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ワクワク・ドキドキする感動を街の中でいっぱいしたい。
大人がいきいき、楽しく遊べる街が好き。
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みやざきNPOハウス物語(5) [2006年12月31日(Sun)]
 2006年最後の投稿です。日記なんか書いたこともなかった人間が、ともかく書き続けていけてるのはPCの向こうに読んで下さる人が居るという後押しだけです。心から感謝です。

 NPOの活動の中で、真摯な態度は無論必要だと思いますが、「遊び心」は絶対条件ではないけれど、必要条件の一つではないかと考えてます。「みやざきNPOハウス」の運営開始までは実に様々な事が起こり、実際に企業局を訪ねて開設までほぼ1年間がかかりました。

 怒ったり、無い知恵を絞ったり、仲間に助けられたりと決して文化本舗単体では実現できなかったでしょう。やはり最後には「人」がキイワードになりました。そのような一連のドタバタを書き残そうと思ったのもこのブログを始めた動機のひとつでした。

  
みやざきNPOハウス物語(5)

 宮崎県企業局の閉鎖された独身寮の外観だけ見た石田と僕は、帰りの車中で会話を続けた。
 
 「実際問題どうするよ? 企業局に正式に話をして中を見せてもらうのが最初だけどさ。話しをしに行く? 地の理は最高だけどさ」

「師匠やる? 俺は例の環境の大会がひっちゃかめっちゃかで動けんよ。行政とやるときはきちんとやらんとまずいでしょ」

「俺かよ。話し持ってきたのはそっちだろ」

「いや俺も始めは行くよ。でも、環境があるやん。それとも環境を師匠がやる? コーディネートに師匠の名前もでてるよ。どっちにしてもNPOにとっては事務所の確保は不可欠でしょ。中間支援の活動の拠点があった方がいいのは事実だから一回きちんと検証せんといかんやろ。それにMAMAの事務所もいるし、俺たちの遊び場もあった方がいいやろ?」

「画伯が今度の作品は漆でやりたいって言ってたしな。場所いるよなぁ〜。赤字こいてまでやるほどこっちも余裕ないし。やりました、でも赤字だから撤退しますじゃすまんし、きちんとシュミレートもせんといきおいだけじゃ出来んよ。みなとNPOハウスの例はあるけどね。ところで誰が環境に俺の名前を出してるわけ?」

「そんなの誰でも言いやん。それよりみなとNPOハウスはそっちのルートやから資料なんかは引っ張れるやろ? それに師匠の本業の事務所もそろそろいるやろ?」

「まぁ、事業サポートセンターからは資料はもらえるけどね。大変だったみたいよ、あっちも最初はすったもんだだったって聞いてるけどさ。事務所はいるけど・・・、有限が入るとなるとそれもなんかなぁ・・・」

「俺さぁ、そこなんだけど、インキュベートにせん?」

「インキュベート? 今、思いついたやろ? 確かに宮崎にはその動きもないけどさ。でもハードル高くする気もするな。 公益で攻めようかなと思ってたんだけど・・・」

「やる気やん。どっちにしても中を見て、一回正式交渉してから相手の出方を見らんと手も出せんがね。とにかくアポを取るわ」

 そんなこんなで2日後に石田はアポを取ってしまった。こっちはなんの戦術もなくただ、MAMAの事務所=画伯のアトリエ、文化本舗の分室、小生の本業のコンサル業務の事務所の3団体入居確定状態での滑り出しである。勿論、「大人の遊び場確保」はお互いの胸に「隠れミッション」として掲げられていたことは言うまでも無い。
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