みやざきNPOハウス物語C
[2006年11月12日(Sun)]
(NPO)宮崎文化本舗は平成12年10月にNPO法人の認証を受けた。文化事業開催等を通して、生活文化・芸術に対する意識の向上と定着を図るとともに、県内の市民活動団体のネットワークの構築を目指していた。
宮崎映画祭の実行委員を中心に組織された宮崎文化本舗は、安定してかつ継続的な活動を行うには収益事業を行わなければミッションの達成が難しいと当初から考えていた。そこで、本来事業を大きく2本柱にして活動を展開していった。
第1には日本で初めてNPO法人で経営する「宮崎キネマ館」の運営事業である。宮崎市の中心市街地のホテルの2階に座席数100席前後の常設映画館2館を運営し、東映系の映画をメインに単館系の映画を上映している。需要によってはNPO法人などにホール貸しを行い、イベント開催の側面援助なども行っていた。
第2の柱は、事務局代行事業である。こちらの事業が後に中間支援に関する事業や世間を騒がす「綾の森を世界遺産にする会」活動につながっていくのだが、この当時は運営的にも活動内容からいっても暗中模索の手探り状態を進めていた。
記念すべき第1回の事務局代行事業は知的障害者のバンド「JOY倶楽部ミュージックアンサンブル」の宮崎公演だった。平成13年10月に開催したこの公演は、宮崎市内の障害者歯科医療を考える歯科医師のグループが実行委員となって計画を進めていた。「赤字になったら私達が補填するからどうしても実現させたい」という思いだけのド素人集団の意気に押された我々は、途中から助っ人として実行委員に加わった。事務局代行料5万円+実費+もしも黒字になったら相談が契約内容だった。ところが公演はほぼ満席、客席と演奏者の息もピッタリ合い演奏内容も最高、全てがマジックのような一夜となった。
この大成功に気をよくした石田は「方向性に間違い無し」とばかりに突き進むのであったが、この後は完全な不採算部門どころか、ストレス発生装置の役割も担っていくことになった。
もともと、年に1回の映画祭を行なうのに、事務局と専門スタッフと事務所の必要性を痛感して起こしたNPO法人である。市民活動団体にとって事務局代行機能や事務所の必要性はわかっていたが、労多くして報われない活動がしばらく続く。
宮崎映画祭の実行委員を中心に組織された宮崎文化本舗は、安定してかつ継続的な活動を行うには収益事業を行わなければミッションの達成が難しいと当初から考えていた。そこで、本来事業を大きく2本柱にして活動を展開していった。
第1には日本で初めてNPO法人で経営する「宮崎キネマ館」の運営事業である。宮崎市の中心市街地のホテルの2階に座席数100席前後の常設映画館2館を運営し、東映系の映画をメインに単館系の映画を上映している。需要によってはNPO法人などにホール貸しを行い、イベント開催の側面援助なども行っていた。
第2の柱は、事務局代行事業である。こちらの事業が後に中間支援に関する事業や世間を騒がす「綾の森を世界遺産にする会」活動につながっていくのだが、この当時は運営的にも活動内容からいっても暗中模索の手探り状態を進めていた。
記念すべき第1回の事務局代行事業は知的障害者のバンド「JOY倶楽部ミュージックアンサンブル」の宮崎公演だった。平成13年10月に開催したこの公演は、宮崎市内の障害者歯科医療を考える歯科医師のグループが実行委員となって計画を進めていた。「赤字になったら私達が補填するからどうしても実現させたい」という思いだけのド素人集団の意気に押された我々は、途中から助っ人として実行委員に加わった。事務局代行料5万円+実費+もしも黒字になったら相談が契約内容だった。ところが公演はほぼ満席、客席と演奏者の息もピッタリ合い演奏内容も最高、全てがマジックのような一夜となった。
この大成功に気をよくした石田は「方向性に間違い無し」とばかりに突き進むのであったが、この後は完全な不採算部門どころか、ストレス発生装置の役割も担っていくことになった。
もともと、年に1回の映画祭を行なうのに、事務局と専門スタッフと事務所の必要性を痛感して起こしたNPO法人である。市民活動団体にとって事務局代行機能や事務所の必要性はわかっていたが、労多くして報われない活動がしばらく続く。