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ワクワク・ドキドキする感動を街の中でいっぱいしたい。
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お疲れモード [2006年08月31日(Thu)]
 なんかバタバタしている。いつものことだけど・・・。忙しいのとはちょっと違う気がする。追われているが正しいかもしれない。

 28日には『家の鍵』という映画の試写会を行った。僕はただ映画を見ただけなんだけど、スケジュールに組み込まれていた。障害を持つ子と父親の心の交流を描いた映画で、人と人が向き合うことを正面から取り上げ、丁寧に描いているだけだけれど、障害という現実を重ねることでよりピュアーに人間関係を捉えている。
 
 試写会を行った背景は2つあった。1つには、素晴らしい映画なので一人でも多くの人に観て欲しいが、題材が重く地味なので行列が出来ることは期待薄である為、観客動員の為に福祉関係者の協力が欲しかった。2番目には買券の1部を団体にバックすることで、団体の資金調達の一助になればWIN WINの関係が出来るということだったが、福祉系NPOからの反応はほとんどなかった。反省点の残る試写会だった。

 29日にはフォーラムを開催した。これは後日報告。

 30日は夜に都城市で「市民交易活動推進計画」の策定委員会。

 そして今日は昼から「日向市総合計画」策定審議会。

 いろいろ考えさせられることがいっぱいの4日間で、少し立ち止まって総括しないといけないと思っている。よく走りながら考えるということをやっているが、成果や反省点を分析して明日に繋がないといけないと常に思うのだが・・・。
都城市NPOスキルアップ講座A [2006年08月27日(Sun)]
 都城市主催の「NPOスキルアップ講座A」を行った。

 4回の連続講座を行うが、参加者の呼びかけに以下の条件をつけた。
@出来るだけ4回連続で受講できること
A団体で複数人の参加が望ましい  

 前回の講座に3〜4年前はヤンチャしてたろうなと思える青年の参加があった。子育て支援をしていて法人化に取り組んでいるグループの一員だった。リーダーからは法人立上げについての相談を受けていた。諸々の話は聞いていたが社員予定者についての情報はは聞いてなかった。ただ、自分達の活動の方向性などについて話し合いを重ね、メンバーが問題意識を共有することの大切さなどを話し、講座があるので仲間を連れて参加するように誘っておいた。

 青年は、講座開始後しばらくは「俺、なんでここにおるんだろう?」という顔をしていた。態度はあきらかに引いていた。この青年をお客さんにしないということを念頭に置いて講座を進行させたのだが、次回の参加は微妙だなと思っていた。

 定刻とほぼ同時に「ちわっす」と言いながら可愛い奥さんを連れて会場に入ってきてくれた。
これから彼らが市民活動にどう関わってくれるのかはわからないが、少なくとも興味を持ってくれたことは確かだろう。市民活動のネットワークは仲間探し・仲間作りから始まる。今日の講座は若い人の参加が多かった。市民活動の種まきをしている実感を持たせてもらった1日だった。
万葉の散歩道 [2006年08月26日(Sat)]
 薩摩国分寺、国府跡の横を流れる小川に沿って散歩道が整備されてます。
 
 写真は大伴家持像だが、なんで家持なのかは分からない。バスが待機していて説明(解説書きがあったかも不明)を見るひまが無く、あわてて乗り込んだ。
薩摩国分寺跡A [2006年08月26日(Sat)]
タテ130M 横110M を整備した鹿児島はえらい。
はやくも秋の気配も感じる。古代の風は気持ちがいい。

歴史資料館とこの国分寺跡はほぼ100メートル。学芸員に案内をしていただいたが、さすがにガイドボランティア。するどい質問がいたるところでとんでいました。
薩摩国分寺跡 [2006年08月26日(Sat)]
 今日の研修のハイライト。薩摩国分寺跡です。
 ちなみに国分尼寺は発見されてません。
 
