NPO協働フォーラムin宮崎D(浅野編)
[2008年03月22日(Sat)]
民主主義の基本は住民というのが一番の基本。そこで何故「情報公開」なのかと言うと、〔何が行なわれているかを正確にわからなくて、住民が意見を言えますか?ということ〕だ!!と浅野氏は言い切りました。
そこで本題に入る前に広報と情報公開の差について一言、「広報とは見せたいものだけ公開する事で、情報公開は見せたくないものも含めて公開することであり、特に大事なのは、未来形・現在形じゃなくて過去形なんだ」という話がありました。また、情報公開の肝は、わかりやすく簡潔さにあるという指摘もありました。
当然だけど1000ページの報告書を出されて〔これに全て書かれてます〕と言われても困ってしまいますが、意外とこの手法は行政や大企業は乱用している気がします。
市民側にそのような報告書を読み解くスキルを要求されるのは事実でしょうが、わかりやすく簡潔な情報公開は行政の責務だと思います。
「情報公開」には2段階があり最初の段階は「逃げない、隠さない、動かさない」という姿勢が必要で、これがきちんと行なわれれば「問題意識の共有」という第2段階に行くという話しでした。つまり「情報公開」は問題意識を共有する為のツールという指摘ではなくて、「情報公開=問題意識の共有」だという断言はちょっとすごいですね。
最後にNPOです。
浅野氏は宮城県をNPOを花盛りの県にしようと思ったそうです。その心は〔NPOがいっぱいあって、元気だと宮城県も元気になる。とりあえずNPOが花盛りの県にしよう〕だったそうです。「内容を問わない。なんでもいいんだ。いっぱい作れ。日本一の人口10万人あたりのNPOの数、日本の一の県にしようということで、質より量でいきました。スタートダッシュ。あとはいいです。」
なんかなぁ〜と思いますが、これ特定非営利活動促進法(NPO法=この書き方をすると結構怒られますが)成立当初は自然な考え方でした。
そこで、NPOを今までの文脈で考えると、NPOは民主主義を体現する大きなツールであるという指摘です。市民が民主主義を体現できたと実感できるのは選挙とか、実は非常に少ない機会しかないのだが、NPOはそれを日常的に体現できるツールだという事です。
論は何故、NPOは行政から信用されないかという話から始まりました。NPOは行政のカウンターパート(対の片方。片われ。対照物)であり、これは本来はライバル(NPO側はそう考えないが)なのだから行政から嫌われるのは当たり前だという話です。
ここが「新しい公共」の担い手論とも重なるところだけれど、行政もNPOも等しく公益を担う活動をするのだが、その方法論が違う。また、過去圧倒的な財力や情報を武器に担ってきた行政の施策と違う視点からのアプローチはともすれば〔邪魔臭いまたは自分たちの仕事文化を否定する〕存在に見えるという事です。
そんな食わず嫌いな行政をNPO側がパートナーとして認知させるには時間も戦略も必要だという事でした。
そこで本題に入る前に広報と情報公開の差について一言、「広報とは見せたいものだけ公開する事で、情報公開は見せたくないものも含めて公開することであり、特に大事なのは、未来形・現在形じゃなくて過去形なんだ」という話がありました。また、情報公開の肝は、わかりやすく簡潔さにあるという指摘もありました。
当然だけど1000ページの報告書を出されて〔これに全て書かれてます〕と言われても困ってしまいますが、意外とこの手法は行政や大企業は乱用している気がします。
市民側にそのような報告書を読み解くスキルを要求されるのは事実でしょうが、わかりやすく簡潔な情報公開は行政の責務だと思います。
「情報公開」には2段階があり最初の段階は「逃げない、隠さない、動かさない」という姿勢が必要で、これがきちんと行なわれれば「問題意識の共有」という第2段階に行くという話しでした。つまり「情報公開」は問題意識を共有する為のツールという指摘ではなくて、「情報公開=問題意識の共有」だという断言はちょっとすごいですね。
最後にNPOです。
浅野氏は宮城県をNPOを花盛りの県にしようと思ったそうです。その心は〔NPOがいっぱいあって、元気だと宮城県も元気になる。とりあえずNPOが花盛りの県にしよう〕だったそうです。「内容を問わない。なんでもいいんだ。いっぱい作れ。日本一の人口10万人あたりのNPOの数、日本の一の県にしようということで、質より量でいきました。スタートダッシュ。あとはいいです。」
なんかなぁ〜と思いますが、これ特定非営利活動促進法(NPO法=この書き方をすると結構怒られますが)成立当初は自然な考え方でした。
そこで、NPOを今までの文脈で考えると、NPOは民主主義を体現する大きなツールであるという指摘です。市民が民主主義を体現できたと実感できるのは選挙とか、実は非常に少ない機会しかないのだが、NPOはそれを日常的に体現できるツールだという事です。
論は何故、NPOは行政から信用されないかという話から始まりました。NPOは行政のカウンターパート(対の片方。片われ。対照物)であり、これは本来はライバル(NPO側はそう考えないが)なのだから行政から嫌われるのは当たり前だという話です。
ここが「新しい公共」の担い手論とも重なるところだけれど、行政もNPOも等しく公益を担う活動をするのだが、その方法論が違う。また、過去圧倒的な財力や情報を武器に担ってきた行政の施策と違う視点からのアプローチはともすれば〔邪魔臭いまたは自分たちの仕事文化を否定する〕存在に見えるという事です。
そんな食わず嫌いな行政をNPO側がパートナーとして認知させるには時間も戦略も必要だという事でした。