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ワクワク・ドキドキする感動を街の中でいっぱいしたい。
大人がいきいき、楽しく遊べる街が好き。
思ったことを自分らしくそんなブログです。


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書類の山 [2006年09月28日(Thu)]
 探していた書類が見つからず、手当たり次第机の周辺を引っ掻き回していたら書類の山になってしまった。身から出た錆です。

 探してた書類はあった場所にもともとあって良かったんだけれど、引っ張り出した書類や未整理が多くて途方に呉れてます。

 明日からきちんと整理しよう・・・。
イルカ大好き [2006年09月21日(Thu)]
 去り行く夏を惜しんでスキンを替えました。子どもの頃「わんぱくフリッパー」というTV番組がありましたが、その番組以来イルカと遊ぶのは僕の夢の1つになってます。(コリー犬も大好き)

 もう5年位前に、高知県の大方町にクジラを見に行きました。町づくりグループとの交流で行ったのですが、クジラウォッチングにも参加しました。

 クジラに出会う確立は高くないと言う話で「クジラを見れない時はどうするんですか?」と聞くと、「確実に見たい人は水族館に行けばいい。クジラウォッチングはクジラに出会う目的で海に出ること」という明確な返事が返ってきて納得しました。

 そうか、出会いの旅なんだとゆったりした気持ちで海に出ると、さっそくイルカの群れがお出迎えしてくれました。目に見える数は30頭位だったのですが、同数のイルカが海面下に居てそれが交代で顔を出して泳ぐので、実際は倍の数の群れだという説明でした。ほんとに手が届きそうな近くを泳いでくれて感動でした。

 イルカの競泳で満足していると、クジラも顔を見せてくれ、クジラはデカイ!!と感動。翌日は日焼けで大変だったけど、いつか一緒に泳ぎたい(金づちだけど・・・)とスイミングスクール入校を決意した僕でした(当然行かなかったけど)。

 
西都にお客さま [2006年09月21日(Thu)]
シーニックバィウエイの現地調査の昼食にお邪魔してます。おもてなしはNPOと地元婦人会が担当してます。
MAMA映画鑑賞会 [2006年09月19日(Tue)]
 おじさん・おばさん達に楽しいことを教えると碌なことはない。

 そもそも事の発端はMAMA会東京事務所長奥村氏の「ホテル、ルワンダが素晴らしい!!」とのメールから始まった。奥村氏はMAMAビジュアル部門の番頭兼丁稚で、ポスター等の制作を一手に引き受けていたのだが、よんどころのない事情で東京に単身赴任している。4畳半一間で膝っ子増を抱えているのを不憫に思った宮崎残留組は「MAMA会東京事務所長」というポストを与えて慰めたのだが、MAMAの心子知らずで遅れた青春を謳歌しているらしい。その証拠に小生は時々上京するのだが、まだ一度しか会ってない。

 この奥村メールはすぐに火を付けた。メンバーの2〜3人は内容を知っていたのだが「なんか楽しそうだ」と全員が集まって鑑賞会を行った。確かに内容は素晴らしかったのだが、重かった。少なくともワイワイ言いながら観る映画ではなかった。そこで、すぐに今度は楽しい映画、皆で笑える映画を観ようという事になり、その場で第二回「MAMA会番外編・映画鑑賞会」を9日に開くことが決定した。

 上映されたのは山中貞夫監督の1935年の作品 大河内伝次郎主演の『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』とティム・アレン、シガニー・ウィーバー主演の『ギャラクシークエスト』の豪華2本立て。なんせMAMAの事務局長は「宮崎キネマ館」の支配人石田である。映画にはうるさい。『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』はその立ち回りの見事さや軽さは必見である。必死になって探して見るべきと断言する作品で山中貞夫という監督がいかに天才だったかを知る一作である。『ギャラクシークエスト』は超傑作のB級作品である。脚本・パロディーがすごい。あの平成GAMERAの脚本家伊藤和典氏もうなった(本人が映画館から出てきた時に話をしたから間違いない)作品である。