 薩摩の国分寺は日向の国分寺より後の造営です。当時の国分寺は中央の地方支配の最終段階にあたり、政治と宗教は不可分の関係になります。

 国分寺(特に塔)は当時としてはずば抜けて巨大で高い建築物で、雷による火災(避雷針などは当然ありません)などで焼失した例も多いそうです。

 今回の参加者は32名。中には以前に見学した時の説明のノートを持参しての参加など、皆非常に意欲的な取り組みをしています。
薩摩川内市にいます。 [2006年08月26日(Sat)]
西都原考古博物館ボランティアの研修で、川内歴史資料館にいます。
 西都で国分寺に関する企画展示「甍は輝いたか」をしている為、鹿児島まで足を伸ばしての研修です。企画展に展示中のユニークな鬼瓦(このブログでも以前に写真をアップしましたので、興味ある人は見てください)はここ川内歴史資料館の収蔵品をお借りしての展示です。
 
府中市からの視察 [2006年08月25日(Fri)]
昨日、東京都府中市の市民活動支援課のNPO担当者が視察にやってきた。

府中市では市民活動支援センターを公設で運営しており、民営への移行を検討しているが中間支援を担おうという団体が存在せず、宮崎の中間支援の実態を視察しに来たそうだ。なんで宮崎なんだ?という疑問は当然だけどここでは置いとく。

最初に宮崎市の市民活動支援センターを訪問しているので、お勉強はあちらにお願いした(無論、勝手に思っているだけだが)ような気分でゆったりしていた。しかし、敵は真面目な行政マン&ウーマン、「きっちり取材させていただきます」と意欲満々。タジタジである。宮崎県NPO活動支援センターは宮崎県からの委託事業なので、運営主体である宮崎文化本舗について説明し、何故中間支援を行っているのかなどの質問に答え、同時にみやざきNPOハウスの成り立ちとセンターの関係などについても話をした。要は支援センターはソフトが大切だという事を力説した。だって、この事務所は6畳一間の長縁付きという簡素さである。

概略説明を終えたところで、宮崎文化本舗代表の石田が綾から帰ってきた。汗だくヘロヘロ状態で昼飯も食べてないとボヤキ、ご挨拶だけなどと言いながら、出ているアイスコーヒーを横目でにらみ「ホットコーヒーも飲みたい」などとホザキながら、隣の「てるはの森の会(綾の森を世界遺産にする会)」事務局に去っていった。

 当然これで終わるはずがない。なにを食べたかは知らないが、腹ごしらえをした石田は別人である。全身に気がみなぎっている。わかりやすい。ここから4人の時間無制限デス・マッチ意見交換会(主に喋り捲ったのは2人だが)が始まった。これを後で聞いた文化本舗のスタッフがボソッと「災難でしたね・・・」

 意見交換終了間際「夕食を食べるでしょ。今夜うちの暑気払いの会をやるから合流しません?」と石田。「ちょっと待て。俺はそんな話聞いてないぞ!」「だから今言ったがね。さっき決まったから言う暇ないやん」「じゃあ俺は今夜はゲスト扱いというこっちゃね」という醜い諍いを挿んで他団体見学会に移行した。遠来のお客様には出来るだけ沢山のお土産を持って帰ってもらうことを信条にしている小生は、2人を連れてNPOハウスの入居団体事務所を急襲した。「アジア砒素ネットワーク」というNGOと「宮崎21高齢者福祉研究会」が、活動説明など気持ちよく対応してくれた。多謝。

 そんなこんなで、文化本舗スタッフ + 映画プロデューサー + 府中市市民活動支援課NPO担当係 + 石田の高校時代の同級生 =怒涛の懇親会で夜は更けて言った。
このままで良いのかNPO! [2006年08月23日(Wed)]
    NPO協働講座(フォーラム)

「それで良いのかNPO施策、このままで良いのかNPO!」  
    
     田中 弥生氏 (東京大学助教授)  
     工藤 泰志氏 (言論NPO代表 )  
     賀谷 秀幸氏 (中国電力)
     井上  優 :コーディネーター
     
