私は生きてます。
[2014年04月06日(Sun)]
ず〜っとブログは仮死状態でした。
当初、扱い方になじめずほっといていたのが2年間。
ちょっと復活してみます。
当初、扱い方になじめずほっといていたのが2年間。
ちょっと復活してみます。
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私は生きてます。
ず〜っとブログは仮死状態でした。
当初、扱い方になじめずほっといていたのが2年間。 ちょっと復活してみます。
犯人は???
イライラしてます。 ここしばらく、つくったはずのデータがなくなったりして、絶対に僕のPCに住み着いた小鬼が悪さしていると思い込んでたのですが、先ほどどうも犯人は小生自身だったのではないかと思い当たってしまいました。 新しい企画を書くのに参考のために引っ張っていた昔の企画書に一生懸命書き込んで、保存をかけていたのを発見しちゃいました。 小鬼のせいじゃない!!と思ったらムカムカしてきた。 じゃあ、保存したから新しい企画あるはず!!でもこれがない!!イライラする。やっぱり小鬼の仕業だ!!
ゆったりとした時間
地デジ?!
我が家は非地デジ。 そんなわけで、昨日からTVが写りません。 昼間からダラダラウダウダ・・・。ちょっとお疲れ気味の小生はウツラウツラまどろんでいましたが、次女のマキノスケは大学の前期試験を前に一夜漬けをしてました。 TVがないので、そこは当然音楽鑑賞と読書の時間。娘が勉強していたので邪魔にならないようにとクラシックをチョイス。 グレン・グールドの『バッハ全集』から、なんでもいいからとCDをとりだしました。 「やっぱバッハはいいわぁ〜」と寝そべって活字を眺めている至福の時間。芸のないお笑い芸人の高笑いが聞えない時間がなんと落ち着くことか・・・。 「眠くなるから、もうちょっと元気な音楽ないの?」とはマキノスケ。 次にかけたのが加藤知子『エルガー作品集』そう、あの「威風堂々」の作曲者です。でもこの作品はそんな元気な曲じゃないんですけどね。 TVがないと本当に時間がゆっくりと流れます。
打ち合わせ
お仕事?のはしご。 県の協働支援事業のあとはお気楽な音楽の話。 日向市では有名(ローカルな話ですが、駅前におしゃれなレストランがありますが、ここはその2号店)なショットバーでボサノバのライブをブッキングしています。 5月にワインとボサノバの宵が決定。音楽好きなマスター。どういう企画にすればお客が喜ぶかニコニコしながら考えてます。 今日もシンデレラです。
お久しぶり
僕らの小学生の頃はどこでもあった二宮金次郎の銅像。 懐かしいお姿でした。あんなにどこにでもあった銅像は誰が設置して、どこに撤去したんでしょうね〜??
新しい公共
昨日1月17日は阪神・淡路大震災から15年の祈念の日だった。
激甚災害から、政権交代に代表されるように大きな変化が起こっているが、兵庫県公館で開かれた「1・17のつどい―阪神・淡路大震災15周年追悼式典」で、鳩山由紀夫首相が述べた「追悼の辞」には下記の発言があった。 ◇ 本日ここに、「阪神・淡路大震災15周年追悼式典」が執り行われるにあたり、政府を代表いたしまして、謹んで追悼の言葉をささげます。 6400名を超える尊い命を奪い、この地に未曽有の災害をもたらした阪神・淡路大震災の発生から15年が経過をいたしました。この震災により亡くなられた方々の無念さと、最愛の肉親を失われたご遺族の深い悲しみに思いを致しますと、誠に痛恨の極みであり、哀惜の念に堪えません。改めて、心から哀悼の意を表するとともに、すべての被災者の方々に心からお見舞いを申し上げるものでございます。 阪神、淡路の地域では、この15年の間に、地元住民の方々や自治体、政府などが一体となってめざましい復興が図られました。とりわけ、市民の皆さん、ボランティアの皆さん、NPOの皆さん、皆様方による連携や協力は、人と人とが互いに支え合う「新しい形の公共の姿」を示すものでもございました。多くの方々のご尽力に対し、心より敬意を表します。 「新しい公共」の表現の仕方が様々で、今一つわからないこともあるのだが、少なくとも「公共」のあり方が変わってきているのは事実だろうと思うが、このような動きが現状に対して反応や感度が鈍いのが行政職員の感性の様に思う。当事者意識が薄いと言い換えても良い。 昨年末に行った行政職員向け研修のアンケートに「今、とてもホットな話題であると思うし、興味ある人は多いと思う」というのがあった。書き手は自治体職員で研修に何度も来ている人だが、この文面からは他人事としてしか捉えていないように思うのだが僕だけだろうか?
需要と供給
需要と供給のバランスで価値(値段)が決定されるのは経済の原則である。
別に大げさな事を書くつもりはないのだが、先日ブルータスおまえもか?!的な場面に遭遇してしまった。 小生、結構本が好きで巷の古本チェーンにはよく行くのだが、先日は友人に頼まれ漫画を探しに行った。揃いで○千円という奴を探したのだが、お目当ての漫画は通常価格の倍以上になっていた。 憎っくき某国営放送である。これ以上書くと何を探したかわかるので書かないが、今回の国営放送の1年間の番組は高視聴率とるだろうなと思った次第である。 やっぱり人気がでると価格が上がるのは当然なのだけれど、別に漫画まで市場原理に毒され(ただ単に財布が軽くなった愚痴なんだけど)なくても・・・・と思ってしまう。
1123と1122
今日信号待ちしていると後ろに1123のナンバープレートを付けたステップワゴンがとまった。
1122はよく見るがめずらしいなぁと思っていたのだが、1123は「いい兄さん」らしい。今日11月23日は「いい兄さんの日」だそうだ。 当然昨日は11月22日で「いい夫婦の日」なんだそうである。しかもこれ通産省が決めたらしんだが・・・。 まぁ誰が決めようとどうでもよくて、所詮語呂合わせなんだけど・・・。小生も妹が一人居るが「俺、いい兄さん!」と自分で言う気はないなぁ〜。 もっと言うと「1122」とは宣言できないなぁ〜、恥ずかしくて。 これ以上書くと差しさわりがあるかもしれないなぁ〜。単に胸を張れない弱みかも・・・。
初めてのお買い物
おいちゃん初めてネットショッピングしました。 アナログにんげんである小生は、実物を手に取らないと買ってはいけないという強迫観念にとらわれていたのですが、今回どうしてもすぐに欲しくて自ら禁を犯しました。 やみつきにならなきゃいいんですが・・・ なんせ便利ですものね。
伝えるコツ
先週末の講座開催にあたって他県から問い合わせのメールが入った。ありがたい話である。
しかし、大いに疑問が残った。 よい内容であれば、そちらまで受講に行こうと考えております。 行政職員である。多分まじめで優秀な御仁だろう。 多分、「伝える」=相手がいる という事を最も考えなければならない人なのだろうとも思う。当然(というか)彼からは何の音沙汰もなかった。 「よい内容であれば」・・・は本音である。誰しもがチラシ等を見て、判断をする。しかし社会人であればそれをストレートには口にしない。日本には婉曲話法という表現もある。 主催者側で「悪い内容」の講座はやらない。よい内容だと思うから開催するのだが、上記の表現では・・・である。 確かに良いか悪いか、興味に合致するか否か判断を行うのは個人なのだが、上記のような手紙やメールが民間から届いたことはなく、行政の職員やそれに類する組織に属する人から届くのがほとんどなのは何故なのだろう?表現力の問題ではなく、人に対する意識の問題なのではないかと思う。
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