 ウハウハ喜んだおじさん・おばさん達は早くも次回の企画を練っている
台風恐るべし [2006年09月18日(Mon)]
 台風13号は日本海を北上し日本本土からは遠ざかりつつあるが、各地に大きな被害をもたらしたことは報道から知っている方も多いだろう。宮崎の延岡市では竜巻によって電車が転覆してしまった。
 

 今回の台風は風が強かった。昨日は子どもの中学校の体育祭が予定されていて、朝一番で場所取り(応援及び昼食場所の確保)に行くつもりだったが、夜半からの激しい雨で延期の連絡が回ってきた。それでは久しぶりの休みだと二度寝をきめこんでウダウダしていると例によって石田から電話が入った。休みの日の石田からの電話が吉報だったことは一度も無い。こっちも「やった!! 宝くじが当たった」という報告ではないと思いつつ、つまらん用事でかけてきたのであればよいのだがと電話を取ると「NPOハウスの屋上でものすごい音がしたらしい。こっちは「ウルトラマン」の入れ込みで動けんからすぐに行ってくれんだろか?」という連絡であった。

 屋上には以前報告した太陽光発電用のソーラーパネルが平積みしてあったのだが、このパネルが2枚、3メートルくらい風で吹き飛ばされていた。風台風と言っても大したことはないとたかをくくっていたのだが・・・。多分瞬間的に突風が吹いたのだろうが台風恐るべしである。
すてきなプレゼント [2006年09月16日(Sat)]
 宮崎ジュニア・オーケストラ“みやざき・若人の風”コンサートに行って来た。
一番小さい子は少学3年生で小学生が5名。高校3年生の8名がジュニオケでのラストコンサート(来年以降も客演はあるだろうが)になるのだろう。小学生のバイオリニストが譜面から目をそらさず一生懸命弾いている姿が特に可愛かった。

 「セビリアの理髪師」序曲に始まり、ピアノ協奏曲をはさみモーツァルトの「ジュピター」、エルガー「威風堂々」。アンコールが「鉄腕アトム」という気持ちの良いプログラムだった。以前、中学生全国合唱コンクールの本選に行って、その演奏曲の選択のあまりのひどさ(絶対に中学生では詩の意味が理解できないと思われる曲が並び)に唖然としたことがあるのだが、難曲がならんではいるが好感の持てる演奏に仕上がっていた。

 アンコールの後、オケをまとめた高3生に花束の贈呈があったが、皆照れたような表情と大きな仕事をやり終えた清清しい達成感を感じることができて、いい時間を共有できたなぁと満足して会場を後にした。

 ほぼ1ヶ月前に今回のコンサートのチケットが届けられた。

 丁度1年位前に17歳の女子高生からアンケートのメールが届き、それに答えたのが縁で今日のコンサートに招待されたのだが、その彼女もラストコンサート。明日からは本格的な受験生生活が始まるが、曲を皆で作り上げるという貴重な体験は大きな財産になるだろう。来春の笑顔が待ち遠おしい。ありがとう。


         17歳からのアンケート
 
 夜分遅くにすみません。○○と申します。 今日は、インタビューを受けてくださり本当にありがとうございます。今回は国語の授業の 一環で 「17歳の頃」というものをしています。今、自分が一番関心のある人に17歳のころの話を聞き、逆に自分自身を振り返る貴重な、 そして新鮮な体験をしよう…
(少し長いですが)インタビューをしたいと思います。 
 
@17歳のころ(あまり記憶がなければ高校生時代でかまいません)どんな学生
  でしたか?  何か部活やサークル等(生徒会)に参加していましたか?
 そのときの学校の雰囲気やクラスでの自分(例えばムードメーカーだった…と
  か)など教えられる範囲でよいので聞かせてください。

 志望高校を落ちて、受験しなおそうと思っていた為、学校の勉強は全然せず(一度も家で勉強しなかった)小説ばかり読んでいた。その為当然成績が下がり、特別クラスから普通クラスに落とされ、ますます勉強しなかった。 
 物理の先生の「わからん奴はぐだぐだ喋ってると授業の邪魔になるので寝てろ!」という口癖に反発(僕に言ったのではない。ただ、そういう態度が気に食わなかった)し、一番前の席で1ケ月ずっと寝てた。(規律!例!着席!   「寝てろ!」  グゥ〜  起立! ありがとうございました 着席! 
 5月になって「寝てろ」とは言わなくなった。
 落ちこぼれクラスに対する見下した態度には徹底して逆らった。 
 