     日時:8月29日(火)17:30〜19:30  宮崎県立図書館  (研修ホール)

 8月29日に上記のフォーラムを開催する。昨日・一昨日と上京し、参加するパネリストや10月に行われるNPO講座の講師と打ち合わせを行った。その席で話題になったのがNPO法人の成熟度である。今年度中に3万法人をこえると言われているNPO法人は、確実に量から質を問われる時代に入っている。自立支援法がらみで全国の小規模作業所の多くがNPO法人化を検討しているが、NPOを取り巻く社会状況は決して良好とは言えず、新たな公共の担い手に成長できるのか注目されているのが本当のところだろう。

 決して多くはないがNPO法人の内紛の相談が寄せられることがある。実は今の今までその手の相談に対応していた。

 詳細は書かないが「理事長の独断で経営や人事が決定されており、スタッフ間で不平が起こっている。善処するように申し入れたが、理事会も臨時総会も開かれない。理事長はヒステリーを起こし、世間に恥を晒した。一生懸命やっている。理事長を辞めるetc・・・」。では相談者側は定款にのっとって申し入れをしているかといえばそうではない。はっきり言えばどっちもどっちである。たまたま理事の一人が知人だったので、「理事会できちんと話し合って収拾してください。それも早急に行ったほうが良いですよ」と電話したが、そこにはマネージメントとガバナンスがないという事実だけがはっきりして暗澹たる思いが残った。「一生懸命やっている」は大切なことだが、お約束を守るという最低のルールは守られてない。

 以前にこのブログで(NPO)茨城ゴールデン・ゴールズのことを書いたが、そこには(少なくとも私に見える範囲では)法人の私物化と、少なくともNPO法人として組織が機能してないことだけが浮き彫りになった。これらの例は特例と思いたいが、NPO自身が自らの手で社会的信用を失墜させているとしか思えない。
『AFTER THE GOLD RUSH』 [2006年08月22日(Tue)]

ニール・ヤング:中学時代から最も好きなミュージシャンである。名作映画『いちご白書』もこの人の音楽がなかったらあれほどの作品にはなり得なかったと信じて疑っていない。青春期の揺れ動く、不安定な感情を表現するのにニール・ヤングの声を超えるものはない。この人の音楽がないと一日が終わらない時期もあった。思えば常に手の届く位置にこの人にレコードがあった。僕にとって1度は生のステージに接したいあこがれの人である。

 『AFTER THE GOLD RUSH』1970年発表の3rdアルバムである。CSN&Yとしての活動とソロ活動を平行して行っていた頃で24歳のニール・ヤングである。次の『HARVEST』とどっちが好きかという話がよくでていたが優劣の問題ではなく好きの度合いの問題だった。僕にとってはニールの作品で1番好きなアルバムという位置は多分変わらないだろう。

 ニール・ヤングの本質はロックスピリットの強いシンガーソングライターであると信じて疑わないように強く印象付けたのが、初期の作品群だった。「サザン・マン」のようなハードな曲も確かにニールの強烈な個性の一部で、現在の若手のロッカーがグランジ・ロックの神様と思っているのも、その長いレコーディングの歴史を見ればわかるのだが、このアフター・ザ・ゴールドラッシュに聞けるピアノやギターの弾き語りから聞こえてくりナイーブさこそ唯一無二の個性だと思う。この親父の音楽はその振幅がリミッターを超えると必ずアコースティック・アルバムに帰ってきた事実が証明していると思う。僕は、この作品では「やがて朝が・・・・」や「壊れた渡し船」のような小品のつぶやきに、永遠のロック少年の心を感じる。

 『AFTER THE GOLD RUSH』は36年前の今日(8月22日)発売された。
東京ブラブラ [2006年08月22日(Tue)]

南平台を歩いてます。マレーシアやフィリピン大使館がある簡素な住宅街。三木武夫の記念館をみつけちゃいました。
 中を覗いて見たかったけど、後一つ打ち合わせがあるので通過。残念。
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