解放区を作り自立の旗を掲げてたむろする
ボランティアの犬達は 私と社会の間に溝を掘り幻想の中に孤立させる

私はその犬達に尻尾を振った
私は彼らの巧みな優しさに飼い慣らされた
汚い手で顎(あご)をさすられた
私はもう彼らをいい気持ちにさせて上げない
今度その手が伸びてきたら
私は きっとその手に噛みついてやる

ごめんね 私の心のかわいそうな狼 少しの間 私はお前を忘れていた
誇り高い狼の顔で オシマイの向こう側に 車椅子を漕ぎ出すのだ


※おおさか行動する障害者応援センター
機関紙『すたこらさん』1986年10月号から引用
植木等さん [2007年03月27日(Tue)]
 同世代ではないけれど・・・

 俳優の植木等さんが亡くなった。

コミックバンドの草分けだった「クレージーキャッツ」のボーカルで、『スーダラ節』などを大ヒットさせ「無責任時代」という大きなムーブメントを作った人だが、この時代についてはほとんど記憶がない。

 ただ、コメディーは好きで、小林信彦さんの本など読んでいるうちに親近感を持ったのかも知れない。日本人の役者で最も好きな人は実は森繁久弥さんなのだが、コメディーをベースにした役者で森繁の呪縛の外にいたただ一人の役者が植木等じゃないかという指摘など、僕にとってはワクワクするほど面白かった。

 少年時代にテレビでクレージーの弟分である「ドリフターズ」とのバンド合戦(無論コント満載だったが)を見るのが大好きだったのは音楽好きだったからだろうが、「ギター弾けるんだ・・・」くらいの印象しかなかった。 それが後年、脇役として渋い演技をする植木等との落差を感じつつも大好きな役者になっていた。

 思えば谷啓や犬塚弘、安田伸など元クレージーの役者は(元バンドマンだからだろうか、動きにリズムがあるのだろう・・・)僕の大好きな俳優である。

 これといった思い入れがあるわけではないのだが、何故か妙に寂しいのは存在感が大きかったのかもしれない。
宮崎県の説明責任 [2007年03月26日(Mon)]
 宮崎県の長期総合計画は『元気みやざき創造計画』と題されて、平成17年3月に策定された。
計画の中身は「長期ビジョン」と「基本計画」で構成されている。「長期ビジョン」は平成26年度を目標年度とし、「基本計画」は平成17年度から21年度までの5年間としている。

 この長期総合計画は基本目標を実現するために「計画推進のための県民運動」を提唱しサポーター制度を実施したのだが、その必要性で

「行政が選択と集中の理念に基づいた効果的な施策の展開に努めるとともに、県民の皆さんが「元気のいいみやざきは自分たちで築く」という意識を持って、主体的に活動することが必要です。このような県民との協働による基本目標の実現に向けた取り組みの中心的なものとして、県民運動を展開することにより、今まで以上に緊密なパートナーシップを確立し、新しい宮崎づくりの大きな力にしたいと考えます」

と訴え、「元気みやざき県民運動」として展開をしていた。

 一方的に何の説明もなく3万人(「健康みやざき推進運動」「環境みやざき推進運動」「地域みまもり推進運動」の3本柱で各サポーターが1万人)の参加者を募集していたのだが、突然昨日の宮崎日日新聞に「元気みやざき県民運動」終了の告知だけが掲載された。

 もともとこの運動に懐疑的というよりは、はっきり反対だった僕は運動終了には大賛成である。
 県が一方的に制定したサポーター制度で署名を集め、どこに有効性や実効性があるのか全然わからないポーズだけの運動はやめたほうが良いと思う。どこが「協働」なのかとも思う。
 しかし、現実にはマスコットキャラクターなど制作され、TV−CMなども放映され、チラシも多量に配布され○千万円が投入されたのではないだろうか。

 もともと反対意見も多かった運動だが、実際に巨額の金が投入されたのは事実である。それを県の告知の一番隅に掲載だけで済まされるのだろうか。
 逮捕された知事の肝いりで行なわれ、有効性等にクエスチョンマークの付く運動だけに、新知事の誕生を機にお蔵入りさせた担当者の意図はわかるのだが、相当数の署名もあったと聞いている。その人たちに「終わったよ。」だけで良いのだろうか?
 繰り返すが、この県民運動告知には巨額の金が投入されたはずである。それの終了に対しての説明が一切行なわれないのは県民を愚弄しているととられてもしかたがないだろう。

廃止したこと事態には文句がないどころか英断と評価したい。批判されるべきは「説明責任」に対する宮崎県の姿勢である。
幸せな夜 [2007年03月22日(Thu)]
 カルメンマキのライブからやっとご帰還。

 ステージがはねて、スッタフとの打ち上げから戻ってきた。マキさんの隣に座っての打ち上げだった。僕の左隣には映画監督の花堂監督が座り、「なんか面白いことやろうよ」的な話をしていたのだが、監督が「せっかくマキさんの隣に座ったんだからなんか話せよ。昔からのファンなんだろ。」と水を向けてきた。

 「正直言うと、俺のカルメンマキって、ロックのころのカルメンマキでそれから今日までの活動って全然知らないから話にくいんだよね。昔のことばかり言われたらあまりいい気分じゃないでしょ。ましてスタッフなんだからさ・・・」

 「それはあるなァ〜。立場がなぁ・・・。でもさ、仁義こころえてるじゃん」

 でも、なんか話がしたいなァ〜と思っていると、今夜の音楽の女神は文学の方から水を向けてくれた。オフには本を読んでることが多いそうだが、チャールズ・ブコウスキーが大好きだそうで、そこから話が始まった。

 「アンコールのバーフライはブコウスキーから採ったんですか?」と会話が回りだし、「酒や女やギャンブルでとんでもない男だったんだけど、死ぬ直前まで現役で作品を残したんだよね。普通そんな天才は若くして死ぬかダメになっちゃうんだけど、それってすごいよね・・・」などなど・・・。

 素晴らしい演奏を聴いて、作品つくりの裏話を聞き、サインをもらって、一緒に写真を撮って、高校時代に戻ったようなワクワクした夜だった。
カルメンマキLive [2007年03月22日(Thu)]
70年代のロック小僧にとって、カルメンマキの名は特別だった。
ロックを歌える日本人が少ない中、マキのスピリットは別格だった。
今、時代を生き延びたシンガーは本物のブルースを歌う。
文句なくカッコいい。
365日目 [2007年03月21日(Wed)]
 このブログ書き始めて今日が365日。
 
 日記なんて三日坊主どころか、1日書いて2日目から白紙が続くのが今までのパターン。よくぞ、書き続けた(途中休み休みだけど・・・)記事が300を超えている。我ながらたいしたもんだと自画自賛。

 でも、物好きかなんか知らないけど、見に来てくれている人がいる。心から感謝です。コメントも来る(仲間のとよさんなぞはブログには書き込まないで、携帯にメールしてくる)ありがたいですね。

 明日は1周年。「なんか気の利いた事書こう」・・・。

ダメダ!! 明日はカルメンマキのライブで、おまけに川北秀人氏も乱入するんだった・・・。
どうなることやら???
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