 倫理社会の先生から「君は白紙で出しても100点あげる」と冗談を言われた。ただし、本当にやりそうな事に気付いた彼はあわてて撤回した。(わざと設問から外れた回答を書いたら、「今度からやらないで下さいね。」と言って100点くれた。

 新聞部の部長さん。新聞のコラムにBEATLES礼賛の記事を書き、浮ついていると副校長に呼び出され、職員室で大喧嘩(教育者のくせに若者の気持ちを理解しようという気がない。固定観念だけで音楽や文化を語ろうとしている・・・)した。若手の先生からは絶賛された。

 多分人生で一年だけもてた年だった。

 3月にクラスの気が良い女の子(彼女ではない)と一緒に歩いて帰りながら、ふざけあって腕を組んだりしてじゃれあってた。(もちろん真っ暗)上記の副校長に見つかり怒鳴りつけられたが、「車の往来の邪魔だから一列で歩け!」と言って追い越して行った。我が校では停学要件であった。思えば良い先生だったのだろう。


Aその頃、将来の夢はありましたか?
 あれば…  その夢に向かって何か行動をおこしていましたか?
 
 詩人になりたかった。本に投稿して、活字になった。
 原民喜や谷川俊太郎、金子光晴、堀口大学などの詩や散文を筆写したりした。
 ただし、ランボーの「酔いどれ船」をすでに読んでいて、自分には詩人としての才能がないことも自覚しており、小説家にはなれるかなと思っていた。(この人たちの詩や散文は高校時代に1度読んで下さい)
 

Bその頃、夢中になれる趣味やものはありましたか?
 できれば、どういうきっかけでそれに興味を持ったのか教えてください。

 文学、ROCK、JAZZ、FOLK
 体がふるえた。(これでわからければ、自分をみつめなおすべし!)


Cその頃、両親と対立(喧嘩)したことはありますか?
 または、両親に助けられたことはありますか?

 親父は昔の番長で講道館の4段で本当に怖かった。母親は僕が物心ついた頃から病弱で入退院を繰り返し、すでに亡くなっていた。父親の子育てを見ていたので表面的には喧嘩したことはない。ただ、大きな反発はあった(父親は古典に造詣が深く、僕が現代文学に向かったのも、父が大きな山だったからで、乗り越えないと自分はないと思っていた)

 僕が今生きていること。


D今の17歳(私たち)にやっていてほしいことはありますか?
 できれば、あなたの職業柄を踏まえたコメントがほしいです。

 高校2年生の1年間ですか? 17歳の1年間ですか? 「セブンティーン」という雑誌がありました。15歳の僕はこの響きにあこがれてました。 大人でも子どもでもない時期で、きらきら輝いて見えました。
 「いちご白書」という映画があります。僕はこの映画を21歳で観ました。その時に心から悔しかったのは「17歳の時に観たかった」ということでした。主人
公はその時の僕とほぼ同年代です。ですから21歳で観たのは正しかったのですが、時代が違ってました。善悪は別です。警官を「権力の犬」「ブタ」と悪し様にののしれるのは60年代は20代前半だったのが、80年代では安保闘争も終結し、警官に向かって「権力の犬」「ブタ」と唾を吐きかけられない自分がいました。(多分わからないかもしれませんね)それが悔しかった。
 つまり、その年にやるべきことはその年にやったほうが良いということです。17歳の感動と40歳の感動は対象は同じでも質も方向も量も違います。どっちが良いとか、深い浅いなどという問題ではないのです。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」は17歳で読む本だろうと僕は思ってます。もう1度読み返そうと思ってます。でも最初に読む年齢は17歳かな・・・。
 
 NPOでは「ミッション」ということが最も大切です。でもその前に「ソーシャル・ジャステス」ということがなければひとりよがりになってしまいます。僕たちは「まちづくり」であれ、「文化」であれ、人がいて初めてできるものだという事を知ってます。もっとも大切なことは人つくりです。「自分つくり」。これは自分がやらなければ誰もやってくれません。また、一人ではできないことでもあります。

 鍛える道具は「勉強」でも「スポーツ」でも「文学」でもなんでも結構です。道具は手段でしかありません。「自分つくり」してください。

 僕が初めて聴いたJAZZは17歳で、ソニー・ロリンズという人の演奏でした。17歳で夢中になっていた詩人の一人は谷川俊太郎さんでした。初めての出会いからほぼ30年たって、僕はお二人と話をする機会がありました。多分僕は間違ってなかっただろうなと思ってます。
 
 
E最後に、私たちへメッセージをどうぞ!!

 感動できる自分でいてください。全てを受け入れないで下さい。良い子にならないでください。自分を大切にしてください。
そして心の水は決して枯らさないで下さい。

 自分の子どもをみても、17歳という年齢は非常に不安定で、まさに大人と子どもが同居しているのがわかる。
 17歳には親でないと伝えられない言葉がある。同時に親には伝えにくい言葉もあるように思う。素敵なお嬢さんだろう。久しぶりに楽しく、まじめに(本当は相当恥ずかしく)アンケートに取り組めた。
 この機会をくれた彼女に感謝。

 PS.彼女とはこの後2・3度会って話をした。ちょっとシャイな素敵なお嬢さんだった。



都城NPO講座 [2006年09月10日(Sun)]
都城市では4回の連続講座、開催中。
マネージメント・コーディネートが今日の主題。グループでイベントを企画してます。

都城市といえば宮崎県では第2の都市で、文化圏としては薩摩文化圏に近いものがあるように思います。自治会と公民館活動が同時平行的に活動し、市民活動は活発に行われているがNPO法人数は少ないのが特徴でした。

 現在「都城市市民公益活動推進計画」を策定中ですが、表題の中に「NPO」の文字も「協働」の文字も入っていません。ウェルネス・シティという看板(全国的にもこの取り組みは注目されてました)を降ろし、合併を機に新たなまちづくりに積極的に取り組もうという姿勢に好感を持っています。

 今回の講座にも若い人の参加が多く、新たな市民活動の息吹を感じています。
パラボラチョの木 [2006年09月09日(Sat)]
 宮崎亜熱帯植物園に来てます。
 日本名「トックリキワタ」。登ると血だらけになりそうな木である。事実、前にイベントで来た石田は知らずにこの木を触って血だらけ(本人の弁で、事実は手のひら3箇所を刺した程度だったらしい)になったそうだが、この棘はすごく硬かった。

自然休養村で川遊びをした後、近くに梅の名所があると聞き付け(当然この季節に花も実も無いのは解っているが)見に行きました。展望台もあり、日南海岸から青島が一望でき素晴らしいとの事で、山道を登ったのだが、ここで「子ども文化センター」が誇る女傑2名がリタイア。ヘロヘロフラフラになって山頂にたどり着いたときにはTシャツはびっしょりだった。うかつに石田の誘い(「川遊びをして
近くの梅林を散歩して、いい汗をかいたら温泉で一休み。乗らん?」)に乗った自分を悔やんだが後の祭りだった。石田は別名トラブル・アーティスト石田と自称している。

 あまりにヘロヘロ度が高かったので、近くの植物園自慢の100%果実ジュースを飲みにやってきた。ここで最初の話にたどり着いた。

 パイナップルジュースは絶品です。パパイアやマンゴージュースはジュースというよりはシェイクのような濃密さでやみつきになりそうだったことを報告しておきます。
30年前のこども達 [2006年09月09日(Sat)]
水中目がねや魚突きの銛の代わりにタバコや日傘を持ってますが、気分は小学生。石田はパンツまでぐっちょり。
のどかな川遊び [2006年09月09日(Sat)]
文化本舗代表の石田と綾の森の会の野崎が川遊びをしてます。
場所は青島自然休養村。温泉もあります。こども文化センターの代表も合流して、怪しげな密談が始まります。

はぜやめだかなどがたくさん泳いでいて、とっても気持ちよい川です。
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